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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「ロザリオの秘密」聖グリニョン・ド・モンフォール 第23、24のバラ:主の御苦難を黙想、完徳の手段

2021年11月30日 | カトリックとは

二十三番目のバラ:記念

私たちの霊魂の神聖な配偶者であり、いとも親愛なる友人であるイエズス・キリストは、私たちへの御自身のご親切とすべての贈り物を私たちが思い出すことを御望みになり、何よりもそれらを大切にすることを望んでおられる。私たちがロザリオの聖なる玄義を敬虔に、愛情を以って黙想するときはいつでも、主には偶有的な喜びがあり、聖母や天上のすべての聖人たちも同様である。

これらの玄義は、私たちに対する主の愛の最も重要な結果であり、主が私たちにお与えになることのできる最高の贈り物である。なぜなら、そのような贈り物のおかげで、聖母ご自身とすべての聖人たちが、天国の栄光に浴しておられるからである。

ある日、フォリーニョの福者アンジェラは、どのような修道活動をすれば主に最も栄光を帰することができるのか教えてくださるよう主に乞い願った。主は、十字架に釘付けにせられた状態で彼女に現れ、こう仰せられた。“私の娘よ、私の傷を見よ。”
彼女は、主の御苦難を黙想すること以上に、愛する主を喜ばせるものはない、ということを悟った。そして、主は御頭の傷をお見せになり、さらに他の苦しみを明らかにして仰せられた。“私は、おまえの救霊のためにすべての苦しみを受けた。私の愛に応えるために、おまえは何をすることができるか?”

ミサの聖なる犠牲(いけにえ)は、イエズス・キリストの御受難の再現であり、ミサ聖祭を通して私たちが主の従順、御苦しみ、いと尊き御血の功徳とを天主に御捧げすることにより、最も祝福された三位一体に限りない栄光を与えるものである。天国の宮廷全体も、ミサ聖祭から偶有的な喜びを得ている。聖トマス・アクィナスをはじめとする何人かの教会博士たちは、同じ理由で、天上のすべての祝福された者たちが、信徒の聖体拝領に歓喜することを教えてくれている。なぜなら御聖体は、イエズス・キリストの御受難と御死去の記念であり、人間はそれによってその実りを分かち合い、救霊を実現するからである。

さて、聖なる玄義の黙想とともに唱えられる聖なるロザリオは、私たちの贖罪という偉大な御恵みに感謝するための天主への讃美のいけにえである。またロザリオは、イエズス・キリストの御苦難、御死去、栄光を聖なる形で思い起こさせるものでもある。したがって、ロザリオが私たちの主、聖母、そしてすべての祝福された人々に栄光を与え、また偶有的な喜びを与えていることは事実である。なぜなら彼らは、主にとってこれほど栄光に満ち、私たちにとってこれほど有益な習慣に従事しているのを見ること以上に、私たちの永遠の幸福に役立つものを望むことはできないからである。

福音は、回心して痛悔する罪人は、すべての天使たちに喜びを与える、と教えている。もし一人の罪人の悔い改めと回心が天使たちを喜ばせるのに十分であるならば、天の宮廷全体の幸福と歓喜はどれほどのものであるだろうか。また私たちの祝された主にとって、この地上で私たちが主の御辱めと御苦悩、そして残酷で屈辱的な御死去について敬虔に、そして愛情を以って黙想しているのを御覧になることはどれほどの栄光だろうか!これほどまでに私たちの心に響き、私たちを真の誠実な悔い改めへと導くものがあるだろうか?

ロザリオの玄義に思いを馳せないキリスト信者は、主に対して非常に恩知らずであり、天主なる救い主がこの世を救うために受けられた御苦しみのすべてに対して、どれほど無関心であるかを示している。このような態度は、イエズス・キリストの御生涯をほとんど何も知らず、私たちを救われるためにイエズス・キリストが何をなされ、何を耐え忍ばれたのか、イエズス・キリストについて知る努力をしてこなかったことを示しているように思える。

このようなキリスト信者は、イエズス・キリストを今まで知らず、思いや心から遠ざけてたことを恐れるべきである。裁きの日に、彼はイエズス・キリストから見放され、そして非難の言葉を浴びせられるだろう、“まことに私は言う。私はおまえたちを知らぬ。”

であるから私たちは、聖なるロザリオによって、主の御生涯と御苦しみを黙想しよう。裁きの日に、主が私たちを、主の子供たちと友人たちに中に加えてくださるよう、主をよく知り、主のすべての御恵みに感謝することを学ぶようにしよう。

二十四番目のバラ:完徳の手段

聖人たちは常に、主の御生涯を研究の主な対象とし、主の聖徳と御苦難について黙想することによってキリスト教的完徳に達した。

聖ベルナルドは、一旦この黙想を始めると、いつもそれを継続していた。

彼はこう言っている、「回心の最初の頃、私は救い主の御悲しみを集めた没薬の花束を作りました。私はこの花束を自分の心の上に置き、主の御受難における鞭打ち、いばら、釘付けのことを考えました。私は毎日、精神を尽くしてこれらの神秘を黙想しました。」

これは聖なる殉教者たちも実践していたことであり、彼らがいかに残酷な苦しみに見事に打ち勝ったかを私たちは知っている。聖ベルナルドは、殉教者たちの驚嘆すべき堅固さは、たった一つの源泉から湧き出たものだ、それは、イエズス・キリストの御傷を絶えず黙想していたことである、と言っている。殉教者たちはキリストの競技者であり、優勝者であった。彼らの血がほとばしり出て、体が残酷な拷問にさらされている間も、彼らの寛大な霊魂は、主の御傷の中に隠されていたのである。そしてこの御傷こそが、彼らを不屈にしたのである。

生涯を通じて、聖母の最大の関心事は、御子の聖徳と御苦難の黙想であった。御子の御降誕の際に天使たちが喜びの讃歌を歌うのを耳にされたとき、また羊飼いたちが馬小屋で御子を礼拝するのをご覧になったときに、聖母の御心と精神は感嘆に満たされ、これらすべての不思議について黙想されていた。

聖母は、托身された御言葉の偉大さを、その深い御謙遜や身を低くされた御姿と比較し、藁で満たされた飼い葉桶の中におられる御姿と、天の玉座におられる御姿や永遠の聖父の懐におられる御姿を思い浮かべられた。聖母は天主の御力を赤ん坊のか弱さと比較され、天主の叡智をその単純さと比較された。

ある日、聖母は聖女ブリジッタに仰せられた。“我が子の美しさ、慎み深さ、叡智を思い浮かべるたびに、私の心は喜びで満たされました。そして、残酷な釘で刺し貫かれるであろう我が子の御手と御足を思い浮かべるたびに、私は身を切られるように涙を流し、心は悲しみと痛みで引き裂かれました。”

主の御昇天後、聖母は残りの御生涯を、主がおられたことによって、また、御苦難によって、聖化された場所を訪れることに費された。それらの場所におられるとき、聖母は主の無限の愛と、恐ろしい御受難とについて黙想されていた。

聖マグダラのマリアは、サント・ボームでの祈りに満ちた隠遁生活を送っていた人生の最後の30年間は、こうした信心業以外には何もしなかったのである。

聖イエロニモは、初代教会では聖地への信心が信者の間に広まっていた、と述べている。彼らは、救い主の御降誕、御業、御苦難と御死去によって聖なるものとされた場所や物を見ることによって、救い主の偉大な愛と記憶をより深く心に刻むために、キリスト教のあらゆる地域から聖地を訪れたのだ。

すべてのキリスト信者は、一つの信仰を持ち、一つの同じ天主を礼拝し、皆、天国での同じ幸福を望んでいる。彼らは、イエズス・キリストという唯一の仲介者を持っており、したがって、すべての人がその聖なる模範に倣わなければならず、そのためには、イエズス・キリストの御生涯、聖徳、栄光の神秘を黙想しなければならない。

司祭や修道者、そして世間の喧騒から身を引いている者たちだけが、私たちの信仰の真理やイエズス・キリストの御生涯の神秘を黙想することになっていると考えるのは大きな間違いである。司祭や修道者が、自分の召命にふさわしく生きるために、私たちの聖なる信仰の偉大な真理を黙想する義務があるとすれば、一般信徒にも同様の義務が課せられているのである。なぜなら、私たちは毎日、霊魂を失うかもしれないという霊的危険に遭遇しているからである。したがって、聖なるロザリオの十五の玄義に美しく含まれている、私たちの祝福された主の御生涯、聖徳、御苦難を頻繁に黙想することによって、自らを武装すべきである。


【参考情報】ヴィガノ大司教、ワクチンの苦境(ジレンマ)について米国の司教たちと教理省に送った書簡を公開

2021年11月29日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教、ワクチンの苦境(ジレンマ)について米国の司教たちと教理省に送った書簡を公開

Abp. Viganò Releases Letter He Sent to US Bishops and CDF on Vaccine Quandary

2021年10月26日

【編集者ブライアン・M・マッコールによる注】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、ホセ・ゴメス大司教を通じて米国の司教たちに、また教理省(CDF)長官ルイス・フランシスコ・ラダリア・フェレール枢機卿、およびCDF前長官ゲルハルト・ルートヴィヒ・ミュラー枢機卿に送った2021年10月23日付の書簡を公開しました。

ヴィガノ大司教は、妊娠中絶に関係のある、いわゆる新型コロナウイルス感染症のワクチンを受けることの道徳的問題について、CDFが昨年発表した「ノート」【注釈】を再考するよう同僚の司教たちに求めています。大司教は司教たちに、「教会の教導権に従って、これらの薬の製造者やメディアによって広められた偏った情報や誤ったニュースに影響されることのない」方法で、平等な権限をもって話すことを求めています。大司教は、昨年の「ノート」が「遺伝子血清の性質とその成分の両方に関する完全なデータはない状態で」発表されたことを指摘しています。

大司教は、「ノート」が昨年下した結論に疑問を呈しています。なぜなら、道徳的分析に必要な要素の一つである「釣り合い」を取っていなかったからです。大司教は、こう説明しています。

「教理省は、ワクチンの使用の道徳性の評価のみにとどまり、遺伝子血清の利益とされるものと、短期的および長期的な副作用との間の釣り合いを考慮していません」。

ヴィガノ大司教は、安全性と有効性に関する文書化された懸念に基づき、妊娠中絶という悪に協力することを許すような釣り合いはない、と締めくくっています。「このことが意味するのは、後遺症や死亡の原因となる可能性のある予防接種を拒否する重大な道徳的義務があるということです」。

大司教は、いわゆるワクチンの宗教上の免除を信者の群れが得るのを妨げてきた米国の司教たちに、方針を転換し、信者である羊たちがそのような免除を得られるように支援することを呼びかけています。そうすれば、妊娠中絶を断罪する教会の教えを守り、自分の健康と命を守ったために、生活の糧を失うという恐れがなくなるからです。大司教は、こう締めくくっています。

「カトリック教会は、天主と全人類の前で、この途方もない恐ろしい犯罪を徹底的に糾弾し、明確な指示を与え、製薬会社とグローバリスト・エリートの利益に従順な疑似科学の名の下に、死を目的とするだけの人々に立ち向かう義務があります」。

大司教は、カトリック・ファミリー・ニュースが受け取ったメールで、この書簡を公開しているのは、書簡を宛てた高位聖職者たちから何の返事もないからだと説明しています。【編集長ブライアン・M・マッコール】

【訳者注】
カトリック教会は、医学機関でも医療科学研究所でもありません。天主によって啓示された信仰と道徳について教える団体です。それと同時に、副次的に、天主への愛徳に基づいて、隣人の福祉のために自分の力にあわせて、霊肉のあわれみの業を行います。

ヴィガノ大司教は、ここではいわゆる「コロナワクチン」の道徳性について考察し、発表されたラダリア枢機卿の名前で2020年12月21日に発表された「数種類の新型コロナウイルス感染症用ワクチンを使用することの道徳性に関するノート」の見直しを訴えています。

何故ワクチンの「道徳性」が問題となるかと言えば、いわゆる「コロナワクチン」は、「自然流産しなかった2人の胎児」(=堕胎された胎児)の細胞株」を使って開発されたからです。

ファイザー社とモデルナ社の「ワクチン」には、HEK-293という成分が含まれており、これは人間の胎児の腎臓(human embryonic kidney)の細胞が使われています。HEKの名前の由来はここからきています。HEK-293は、1970年代に、内臓が十分に発達した後で生きている胎児が帝王切開によって母親から出されて(この場合は女子でした)、腎臓が取られて作られたことが最近、内部告発者からの発表がありました。293という数字は、同じようなことが何百回と繰り返されたことを暗示しています。ジョンソンエンドジョンソンとアストラゼネカではPER.C6という、初期の人間の胎児の肝臓の細胞(primary human embryonic retinal cells)の成分が入っています。これがPER.Cという名前の由来です。

堕胎と関係あるようなワクチンを使用することは道徳的に許されるのか、そのことに限ってバチカンが発表した「ノート」は取り扱っています。それによると、堕胎によって生産されたワクチンという悪への協力は、ワクチンを受ける人にとっては、受動的で意図しない協力(passive material cooperation)なので、遠いところからの(remote)協力となるが故に、次のような条件があれば、このような受動的で意図しない協力を道徳的に拒否することは義務では無くなるとしています。その条件は、この方法を使わなければ極めて危険な毒物の拡大を防ぐことができない重大な危険があること、そのような時には、医学的に安全で効果的であると認められたワクチンを使うことができる、としています。

