Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「日本解放第二期工作要項」について

2010年01月30日 | 共産主義
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先ほど、こんなブログの記事があることを教えてもらいました。

「日本解放第二期工作要項」について改めて思うこと

『日本解放第二期工作要項』というのは、中国共産党が革命工作員に指示した秘密文書だとされるもので、中央学院大教授だった西内雅氏が昭和47年ごろ、香港、台湾など北東アジアを視察した際に入手したものだそうです。

 これは、あまりにもずばり、日本の政治やメディアの現状と符合しており、「警察当局は表向き、真偽は判断しないものの、その実、一定の信憑性はあるとみている」との情報があるとのことです。

 『日本解放第二期工作要項』によると、日本赤化(共産主義化)の第一歩として、連合政府樹立を進めるそうです。

 しかしこれに対しては、マスコミを使って、計画的な慎重な間接的な次のような否定をするそうです。「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」と。

 どうするかというと、

① 国会議員の過半数を工作組の掌握下に置き、国会での首班指名選挙で、我が方の望む人物を選出させ、連合政府を成立させることは合法行為で可能である。

②右は日本人大衆の意志とは、関連なく行い得る。

③マスコミは右の工作が順調に進むよう、背後に隠れ全面的に支援する。

 『日本解放第二期工作要項』によると、問題は連合政府樹立後の民心の大変化だ、といいます。

 何故なら、大衆は「連合政府-共和国成立」という革命図式がデマでなく真実だと直感するからです。

「彼等をだまし続けてきたマスコミへの怒り、彼等の意志を完全に無視して首相指名選挙を行った議員への怒り、生活様式が一変するという恐怖感、これらが組織されて爆発したらどうなるか? この時点で、統一された、組織をあやつる極右勢力が存在すれば、これほど大きな危険はない。(中略)極右団体の大同団結、乃至は連携工作を絶対に実現せしめてはならない。あらゆる離間、中傷工作を行って、彼等の感情的対立、利害の衝突を激化させねばならぬ。(中略)マスコミには、全力を挙げて攻撃させ、人民の右派嫌悪をさらに高め、定着させる」

 最終段階では「日本人民民主共和国の樹立-天皇を戦犯の首魁として処刑」だそうです。

 主よ、我らを憐れみ給え!
 聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


「カトリック教会の受難」 の動画のご紹介

2010年01月30日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 次のような「カトリック教会の受難」(Passion of the Catholic Church)という動画があることを教えてもらいましたので、ご紹介します。


はじめに


カトリック教会の聖伝


聖伝の最後の一瞥


疑いが起こる


教会はむち打たれる


教会は辱めの十字架を担ぐ


教会は十字架に釘付けられる


教会を付けて十字架は立てられる


「何故、われを捨て給うや!」


「成し遂げられた」


喪に服する(その1)


喪に服する(その2)


教会は復活する


終わりに


おまけ(その1)


おまけ(その2)



愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

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南無アッバミサ

2010年01月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 南無アッバ・ミサについて、いろいろな質問を受け、まだ、いろいろ考えました。

 ベースボールの母国のアメリカでワールド・ベースボール・クラシックで優勝する日本。カワイイが世界中で通用しつつあるがその発信地の日本。iPHONE やマクドナルドやコカ・コーラがあふれる日本。ニンテンドーゲームとマンガとジャパニメーションの日本。2010年の日本。

 このきわめて国際的な日本で、日本の心にしっくりくることとは? 南無アッバ!なのだろうか? 

 何故、かつてキリシタンたちはわれもわれもとカトリック信者となったのだろうか? 仏教徒も仏僧も。老若男女が。

 仏教にはいろいろある。ナムミョウホウレンゲイキョウとお題目を唱えるところもあれば、ナムアミダブツと念仏を唱えるところもある。お経を唱えるところもある。ところでいずれにせよ、大乗仏教の日本では、お坊さんが仏教徒たちと一緒に唱える時でも、お坊さんは信者さんたちと一緒に仏像に向かって祈っている。数珠を使っている。

 どうして、対面ミサを止めて、日本人らしい祈り方をしないのだろうか? どうしてロザリオを全面的に強調しないのだろうか?

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

南無アッバミサのご紹介の続き

2010年01月25日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 こんにちは! 以前、南無アッバミサのご紹介をしましたが、「まさか!東京大司教様はこのようなことをご存じないに違いない」という御質問を頂きました。そこで、今回は、このような「南無アッバミサ」なるものは、東京大司教区の行事として、それにふさわしいものとして判断されている行為であることをお知らせしたいと思います。どうぞ、現実にしっかりと目を向けて下さるようにお願いいたします。


カトリック東京大司教区 情報コーナー (vividオンライン) 2010/1/18 更新より

 教区・修道会(宣教会)・小教区の行事、カトリック施設・グループ主催の催し物などを紹介します。このコーナーにふさわしくないと判断されました情報は掲載できませんのであらかじめご了承ください。情報は毎月第1月曜日まで掲載されます。 (お申し込み方法は一番下をご覧下さい)

黙想会・祈りの集い等

■ 南無アッバのミサ
1/9 2/13 3/13 (土) 14:00~15:00 
幼きイエス会 (ニコラ・バレ) 修道院聖堂で (JR・地下鉄丸の内線・南北線 四ツ谷駅徒歩 1分) 
司式:井上洋治神父 (東京教区) 
問合せ (申込不要):駒沢Tel/047-362-8570 e-mail: nk3737@yahoo.co.jp
詳細は 「風(プネウマ)」 http://www.geocities.jp/kazehensusitsu/index.htm 
「南無アッバミサ」 スタッフより http://namuabba.blog116.fc2.com/


