アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
こんにちは!
以前、南無アッバミサのご紹介をしましたが、「まさか!東京大司教様はこのようなことをご存じないに違いない」という御質問を頂きました。そこで、今回は、このような「南無アッバミサ」なるものは、東京大司教区の行事として、それにふさわしいものとして判断されている行為であることをお知らせしたいと思います。どうぞ、現実にしっかりと目を向けて下さるようにお願いいたします。
カトリック東京大司教区 情報コーナー (vividオンライン) 2010/1/18 更新より
教区・修道会(宣教会)・小教区の行事、カトリック施設・グループ主催の催し物などを紹介します。このコーナーにふさわしくないと判断されました情報は掲載できませんのであらかじめご了承ください。情報は毎月第1月曜日まで掲載されます。 (お申し込み方法は一番下をご覧下さい)
黙想会・祈りの集い等
■ 南無アッバのミサ
1/9 2/13 3/13 (土) 14:00~15:00
幼きイエス会 (ニコラ・バレ) 修道院聖堂で (JR・地下鉄丸の内線・南北線 四ツ谷駅徒歩 1分)
司式:井上洋治神父 (東京教区)
問合せ (申込不要):駒沢Tel/047-362-8570 e-mail: nk3737@yahoo.co.jp
詳細は 「風(プネウマ)」 http://www.geocities.jp/kazehensusitsu/index.htm
「南無アッバミサ」 スタッフより http://namuabba.blog116.fc2.com/
カトリック新聞の2009年12月13日(4032)号と2009年12月13日(4033)号との第4面には二回にわたって「東京教区・井上洋治神父の模索(上)(下)」が掲載されています。
「井上神父は1986年、59歳の時、白柳誠一枢機卿(当時東京教区大司教)に、インカルチュレーションの問題に正面から取り組んでみたいという思いを打ち明けた。そして白柳枢機卿の賛同を得て、東京教区のインカルチュレーションの担当者となり、小教区から離れて、若者たちと「風の家」運動を開始した。・・・典礼なども、作家の友人たちを相手にするときは、かなり自由に新しい試みを行うことも白柳枢機卿は許可してくれた。・・・また十年前から「南無(なむ)アッバ」のミサも始めた。このミサは毎月一回、東京・千代田区六番町のニコラ・バレ修道院で捧げられるが、信者でない人々(非信者)を含む百人以上が参加する。キリスト教を知らない人にも、ミサを身近に感じてもらいたいと「奉献文」以外の
ミサ式文の一部を「風の家」独自の言葉に置き換えて捧げている。例えば「アッバ、アッバ、南無アッバ」という祈りを挿入したり、聖霊を「おみ風様」という言葉で呼んだりする。そしてミサの後は、西欧のメダイの代わりに、
「南無アッバ」と書かれた木製の札(ふだ)が入った井上神父手作りの「お守り」を、信徒、非信者を問わず希望者にプレゼントしている。「南無アッバ」とは、井上神父がちょうど十年前、
ふと思いついた言葉だ。「南無」は
サンスクリット語で「全てを委ねます」という意味。そして「アッバ」は、
ヘブライ語・アラム語で「お父ちゃん」だ。・・・「「アッバ、アッバ、南無アッバ」という短い祈りなら病床でもどこでも祈れます。それに日本人の心にピタッとくるでしょう?」(ソノママ)」
東京教区アレルヤ会での 東京大司教 ペトロ 岡田武夫 講話
2009年11月2日 東京カテドラル構内カトリックセンターで
キリストの霊というのは聖霊なのですね。聖霊は時間と場所に限定されません。いつでもどこでも働くわけです。ですから教会とかキリストとかいう言葉を知らない人の心にも聖霊が働くはずであると思われているのです。第二バチカン公会議では次のように言っています。「われわれは神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に供給すると信じなければならない。」(『現代世界憲章』22』)救われるということは、キリストの死と復活にあずかるという言い方になりますが、イエスが罪を滅ぼして天国への門を開いて下さったお陰で誰でもその門を通ることができるようになりました。ただし、聖霊の働きに答えないと駄目なのです。この盗賊のように「お願いします。よろしく!」と言わなければなりません。
この「お願いします。よろしく!」というのは仏教で「南無」というそうです。「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏により頼む、お任せするという意味だそうですね。
【要旨】
大前提:聖霊の働きに答えるとは、とにかく「お願いします。よろしく!」と言うことである。
小前提:この「お願いします。よろしく!」というのは仏教で「南無」という。「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏により頼む、お任せするという意味である。
結論:従って、ただ「南無!」と唱える人々は聖霊の働きに答えている。
大前提:救われるということは、聖霊の働きに答えることよってキリストの死と復活にあずかる(復活秘義にあずかる)ことである。
小前提:聖霊は時間と場所に限定されないので、仏教徒のような、教会とかキリストとかいう言葉を知らない人の心にも聖霊が働く。(「われわれは神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に供給すると信じなければならない。」『現代世界憲章』22』)
結論:教会とかキリストを知らない人々でも、聖霊の働きに答えることによって、救われることが出来る。
大結論:従って、ただ「南無!」と唱えることによって聖霊の働きに答えれば、救われることが出来る。
--その他の資料(多くあるうちの一部を取り上げていました)--
東京教区ニュース2003年1-2月号