そこでヴィガノ大司教は、ワクチンの使用の道徳性に関わる限りにおいての、ワクチンについての医学的になされた評価を提示しています。ワクチンの使用の道徳性に関わる限りにおいて、いわゆる「コロナワクチン」以外の治療法も存在していること、堕胎によって研究・製造された製品を使う重大な理由が存在しないことを指摘しています。

ヴィガノ大司教は、さらに、ワクチンの使用の道徳性に関わることとして、医学的に安全で効果的であるということに反論を提出し、その危険性と効果について疑問を投げかけています。

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米国カトリック司教協議会会長、ロサンゼルス大司教、
モンシニョール・ホセ・オラシオ・ゴメス大司教閣下

米国各司教区の大司教および司教である枢機卿閣下、大司教閣下および司教閣下

そしてその権限のゆえに

教理省長官、イエズス会士ルイス・フランシスコ・ラダリア・フェレール枢機卿閣下

前教理省長官ゲルハルト・ルートヴィッヒ・ミュラー枢機卿閣下

2021年10月23日

枢機卿閣下

大司教閣下および司教閣下

米国カトリック司教協議会会長としてのゴメス大司教閣下、また、ラダリア枢機卿閣下およびミュラー枢機卿閣下にはその権限のゆえに、いわゆる新型コロナウイルス感染症用ワクチンに関連したいくつかの重大な検討事項についてお伝えしたく存じます。現在、これらの薬がどのようなもので、どのような効果をもたらすのかをより完全に評価できる問題については、いくつかの側面があるかと存じます。そしてこの評価は、教会の教導権の教えに適合して、協力的な姿勢(collegial stance)につながるべきです。いわんや、これらの薬の製造者やメディアによって広められた偏った情報や誤ったニュースに影響されるべきではありません。

1.教理省の「ノート」の主題

「数種類の新型コロナウイルス感染症用ワクチンを使用することの道徳性に関するノート」が昨年発表されましたが、その際、遺伝子血清の性質とその成分の両方に関する完全なデータはない状態でした。

この「ノート」【注釈】の主題が「自然流産しなかった2人の胎児から得られた組織に由来する細胞株から開発された新型コロナウイルス感染症用ワクチンを使用することの道徳的側面」[1]に限定されていることを私は指摘いたします。また「ノート」は、「【ワクチンの安全性と有効性は】倫理的に関連しており必要ではあるものの、この【安全性と有効性にかんする】評価は生物医学研究者と医薬品当局の責任であるため、私たちはこれらのワクチンの安全性と有効性を判断するつもりはありません」[2]と言っています。このように、安全性と有効性は「ノート」の主題ではなく、そのため、「ノート」は「使用の道徳性」についての意見を述べる際に、これらの医薬品の「製造の道徳性」については意見を述べてさえもいません。

2.ワクチンの安全性と有効性

個々のワクチンの安全性と有効性は、通常数年間続く治験期間の後に決定されます。今回は、科学界の通常の慣行、国際的な基準、各国の法律の例外として、全世界の人口を対象に治験を行うことを各保健当局が決定しました。このことが意味するのは、全国民が自己責任で、ワクチンの副作用の苦しみを受ける危険がる状態にあるということです。治験というものは自発的な基準に基づいて行われるもので、また治験を受けるためにお金が支払われる限られた被験者を対象に行われるのが普通のことであるにもかかわらずです。

これは、認可されていない治療薬であり、担当機関が投与を許可しただけであることは明らかだと私は思います[3]。それはちょうど、WHO(世界保健機関)、CDC(米疾病対策センター)、EMA(欧州医薬品庁)などの保健機関や主流メディアから組織的にボイコットされているにもかかわらず、副作用のない治療法があることも明らかだと私が思っているのと同じく明らかです。たとえ教会が、使うことのできるさまざまな治療法(その中には、ワクチンのように中絶された胎児に由来する細胞株で作られた薬を使って行われるものもあります)に対して道徳的な評価を述べるべきだとしても、患者を治癒し、ワクチンではできないものである恒久的な自然免疫防御を可能にする効果的な治療法があることを繰り返し述べなければなりません。さらに、使用されている薬は何十年も前から認可されているものであるため、これらの治療法は深刻な副作用を引き起こすこともありません。

また、最近開発された治療法は、絶対的な効果があり、安価で、受ける人に危険を及ぼさないものです。それは、イタリア人医師ジュゼッペ・デ・ドンノ(Giuseppe De Donno)が研究し、大きな成功を収めた血漿治療(plasma treatment)です[4]。

高免疫血漿を使った治療は、製薬会社や、製薬会社から資金提供を受けている医師から強く反対され、ボイコットされました。なぜなら、コストがかからず、研究室でモノクローナル細胞を使って法外なコストで作られている類似の治療法を無意味にしてしまうからです。

国際基準では、有効な代替治療法がない場合を除き、治験薬の配布を認可してはならないとされています。米国や欧州の医薬品当局が、ヒドロキシクロロキン、イベルメクチン、高免疫血漿など、有効性が証明されている治療法の使用を妨げているのはこのためです。これらの当局は、WHOとともに、ほとんどすべてが製薬会社や、製薬会社につながる財団から資金提供を受けており、最高位の人々には非常に重大な利益相反が存在していることを、メディアが不届きにも黙殺していることは言うまでもありません[5]。ワクチンの道徳的評価を表明するにあたり、教会はこれらの要素を考慮しないわけにはいきません。なぜなら、その要素は、科学的な情報を操作し、それに基づいて教会の権威による道徳的な合法性についての判断がなされるからです。

3.治験薬は本来の意味でのワクチンではない

教理省は、いわゆるワクチンの有効性と安全性について意見を表明していませんが、それにもかかわらず、それを「ワクチン」と定義し、実際に免疫を与え、能動的および受動的な伝染から人々を守るということを当然のこととしているのです。この要素は、世界のすべての保健当局やWHOの宣言によって否定されており、それによると、ワクチンを接種した人は、接種していない人よりも感染したり、他の人をさらに深刻に感染させたりする可能性があり[7]、免疫防御機能が完全に破壊されないまでも大幅に低下することが分かっています。

最近の研究では、この遺伝子血清が投与された人に後天性免疫不全症を引き起こす可能性があることが確認されました[8]。したがって、「ワクチン」と呼ばれる医薬品は、CDFの「ノート」が参照していると思われる公式なワクチンの定義には該当しません。実際には、「ワクチン」とは、特定の感染症(ウイルス、細菌、原虫)に対する特異的な抵抗力を付与するために、生命体による保護抗体の産生を誘導することを目的とした医薬品と定義されています。この定義は、WHOによって最近変更されました。なぜなら、そうでなければ、保護抗体の産生を誘導せず、SARS-CoV-2感染症に対して特異的な抵抗力を付与しない新型コロナウイルス感染症用の医薬品を含めることができなかったからです。

さらに、mRNA血清は遺伝子レベルで持っている影響のために危険ですが、アストラゼネカ社の血清は、最近の研究で示されているように、さらに有害である可能性があります[9]。

4.ワクチンのコストと利益の釣り合い

教理省は、ワクチンの使用の道徳性の評価のみにとどまり、遺伝子血清の利益とされるものと、短期的および長期的な副作用との間の釣り合いを考慮していません。

世界的に見ても、ワクチン接種後の死亡者数や重篤な病態の発生件数は指数関数的に増加しており[10]、わずか9カ月間で、これらのワクチンが過去30年間のすべてのワクチンよりも多くの死亡者を出しています[11]。それだけではありません。例えばイスラエル[12]など多くの国では、ワクチン接種後の死亡者数が、今や新型コロナウイルス感染症による死亡者数よりも多くなっています[13]。

ワクチンとして販売されている医薬品は、重大な利益をもたらさず、それどころか、新型コロナウイルス感染症が脅威とならない対象者であっても[15]、非常に高い割合で死亡または重篤な病態[14]を引き起こす可能性があることを立証した上で、潜在的なダメージと潜在的な利益との間に釣り合いがあると結論づけることはできないと思います。

このことが意味するのは、後遺症[16]や死亡の原因となる可能性のある予防接種を拒否する重大な道徳的義務があるということです。ですから、利益がない以上、ワクチンの投与によるリスクに身をさらす必要はなく、逆に断固として拒否する義務があるのです。

5.中絶した胎児の細胞株の存在に関する新しいデータ

mRNA遺伝子の血清には、オリジナルのワクチンを製造するためだけでなく、その複製や巨大な規模での製造のために、中絶した胎児の素材が含まれていることを示す、ファイザー社幹部の暴露が最近発表されました[17]し、他の製薬会社が例外であることを示唆するものは何もありません。ジョゼフ・ストリックランド司教[18]も、この点について述べ、信者たちに「ノーと言ってください。あなたがそれを義務づけたからといって、私はそれをするつもりはありません。そこでは、次にどんなクレイジーなことが出てくるかは誰にも分かりません」と勧めておられます。このことは、孤児を実験に使う薬を使うことが不道徳で受け入れられないのと同様に、これらの薬の使用を絶対的に不道徳なものにしています[19]。

6.妊娠中の母親や授乳中の子どもに対する副作用

また、妊娠中の母親には重大な副作用が、生まれたばかりの子どもにはさらに深刻な副作用が現れるという具体的な危険性も考慮しなければならないという面もあります。米国ではワクチンを接種した母親が675件の流産を経験し、英国では521人の授乳中の乳児が死亡しています[20]。忘れてはならないのは、いわゆる新型コロナウイルス感染症用のワクチンでは、積極的な警戒が行われず、患者自身が有害作用のケースを報告する必要がある受動的な警戒しか行われていないことです。このことが意味するのは、有害作用のデータは少なくとも10倍に増やすべきだということです。

7.ワクチンの成分

ワクチンの内容を分析した複数の研究がすでにあるにもかかわらず、遺伝子血清の成分が企業秘密として隠されていることを指摘したいと思います。そのため、他の重要な要素やその長期的な影響を完全に評価することはまだできません。というのも、世界の人口を対象とした治験が終了するのは2023年から2025年にかけてであり、新たに採用された技術が遺伝子レベルでどのような影響を及ぼすのかは分かっていないからです[22]。投与された量の中にグラフェンがあったことが、その内容を分析した多くの研究所によって報告されている[23]ことから、いわゆるワクチンの強制的な使用は、効果が証明されている既存の治療法の組織的なボイコット[24]とともに、世界中のワクチン接種を受けたすべての人間を接触歴追跡(contact-tracing)する目的を持っていることが分かります。彼らは、「モノのインターネット」(Internet of Things)[25]に接続される予定の、あるいはすでに接続されている人々であり、その手段は、基地局や衛星からの2.4GHz以上の周波数のパルスマイクロ波の量子リンクです[26]。この情報が陰謀論者の空想の産物ではないことを証明するために、欧州連合が技術革新を目的とした二つのプロジェクトをコンペの勝者に選んだことを知っておくべきでしょう。それらは、「人間の脳」と「グラフェン」です。この二つのプロジェクトには、今後10年間でそれぞれ10億ユーロの資金が提供されることになっています[27]。

ゴメス大司教閣下、2021年11月15日から18日までボルチモアで開催された総会にお集まりになった米国司教協議会の閣下の兄弟である司教の方々とともに、私のこれらの見解(私はこの見解を、高資格のカトリックの医師に徹底的に確認してもらいました[28])を真剣に考慮なさって、いわゆるワクチンに関する米国のカトリック教会の公式な立場が改訂され、更新されることを確信しております。同様に、ラダリア枢機卿閣下、「特定の新型コロナウイルス感染症用ワクチンの道徳性に関する」教理省の「ノート」の改訂をできるだけ早く進めるようお願い申し上げます。

いわゆるワクチンに反対する立場を取ることが極めて不人気であろうことを私は承知しておりますが、主の群れの牧者として、私たちには、「世界経済フォーラム」のクラウス・シュワブ会長が提唱し、世界中の機関や組織が支持している「グレート・リセット」という地獄のようなイデオロギーに基づいて、何十億人もの慢性病患者を生み出し、何百万人もの人々を絶滅させることを目的に行われつつある恐ろしい犯罪を糾弾する義務があります[29]。

多くの枢機卿や司教の方々が沈黙していることや、聖座がワクチン接種キャンペーンを考えられないほど推進していることは、一種のかつてないほどの共犯関係を表しており、これ以上続くことがあってはならないことです。このスキャンダル、この人道に対する罪、この天主に対する悪魔的な行為を糾弾することが必要です。

日を追うごとに、何千人もの人々が、いわゆるワクチンがパンデミックの緊急事態に対する解決策を保証するという幻想によって、死亡したり、健康を害したりしています。カトリック教会は、天主と全人類の前で、この途方もない恐ろしい犯罪を徹底的に糾弾し、明確な指示を与え、製薬会社とグローバリスト・エリートの利益に従順な疑似科学の名の下に、死を目的とするだけの人々に立ち向かう義務があります。いったいどうすれば、自らを「カトリック」と主張するジョー・バイデンが、5歳から11歳までの2800万人の子どもたちにワクチン接種を課す[30]ことができるというのでしょうか。子どもたちがSARS-CoV-2感染症を発症する危険性が実質的にゼロであるという事実だけでも、あり得ないことです。聖座と司教協議会は、この点と、実験的な遺伝子血清を接種された子どもたちに生じる可能性のある非常に深刻な副作用に関連して、断固とした非難を述べる義務があります[31]。

同様に、「宗教上の免除」を推し進め、多くの教区長が司祭に課している禁止措置を直ちに撤回することを目的とした、米国司教協議会による介入が必須です。同じく、神学生や修道団体の志願者に対するワクチン接種の義務もすべて取り消されなければなりません。その代わりに、ワクチンの投与に伴う危険性とその重大な道徳的影響について明確な指示が出されるべきです。

閣下が、このテーマの特別な重大性や、福音の教えに照らされ、福音の教えに忠実な介入の緊急性、そして教会の牧者たちが推進し擁護しなければならない「salus animarum」(霊魂の救い)について考慮したいとお思いになると私は確信しております。

In Christo Rege【王たるキリストにおいて】

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
前駐米教皇大使

[1] Congregation for the Doctrine of the Faith, Note on the morality of using some anti-Covid-19 vaccines, 21 December 2020.