 カトリック新聞の2009年12月13日(4032)号と2009年12月13日(4033)号との第4面には二回にわたって「東京教区・井上洋治神父の模索(上)(下)」が掲載されています。

「井上神父は1986年、59歳の時、白柳誠一枢機卿(当時東京教区大司教)に、インカルチュレーションの問題に正面から取り組んでみたいという思いを打ち明けた。そして白柳枢機卿の賛同を得て、東京教区のインカルチュレーションの担当者となり、小教区から離れて、若者たちと「風の家」運動を開始した。・・・典礼なども、作家の友人たちを相手にするときは、かなり自由に新しい試みを行うことも白柳枢機卿は許可してくれた。・・・また十年前から「南無(なむ)アッバ」のミサも始めた。このミサは毎月一回、東京・千代田区六番町のニコラ・バレ修道院で捧げられるが、信者でない人々(非信者)を含む百人以上が参加する。キリスト教を知らない人にも、ミサを身近に感じてもらいたいと「奉献文」以外のミサ式文の一部を「風の家」独自の言葉に置き換えて捧げている。例えば「アッバ、アッバ、南無アッバ」という祈りを挿入したり、聖霊を「おみ風様」という言葉で呼んだりする。そしてミサの後は、西欧のメダイの代わりに、「南無アッバ」と書かれた木製の札(ふだ)が入った井上神父手作りの「お守り」を、信徒、非信者を問わず希望者にプレゼントしている。「南無アッバ」とは、井上神父がちょうど十年前、ふと思いついた言葉だ。「南無」はサンスクリット語で「全てを委ねます」という意味。そして「アッバ」は、ヘブライ語・アラム語で「お父ちゃん」だ。・・・「「アッバ、アッバ、南無アッバ」という短い祈りなら病床でもどこでも祈れます。それに日本人の心にピタッとくるでしょう?」(ソノママ)」



東京教区アレルヤ会での 東京大司教 ペトロ 岡田武夫 講話
2009年11月2日 東京カテドラル構内カトリックセンターで


 キリストの霊というのは聖霊なのですね。聖霊は時間と場所に限定されません。いつでもどこでも働くわけです。ですから教会とかキリストとかいう言葉を知らない人の心にも聖霊が働くはずであると思われているのです。第二バチカン公会議では次のように言っています。「われわれは神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に供給すると信じなければならない。」(『現代世界憲章』22』)救われるということは、キリストの死と復活にあずかるという言い方になりますが、イエスが罪を滅ぼして天国への門を開いて下さったお陰で誰でもその門を通ることができるようになりました。ただし、聖霊の働きに答えないと駄目なのです。この盗賊のように「お願いします。よろしく!」と言わなければなりません。
 この「お願いします。よろしく!」というのは仏教で「南無」というそうです。「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏により頼む、お任せするという意味だそうですね。

【要旨】

大前提:聖霊の働きに答えるとは、とにかく「お願いします。よろしく!」と言うことである。
小前提:この「お願いします。よろしく!」というのは仏教で「南無」という。「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏により頼む、お任せするという意味である。
結論:従って、ただ「南無!」と唱える人々は聖霊の働きに答えている。

大前提:救われるということは、聖霊の働きに答えることよってキリストの死と復活にあずかる(復活秘義にあずかる)ことである。
小前提:聖霊は時間と場所に限定されないので、仏教徒のような、教会とかキリストとかいう言葉を知らない人の心にも聖霊が働く。(「われわれは神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に供給すると信じなければならない。」『現代世界憲章』22』)
結論:教会とかキリストを知らない人々でも、聖霊の働きに答えることによって、救われることが出来る。

大結論:従って、ただ「南無!」と唱えることによって聖霊の働きに答えれば、救われることが出来る。


--その他の資料(多くあるうちの一部を取り上げていました)--


東京教区ニュース2003年1-2月号

特集 新春インタビュー井上洋治神父に聞く

「やはり究極は神のお仕事のお手伝い」 そう思っています
 
「21世紀に必要なことは、 諸宗教、 諸文化、 また人間と自然などの共生・共存であるといわれているが、 しかし共生・共存ということは、決して違いを無くして一様化 (ユニフォーミティ) することではなく、 違いを認めあったうえで、 互いに相手を尊重しあう有機的一致 (ユニティ) でなければならないはずである」 (井上洋治著 『法然』 184頁 2001年筑摩書房刊)。

 いきなりで申し訳ないが、時代を活写する鋭い指摘がみて取れるので引用させていただいた。 自らを 「南無アッバを唱えているキリスト者」 と言い、求道者として老いの境地を存分に生きておられる井上洋治師を、 早稲田の近くにあるマンションの一部屋 「風の家」 に訪ねた。 (西川哲彌神父)

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東京教区ニュース2003年4月号
■ 南無アッバのミサ

4/18 5/9 6/13 9/12 (土) 14:00~15:00 
幼きイエス会 (ニコラ・バレ) 修道院聖堂で (JR・地下鉄丸の内線・南北線 四ツ谷駅徒歩1分) 
司式:井上洋治神父 (東京教区) 
問合せ (申込不要):駒沢 Tel/047-362-8570 e-mail: nk3737@yahoo.co.jp
詳細は「風(プネウマ)」 http://www.geocities.jp/kazehensusitsu/index.htm
南無アッバミサ」 スタッフより http://namuabba.blog116.fc2.com/

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東京教区ニュース2009年9・10月号
■ 南無アッバのミサ