特集 新春インタビュー井上洋治神父に聞く
「やはり究極は神のお仕事のお手伝い」 そう思っています
「21世紀に必要なことは、 諸宗教、 諸文化、 また人間と自然などの共生・共存であるといわれているが、 しかし共生・共存ということは、決して違いを無くして一様化 (ユニフォーミティ) することではなく、 違いを認めあったうえで、 互いに相手を尊重しあう有機的一致 (ユニティ) でなければならないはずである」 (井上洋治著 『法然』 184頁 2001年筑摩書房刊)。
いきなりで申し訳ないが、時代を活写する鋭い指摘がみて取れるので引用させていただいた。 自らを 「南無アッバを唱えているキリスト者」 と言い、求道者として老いの境地を存分に生きておられる井上洋治師を、 早稲田の近くにあるマンションの一部屋 「風の家」 に訪ねた。 (西川哲彌神父)
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東京教区ニュース2003年4月号
■ 南無アッバのミサ
4/18 5/9 6/13 9/12 (土) 14:00~15:00
幼きイエス会 (ニコラ・バレ) 修道院聖堂で (JR・地下鉄丸の内線・南北線 四ツ谷駅徒歩1分)
司式:井上洋治神父 (東京教区)
問合せ (申込不要):駒沢 Tel/047-362-8570 e-mail: nk3737@yahoo.co.jp
詳細は「風(プネウマ)」 http://www.geocities.jp/kazehensusitsu/index.htm
南無アッバミサ」 スタッフより http://namuabba.blog116.fc2.com/
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東京教区ニュース2009年9・10月号
■ 南無アッバのミサ
10/10 11/14 (土) 14:00~15:00
幼きイエス会 (ニコラ・バレ) 修道院聖堂で (JR・地下鉄丸の内線・南北線 四ツ谷駅徒歩 1分)
司式:井上洋治神父 (東京教区)
問合せ (申込不要):駒沢Tel/047-362-8570
e-mail: nk3737@yahoo.co.jp 詳細は「風(プネウマ)」 http://www.geocities.jp/kazehensusitsu/index.htm
「南無アッバミサ」 スタッフより http://namuabba.blog116.fc2.com/
東京教区ニュース2009年12月号
東京教区ニュース2009年11月号
東京教区ニュース2009年7月号
東京教区ニュース2009年6月号
東京教区ニュース2009年5月号
東京教区ニュース2009年4月号
東京教区ニュース2009年3月号
東京教区ニュース2009年1-2月号
東京教区ニュース2008年12月号
東京教区ニュース2008年8月号
【その他の参考資料】
例えば、鹿児島教区の糸永司教様は、鹿児島カトリック教区報 2001年9月で教区内での主日ミサにおけるラテン語の使用、そして聖伝ミサの全面禁止を発表されました。
「ラテン語ミサの禁止について」
第二バチカン公会議は「叙階の秘跡の充満を受けた司教は『最高の祭司職の恩恵の管理者』である」と述べ、さらに「聖体祭儀の正しい執行はすべて司教によって指導される。司教には、神の威光にキリスト教の祭礼をささげ、それを管理する職務がゆだねられている。司教は、主のおきてと教会の法律に従ってこの職務を果たすのである。この法律は、司教の個別判断によって、司教区のためにさらに細かく規定される」と述べている(教会憲章二六)。
糸永司教はこの職務と権限にもとづき、鹿児島教区内において、共同体の主日のミサで「ラテン語のミサ」を行ってはならないと、このほどあらためて規定した。ラテン語のわからない日本人信者の「意識的かつ行動的参加」を妨げないためである。ミサの用語は司式司祭の趣味のためではなく、参加する共同体のためでなければならないのである。訪日時の教皇様やザビエル四五〇年祭の教皇特使ショーカ枢機卿様が日本語ミサに挑戦されたことはよい手本である。なお、ここにいう「ラテン語ミサ」とは第二バチカン公会議の典礼刷新による新しい「ローマ・ミサ典礼書」のラテン語文のことで、したがって一五七〇年の聖ピオ五世による旧ミサ典礼書のことではない。後者は主日ミサ以外でも使用され てはならない (新ミサ典礼書を公布するパウロ六世使徒憲章〔一九六九〕参照)。
===鹿児島カトリック教区報 2001年9月===
【要旨】
一神父がふと思いついた言葉なら、典礼を勝手にいじってもOK。適当にやってください。日本の将来は明るい。インカルチュレーションだから。21世紀に必要なことは、 諸宗教、 諸文化、 また人間と自然などの共生・共存。共生・共存とは、違いを無くして一様化 (ユニフォーミティ) することではなく、 違いを認めあったうえで、互いに相手を尊重しあう有機的一致 (ユニティ) でなければならないはずだから。
カトリック教会が二千年間にわたって使ってきた言葉や言い方は禁止。ミサの用語は司式司祭の趣味のためではなく、参加する共同体のためでなければならないのである。司教の指導に必ず従え。違法のミサはするな。おまえらはカトリックではない。
カトリック教会が二千年間にわたって愛してきたラテン語は、日本にはなじまない、誰にも分からない、死語、使われていない、使用は厳禁。司教の指導に必ず従え。違法のミサはするな。
しかし、日本では、日常の言葉に誰も使っていないサンスクリットやヘブライ語やアラム語は、OK。頑張ってやってください。
主よ、我らを憐れみ給え!
主よ、我らを憐れみ給え!
主よ、我らを憐れみ給え!
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次】
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