[2] Ibid.

[3] Senator Ron Johnson: We don’t have an FDA-approved vaccine in the US. The vaccine (Pfizer Comirnaty) available in Europe is approved, but the vaccine (Pfizer BNT162b2) used in America only has the use of emergency clearance. – Cf. https://twitter.com/ChanceGardiner/status/1445262977775534081

[4] Cf. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/32838270/ および https://alloranews.com/covid-19/giuseppe-de-donno-hyperimmune-plasma-doctor-takes-own-life

[5] Pfizer has now hired 22 separate lobbying firms, all in Washington, DC, to craft drug policy in the United States. Yes, that’s the accurate #. TWENTY TWO lobbying firms. Tons of top Congressional staffers & fmr WH officials have been recruited to push Pfizer’s agenda in DC. – Cf. https://twitter.com/JordanSchachtel/status/1444661196792205316

[6] Founders and researchers of pharmaceutical firms have been replaced by investment funds that seek only economic results and now finance #OMS and #EMA who decide on vaccines – Cf. https://twitter.com/CathVoicesITA/status/1448173045248581632 | In Italy there are 32000 doctors paid by BigPharma – https://www.ogginotizie.eu/ogginotizie/in-rete-il-report-aifa-32000-medici-pagati-dalle-case-farmaceutiche

[7] Cf. https://tv.gab.com/channel/white__rabbit/view/breaking-pfizer-scientists-your-covid-antibodies-615b96bcd7e866584941980f and https://www.lifesitenews.com/news/ontario-er-doctor-resigns-over-mandatory-vaccines-and-falsehoods > Ontario doctor resigns over forced vaccines, says 80% of ER patients with mysterious issues had both shots.

[8] Cf. https://twitter.com/alexgiudetti/status/1448528719673430016 and https://theexpose.uk/2021/10/10/comparison-reports-proves-vaccinated-developing-ade > A comparison of official Government reports suggest the Fully Vaccinated are developing Acquired Immunodeficiency Syndrome.

[9] Cf. https://climatecontrarian.com/2021/05/28/revealed-why-the-oxford-astrazeneca-jab-is-even-more-dangerous-than-the-mrna-vaccines

[10] Autopsies performed in Germany on deaths after the vaccine, the study of pathologists, 50% of deaths after the second dose were caused by the vaccine. – Cf. https://corrierequotidiano.it/cronaca/morti-da-vaccino-patologi-il-50-dopo-la-seconda-dose

[11] In just 9 months, death reports from Covid-19 preparations have reached 50% of ALL post-vaccine deaths administered in 30 years in the US – Cfr. https://infovax.substack.com/p/in-soli-9-mesi-le-segnalazioni-di – See also https://wonder.cdc.gov/controller/saved/D8/D188F890

[12] Cf. https://visionetv.it/israele-terza-dose-il-ministero-rassicura-ma-i-cittadini-indignati-replicano-in-massa and https://www.gov.il/he/Departments/publications/reports/seav-25092021

[13] Cf. https://twitter.com/bisagnino/status/1448644321327022090 and https://infovax.substack.com/p/morti-per-covid-19-prima-e-dopo-le and https://infovax.substack.com/p/i-tassi-di-miocarditi-post-vaccino

[14] 155,501 anaphylactic reactions reported to VAERS, with 41% of cases attributed to Pfizer – Cf. https://twitter.com/ChanceGardiner/status/1446184707964739584 and https://medalerts.org/vaersdb/findfield.php?TABLE=ON&GROUP1=AGE&EVENTS=ON&SYMPTOMSSMQ=21&VAX=COVID19&STATE=NOTFR

[15]– The post-vaccine myocarditis rates found in young Americans (12-15 years) are 19 TIMES higher than the normal background values for these age groups. – Cf. https://infovax.substack.com/p/i-tassi-di-miocarditi-post-vaccino | Also see https://www.sirillp.com/wp-content/uploads/2021/10/Letter-Regarding-Covid-19-Vaccine-Injuries-Dr-Patricia-Lee.pdf | Investigation: Deaths among Teenage Boys have increased by 63% in the UK since they started getting the Covid-19 Vaccine according to ONS data. – Cf. https://theexpose.uk/2021/10/04/teen-boy-deaths-increased-by-63-percent-since-they-had-covid-vaccine

[16] In Turkey, Dr. Fatih Erbakam, leader of the Welfare party, denounces the birth of children with tails, 3 arms, 4 legs, after the vaccination of parents, against Covid. – Cf. https://www.lapekoranera.it/2021/10/08/turchia-vaccino-dott-fatih-erbakam-i-bambini-nascono-con-la-coda-con-3-braccia-e-4-gambe-video/

[17] The COVID-19 vaccine was developed using a fetal cell line. So were Tylenol, ibuprofen…and ivermectin. – Cf. https://vajenda.substack.com/p/the-covid-19-vaccine-was-developed | Pfizer Whistleblower Releases Emails Hiding ‘Fetal Cell’ Usage From Public – Cf. https://thecharliekirkshow.com/columnists/charlie-kirk/posts/pfizer-whistleblower-releases-emails-hiding-fetal-cell-usage-from-public | Pfizer Told Scientists To Coverup Use Of Aborted Human Fetal Tissues In Making Vaccines Says Whistleblower – Cf. https://greatgameindia.com/coverup-aborted-fetal-tissues-vaccines/ and https://twitter.com/ChanceGardiner/status/1446120608970932231 | Process-related impurities in the ChAdOx1 nCov-19 vaccine. – Cf. https://www.researchsquare.com/article/rs-477964/v1

[18] US bishop slams Pfizer after emails show company wanted to hide jab’s connection to abortion – Cf. https://www.lifesitenews.com/news/us-bishop-slams-pfizer-after-emails-show-company-wanted-to-hide-jabs-connection-to-abortion

[19] Pfizer stand accused of experimenting on orphan babies to test their Covid-19 vaccine. – Cf. https://theexpose.uk/2021/10/01/breaking-pfizer-stand-accused-of-experimenting-on-orphan-babies-to-test-their-covid-19-vaccine

[20] «CDC issues an urgent warning strongly recommending the vaccination of pregnant women», despite not having enough studies, 675 abortions in vaccinated mothers in the USA, 521 in the UK, babies who died during breastfeeding from vaccinated mothers, and Pfizer who will carry out the study only in the 2025 Cf. https://twitter.com/ChanceGardiner/status/1443701760833511426

[21] CoV-19 Vaccine Ingredients Revealed: Scanning and transmission electron microscopy reveals PEG, graphene oxide, stainless steel and even a parasite.  Cf. https://www.databaseitalia.it/rivelati-ingredienti-dei-vaccini-cov-19-microscopia-elettronica-a-scansione-e-trasmissione-rivela-ossido-di-grafene-acciaio-inossidabile-e-anche-un-parassita

[22] See the interview to Jean-Bernard Fourtillan, professor and expert in pharmacology and toxicology: https://twitter.com/Side73Dark/status/1448316251663736840

[23] Dr. Mariano Amici, Graphene and PEG oxide in vaccines:https://www.marianoamici.com/ossido-di-grafene-e-peg-nei-vaccini

[24] Prof. Peter McCullough, pioneer of early care, has a cracked voice evoking the abandonment to death of elderly patients. Cf. https://twitter.com/ChanceGardiner/status/1446240498029670405

[25] World Economic Forum, These are the top 10 tech trends that will shape the coming decade, according to McKinsey. – Cf. https://www.weforum.org/agenda/2021/10/technology-trends-2021-mckinsey

[26] Exclusive: Pfizer patent approved for monitoring vaccines around the world – Cf. https://www.databaseitalia.it/esclusivo-brevetto-pfizer-approvato-per-il-monitoraggio-dei-vaccinati-in-tutto-il-mondo-tramite-microonde-e-grafene

[27] EU: The greatest research excellence award for the “Graphene” and “Human Brain” projects – Cf. https://www.isprambiente.gov.it/it/archivio/notizie-e-novita-normative/notizie-ispra/2013/01/ue-il-piu-grande-premio-di-eccellenza-nella-ricerca-ai-progetti-grafene-e-cervello-umano  | Graphene and Human Brain Project win largest research excellence award in history, as battle for sustained science funding continues. – Cf. https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/IP_13_54

[28] Government, Dr. Citro: «Either they are ignorant or higher orders wanted the dead» – Cf. https://stopcensura.online/dott-citro-contro-governo-o-sono-ignoranti-oppure-ordini-superiori-volevano-i-morti

[29]Listen what Bill Gates said: https://twitter.com/ZombieBuster5/status/1444245496701272065

[30] White House Details Plan To “Quickly” Vaccinate 28 Million Children Age 5-11 – Cf. https://www.zerohedge.com/covid-19/white-house-details-plan-quickly-vaccinate-28m-children-age-5-11

[31] Robert W Malone: «This is just sick. And heartbreaking, both literally and figuratively. This must stop» Cf. https://twitter.com/rwmalonemd/status/1450869124947578880


カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会日本 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

2021年11月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2021年11月28日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計115人でした。大阪では22人でした。

明日(11月29日)からは、聖母の無原罪の御やどりの祝日を準備するためのノベナが始まります

エコンの神学校の50周年のアルバムですが、日本の皆様には特別に2000円の寄付でお譲りすることができることになりました。希望される方はご連絡ください。

【報告】【東京】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 115, including children.

09:00 mass
M: 27 (incl. 8 children)
F: 26 (incl. 6 children)
Total: 53 (incl. 14 children)

11:00 mass
M: 17 (incl. 3 children)
F: 22 (incl. 5 children)
Total: 39 (incl. 8 children)

12:30 mass
M: 14 (incl. 1 child)
F: 13 (incl. 2 children)
Total: 27 (incl. 3 children)

Total of 3 masses (excl. 4 people who participated in multiple masses)
M: 56 (incl. 12 children)
F: 59 (incl. 13 children)
Total: 115 (incl. 25 children)

 


2021年11月28日の聖伝のミサの予定 Traditional Latin Mass Schedule on Sunday Nov 28th, 2021, SSPX Japan

2021年11月28日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--
愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(これは「トリエント・ミサ」「ラテン語ミサ」とも言われています)にご招待します。

2021年11月28日(主日)のミサの予定です。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

【2020年10月10日の主日から2022年1月16日まで、大阪での主日のミサは午後6時30分からです。】

 11月28日(日) 18:00 ロザリオ及び告解  18:30 ミサ聖祭

 11月29日(月) 06:30 ミサ聖祭

【東京】 東京では11月には主日のミサの会場を変更してミサを捧げる予定です。ご注意下さい。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』Mass Location (Iriya Hall 3F)-2021.pdf

11月28日(日)主日ミサが三回捧げられます。

午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。司祭は待機しております。

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

【「暁の星の聖母」修道院】
修道院では平日(火曜から金曜まで)は毎朝7時15分から聖伝のミサを捧げています。
月曜日の朝ミサは今のところ修道院ではお休みになっております。土曜日は原則的に修道院で午前11時からミサが捧げられます。

ただし27日(土)は、午前10時00分から、曙町会館でミサがあります。修道院での午前11時のミサはありません。

2022年のアンジェルスプレスのカレンダーが日本に届いております。皆様に運送費なしのお値段(1500円:USD12.95)でお分けすることができるようになりました。御予約をされた方々にお渡しいたします。ちょっぴり余裕をもって注文いたしましたので、御予約されなかった方々のための分も余裕があります。よろしくお願いいたします。

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for 28th November, 2021. In Tokyo, the Mass venue is at Iriya Hall.

Mass times in Tokyo:
09:00 - Sung mass Facebook live
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.
 
Mass location:
Address: Plars Iriya 3F, 1-27-4, Iriya, Taito-ku, Tokyo (near Metro Iriya, JR Uguisudani and JR Ueno stations)
Map and directions: Please see the pdf file.

Sun, November 28: Holy Sacrifice of the Mass at 18:30

Mon, November 29: Holy Sacrifice of the Mass at 06:30

*****Holy Masses at Stella Matutina Priory*****
On weekdays (Tuesday to Friday), holy Masses are offered at 7:15 am at the Priory.
There will be no mass on Monday morning at the Priory for the time being.
On Saturdays, normally the Mass will be offered at the priory from 11am.
However, please kindly take note that on November 27th there will be Mass at Akebonocho Kaikan at 10 AM and no Mass at the Priory.