10/10 11/14 (土) 14:00~15:00 
幼きイエス会 (ニコラ・バレ) 修道院聖堂で (JR・地下鉄丸の内線・南北線 四ツ谷駅徒歩 1分) 
司式:井上洋治神父 (東京教区) 
問合せ (申込不要):駒沢Tel/047-362-8570
e-mail: nk3737@yahoo.co.jp 詳細は「風(プネウマ)」 http://www.geocities.jp/kazehensusitsu/index.htm
「南無アッバミサ」 スタッフより http://namuabba.blog116.fc2.com/


東京教区ニュース2009年12月号

東京教区ニュース2009年11月号

東京教区ニュース2009年7月号

東京教区ニュース2009年6月号

東京教区ニュース2009年5月号

東京教区ニュース2009年4月号

東京教区ニュース2009年3月号

東京教区ニュース2009年1-2月号

東京教区ニュース2008年12月号

東京教区ニュース2008年8月号


【その他の参考資料】
例えば、鹿児島教区の糸永司教様は、鹿児島カトリック教区報 2001年9月で教区内での主日ミサにおけるラテン語の使用、そして聖伝ミサの全面禁止を発表されました。

「ラテン語ミサの禁止について」
 第二バチカン公会議は「叙階の秘跡の充満を受けた司教は『最高の祭司職の恩恵の管理者』である」と述べ、さらに「聖体祭儀の正しい執行はすべて司教によって指導される。司教には、神の威光にキリスト教の祭礼をささげ、それを管理する職務がゆだねられている。司教は、主のおきてと教会の法律に従ってこの職務を果たすのである。この法律は、司教の個別判断によって、司教区のためにさらに細かく規定される」と述べている(教会憲章二六)。
 糸永司教はこの職務と権限にもとづき、鹿児島教区内において、共同体の主日のミサで「ラテン語のミサ」を行ってはならないと、このほどあらためて規定した。ラテン語のわからない日本人信者の「意識的かつ行動的参加」を妨げないためである。ミサの用語は司式司祭の趣味のためではなく、参加する共同体のためでなければならないのである。訪日時の教皇様やザビエル四五〇年祭の教皇特使ショーカ枢機卿様が日本語ミサに挑戦されたことはよい手本である。なお、ここにいう「ラテン語ミサ」とは第二バチカン公会議の典礼刷新による新しい「ローマ・ミサ典礼書」のラテン語文のことで、したがって一五七〇年の聖ピオ五世による旧ミサ典礼書のことではない。後者は主日ミサ以外でも使用され てはならない (新ミサ典礼書を公布するパウロ六世使徒憲章〔一九六九〕参照)。
===鹿児島カトリック教区報 2001年9月===


【要旨】
 一神父がふと思いついた言葉なら、典礼を勝手にいじってもOK。適当にやってください。日本の将来は明るい。インカルチュレーションだから。21世紀に必要なことは、 諸宗教、 諸文化、 また人間と自然などの共生・共存。共生・共存とは、違いを無くして一様化 (ユニフォーミティ) することではなく、 違いを認めあったうえで、互いに相手を尊重しあう有機的一致 (ユニティ) でなければならないはずだから。
 カトリック教会が二千年間にわたって使ってきた言葉や言い方は禁止。ミサの用語は司式司祭の趣味のためではなく、参加する共同体のためでなければならないのである。司教の指導に必ず従え。違法のミサはするな。おまえらはカトリックではない。

 カトリック教会が二千年間にわたって愛してきたラテン語は、日本にはなじまない、誰にも分からない、死語、使われていない、使用は厳禁。司教の指導に必ず従え。違法のミサはするな。
 しかし、日本では、日常の言葉に誰も使っていないサンスクリットやヘブライ語やアラム語は、OK。頑張ってやってください。



主よ、我らを憐れみ給え!
主よ、我らを憐れみ給え!
主よ、我らを憐れみ給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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感謝・感謝・感謝

2010年01月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 新年の初めての日本での聖伝のミサ聖祭は、天主様からの恵みに満ちておりました。

 大阪では22名(21名?)の愛する兄弟姉妹の方々(そのうち2名の方々は求道者の方々です)、東京では、45名の愛する兄弟姉妹の方々(そのうち5名が学生・子供)がミサ聖祭の恵みを受けました。

 今年も大阪と東京で、踏み絵を250年のイエズス・キリストへの組織的な国家的な拒否を償うために、イエズス・キリストへの愛の償いの業を愛する兄弟姉妹の皆様としました。今年で二年目です。天主様に感謝します!!

 大阪では、岡山や兵庫からまた東京からミサ聖祭に与った愛する兄弟姉妹の方々、東京では、富山、秋田、山形から足を伸ばして来られた愛する兄弟姉妹の方々がありました。その努力に天主様の祝福が豊かにありますように!

 病のため、急な仕事のため、その他の距離や時間の事情で、与りたくても与ることのできなかった愛する兄弟姉妹の方々がいらっしゃいました。来る愛する兄弟姉妹の皆様のためお祈り申し上げます。

 私たちの聖伝のミサ聖祭は、どなたでも与ることができます。未信者の方々でも、洗礼を受けておらない方々でも、ミサ聖祭は大きく開かれています。カトリックの洗礼を受けていらっしゃるのではないと、御聖体は拝領できませんが、ミサ聖祭には与ることができます。どうぞいらしてミサ聖祭でお祈りください。一人でも多くの愛する兄弟姉妹の皆様に聖伝のミサ聖祭の恵みと祝福を受けていただきたいと願っております。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

明日の聖伝のミサ聖祭

2010年01月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日の聖伝のミサ聖祭は、都合により、午後の1時30分からです。ミサ聖祭の開始時間にお気をつけください。ロザリオは、午後1時からです。よろしくお願いいたします。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

今年は40周年

2010年01月22日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年の11月1日で私たちの聖ピオ十世会は、教会法による創立40周年になります。天主様に感謝するとともに、聖なる司祭召命を祈る年です。私たちアジア管区では、特別な司祭召命を祈る年とすることになりました。

 主よ、我らに司祭を与え給え!
 主よ、我らに聖なる司祭を与え給え!
 主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え!