最後の審判は必ずあります。なぜ? どのように行われるのか?人類は ひとりの例外なく,この裁判の法廷 に出頭しなければなりません。

2021年11月27日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2021年11月28日は待降節第一主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「待降節第一主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


ヴォイチェフ・ゴワスキ神父の公開書簡:「これが聖なるミサなのか!」聖伝の典礼との出会いは、実母との出会いだった。私の母をそれまで知らなかった。教皇の権威でさえも、私の母を母でなくすことはできない。

2021年11月25日 | カトリック・ニュースなど

ドミニコ会神学者ヴォイチェフ・ゴワスキ神父の公開書簡

「私は教会の聖なる典礼という宝の証人とならねばならない」

Open letter by Dominican theologian Fr. Wojciech Gołaski: “I must bear witness to the treasure of the holy rites of the Church”

以下の教皇フランシスコへの公開書簡は、ヴォイチェフ・ゴワスキ神父(ドミニコ会)が作成したもので、すでにポーランド語で発表されています。以下は、著者からRorate Caeliに提供された英語の翻訳からの日本語訳です。聖ピオ十世会の問題についてどのような立場にあるかにかかわらず、この書簡は「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)に対する恐るべき批判であるため、注意して読むに値するものです。

ヴォイチェフ・ゴワスキ神父(ドミニコ会)【Fr. Wojciech Gołaski O.P.】

2021年8月17日、ヤムナ(ポーランド)にて

バチカン・シティ
聖座
サンタ・マルタ館
教皇フランシスコ聖下

ドミニコ会総長ジェラード・フランシスコ・ティモネル三世神父様
ドミニコ会ポーランド管区長パーヴェル・コザツキ神父様
タルヌフ教区アンジェイ・イェズ司教閣下
ドミニコ会ヤムナ修道院長アンジェイ・クレヴィツキ神父様
ドミニコ会ブラザーおよびシスターの方々
聖ピオ十世会ポーランド管区長カール・シュテーリン神父様
関係するすべての方々


教皇聖下、

私は57年前に生まれ、35年前にドミニコ会に入会しました。29年前に終生誓願を立て、司祭になって28年目になります。1970年の【典礼】改革以前の聖なるミサについては、幼少の頃からの漠然とした記憶しかありませんでした。叙階されてから16年後、2人の信者の友人(2人は互いに知り合いではありません)が、聖伝の形式の聖なるミサの捧げ方を学ぶように私に勧めました。私は彼らの言葉を聞き入れました。

それは私にとって衝撃的でした。私は以下のことを再発見しました。古典的な形式の聖なるミサは、
・司祭と信者の両方の全注意を神秘へと向けます。
・今ここ祭壇上で起こっていることへの教会の信仰を、素晴らしい正確さの言葉と体の動きで表現します。
・その正確さにふさわしい力で、司式司祭と会衆の信仰を強めます。
・典礼の間、司祭も信者も、自らの発明物や創造物に至ることはありません。
・それとはまったく逆に、司祭や信者を沈黙と観想の道へと導きます。
・その体の動きの数と性質によって、天主への絶え間ない敬虔かつ愛の行いの可能性を与えます。
・司祭と信者を一致させて、彼らを祭壇の同じ側に配置し、同じ方向に、つまり十字架へと、天主へと(versus Crucem, versus Deum)向けさせます。

私は心の中で言いました。「では、これが聖なるミサなのか!」と。16年間司祭だった私はそれを知らなかったのです! それは強力な「エウレカ」(eureka)、発見であり、それ以降、私のミサについての考えが同じであるはずはありませんでした。

私は最初から、この典礼は固定観念とは正反対のものだと思いました。形式主義ではなく、天主の御前での霊魂の自由な表現です。堅苦しさではなく、天主への崇拝の熱意です。距離を感じるのではなく、近しさを感じます。奇妙な感じではなく、親密な感じです。硬直ではなく、安心感です。信者の受動性ではなく、信者の神秘への深く生きたつながりです(結局、私が聖伝のミサに導かれたのは、信者を通してでした)。司祭と信者の間にある溝ではなく、典文の沈黙によって守られ表される、その場にいるすべての人の間にある緊密な霊的一致です。この発見をすることにより、私には、はっきりと分かるようになりました。それは、この形式こそが、私たちよりも前に生き、信仰を伝えてきた世代との橋渡しであることです。すべての時代を超えたこの教会の一致への私の喜びは、非常に大きなものでした。

私は最初から、聖伝の形式のミサが持つ霊的な魅力という強い力を経験しました。私が引かれたのは、しるしそのものではなく、しるしの意味であって、霊魂はそれを読み取る方法を知っているのです。次回のミサを捧げることを考えるだけで、私は喜びでいっぱいになりました。ミサを捧げるあらゆる機会を、熱望をもって待ち望みました。私の中にすぐ、完全な確信が熟してきました。それは、もし私が生涯の終わりまで聖伝の形式でしかミサ(そしてすべての秘跡と儀式)を捧げられないとしても、公会議後の形式を名残惜しく思うことは少しもないだろうという確信です。

改革された典礼の観点から見て、聖伝のミサに対する私の気持ちを一言で表すように言われたなら、私は「安心感」と答えるでしょう。というのは、それは、実際に安心感だったからです。言い表せないほどの深みがあるものでした。まるで、小石の入った靴を履いて足が擦れて痛くて苛立たしい状態でずっと歩いてきて、他の方法で歩いた経験がない人が、16年後に小石のない靴を差し出されて、「さあ」「履いてみて」「試してみて」と言われたような安心感でした。私は聖なるミサを再発見しただけでなく、何世紀にもわたって使用されてきたミサと、公会議後のミサという二つの形式のミサの間にある驚くべき違いも再発見しました。この違いを知らなかったのは、以前の形式を知らなかったからです。聖伝の典礼との出会いは、私を養子にして養い親になってくれた人との出会いとは比べものになりません。それは、実母との出会いだったのです。ずっと私の母だったにもかかわらず、私はその人のことをそれまで知らなかったのです。

このすべてにおいて、私には教皇様方による祝福がありました。彼らは、1962年版のミサ典礼書は「法的な意味で廃止されたことは決してありません。したがって、このミサ典礼書は原則的にはつねに認められてきたということです」と教え、加えてこう述べられました。「過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません」(ベネディクト十六世、司教への手紙、2007年)【教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙-1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって】。信者たちもこう教えられました。「その尊く古代から使用されていることのために、特別形式(forma extraordinaria)は適切な敬意を持って維持されなければならない」。それは、「守るべき貴重な宝」と表現されています(教皇庁エクレジア・デイ委員会訓令「ウニヴェルセ・エクレジエ」(Universae Ecclesiae)、2011年)【自発教令として発表された教皇ベネディクト十六世の使徒的書簡『スンモールム・ポンティフィクム』の適用に関する訓令(UnaVoceJapanウェブサイトより引用)】。

これらの言葉は、1970年の改革後、信者が聖伝の典礼を使用することを可能にした以前の文書に続くもので、その最初のものが1984年の「クァットゥオル・アビンク・アンノス」(Quattuor abhinc annos)【教理省の書簡】です。これらの文書の基礎となっているのは、聖ピオ五世の勅書「クオ・プリームム・テンポーレ」(Quo primum tempore)(1570年)です。

教皇様、私たちが、教皇ピオ五世の荘厳な文書を忘れることなく、教皇様のすぐ前の前任の教皇様たちのなした複数の宣言をカバーする時の経過を考慮するなら、教会は1984年から2021年までの37年間、信者たちに、聖伝の典礼に関して、かつてないほど強く「このような道がある。あなたはその道を歩くことができる」と言ったのです。

ですから、私は教会から提示された道を選びました。

この道を歩む人、つまり、天主の現存および天主への供え物の器であるこの典礼を、自分の人生において実りあるものにしたいと思う人は、自分の心を完全に開いて、この聖なる典礼という器を通して私たちのうちに現存し、働いておられる天主に、自分と他人をお委ねしなければなりません。これを、私は全幅の信頼をもって行いました。

その後、2021年7月16日を迎えました。

教皇様、教皇様の文書から、私が12年間歩んできた道が存在しなくなったことを知りました。

私たちには、二人の教皇の確言があります。教皇ベネディクト十六世聖下は、聖ピオ五世が公布したローマ・ミサ典礼書は、「ローマ典礼のカトリック教会の祈りの法(lex orandi)の特別な表現と考えなければなりません」と述べられました。しかし、教皇フランシスコ聖下は、「聖パウロ六世と聖ヨハネ・パウロ二世が公布した典礼書は、(中略)ローマ典礼の祈りの法(lex orandi)の唯一の表現です」と述べておられます。ですから、後継者の確言が、まだご存命の前任者の確言を否定しているのです。

遠い昔から何世紀にもわたる古い聖伝によって確認され、2021年7月16日まで教皇様を含むすべての教皇によって認可され、何世紀にもわたる実践によって聖化された、特定のミサを捧げる方法が、突然、ローマ典礼の「祈りの法」(lex orandi)でなくなることがあるのでしょうか? これがもしそうだとすれば、そのような特徴は儀式に内在するものではなく、高い権威を持つ場所を占める人々の決定に従うという外的な属性を意味することになります。実際には、聖伝の典礼は、そのすべての体の動きとすべての文によって、そしてそれらが構成する全体によって、ローマ典礼の「祈りの法」を表現しています。教会が遠い昔の時代から途切れることなく使用してきたという理由から常に保持したように、この「祈りの法」を表現することも保証されています。私たちは、第一の(ベネディクト)教皇の確言は、確固とした基盤を持ち、真実であり、第二の(フランシスコの)確言は、根拠がなく、虚偽であると結論づけなければなりません。しかし、それは虚偽であるにもかかわらず、法の力が与えられています。このことは、以下に書くような結果をもたらします。

1962年版ミサ典礼書の使用に関する譲歩は、これまでの譲歩とは異なる性格を持っています。それはもはや、聖伝の形式を固守する信者の愛に応えることではなく、改革された典礼に「戻る」ための時間―どれほどの時間かについては聞かされていません―を信者に与えることなのです。教皇様の自発教令と司教たちへの書簡の言葉から、聖伝の典礼を教会の生活から取り除き、忘却の淵に投げ込むという決定がなされ、すでに実行に移されていることが本当に明確になっています。それは、小教区の教会で使ってはならない、新しいグループを作ってはならない、新しい司祭が行う場合はローマに相談しなければならない、というものです。司教たちは今、確かに「トラディティオーニス・クストーデス」、つまり「聖伝の守護者」ですが、それは聖伝を守る保護者という意味ではなく、むしろ牢獄の管理者という意味です。

このこと【聖伝のミサの消滅】は起こらず、この作戦は失敗するだろう、という確信を述べさせてください。この確信の根拠は何でしょうか? 7月16日の両方の書簡を注意深く分析すると、四つの要素が見えてくるのです。それは、ヘーゲル主義、唯名論、教皇が全能であると信じていること、そして集団責任です。それぞれが教皇様のメッセージの本質的な構成要素であり、いずれもカトリックの信仰の遺産とは両立できません。信仰と両立できないのですから、理論的にも実践的にも信仰の中へと統合されることはありません。では、それぞれを順に見ていきましょう。

1)ヘーゲル主義。この言葉は、従来使われている言い方ですが、ドイツの哲学者ヘーゲルの体系を文字通り意味するのではなく、この体系から派生したものを意味しています。すなわち、歴史を善良で合理的かつ必然的な連続的変化の過程として理解することを意味します。この考え方は、ヘラクレイトスやプロティノス、フィオーレのヨアキムから、ヘーゲル、マルクス、そして現代における彼らの後継者に至るまで、長い歴史を持っています。

この考え方の特徴は、歴史をいくつかの段階に分割し、それぞれの新しい段階の始まりと、その前の段階の終わりとを接合することです。ヘーゲル主義に「洗礼を施す」試みは、これらの歴史的段階とされるものに聖霊の権威を与えようとする試み【聖霊がそのような歴史的段階を歩むように導いたと主張すること】にほかなりません。それによると、聖霊は、前の世代には語らなかった何かを次の世代に伝える、あるいは、前に語ったことと矛盾する何かを授けるということが想定されているのです。後者の場合、次の三つのうちの一つを受け入れなければなりません。ある段階で教会が聖霊に従わなかったのか、または聖霊は変化するものなのか、あるいは聖霊は矛盾を内包しているのか、です。

この世界観のもう一つの帰結は、教会と聖伝を理解する方法が変化することです。教会はもはや、カトリックの信仰が保持するような、時間を超越して信者を一致させる共同体ではなく、さまざまな段階に属するグループの集合体として捉えられています。これらのグループはもはや共通の言語を持っていなくなってしまいます。私たちの祖先は、今日、聖霊が私たちに語っていることを知ることはできなかったのです。聖伝そのものは、もはや継続的に研究される一つのメッセージではなく、むしろ聖霊から何度も何度も新しいことを受け取ることにされてしまいます。

教皇様、私たちはこうして、聖下の「司教たちへの書簡」にあるように、「聖伝の原動力」(dynamic of Tradition)という言葉を、しばしば特定の出来事に当てはめたものとして、聞くようになります。その例として、教皇様は、この原動力の「最後の段階は第二バチカン公会議であり、公会議では、カトリックの司教たちが聖霊によって教会に示された道に耳を傾け、識別するために集まりました」と書いておられることです。この論法は、新しい段階には新しい典礼様式が必要だということを意味しています。なぜなら、以前の典礼様式は、終わりを迎えた前の段階に適したものだったからです。このような一連の段階は、聖霊が公会議を通じて承認したものであるため、新しい形式を利用できるにもかかわらず古い形式を固守する人々は、聖霊に反することになります。

しかし、このような世界観は、信仰に反しています。カトリックの信仰の規範である聖書には、そのような歴史認識の根拠はありません。むしろ、まったく別の理解を教えてくれています。ヨジア王は、古い律法の書が発見されたことを知り、半世紀もの間中断していたにもかかわらず、その書に従って過ぎ越しの祭りを行うように命じました(列王の書下22-23章)。同じように、バビロン捕囚から帰還したエズラとネヘミアは、前回の祭りから何十年もたっていたにもかかわらず、律法の古文書に厳密に従って、民全体で小屋の祭り【仮庵の祭り】を祝いました(ネヘミア8章)。いずれの場合も、混乱した時代を経て、天主への礼拝を更新するために、古い律法の記録が用いられました。新しい時代が到来したことを根拠に、儀式の変更を求める人はいませんでした。

2)唯名論【実体はどうであれ、名前・レッテルだけが物事を決定するとする主張】。ヘーゲル主義が歴史についての理解に影響を与えるのに対し、唯名論は一致についての理解に影響を与えます。唯名論とは、(トップダウンによる行政的な決定によって【名目上のみの】)外的な一致を導入することが、本当の一致を実現することに等しいとするというものです。これは、唯名論が、霊的な現実を物質的な手段で把握して調整しようとすることにより、霊的な現実を廃止するからです。教皇様、あなたは次のように書かれています。「私が先任者たちによって許可された権限を撤回せざるを得ないのは、キリストの体の一致を守るためです」。しかし、この目標、真の一致に到達するために、教皇様の先任者たちは逆の決断をなさったのであり、それは理由がないわけではありません。真の一致は、霊的かつ内的なものを含んでおり、したがって単なる外的な一致とは異なることを理解すれば、もはや外的なしるしを統一するだけでは、真の一致を求めることはできません。このような方法では真の一致は得られず、むしろ不毛なものとなり、一致の反対である分裂が生じてしまいます。

権限を奪ったり、同意を撤回したり、制限を課したりすることからは、一致は生まれません。ユダ王国のレハブアム王は、多く改善を望むイスラエル人をどう扱うかを決める前に、二つの助言者グループに相談しました。長老の助言者たちは、寛大さと人々の重荷の軽減を勧めました。年を取っていることは、聖書では、しばしば成熟を象徴しています。一方、王と同世代の若者の助言者たちは、重荷を増やし、厳しい言葉を使うことを勧めました。若さは、聖書では、しばしば未熟を象徴しています。王は若者たちの助言に従いました。このため、ユダとイスラエルの間に一致をもたらすことはできませんでした。その反対に、王国が二つの国に分裂するきっかけとなりました(列王の書上12章)。私たちの主は、柔和さの欠如が分裂の原因となったことを知っておられ、柔和の聖徳によって、この分裂を癒やされました。

聖霊降臨以前、使徒たちは外的な基準で一致を評価していました。この方法は、救い主ご自身によって修正されました。救い主は、聖ヨハネの「先生、あなたのみ名によって悪魔を追い出している人を見ました。その人は私たちとともにあなたに従っている人ではなかったので、私たちはその人のすることに邪魔を入れました」という言葉に対して、「邪魔をしてはいけない。あなたたちに逆らわぬ者は味方なのだ」(ルカ9章49-50節。マテオ9章38-41節参照)と答えられました。教皇様、教皇様には「逆らわぬ」何十万人もの信者がいました。でも、教皇様は彼らに困難な状況をもたらすようなことをなさってきました。一致についてのより深い霊的な基本を指摘しておられる救い主の言葉に従う方が良かったのではないでしょうか? ヘーゲル主義と唯名論はしばしば同盟関係になります。それは、唯物論的な歴史理解のせいで、各段階が元に戻れない形で終了しなければならないと確信してしまうからです。

3)教皇が全能であると信じていること。教皇ベネディクト十六世は、古典的な典礼の使用をより自由にするために、何世紀にもわたる慣習や慣用に言及されました。これらは、彼の決意の確かな根拠となりました。今回の聖下の決定は、そのような根拠に基づくものではありません。それどころか、非常に長い間、存在し、存続してきたものを取り消すものです。教皇様、教皇様は、聖ピオ五世の決定に【自分への】支持を見いだすと書いておられますが、聖ピオ五世は、教皇様の決定とは全く逆の基準を適用しました。聖ピオ五世によれば、何世紀にもわたって存続してきたものはそのまま継続し、新しいものだけが破棄されます。ですから、教皇様の決定に残された唯一の根拠は、ローマ教皇の権威を持つ一人の人物の意思だけです。しかし、この権威がいかに偉大なものであっても、古代の典礼習慣がローマ教会の「祈りの法」の表現であることを妨げることができるでしょうか? 聖トマス・アクィナスは、天主は一度存在したものを決して存在しなかったものとすることができるのか、と自問しています。矛盾は天主の全能の一部ではないため、その答えは「いいえ」です(神学大全第1部第25問題第4項目)。同様に、教皇の権威は、何世紀にもわたって教会の信仰(祈りの法)を表現してきた聖伝の儀式が、ある日突然、同じ教会の祈りの法を表現できなくなるような事態を引き起こすことはあり得ません。教皇は決定を下すことができるかもしれませんが、教皇の在位期間をはるかに超えた過去と未来に及ぶ【教会という神秘体の】「一致」(unity)を侵害するような決定はできません。教皇は、自分の権威よりも大きな「一致」に仕えています。それは天主から与えられた「一致」であり、人間が作り出したものではないからです。したがって、権威よりも優先されるのは一致であり、一致よりも権威が優先されるのではありません。

4)集団責任。教皇様、教皇様の決定の動機を示すために、教皇様は教皇ベネディクト十六世がお認めになった権限を行使する人々に対して、さまざまな重大な申し立てをしておられます。しかし、誰が、どこで、どのくらいの数の濫用を行っているのかは明記されていません。「頻繁に」とか「多くの」という言葉があるだけです。それが大多数であるかどうかも分かりません。おそらく、そうではないでしょう。しかし、大多数ではない、上述の権限を利用するすべての人々が、厳しい制裁の影響を受けています。彼らは、今すぐに、あるいは将来的にも、霊的な道を奪われてしまったのです。ナイフを悪用する人々は確かにいます。でも、そのために、ナイフの製造と流通を禁止すべきでしょうか? 教皇様、教皇様の決定は、ナイフの製造を全面的に禁止するという想定上の不条理よりもはるかに痛ましいものなのです。

教皇様、なぜこんなことをなさるのですか? なぜ、私たちの主の至聖なる犠牲を古代の形式で行うという聖なる実践を攻撃なさったのですか? 他の形式で行われている濫用には、それが広まっていたり、普遍的であったりしても、【教会の対応は】言葉を超えるものには至らず、一般的な用語で表現された宣言になるだけです。しかし、「文化の消滅は、植物や動物の種の消滅と同じくらい、あるいはそれ以上に深刻になり得るのです」(回勅「ラウダート・シ」〈Laidato si〉145)と権威をもって教えておられる方が、その数年後、たった一つの行為によって、教会自身の霊的かつ文化的な遺産の大部分を消滅させてしまうことができるのでしょうか? なぜ、教皇様がまとめられた「ディープエコロジー」(deep ecology)【すべての生命が人間と同等の価値を持つとされる環境保護思想】のルールは、この場合に適用されないのでしょうか? そうなさるのではなく、聖伝の典礼にあずかる信者の数が着実に増え続けているのは、聖霊からのしるしではないかと、なぜお尋ねにならなかったのでしょうか? 教皇様は、ガマリエルの助言(使徒行録5章)に従われなかったのです。その代わりに、教皇様は、「猶予期間」(vacatio legis)さえもない禁止令で彼らに打撃をお与えになったのです。

この世の統治者の模範であり、かつ、そもそも教会の権威の模範である主なる天主は、その権勢・権力をこのようにはお使いになりません。聖書は天主に対してこのように語っています。「あなたの正義のもとは権勢で、あなたは万物の主であるから、すべてを寛容に扱われる。(中略)権勢の主であるあなたは、柔和に裁きを下し、大いに寛容に、私たちを治める」(知恵12章16-18節)。本当の権勢は、厳しさによって自らを証明する必要はありません。そして、厳しさは、天主の模範に従ういかなる権威の属性でもありません。救い主ご自身が、このことについて正確で信頼できる教えを残してくださいました(マテオ20章24-28節)。天主に向かって歩んでいた人々の足元から、いわばカーペットが引き剥がされただけでなく、彼らが歩いている地面そのものを奪おうとする試みがなされています。この試みは成功しないでしょう。カトリシズムと対立するものは、天主の教会では受け入れられないでしょう。

教皇様、足元にある土台を12年間経験しているのに、突然そこにはもう何もないと断言することはあり得ません。長い年月をかけて見つけた自分の母を、自分の母ではないと結論づけることはあり得ません。教皇の権威は絶大です。しかし、この権威でさえも、私の母を私の母でなくすことはできません。唯一の人生は、二つの相互に相容れないものの断裂に耐えることはできません。その一方は宝を開くものであり、他方は、価値の期限が切れたのでこの宝を放棄しなければならないと主張するものです。もし私がこの矛盾を受け入れたとするならば、私はもはや知的生活を送ることはできなくなり、したがって霊的生活を送ることもできなくなってしまいます。矛盾した二つの命題からは、真であれ偽であれ、どのような肯定命題も可能になります。これは、理性的・合理的な思考の終わりを意味し、あらゆる実在という概念の終わりを意味し、何かを人に効果的に伝達することの終わりを意味します。しかし、これらのことは、人間の生活全般の、特にドミニコ会の生活の、基本的な構成要素です。

私は自分の召命について何の疑いも持っていません。私は聖ドミニコ修道会で人生と奉仕を続けることを固く決意しています。しかし、そうするためには、私は正しく論理的に結論を下すことができなければなりません。2021年7月16日以降、既存の構造の中では、私にとって、これはもはや不可能です。私は、教会の聖なる典礼という宝、その典礼を実践する人々の足元にある土台、そして彼らの敬虔さの母体が存在し続けていることを完全な明確さをもって理解しています。同様に、私がその証人とならねばならないということも明確になりました。

今、私に残された選択肢は、急激な変化(指摘しておきますが、この変化は第二バチカン公会議の意志をはるかに超えています)の最初から教会の聖伝を守り、理性という必要条件に対する教会による尊重の態度を持ちつつ、不変であるカトリック信仰の遺産を忠実に伝え続けている人々、すなわち聖ピオ十世司祭会に頼るしかありませんでした。聖ピオ十世会は、私がドミニコ会司祭であるという身分を完全に尊重しつつ、そのような私を喜んで受け入れる態度を私に示してくれました。このことは、天主と教会への奉仕の人生、つまり矛盾によって妨げられることのない奉仕の人生を与えてくれるだけでなく、真理の敵であり、教会を激しく攻撃してきたこれらの矛盾に反対する機会も与えてくれています。

聖ピオ十世会と教会の公式機構との間には、論争状態があります。これは教会内部の論争であり、非常に重要な問題に関するものです。7月16日の文書と決定により、この問題に関する私の立場は聖ピオ十世会の立場に合流しました。どのような重要な紛争でもそうですが、この問題も解決されなければなりません。私はこの目的のために努力を惜しまないことを固く決心しています。この書簡は、この努力の一部であるつもりです。使う手段としては、真理への謙虚な敬意と優しさであり、どちらも超自然的な源から湧き出るものです。このようにして、私たちは、この論争の解決と、現在生きている人だけでなく、過去と未来のすべての世代を包含する一致の再構築を望むことができます。

私の言葉に目をとめてくださったことに感謝し、教皇様、教皇様の使徒としての祝福を請い願います。

キリストにおける子としての愛をもって
ヴォイチェフ・ゴワスキ神父(ドミニコ会)
【Fr. Wojciech Gołaski, O.P.】

OGPイメージ

WAŻNY LIST DO FRANCISZKA - BISKUPA RZYMU

Wojciech Gołaski OP Jamna, 17 sierpnia 2021 roku ul. Szyszkowa 10 62-0...

 

 

“나는 교회의 거룩한 전례의 보화를 증언해야만 합니다.”