 聖ピオ十世、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.5.1.元来の構想

2010年01月21日 | ルフェーブル大司教の伝記
V. 聖ピオ十世司祭兄弟会


元来の構想

 司祭職の崇高な理想に倣い、王たるキリストのために戦うよう養成された司祭たちは、もしその生活に関して何らかの規則がなかったとしたら、後にどうやって教義の純粋さと、彼らの受けた召命が包含する宣教師としての愛徳とを保つ事が出来るのだろうか? さらに司祭として自分の司教区に戻って後、聖職者たちの中でますます増大する自由主義による堕落から如何にして彼らは守られ得るのか? 

 国際神学校の創立と霊性学の一年間の創設という構想が、共同生活の司祭兄弟会の創立に導くのは論理上必然であったのみではなく、同様にカトリック教会の最も正統な聖伝に従って、共同生活を送る司祭たちの会という考えによって補完されなければならなかった。

“ダカールの夢”は、明示的にではなかったとしても、少なくとも萌芽のうちに司祭共同体のための計画が含まれていた。

 かつて、ヒッポの司教であった聖アウグスティヌス(396-430 A.D.)は、聖職者(司祭)たちと共同生活を送った。後に、天主から送られた聖職者の改革を目指す数多くの者たちが、自らの弟子たちにこの共同生活を課したのである。たしかに、これは清貧の誓願を立てる修道者の生活とは異なり、むしろ、同じ屋根の下に住み、さらに同じテーブルで食事をすることで成り立っていたのだ。

 共同生活に関するこの規則と同じものが、ジャン・ジャック・オリエ神父創立の聖スルピスの司祭会(St. Sulpice)や聖ヨハネ・ユードのイエズス・マリア修道会、パリ外国宣教会(Société des Missions étrangères de Paris)、さらに言うまでもなくクロード・プラール・デ・プラスにより創立された聖霊修道会などによって導入されたのである。1917年の教会法の条項(174条)では“聖職間での共同生活の順守は称賛、かつ奨励されなければならない”と言明されている。

 既に言及したように、1966年から1967年までルフェーブル大司教は、聖霊修道会に加え、プラール・デ・プラースの“聖霊の侍従会”を復興することについて考えておられた。はたしてあの“ダカールの夢”はこの復興計画において一役を担っているのだろうか? 私たちの考えでは、答えはイエスである。しかしながら、「ホームレスになった」大司教を通して、御摂理は、彼がそれを望んだのでもなく、より大いなる実現をもたらしさえする道を大司教に準備していた。

 クレール・フェルショ(Claire Ferchaud )は、神学校創立に向けた大司教の構想を聞きつけたので1969年5月8日、ルフェーブル大司教宛に手紙を書いた:「大司教様、この選ばれた丘の上にテントを張り、そこで罪の償いと贖罪の聖なるミサを開始するためにお出でになる事を考えていただけませんでしょうか? そうすれば非常に多くの司祭たちが大司教様について来るでしょう!」

 5月13日、大司教は回答として、ルブランド(Loublande)で計画があった永遠のミサの業を“手伝いに行く”よう希望している旨を伝えた。しかし、彼は加筆している。

「しかしながら、あなた同様に、私は御摂理の印に従いたいと思います. . . . ちょうど今この時に、私にとって最も緊急な職務とは司祭たちを養成する事なのです。これこそが、(司教である)私の変わらぬ関心事であり、時間があれば何時でもそれに没頭している次第です。おそらく、あなたはこの手段によってご自身の計画を達成するでしょう. . . . 私はさらに、私たちを救うのは司祭職の聖性であると確信しています。ですから自分に与えられた活力と捧げる祈りの全てをこの目的に充てるのです。」

「“外国宣教会”と同じ鋳型に流し込まれた共同体の憲章には、第1の活動としてこの永遠のミサの実現に献身するという、更により観想的な部門を含むこともできるでしょう。」

「私は、現在存在している反対の全てが消滅するためにも、そのために歩むべき道を示してくださるように聖霊により頼んでいます。既に非常にはっきりとした印の数々が、良き聖主は、聖なる司祭養成に必要なこの新しい神学校創立を望んでおられるということを私に示しているところです。」

 春には友人のヴェルノール・ミールに、その春訪問したエコンの家について手紙を書きながら、既に私たちが見たように、ルフェーブル大司教はそこで「広義の意味での修練院」を作るアイデアのみならず、司祭兄弟会の計画についても言及している。

「この家は多分に在俗司祭たちの国際司祭会の本部となるでしょう。司牧活動において司祭たちを助ける会、良い聖伝を守るように司祭を励ます会です。私たちは今年中にこれを準備して、来年には青年達の第一のグループを受け入れることが出来るようにするつもりです。」

 しかしながら、この“第一グループ”、(実際には第二のグループであった)が1970年に到着する前、大司教は1969年10月にやって来た9名のグループに自分の壮大な構想を伝えている。彼らの到着からほぼ一ヶ月が経った11月12日の霊的講話で、この創立者は“マルティニ(Martigny)で始まる司祭召命に関する学習からなる準備の一年間”についてだけではなく、最重要事項としての共同体についても生徒たちに話した。