「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール著 第20、21、22番目のバラ:地上の生活の歩みを照らし導く十五本の松明、イエズスとマリアを知り自分自身を知るための鏡、天上の炎で燃えるかまど

2021年11月23日 | カトリックとは

第三連
ロザリオのすばらしさと私たちの主イエズス・キリストの御生涯と御受難の黙想について 

二十一番目のバラ:十五の玄義

玄義(神秘)とは、理解するのが難しい神聖なものである。私たちの主イエズス・キリストの御業は、すべて聖なるものであり、天主の御業である。なぜなら、彼は天主であられると同時に、人間でもあられるからだ。最も祝福された聖母の御業も、天主の被造物の中で最も完璧で、最も汚れなきものであるがゆえに、非常に神聖なものである。私たちの主とその聖母の御業は、不思議と、あらゆる種類の完全さと、そしてこれらの神秘を尊ぶ謙遜で素朴な霊魂たちに聖霊が啓示する、深く崇高な真理とに満ちているので、まさしく玄義と呼ぶことができる。

イエズスとマリアの御業は素晴らしい花とも言えるが、その香りと美しさは、それを注意深く研究し、熱心で誠実な黙想によってそれを開き、その香りを吸い込む者だけが味わうことができるのである。

聖ドミニコは、主と聖母の御生涯を、彼らの聖徳と、最も重要な行ないを表す十五の玄義に分けた。これらは十五の劇的場面、またはイメージであり、その細部は私たちの生活を統治し、鼓舞しなければならない。これらは、この地上における生活の中で私たちの歩みを照らし導く、十五本の燃え盛る松明なのである。

これらは、私たちがイエズスとマリアを知り、自分自身を知るための十五枚の輝く鏡でもある。また、これらは私たちの心の中に、彼らの愛熱の火を灯すのを助けてくれるだろう。

またこれらは、私たちを天上の炎で完全に燃え尽くすことができる、十五の燃えるかまどでもある。

聖母は聖ドミニコにこの素晴らしい祈りの方法を教え、キリスト信者の熱意を呼び覚まし、彼らの心に聖なる主への愛を復活させるために、この方法を広く宣教するように命じた。

また聖母は、福者アラン・ド・ラ・ロシュにもこの祈りの方法を教え、ヴィジョンの中で彼にこう仰せられた。“人々が百五十の天使祝詞を唱えるとき、この祈りは彼らにとって非常に有益であり、私にとっても非常に喜ばしい讃辞となります。しかし、彼らがイエズス・キリストの御生涯、御受難、御死去を黙想しながらこの祝詞を唱えるならば、さらに良い結果が得られ、さらに私を喜ばせることになるでしょうーーこの黙想こそが、このロザリオの祈りの魂なのですから。"

実際には、私たちの救いの聖なる玄義を黙想せずにロザリオを唱えることは、魂のない肉体に近いものである:事柄としては優れていても、黙想という形式をとっていないことーー後者(黙想)は、他の全ての信心とは異なるものなのである。

ロザリオの第一部には、五つの玄義が含まれている。第一の玄義は、大天使聖ガブリエルの聖母への受胎告知、第二の玄義は、従姉妹の聖エリザベトへの聖母の御訪問、第三の玄義は、イエズス・キリストの御降誕、第四の玄義は、幼きイエズスの神殿への御奉献と聖母の御潔め、第五の玄義は、神殿での博士たちの中でイエズスを見出す場面である。

これらは、全宇宙に喜びを与えたことから、『喜びの玄義』と呼ばれている。天主の御子が托身されたその瞬間、聖母と天使たちは喜びに包まれた。聖エリザベトと胎内の洗者聖ヨハネは、イエズスとマリアの御訪問を受けて喜びに満たされた。天も地も、救い主の御誕生に歓喜した。聖シメオンは、御子を腕に抱くと、大きな慰めを感じ喜びに満たされた。博士たちは、イエズスが与えた答えに感嘆し、驚いた。そして、三日間行方不明だった幼いイエズスを見つけたマリアとヨゼフの喜びは、誰にも言い表すことができないであろう。

ロザリオの第二部も五つの玄義で構成されている。これらの玄義は、悲しみに重荷によって圧迫され、御傷によって覆われ、侮辱や苦しみ、苦悩を背負った主を表しているため、『苦しみの玄義』と呼ばれている。第一の玄義はオリーブの園でのイエズスの祈りと苦悩、第二の玄義は鞭打ち、第三の玄義は茨の冠、第四の玄義は十字架を担い給うイエズス、第五の玄義はカルワリオでの十字架上の釘付けと御死去である。

ロザリオの第三部には、他の五つの玄義が含まれており、これらの玄義を唱えるときには、イエズスとマリアの勝利と栄光を思い浮かべることになるため、『栄えの玄義』と呼ばれている。第一の玄義はイエズス・キリストの御復活、第二の玄義はイエズス・キリストの御昇天、第三の玄義は使徒たちへの聖霊降臨、第四の玄義は聖母の栄光ある天への被昇天、第五の玄義は聖母の天上での戴冠である。

これらは、神秘的なバラの木の十五の香り高い花である。信心深い霊魂は、その花の蜜を集め、堅固な信心の蜂蜜を作るために、賢明なミツバチのようにそれらの花々に向かって飛んで行くのである。


二十二番目のバラ:キリストに倣いて

キリスト教徒の霊魂の最大の関心事は、完徳に近づくことである。聖パウロは私たちに、「実に愛される子らとして、天主に倣う者であれ。」と言っている。この義務は、永久の栄光に到達するために天主によって定められた唯一の手段として、私たちの運命の永遠の判決に含まれている。

ニッサの聖グレゴリオは、私たちは皆、芸術家であり、私たちの霊魂は、私たちが描かなければならない真っ白いキャンバスである、と言っておもしろい比較をしている。私たちが使わなければならない絵の具は、キリスト教的聖徳であり、私たちのモデルは、聖父なる天主の完璧な生きた像であられるイエズス・キリストである。

良い仕事をしようとする肖像画家が、自分のモデルの前に身を置き、一筆一筆描く前に彼を見つめているように、キリスト教徒は常に、イエズス・キリストの御生涯と聖徳を目の前に置かなければならず、モデルと調和しないことを少しでも言ったり、考えたり、実行したりしてはならないのである。

聖母が聖ドミニコに、イエズス・キリストの御生涯の聖なる神秘を黙想することを信者に教えるよう命じられたのは、私たちの救霊の計画という偉大な任務において、私たちを助けたいと思われたからであり、聖母がこのようにされたのは、信者がイエズス・キリストを崇拝し、讃美するためだけではなく、何よりもイエズス・キリストの聖徳に自分たちの生活や行動を重ねるためであった。

子供は親を見て話をすることで親の真似をし、親が話すのを聞いて言葉を覚える。弟子は師の仕事ぶりを見て仕事を覚える。それと同じように、「聖なるロザリオの信心会」の忠実な会員は、イエズス・キリストの生涯の十五の玄義に示されているイエズス・キリストの聖徳を敬虔に学び、模倣することによって、その聖なる師に似通った者となることができる。彼らは、主の聖寵の御助けと、主の聖母の御執り成しを通して、これを行うことができるのである。

昔、モーゼは天主の息吹きを受けて、自分たちに与えられた恩寵を決して忘れないようにとユダヤ人たちに命じた。だからこそ天主の聖子は私たちに、御自分の御生涯、御受難、御死去の神秘を心に刻み、常に目の前に置くようにと告げる理由があるのである。なぜなら、それぞれの玄義は、主の私たちへの御親切をいくつかの特別な方法で思い出させ、主はこれらによって、私たちの救いに対する主の絶大な愛と望みを示しておられるからだ。

主は私たちにこう仰せられる。“あぁ、道行く者たちよ、しばらく立ち止まってよく見よ、おまえたちを愛するために、私が受けた悲しみのような悲しみがかつてあったかを。私の貧しさと辱めに思いを馳せ、苦い受難の中でおまえたちのために私が飲んだ、胆汁の混ぜ合わされたぶどう酒のことを考えなさい。”

これらの御言葉や他にも多くの御言葉を挙げることができるが、これらは、私たちが主と聖母を讃えて唇でロザリオを唱えるだけでなく、その間に聖なる玄義を黙想すべきことを確信させるのに十分なものである。

二十三番目のバラ:記念

私たちの霊魂の神聖な配偶者であり、いとも親愛なる友人であるイエズス・キリストは、私たちへの御自身のご親切とすべての贈り物を私たちが思い出すことを御望みになり、何よりもそれらを大切にすることを望んでおられる。私たちがロザリオの聖なる玄義を敬虔に、愛情を以って黙想するときはいつでも、主には偶有的な喜びがあり、聖母や天上のすべての聖人たちも同様である。

これらの玄義は、私たちに対する主の愛の最も重要な結果であり、主が私たちにお与えになることのできる最高の贈り物である。なぜなら、そのような贈り物のおかげで、聖母ご自身とすべての聖人たちが、天国の栄光に浴しておられるからである。

ある日、フォリーニョの福者アンジェラは、どのような修道活動をすれば主に最も栄光を帰することができるのか教えてくださるよう主に乞い願った。主は、十字架に釘付けにせられた状態で彼女に現れ、こう仰せられた。“私の娘よ、私の傷を見よ。”
彼女は、主の御苦難を黙想すること以上に、愛する主を喜ばせるものはない、ということを悟った。そして、主は御頭の傷をお見せになり、さらに他の苦しみを明らかにして仰せられた。“私は、おまえの救霊のためにすべての苦しみを受けた。私の愛に応えるために、おまえは何をすることができるか?”

ミサの聖なる犠牲(いけにえ)は、イエズス・キリストの御受難の再現であり、ミサ聖祭を通して私たちが主の従順、御苦しみ、いと尊き御血の功徳とを天主に御捧げすることにより、最も祝福された三位一体に限りない栄光を与えるものである。天国の宮廷全体も、ミサ聖祭から偶有的な喜びを得ている。聖トマス・アクィナスをはじめとする何人かの教会博士たちは、同じ理由で、天上のすべての祝福された者たちが、信徒の聖体拝領に歓喜することを教えてくれている。なぜなら御聖体は、イエズス・キリストの御受難と御死去の記念であり、人間はそれによってその実りを分かち合い、救霊を実現するからである。

さて、聖なる玄義の黙想とともに唱えられる聖なるロザリオは、私たちの贖罪という偉大な御恵みに感謝するための天主への讃美のいけにえである。またロザリオは、イエズス・キリストの御苦難、御死去、栄光を聖なる形で思い起こさせるものでもある。したがって、ロザリオが私たちの主、聖母、そしてすべての祝福された人々に栄光を与え、また偶有的な喜びを与えていることは事実である。なぜなら彼らは、主にとってこれほど栄光に満ち、私たちにとってこれほど有益な習慣に従事しているのを見ること以上に、私たちの永遠の幸福に役立つものを望むことはできないからである。

福音は、回心して痛悔する罪人は、すべての天使たちに喜びを与える、と教えている。もし一人の罪人の悔い改めと回心が天使たちを喜ばせるのに十分であるならば、天の宮廷全体の幸福と歓喜はどれほどのものであるだろうか。また私たちの祝された主にとって、この地上で私たちが主の御辱めと御苦悩、そして残酷で屈辱的な御死去について敬虔に、そして愛情を以って黙想しているのを御覧になることはどれほどの栄光だろうか!これほどまでに私たちの心に響き、私たちを真の誠実な悔い改めへと導くものがあるだろうか?

ロザリオの玄義に思いを馳せないキリスト信者は、主に対して非常に恩知らずであり、天主なる救い主がこの世を救うために受けられた御苦しみのすべてに対して、どれほど無関心であるかを示している。このような態度は、イエズス・キリストの御生涯をほとんど何も知らず、私たちを救われるためにイエズス・キリストが何をなされ、何を耐え忍ばれたのか、イエズス・キリストについて知る努力をしてこなかったことを示しているように思える。

このようなキリスト信者は、イエズス・キリストを今まで知らず、思いや心から遠ざけてたことを恐れるべきである。裁きの日に、彼はイエズス・キリストから見放され、そして非難の言葉を浴びせられるだろう、“まことに私は言う。私はおまえたちを知らぬ。”

であるから私たちは、聖なるロザリオによって、主の御生涯と御苦しみを黙想しよう。裁きの日に、主が私たちを、主の子供たちと友人たちに中に加えてくださるよう、主をよく知り、主のすべての御恵みに感謝することを学ぶようにしよう。


【参考情報】ヴィガノ大司教、反グローバリスト同盟の結成を呼びかける

2021年11月23日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教、反グローバリスト同盟の結成を呼びかける

Archbishop Viganò Calls for Founding of Anti-Globalist Alliance


2021年11月18日

【編集者注】悪魔的なグローバリスト連合の新世界秩序(New World Order)に立ち向かうための最も大胆な行動として、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は「反グローバリスト同盟」の結成を呼びかけました。

前駐米教皇大使は、社会のあらゆる分野(宗教、政府、教育など)を転覆させ、乗っ取ろうとしているグローバリスト・エリートによるクーデターの展開を簡潔に診断した後、この非合法で不敬なクーデターに対する組織的な抵抗を呼びかけています。そして、「統治者、政治的・宗教的指導者、知識人、すべての善意の人々」の間で、世界の独裁を目指すこのクーデターに反対し、異議を唱えるための同盟を設立する意向を表明しています。この同盟は、「共通善、キリスト教の道徳的原則、伝統的価値観、生命や自然な家族の保護、ビジネスや仕事の保護、教育と研究の促進、創造物の尊重に動機づけられた政治プログラムのための具体的な代替案」を提案しています。

本質的には、大司教は反国連を呼びかけているのです。大司教は、グローバリズムの暗黒の力に対抗する闘いを調整するために、善意の国々が真の意味で団結することを求めています。本質的には、大司教はキリスト教世界の再構築を呼びかけているのですが、それは新たな野蛮人たちの侵略に対抗して戦うためのものです。

大司教がこの構想を発表したビデオをご覧になり、公式発表文(ビデオの下)をお読みください。―編集長ブライアン・M・マッコール

反グローバリスト同盟の訴え

この2年間、私たちは世界規模のクーデターを目の当たりにしてきました。それは、金融的かつイデオロギー的なエリートが、各国政府の一部、公的・私的機関、メディア、司法、政治家、宗教指導者を掌握することに成功したものです。これらの人々は皆、区別なく、権力、金銭、社会的承認を共犯者に保証するこれらの新しい主人たちの奴隷となっています。昨日まで不可侵のものとして提示されていた基本的権利は、緊急事態の名の下に足元から踏みにじられています。
今日は健康上の緊急事態、明日は環境上の緊急事態、そしてその次はインターネットの緊急事態です。

この世界規模のクーデターは、立法権、行政権、司法権が、法と正義、そしてそれらが存在する目的の侵害に加担しているため、防衛の可能性を市民から奪っています。これが世界規模のクーデターなのは、市民に対するこの犯罪的な攻撃が、ごくまれな例外を除いて全世界に及んでいるためです。これは世界戦争であり、敵は私たち全員、知らないうちに起こっていることの重要性をまだ理解さえしていない人々です。これは、武器ではなく、違法なルール、邪悪な経済政策、耐え難い自然権の制限によって戦われる戦争です。

このクーデターの陰謀家たちが大規模な資金を提供している複数の超国家的組織は、各国の政府や何十億もの人々の生活、人間関係、健康に干渉しています。彼らが金銭のためにこのクーデターを行っているのは確かですが、それ以上に、権力を集中させて地球規模の独裁体制を確立するために行っているのです。このクーデターは、世界経済フォーラムの「グレート・リセット」であり、国連の「アジェンダ2030」です。このクーデターは、「新世界秩序」(New World Order)の計画であり、そこでは、「普遍共和国」(Universal Republic)がすべての人を奴隷にし、「人類教」(Religion of Humanity)がキリストへの信仰を取り消すのです。

この世界規模のクーデターに直面して、独裁に反対し、顔の見えない権力の奴隷になるつもりはなく、自分のアイデンティティー、個性、宗教的信仰を取り消すことを望まないすべての人々を糾合して、国際的な反グローバリスト同盟を形成する必要があります。攻撃が世界規模であれば、防御も世界規模でなければなりません。

私は、統治者、政治的・宗教的リーダー、知識人、そして善意の人々に呼びかけ、反グローバリストのマニフェストを発表する同盟に団結することを呼びかけます。このマニフェストは、新世界秩序のディストピアの誤謬と逸脱に一点一点異議を唱え、共通善、キリスト教の道徳的原則、伝統的価値観、生命や自然の家族の保護、ビジネスや労働の保護、教育と研究の促進、そして創造の尊重に動機づけられた政治的プログラムのための具体的な代替案を提案します。

この反グローバリスト同盟は、専制政治という地獄のくびきから逃れ、自らの主権を確認しようとする国々を集め、彼らの原則や、自由、正義、善への共通の憧れを共有する国々や人々と相互協力の協定を結ばなければなりません。エリートの犯罪を糾弾し、その責任者を特定し、国際法廷で糾弾し、その行き過ぎた権力と有害な影響力を制限しなければなりません。特に、国家公務員や情報産業で働く人々の腐敗と戦うことにより、また社会秩序を不安定にするために使用される資本を凍結することにより、ロビー活動を阻止しなければなりません。

政府がエリートに従属している国々では、民衆の抵抗運動や民族解放委員会を設立することができるでしょう。そこには、共通善に動機づけられ、グローバリストのアジェンダであるネオ・マルサス主義的なプロジェクトに断固として反対する、政治の抜本的改革を提案する社会のあらゆる部門の代表者が含まれます。

私は、伝統的なキリスト教社会を守ろうとするすべての人々に、可能な限り早く開催される国際フォーラムに集まっていただきたいと思います。このフォーラムでは、さまざまな国々の代表者が一堂に会し、真剣かつ具体的で明確な提案を行います。私の訴えは、政党という古いシステムや、権力と金の奴隷になったシステムが押し付ける論理を捨てて、市民の利益を大切にする政治指導者や統治者に向けられています。私はキリスト教国を東から西まで呼び集め、国家の元首や公共機関、経済、労働、大学、医療、情報などの健全な勢力を共通のプロジェクトに参加してもらい招きます。古いシステムを崩壊させ、「分割して統治せよ」(divide et impera)の名のもとに人類の敵が望む敵対関係を、脇に置きましょう。私たちは敵のルールを受け入れません。なぜなら、敵のルールは、私たちが対応したり、効果的で鋭い反対勢力を組織したりするのを防ぐために作られているからです。

私は各国とその市民の皆さんに、唯一の王にして救い主、平和の君である私たちの主イエズス・キリストの十字架の下で同盟を結ぶことを呼びかけます。「このしるしにて勝て」(In hoc signo vinces.)

悪の独裁政権の恐怖を体現した全体主義体制から人類を解放しましょう。もし私たちが遅れ続けているなら、もし私たち全員に迫る脅威を理解しないなら、もし私たちが自らを組織して強固で勇気ある抵抗運動にすることで対応しないなら、あらゆる場所で自らを確立しつつあるこの地獄の体制を止めることはできないでしょう。

ですから、全能の天主が私たちを助け、守ってくださいますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
前駐米教皇大使

2021年11月16日


「その日がちぢめられないなら救われる人は一人も ないが、しかしその日は、選ばれた人々のおかげで、ちぢめられるだろう」

2021年11月22日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ポーランドでは、この前の11月の初土曜に、男性だけが集まって、聖母の汚れなき御心に対しておかされる全ての罪を償うためにファチマの聖母行列を行ったそうです!








主がアブラハムに言ったように、罪の町ソドマとゴモラであっても、「もしも十人の人を見出したならば」 (創世記 19: 32) 主の怒りの結果を避けることができます。 主の御あわれみで、不肖な私たちもその内の一人になることができますように懇願いたしましょう。

何故なら「その日がちぢめられないなら救われる人は一人も ないが、しかしその日は、選ばれた人々のおかげで、ちぢめられるだろう」と主が言われているからです。艱難の日々が縮められますように、主の憐れみをひたすらに乞い願いましょう。



「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール著 第18と19と20番目のバラ:一つ一つのめでたしは、十五個の宝石の価値があり、すべての富を合わせたものよりも聖母を御喜ばせする。

2021年11月21日 | カトリックとは

十八番目のバラ:「めでたし」ー祝福

この天的な祝詞は、イエズスとマリアからの祝福を私たちの上に豊かに引き寄せる。なぜなら、イエズスとマリアは、彼らを讃美する者に驚くべき方法で報いてくださるというのが、確実な真理だからである。私たちがイエズスとマリアを讃美すると、彼らは百倍の報いを以って私たちに返して下さるのだ。
“私を愛する人を私は愛する。......それは、私を愛する人々に財産を与え、彼らの金庫を満たすだろう。”イエズスとマリアはいつも仰せられている、「私たちは自分を愛する者たちを愛し、彼らを豊かにし、彼らの宝をあふれるほどに満たす。」
“豊かにまく者は、豊かに刈り取るであろう。”
さて、もし私たちが「めでたし」を正しく唱えるなら、これはイエズスとマリアを愛し、祝福し、栄光を捧げる方法なのではないだろうか。

「めでたし」のたびに、私たちはイエズスとマリアの両方に祝福を捧げる。『御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。』

天主が大天使聖ガブリエルを送って聖母に挨拶させ、そうすることによって彼女に与えられたと同じ名誉を、私たちは「めでたし」を唱えるたびに聖母に捧げるのだ。自分たちを呪う者にでさえもしばしば善をなされるイエズスとマリアが、「めでたし」によって自分たちを祝福し敬う者を呪うようなことをされるとは、誰も考えられないだろう。

聖ベルナルドと聖ボナヴェントゥーラは共に、天の元后は確かに、この世の優雅で礼儀正しい人々と同様、感謝の念と誠実さとをお持ちである、と述べている。聖母は他のすべての完全さにおいて優れておられるように、感謝の美徳においても私たち全員を凌駕しておられる。であるから、聖母は私たちが愛と尊敬をもって彼女を敬うことに対して、百倍のお返しをしなければ決して承知しないのである。聖ボナヴェントゥーラは、私たちが「めでたし」で聖母を迎えれば、マリア様は「御恵み」をもって私たちを迎えてくださる、とも述べている。

聖母の挨拶と優しい配慮が私たちにもたらす御恵みと祝福を、誰が理解することができるだろうか?聖エリザベトが天主の御母からの挨拶の言葉を聞いたその瞬間、エリザベトは聖霊に満たされ、彼女の胎内にいた子供は喜び躍った。もし、私たちが聖母の挨拶と祝福を受けるに相応しい者となることができれば、必ずや御恵みに満たされ、霊的な慰めの満ち溢れが私たちの霊魂に降り注ぐことになるだろう。

十九番目のバラ:幸いな交換

聖福音には、“与えよ、そうすれば与えられる。”と書かれてある。福者アランの図解を例に取ると、「毎日、百五十個のダイヤモンドをあなたにあげたとしたら、あなたが私の敵であったとしても、私を赦してくれるのではないだろううか?私を友人として扱い、あなたが与えることのできるすべての恵みを私に与えてくれるのではないだろうか?御恵みと栄光の富を得たいのであれば、聖母に敬意を払い、良き御母に栄光を捧げなさい。」
“自分の母を尊ぶ人は、宝物を積むに等しい Sicut qui thesaurizat, ita et qui honorificat matrem.” だから毎日、少なくとも五十回のめでたしを聖母に捧げよ。一つ一つのめでたしは、十五個の宝石の価値があり、この世のすべての富を合わせたものよりもはるかに聖母を御喜ばせすることができる。

そして、聖母のその寛大さから、あなたはそのような素晴らしいものを期待することができるのだ!聖母は私たちの御母であり、友人でもあられる。聖母は全宇宙の元后であり、世界中の母親や女王が誰かを愛したことがある以上に、私たちを愛しておられる。これは本当にその通りであるが、聖アウグスティヌスが言っているように、聖母の愛は、全人類、さらには全ての天使たちの自然の愛をはるかに超えておられるからだ。

ある日、聖女ジェルトルードは、金貨を数えておられる主のヴィジョンを見た。彼女は勇気を出して、何をしておられるのか主に尋ねた。主は答えられた。“私は、おまえが唱えた「めでたし」の数を数えている。これは、お前が天国への道を支払うための金貨なのだ。”

聖なる学識者であるイエズス会のスアレス神父は、天使祝詞の価値を深く理解しており、正しく唱えられた一つのめでたしの代わりに、自分のすべての学識を喜んで差し出すと言ったそうである。

福者アラン・ド・ラ・ロシュはこう言った。"御身を愛するすべての者たちよ、ああ、最も聖なるマリアよ、これを聞き給え、これを聞き入れ給え。

私が「めでたし」を唱えるとき、いつでも
天の宮廷は喜び、地は驚嘆に包まれる。

すると私はこの世を軽蔑し、
心は天主の愛で満たされる。

私がめでたしを唱えるとき、
すべての恐れは枯れ果てて、情欲は鎮められる。

私がめでたしを唱えるなら、
信心は成長し、罪の悲しみを悟らせる。

私がめでたしを唱えるとき、
希望は胸の中で強められ、ますます多くの慰めの露が、私の霊魂に降り注ぐ。

なぜならそれは、私がめでたしを唱えるから。
その時私の精神は喜び、悲しみは消え去っていく、
私がめでたしを唱えるとき. . .。

この祝福された挨拶の甘美さは、言葉では十分に説明することができないほど偉大であり、その不思議さが歌われたとしても、私たちはそれが神秘に満ちており、その奥深さは決して測ることができないほど深遠であることに気付く。言葉は少なくとも、非常に神秘に富んでおり、蜜よりも甘く、黄金よりも貴重なものなのである。私たちは心の中でしばしばこの言葉を黙想し、敬虔な気持ちで何度も何度も口にすべきである。」

福者アランによると、常に聖なるロザリオに対して優れた信心を持っていたある修道女が、死後、修道院にいる一人の修道女の元に現れてこう言ったそうである。「もし私が自分の体に戻ることが許されるならば、たった一度でもめでたしを唱えるチャンスを得るために、たとえそれが早口で熱心なものでなかったとしても、この祈りの功徳を得るために私は喜んで、最後の病床の苦しみをもう一度耐え忍びたいと思います」。(福者アラン・ド・ラ・ロシュ『詩篇の尊厳』第69章)
死の前、彼女は数年間寝たきりで苦しい痛みを忍んでいたので、この言葉にはより説得力がある。

サリュブル(Salubre)の司教ミカエル・ド・リル(Michel de Lisle)は、聖なるロザリオの再確立において福者アランの弟子であり協力者であったが、聖母を讃えて敬虔に唱える限り、天使祝詞は私たちが苦しむすべての病の治療法である、と述べている。


二十番目のバラ:「めでたし」ー解説

あなたは罪の惨めな状態にあるのだろうか?それなら、天主的なマリアを呼び、彼女にこう言うがよい:『めでたし』、これは、「最も深い敬意を以って御身に挨拶申し上げます。罪の汚れなき御方よ」という意味で、そうすれば、聖母はあなたを罪の悪から救い出してくださるだろう。

あなたは無知と誤りの暗闇の中で手探りしているのだろうか?マリアの元に行き、こう言うがよい:『マリア』、これは、「めでたし、正義の太陽の光を浴びる御方よ」という意味で、そうすれば、聖母は彼女の光の一筋をあなたに与えてくださるだろう。