「どうか私に、将来に向けて抱いているヴィジョンについて話しをしましょう。それは、共同体を組織すること、それはテオドシオス神父様の創立されたような修道者の共同体ではなく、在俗の共同体です。誓願を立てない司祭の会、司祭職を中心とする使徒たちの会、司祭ではないメンバーたちも入会できる共同体となるでしょう。現在(カトリック教会内に)存在する危機の根本原因は司祭職の弱体化です。さて、司祭職の中心とはミサの聖なる犠牲です。この共同体が持ちうる目的には、神学校や、司祭の使徒職が含まれますが、特に司祭たちと関係のない事柄は、全てこの目標から排除されます。3年間の入会を試す期間の後、この共同体を去ることは可能でしょう。この件については、皆さんに考え、祈ることをお願いします。私たちは、(神学校卒業後)司教区に、あるいは既存の修道会に行って、ちりぢりばらばらになるべきでしょうか? あるいは、少なくとも小さなグループとして生活を送りながら共に留まるべきなのでしょうか?」


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

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聖ピオ十世会 創立者ルフェーブル大司教の伝記 16.4.3.特設科目:教導権の教え

2010年01月19日 | ルフェーブル大司教の伝記
特設科目:教導権の教え

 霊性学の科目と平行して、ラテン語や、特に聖書に則ってイエズスの人生を重点的に扱い、ドン・ポール・ドラット(Dom Paul Delatte)の聖トマス的な堅実でかつ解りやすい注解を学ぶ聖書学入門が科目として組み込まれていた。他には、グレゴリオ聖歌入門や、ドン・ゲランジェの典礼制度(Institutions liturgiques)に従ってクロード・ミシェル神父が教えていた典礼学という科目もあった。
 ヴァレの司教座聖堂参事会員ルネ・ベルト(René Berthod)の協力のお陰で、一般に「教導権の教え」として知られている“近代の誤謬”に関する科目を復興させることが出来た。この科目は、フロック神父の講話の精神に従って、教皇たちが、フリーメーソンや自由主義そして近代主義に対して下した非難宣告を扱う授業である。その後には、1979年から1982年まで、ルフェーブル大司教御自身がこの科目を教えていた。

 彼はこう説明している。
「この科目の目的とは、誤謬の論理的な研究をするというよりも、むしろ様々な教皇回勅それ自体を読むこと、特に歴代の教皇たちが、これらの誤謬によって浮き出された真理を深める研究をすること、又はこれらの誤謬の詳細な分析をすることを望んだ諸回勅をいろいろと読むことにある。人々はただ信仰の遺産の用心深い守護者たちである教皇に満ち溢れていた熱意と信念に敬服するのみである。さらに、この絶え間ない、信仰を守る戦闘が突然放棄されてしまったということに気づく時、私たちはいよいよ愕然とするしかない。しかも、それは、真理への裏切り同然である偽りのエキュメ二ズムを通して、これらの誤謬の主張者と彼らの継承者たちと協定を結ぶためだった。」

 この科目全体は、聖教皇ピオ十世の指針によって導入されている。つまり「キリストにおいて全てを復興する」(E Supremi Apostolatus, 1903)である。

 この回勅の中で、聖教皇は、“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”到来を予言している。この“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”を“人権”の使徒である教皇パウロ六世は正当化するだろう。しかし、聖ピオ十世は“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”という新しい宗教を “人間が天主の場所を奪う” 反キリストに固有の宗教であると指摘した。

 ルフェーブル大司教は言う。人間が、イエズス・キリストと天主とからこの独立を要求することこそが、自由主義の真髄であり、自由主義とはつまり“カトリック教会に存在する危機の諸原因の一つであり、その結果として、この神学校の誕生理由の一つでもある”という。何故なら、歴史の流れの中で、天主様は、幾多の戦いを交える最中にも、私たちに悪に対する対処策を施してくださるからである。


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聖ピオ十世会 創立者ルフェーブル大司教の伝記 16.4.2.霊性の学年の計画

2010年01月18日 | ルフェーブル大司教の伝記
霊性の学年の計画

 フォンゴンボーでは1970年8月25日の丸一日、ルフェーブル大司教とゴットリープ神父、マソン神父、ミシェル神父らが霊性の学年の詳しいプログラムを話し合った。大修道院の修練院長であったドミニク・マルク神父がこれについて助言した。この学年は、普通の司祭養成に不足しているものを補うことであり、ローマでマルセル・ルフェーブル神学生が感じていた欠如であった。

 創立者は、その代わり、オルリーの修練院で得た利益を思い出していた。ルフェーブル大司教は、神学生たちに内的生活の知識と実践の同じ利益を与えたかった。この内的生活こそ司祭としての存在の中核となるであろうし「信徒たちも内的生活に憧れているので、信徒らの手に届くところに神学を説明するのに役に立つだろう。」

 ルフェーブル大司教は更にこう説明している。この霊的養成無しには「神学校を作る代わりにただ単に理論だけの研究所を作ることになる危険があった。頭でっかちになったかもしれないが、心は成長することがないだろう。しかし心は、聖性のうちに高められ、私たちの主イエズス・キリストとの一致の内に強烈な内定生活を送るために出来ている。」大司教はこう結論した。また「私はこの革新が確かに極めて重要であると思う」 と。

 第二バチカン公会議の中央準備委員会で、ルフェーブル大司教既にこう提案していた。

「勉学と霊的生活への手ほどきが、一年間最高の度合いに必要である。この霊的生活の一年は司牧の勉強よりも更に必要である。」

 第二バチカン公会議は、司祭養成についての教令 Optatam totius の中で、司祭たちにこう要求している。

「霊的教育がいっそう堅固に基礎付けられるため、また神学生が熟慮の上で決定した選択によって召命を受け入れるようにするために、入念な霊的準備の適当な期間を定めること」(12)。

 エコンでの自分の体験に確信を持ち、ルフェーブル大司教は将来宣教聖省にナイジェリアにおける司祭養成に関して相談を受けたとき、この「霊性の期間」 を半年或いは一年もうけエキュメニズムに関する教令ことを提案するだろう。

 まさにフォンゴンボーで確かめられたことはこれだった。黙想の実践、良心の霊的指導、定期的な告解など、実践と教育の進展に従って、霊的教義の授業が発展するだろう。トリエント公会議とその公教要理と神学、ミサ聖祭に従い、この授業は説明しながら、追求するだろう。そして新しいミサの神学的批判にまで発展するだろう。次に、天使的博士聖トマス・アクィナスは、神学生たちに三位一体に関する神学、聖寵に関して、罪に関して、償いに関して、霊の識別に関して、また最後にキリスト教的徳と聖霊の賜についての神学に導入するための良き師となるだろう。

 最初の神学生たちは、モーリス・ゴットリープ神父の厳しいトミストの監督下において聖寵と徳と賜の庭園に入ったその幸福を思い出す。何と堅固な神学的霊性であることか! 創立者の模範に習って聖トマス・アクィナスを味わうための、何と美しい招きであったことか!


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お祈りをお願いします

2010年01月17日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様!

 今日は、フィリピンの私たちの教会ではサント・ニーニョのミサ聖祭を行いました。

 明日から司祭の会合です。クランショー神父様、クチュール神父様、シャザル神父様などなど、司祭たちがマニラに集まっています。良い勉強会となりますように!愛する兄弟姉妹の皆様、お祈り下さい。

 聖伝のミサ聖祭の勉強と練習に来ていた神父様と助祭は、昨日帰りました。また来ると言って、今後までにミサ聖祭の祈りをラテン語で諳んじて来ると張り切って帰って行きました。嗚呼!!日本からも聖伝のミサ聖祭を学ぶような司祭が出ますように!たくさん出ますように!

 私ごとですが、もうひとつのチャレンジができました。3月にオーストラリアの神学校で、神学生のための黙想会(2つ)を指導することになりました。責任重大です。伝記のペースが落ちるかもしれませんが、ご了承をお願いいたします。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。m(_ _)m

 ロザリオの十字軍は、12万環達成までペースを落とさずに宜しくお願いします。3月25日までほとんどあと2ヶ月です。聖母マリアの汚れなき御心の凱旋のために多くのお友達に呼びかけてください。

 お祈りのお願いだらけになってしまいました。

 ところで、今年の1月21日はこのCredidimus caritati 4周年ですので、特にロザリオの十字軍に今までお祈りを報告してくださった方々のために感謝を込めて、聖伝のミサ聖祭を捧げようと考えています。また、もしコンピュータに触れる時間があれば、デザインも少し変えてみる予定です。(読みにくいと言う不評があれば、元に戻すかもしれませんが。)

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 創立者ルフェーブル大司教の伝記 16.4.1.霊性学年度

2010年01月17日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅳ. 霊性学年度


 ルフェーブル大司教には、該当司教たちからのプラチェット - 許可 - を 得ることが残っていた。カトリック教会の仕事を遂行するために自分の計画を教区長たちに提示して彼らの許可を受けることを抜きにして、何にも手を付けることはしないということが、ルフェーブル大司教にとって大切なことであった。

 既に1969年4月、大司教はシオンの司教に手紙を書き、エコンでの第一年度の計画、そして全神学校課程の計画さえも提出していた。既に言及した通り、ネストール・アダムは彼にした答えはあまり好意的ではなく、フリブールで試みるよう大司教に提案していた。1969年6月30日に大司教はシオンで アダム司教に面会し、フリブールの計画とエコンのアイデアを細部にわたって披露した。これも既に言及した通り、大司教は1970年5月19日にエコンでの準備学年度の創設に対するシオンの司教からの認可を取得したのである。

 フリブールの司教について言うならば、1970年6月29日に大司教はメモランドゥム(覚え書き)をフリブールの司教に書いている。彼は、生徒たちは大学での授業開始前に一年間の準備年を持つという計画をこの司教に説明していた。大司教はさらに、これから言及する、司祭兄弟会の創立のための計画も説明していたのである。これら2つの計画をまとめ上げて彼は言った。

「もしこの創立が認められれば、霊性学年度、つまり兄弟会への誓約を立てる前の準備年度は、シオン司教区のエコンにある畑の聖母の聖堂で行なわれることになるでしょう。アダム司教は既に同意を表明されました。」

 1970年7月1日、ルフェーブル大司教はシャリエール司教とその補佐司教のピエール・マミ(Pierre Mamie)と共に、フリブールの司教館に招かれた。彼はシャリエール司教に司祭会会則の草案を手渡し、フリブールでのこの仕事の継続のために司教許可を手に入れた。8月18日、ルフェーブル大司教はもう一度司教館に招かれ、シャリエール司教が口述で大司教に確認し、同日に文書をもって司教認可を著して、
「1969年6月6日の面会で、ルフェーブル大司教に授与した認可、つまり、フリブールの大学で受講することになる司祭志願者たちのための国際的な施設をそのフリブールに開くこと」

 こうして、もっとも規則正しく、10月8日から13日までリヴィエール神父によって始動された共同の黙想会の後、フリブールでの第2学年とヴァレ州での第1学年とが平行して同時に始まることになった。ルフェーブル大司教は、自分の子らの二つのグループのために、出来るだけ公平に時間を費やすことになるだろう


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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.3.2.ルフェーブル大司教、エコンに立つ

2010年01月16日 | ルフェーブル大司教の伝記
ルフェーブル大司教、エコンに立つ

 1968年の5月から1969年2月までに9ヶ月が過ぎていた。天主の御摂理はルフェエーブル大司教をエコンへと導いたのである。ルフェーブル大司教の言葉を聞いてみよう。

「ローマで何かをする可能性は低くなっていた。・・・私には聖母の騎士会に相談するという考えを思いついた。それはこの騎士団の後援者であるミション(Michon)司教様に従属することになる騎士司祭たち(priest-knights)に関する計画であった。私はこの案について、騎士団総長ジュアン・ド・パンファンタニョ大佐へ知らせた。返事はなかなかもらえなかったのだが、最終的にこの案件についてのドン・ラフォン(Dom Lafond) の援助とともに、考察と熟考の末に頂いた返事は、この計画が実現不可能であることをはっきりと示した。しかしながら、この騎士団総長はとても親切に、ヴァレ州の騎士たちが神学校として使えそうな建物を所有していたので、コンタクトを取ってみるといい、と提案してくれた。私は更なる情報を求めてヴァレに向かうことを決意した。」



 彼の友人であり、フランス人神学校における元同級生のアンリ・ボンヴァン(Henri Bonvin)というヴァレのフュリ村(Fully)で教区司祭を務める神父を介して、大司教は1969年の3月の末、モンテ(Monthey)での四旬節の黙想会と、フュリでの初聖体準備黙想会の指導に自分を招いてくれないかと依頼した。フュリにつくと 、ボンヴァン神父に自分の神学校についての計画を説明した。フリブールでの神学校創立の開始に関して依然として決心がつかないことや、ヴァレにある家屋について聞いた事などである。アンリ・ボンヴァンはそれを聞くと直ぐそれがエコンの事だと分かったのである。翌日、御ミサの終わりに、御聖体を授けながら、拝領直後の教区信徒ロジェ・ロヴェ(Roger Lovey)の前を通り過ぎる時、彼にささやいて言った:「御ミサの後司祭館に来てください!」

 彼は司祭館に来たロヴェに言った:「ここにルフェーブル大司教がいらっしゃるのですが、ご自分の神学生たちを収容する家を探しています。エコンがそれにふさわしくと思いませんか?」

 ロジェ・ロヴェは、既にあの騎士団総長から、大司教が土地を探している事を聞いていたのだろうか? 御摂理の計画が彼にとって常に光り輝いた。天主はこの友人5人が成し遂げていた気高い信仰の行いに満足された。天主は彼らの自発性を誘因したのであり、今や彼らは、自分たちが描いてきた非常に途方も無い夢を超える業を遂行する道具となって、不屈の希望を達成させるだろう。

 大司教とシオンの(Sédunois)ロジェ・ロヴェ弁護士は間もなく初対面することになり、こうしてルフェーブル大司教は、1969年聖週間のある日、エコンを初めて訪問することになる。


 彼がそこで見出したものは、乾燥して岩だらけの葡萄園の丘と境をなす頑丈な土手によって、近くを行く奔流から守られた杏子の花咲く樹林のオアシスだった。






 夏を迎えると、この土手にはアンシリス(マメ科‐anthyllis)やローズベイ・ウィローハーブ(アカバナ科‐rosebay willowherb)、そしてコクシグルー(スミレ科‐coquesigrue/Ononis natrix)などの野草が咲き並ぶ。





 エコンでは、この春、ロザンヌの大会の後、シオンのアダム司教が出席して称える聖母の騎士会の総会が開かれ、その参加者を喜んで歓迎していた。エコンの家は、シオン・プレチェプトラート(聖母の騎士会の一支部)の本部であったし、プレチェプトール(騎士団支部長)のフランソワ・ラニョ(François Lagneau)氏は、集まった総会参加者に言った。

「勝利に酔いしれるのはもう止めようではありませんか!私はこの家をベルト神父に委ねます。天国にいる神父がその高みから私たちの為に最善を尽くしてくださいますように!ここに、そう、この地に、つまり聖人たちの地に私たちはいるからです!」

 ロジェ・ロヴェは友人の騎士グラシアン・ロシスをエコンに招いた。さらにマルセル・ペドゥローニという、頼まれた事は人を手配して片付けてしまう実に役に立つ男を招待した。ロヴェ氏はルフェーブル大司教にエコン周辺の案内をした。そして大司教はといえば、エコン周辺の人気のない静けさと家屋からにじみ出る修道院的な厳格さにたちまち魅了された。

 見学後、大司教は言った:「主要な街からとても離れているエコンが、神学校に適した所だとはそれ程考えませんでしたが、修練院には最適な場所でした。加えてアダム司教閣下に尋ねると 、そこに神学校が建てられる事を好んでおられなかったし 、御自分の裁治権の外にあることを望まれていたのです。それで私は考える時間をくれるようこの紳士諸君にお願いすると共に、できるならば一年の間は待ってほしいと頼みました。すると彼らは、1970年の10月まで待つと快く聴きいれて下さったのです。」 

 しかしながら、大司教の言うように、“霊性学による(神学生養成の)開始年を設けるという夢” が1969年の夏に具体化し始める。9月3日に彼はヴェルノール・ミール(Vernor Miles)宛に、そのことについて手紙を書いた。

「ヴァレの家についてでありますが、私の意向は、この家屋を霊性学と典礼の養成からなる最初の一年目に使おうと考えています。「修練院」という名こそ無いけれど、又そのような法的な現実もないけれど、一種の広義の意味の修練院です。さらにそこでは非宗教的な学問から教会的な学問への間の移行期の一年となるでしょう。私はヴィエンヌ(Vienne)地方で五つの教区を持つ非常に優れた司祭たちの小さなグループに期待しているところなのです。」

 大司教は自分の計画の展開をこう言い続けている。

「1970年から71年学年度の第一学期の間、この願望は、私にとって絶対不可欠だと思えました。そこで自分に協力してくれる司祭たちを探そうと私は考えたのです。誰一人そのような司祭が見つからず困惑していた中で、私はベネディクト会の “フォンゴンボーの聖母大修道院” のドン・ロワ(Dom Roy)大修道院長に面会し、この修道院の雰囲気の中で神学生たちがそのような一年を過ごす可能性について話し合いました。司教区当局から来るだろう妨害にも幾つかの言及がなされましたが、親切にもこの原理はドン・ロワによって受け入れられたのです。」
  ちょうどその時、大司教は自分を支援したいとの意志を表明する2名の司祭から申し出を受けた。一人は、サンタ・キアラでかつて生徒だったモーリス・ゴットリープ(Maurice Gottlieb)神父で、彼は聖レジェ司祭会(St. Léger)の友人であり、シャートルの補佐司祭でもあった(さらに当時彼はフリブールを訪問中であった)。そしてもう一人は、ジャック・マソン(Jacques Masson)神父で、モー(Meaux)の小神学校で先生をしていた。大司教に会うためにこのマソン神父はロモン通り(Rue Lhomond)に来てその熱意を明かした。ただし、彼らの決定的申し出 は1970年5月末にようやく実現した。同様に、ルフェーブル大司教がローマに短い滞在をしている間に、クロードゥ・ミシェル(Claude Michel)神父の受け入れも決まった。

 フォンゴンボーとの交渉の成果を待たずに、ルフェーブル大司教は1970年復活祭のロザンヌの大会でロヴェ(Lovey)弁護士と面会し、御自分の夢である霊性学の一年を彼と話し合った。5月24日、大司教はポール・オラニエを伴って再度エコンに戻ると、ロヴェ弁護士やマルセル・ペドゥローニ、その他からの熱烈な歓迎を受けた。

 「大司教様」ロヴェは言った。「私たちがリッドの小教区主任司祭を招く許可をいただけませんでしょうか?」

 「おお!どのような主任司祭なのですか、彼は? 彼が私たちの仕事の邪魔をしないと言えますか?」

 「とんでもない、この主任司祭ならそのような危険など何もありません。彼は他の主任司祭らとは違います。」

 近くにあるレストランで、例の訪問客二人とピエール・エピネ神父、さらにエコンの所有者である5人の友人は会食した。食事の終わりに、意味ありげな沈黙を保っていたアルフォンス・ペドゥローニがその重い口を開いてまさに予言となる言葉を語り出したのだ。

 「実は大司教様、あなたにお伝え致します。何時の日か、世界中で人々はエコンの神学校の話をするでしょう。」

 神学生たちの入居に必要とされる改築をするかどうかの最終決定は、大司教によるフォンゴンボー訪問の計画が否定的な結果 となった6月24日に下された。大司教は、賃貸料という形で、十分な援助の金額を(後援者の協力を得て)支払うと彼らに約束した。



 しかしながら、解決されていない重要な問題が最後に一つ残っていた。それは料理と洗濯をしてくれる人たちを見つけることであった。こんな隔離された地方のどこで見つけ出せるのか? シャボイユの姉妹会(Sisters of Chabeuil)への訪問が無駄に終わった後、これをますます心配していた大司教は“良き老司祭ベルト神父とその修道女たち”、つまり聖霊の聖ドミニコ修道会(the Dominicans of the Holy Ghost)の事を思いついた。それでローマ出発前に大司教は彼らにSOSを送ったのである。

 ルフェーブル大司教はこう言う。
「ところで、9月3日、ローマ滞在中、私は電話口から前向きな返事をいただきました。その日は聖ピオ十世の祝日だったのです。御摂理と、聖教皇の取次ぎと、ポンカレックの女子修道院長様との御厚意を通して途方も無い心尽くしを頂いたのです!」


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フィリピンの修道院では

2010年01月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日も、今日も、一人の司祭と一人の助祭は、私たちの修道院で聖伝のミサ聖祭を一生懸命に練習しました。今日は、二人に私が知っている祭服の専門店を紹介しました。この専門店は、知る人ぞ知る。ものすごい穴場の(?)お店です。

 こちらマニラの修道院では来週からの司祭の会合に合わせて、大工事が進められています。実は、昨年の11月と12月は2ヶ月、窓の工事のために私の部屋は使うことが出来ませんでした。今年に入ってからは、今後は、図書室と食堂が使えなくなりました。ペンキの塗り替えやその他です。しかし、今では、見違えるようになりました。

 司祭の会合には合計15名の司祭が集う予定です。第二補佐のネリー神父様も来られ、ニュージーランドのクランショー神父様も参加するということです。

 来週の分のルフェーブル大司教様の伝記は1月19日分まで予約投稿してあります。私がコンピュータに触れることが出来なくとも、伝記だけは自動的に進みます。天主様に感謝!

 明日は、聖マルチェッロ教皇殉教者の祝日です。フランス語で聖マルセルです。ルフェーブル大司教様の霊名を記念して、写真もいくつか載せました。

 エコンの神学校の購入については、本当に微笑ましいと言うか、すごい!と言うか、感動ものです。

 では、愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2009年のクリスマスのミサ聖祭の説教が書き起こされましたのでご紹介いたします

2010年01月15日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、こんにちは!

 2009年のクリスマスのミサ聖祭の説教が書き起こされましたのでご紹介いたします。ウェブ・サイトのページはこちらです。

 2009년 12월 25일 성탄미사 강론

 2009年の12月の27日の主日のミサ聖祭の説教も、書き起こされましたのでご紹介いたします。ウェブ・サイトのページはこちらです。

 2009년 12월 27일( 성탄 팔부첨례 내 )주일미사 강론

 ご参考になりましたら嬉しく思います!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】