あなたは天国へと続く道から外れてしまったのだろうか?それなら、マリアの御名を呼ぶがよい。彼女の名は、「海の星、この世の航海のさ中に、私たちの霊魂の船を導いてくれる北極星」を意味しており、聖母はあなたを永遠の救いの港へと導いてくださるだろう。

あなたは悲しんでいるのだろうか?マリアを頼りなさい。マリアの御名は、「この世では鋭い痛みに満ちていた苦味の海が、天国では最も純粋な喜びの海に変わる」という意味でもあり、聖母はあなたの悲しみを喜びに、あなたの苦悩を慰めに変えてくださるだろう。

あなたは恩寵の状態を失っているのだろうか?天主が聖母を満たした無数の恩寵を讃美し、敬意を表して、聖母にこう言うがよい:『聖寵充ち満てる御方』、「あなたは御恵みに満ち、聖霊のすべての賜物に満たされています。」すると、聖母はあなたにこれらの御恵みの一部を与えてくださるだろう。

あなたは天主の保護を失って孤独でいるのだろうか?マリアに祈り、こう言うがよい:『主、御身と共にまします』ーー「この一致は、聖人や義人たちの一致よりもはるかに崇高で親密なものであります。なぜなら、御身は御子と一体だからです。主は御身の子であり、その肉は御身の肉であり、御身は完全に主と似通った者であられるために、また相互の愛によってーー主の御母であるために、主と一体となっておられるのです。」そして、彼女にこう言うがよい。「御身は、最も祝福された三位一体の神殿であられるので、天主三位のペルソナが御身と共にましますのです。」そうすれば、聖母はあなたを再び、全能の天主の御保護と配慮の下に置いてくださるだろう。

あなたは追放され、天主に排斥されてしまったのだろうか?それなら、聖母にこう言うが良い:『御身は女の内にて祝せられ』、「御身はその純潔さと実り豊かさによって、すべての女性に優って、すべての民々に優って祝福されておられます。御身は、天主の私たちへの呪いを祝福へと変えられたのです。」そうすれば、聖母はあなたを祝福してくださるだろう。

あなたは恵みのパンと生命のパンに飢えているのだろうか?天から降られた、生けるパンである御方をお産みになられた聖母に近づき、こう言うがよい:『御胎内の御子、イエズスも祝せられ給う』、「御身の童貞性を少しも損なわれることなく、不快を感じられることなく身ごもり、産みの苦しみを伴われることがなかったあなたの御胎内の実が祝福されますように。祝福されたイエズスは、私たちが罪の鎖に縛られていたとき、私たちの苦しみの世界を贖い、全世界の病を癒し、死者をよみがえらせ、追放された者を家に帰し、罪人を恩寵の生活に戻し、人類を天罰から救ってくださいました。」間違いなく、あなたの霊魂はこの世では御恵みのパンで満たされ、後の世では永遠の栄光によって満たされるでしょう。アーメン。

そして、祈りの最後に、聖にして母なる教会と共にこう祈るがよい。

「聖マリア、
御体と御霊魂において聖なる方
天主への奉仕に対して、御身の比いなきかつ永遠なる献身の故に聖なる方、
天主の御母という偉大なる地位において聖なる方、
天主は、この偉大な尊厳にふさわしい特徴である、卓越した聖性を御身に授け給うた。

天主の御母、
そして我らの御母、
我らの代弁者であり仲介者、
御身は、天主の御恵みの宝庫であり、
その恩寵を、御自身が適切と思われるやり方で分配し給う。

ああ、我らは御身に願い奉る、
我らの罪の赦しをすみやかに獲得し給いて、
我らが天主の無限の御稜威(みいつ)と和睦し得るように。

罪人なる我らのために、祈り給え。
御身は、助けを必要とする者たちへの同情に常に満ちておられる方なり、
御身は、罪人を決して軽蔑したりせず、顔を背けることもせず、
彼らのためでないならば、御身は贖い主の御母となり給うことはなかった。

今、我らの為に祈り給え。
今、悲しみと不安に満ちたこの短い人生のさ中において、
今、我らの為に祈り給え。
今、なぜなら、我らはこの瞬間を除いては、何も確かではありえないから。
今、我らの為に祈り給え。
今、なぜなら、我らは、昼夜を問わず、強力で残酷な敵に攻撃されているから。

今も、臨終の時も、我らの為に祈り給え。
非常に恐ろしく危険に満ちた、臨終の時、
我らの力が衰え、精神は沈み、霊魂も肉体も、恐怖と痛みで消耗し尽くすその時、
我らの臨終の時、
悪魔が我らを陥れ、滅びに追い込もうと、力強く働いているその時、
我らのために祈り給え。
永遠の天国か、あるいは、永遠の地獄か、我らの永遠の行く末がはっきりと決定する最後の運命の時に、我らの為に祈り給え。

憐みの優しい御母よ、哀れな子供たちを助けに来給え、
ああ、罪人の避難所であり代弁者よ、
死の瞬間に我らを守り、我らを恐怖に陥れ、我らを告発する恐ろしい冷酷な敵である悪魔を、我らから遠くへ追いやり給え。
死の影の谷を通り抜ける、その我らの道を照らし導き給え。

願わくは、御母よ、我らを審判する御子の裁きの座に私たちと共に立ち給え。
御身の御子が我ら赦し給うよう、永遠の栄光の王国において、御身の選ばれた者らの中へ我らを受け入れ給うよう、我らのために祈り、執り成し給え。

アーメン。」

「主祷文」と「天使祝詞」という二つの天上的なもので構成される聖なるロザリオの美しさには、誰もが感嘆せずにはいられない。この二つの祈りよりも全能の天主と聖母に喜ばれる祈りや、より簡単で、より貴重で、より助けになる祈りがあるだろうか?最も祝福された三位一体、私たちの救い主であるイエズス・キリスト、そしてその最も聖なる御母を讃美するために、私たちは常にこの二つの祈りを心に留め、口にすべきである。

さらに、それぞれの一連の終わりに、「願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを... ... 」を加えることはとても良いことである。『願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。始めにありし如く、今もいつも、世々に至るまで、アーメン。』


カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka

2021年11月21日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2021年11月21日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計120人でした。大阪では26人でした。天主に感謝いたします。

明日11月22日の大阪のミサは午後6時からです。お間違えの無いようお願いいたします。

名古屋では来る11月23日(火)勤労感謝の日に午前10時30分からミサ聖祭があります。場所はいつものところです。

【報告】【東京】
Dear Fathers:
Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 120, including children.

09:00 mass
M: 21 (incl. 6 children)
F: 25 (incl. 5 children)
Total: 46 (incl. 11 children)

11:00 mass
M: 21 (incl. 5 children)
F: 23 (incl. 5 children)
Total: 44 (incl. 10 children)

12:30 mass
M: 18 (incl. 1 child)
F: 16 (incl. 3 children)
Total: 34 (incl. 4 children)

Total of 3 masses (excl. 4 people who participated in multiple masses)
M: 58 (incl. 12 children)
F: 62 (incl. 13 children)
Total: 120 (incl. 25 children)


聖福音の黙想「 "荒らすもの のいとわしいもの"が聖所に立つ」とは?「山に逃げよ」の意味とは?

2021年11月20日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2021年11月21日は聖霊降臨後第二十六主日、最終主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第二十六主日、最終主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール著 第16、17のバラ「めでたし」の美しさと実り

2021年11月17日 | カトリックとは

十六番目のバラ:「めでたし」ー美しさ

天主の御稜威ほど偉大なものはなく、罪人である限り人間ほど卑しいものはないにもかかわらず、全能の天主は私たちの貧しい祈りを軽んじることはない。それどころか、私たちが天主の讃歌を歌うとき、天主は喜んでくださるのだ。

大天使聖ガブリエルの聖母への挨拶は、至高の天主の栄光のために私たちが歌うことのできる最も美しい讃歌の一つである。“主よ、私は新しい歌を歌い”、ダビドがメシアの到来の際に歌われると預言したこの新しい讃歌は、天使祝詞に他ならない。

讃歌には、古い讃歌と新しい讃歌がある。
古い讃歌は、ユダヤ人が、天主が自分たちを創造し、存らしめ続けさせてくださったこと、捕囚から救い出し、紅海を無事に渡らせてくださったこと、食物としてマンナを与えてくださったこと、その他全ての天主からの祝福に感謝するために歌ったものである。

新しい讃歌は、御托身と贖罪の御恵みを感謝して歌うものである。これらの驚嘆すべきことが天使祝詞によってもたらされたように、私たちも同じ祝詞を繰り返して、最も祝福された三位一体が私たちに与えてくださった計り知れない御恵みを感謝する。

聖父なる天主を讃えるのは、私たちの救い主として御一人子を御与えくださるほど、天主がこの世を愛してくださったからである。聖子を祝福するのは、聖子が天を離れて、地上に降りて来られたからである。なぜなら、「彼は人間となられ」私たちを贖って下さったからである。私たちが聖霊を讃美するのは、聖霊は、聖母の御胎内で、私たちのために罪のいけにえとなられたこの主の汚れなき御体を形造ってくださったからである。このような深い感謝の念に基づいて、私たちは常にめでたしを唱え、救霊というかけがえのない贈り物に対する信仰、希望、愛、そして感謝を表明すべきである。

この新しい讃歌は、天主の御母を讃えるものであり、直接聖母に向かって歌われているが、それにもかかわらず、それは最も祝福された三位一体を大いに讃美している。なぜなら、私たちが聖母に捧げるあらゆる敬意は、聖母のすべての聖徳と完成の原因である天主に必然的に帰されるからである。私たちが聖母を敬うとき、天主の創造の御業の最も完璧なものを讃えているので、天主なる聖父は栄光をお受けになる。天主なる聖子は、その最も汚れなき御母を讃えているので、栄光をお受けになる。そして、天主なる聖霊は、その浄配を満たされた恩寵に私たちが感嘆しているので、栄光をお受けになる。

私たちが天使祝詞を唱えて聖母を讃美し祝福するとき、聖母は常に、聖エリザベトに讃美された時と同じように、これらの讃美を全能の天主へとお伝えになる。聖エリザベトは、天主の御母という最も高い尊厳をもって聖母を祝福し、聖母は直ちに美しいマニフィカトによってこれらの讃美を天主に帰されたのである。

天使祝詞が祝福された三位一体に栄光を与えるように、それは私たちが聖母に捧げることのできる最高の讃辞でもある。

ある日、聖女メクティルドが祈っていたとき、どうすればこれまでよりもよく聖母への愛を表現することができるかを考えていたところ、彼女は脱魂状態に陥った。聖母は、燃えるような金色の文字で書かれた天使祝詞を胸に抱いて現れ、彼女に仰せられた。「私の娘よ、あなたに知っておいてほしいのですが、最も崇敬すべき三位一体が私に送ってくださり、それによって私を天主の御母の尊厳にまで高めてくださった祝詞を唱えること以上に、私を喜ばせることができる人はいません。

『めでたし“Ave(これはエワ Evaという名前のことである)”』という言葉によって私は、天主がその無限の御力で、最初の女性が犯したすべての罪とそれに伴う不幸から私を守ってくださったことを知りました。

『マリア』という“光の女性”を意味する名前は、天主が私を知恵と光で満たしてくださり、輝く星のように、天と地を照らすようにしてくださったことを示しています。

『聖寵充ち満てる』という言葉は、聖霊が私に多くの御恵みを与えてくださったので、私を仲介者として、私を通して御恵みを求める人々に、これらの御恵みを豊かに与えることができることを思い起こさせます。

『主、御身と共にまします 』と人々が 唱えるとき、永遠の御言葉が私の胎内で御托身された時の、言葉では言い表すことのできない喜びを新たにするのです。

『御身は女の内にて祝せられ』とあなたたちが唱えるとき、私をこの幸福の高みにまで引き上げてくださった、全能の天主の至聖なる御憐みを讃えます。

そして、『御胎内の御子、イエズスも祝せられ給う』という言葉には、人類を救い給うた 私の御子イエズス・キリストが崇められ、栄光を受けておられるのを見て、天国全体が私と共に喜ぶのです。

十七番目のバラ:「めでたし」ー実り

聖母に対して深い信心を抱いていた福者アラン・ド・ラ・ロシュは、聖母から多くの啓示を受け、その啓示の真実性を荘厳な誓いによって確認していたことが分かっている。その中でも特に強調されている真理が三つある。

一つ目の真理は、もし「めでたし」(この世を救った天使祝詞)を、怠慢から、あるいは彼らの生ぬるさから、あるいは自分たちがそれを嫌いだからと言って唱えない者があるとしたら、それは十中八九、彼らが近い将来、永遠の罰に処されることのしるしであるということ。

第二の真理は、この天使祝詞を愛する人々は、彼らが天国へと救霊を予定されているという非常に特別なしるしを持っている、ということ。

第三の真理は、聖母を愛し、その愛の内に聖母に仕えるという天主からの恩寵のしるしを与えられた者は、彼らが得た栄光の度合によって、聖母によって天国の天主の聖子の御傍に置かれる時まで、聖母を愛し、仕え続けることができるよう細心の注意を払わなければならない、ということである。(『福者アラン』第11章2節)

異端者たちは、全員悪魔の子であり、明らかに天主からの排斥のしるしを持っており、彼らは「めでたし」を恐れている。彼らは「天にまします」を唱えることはあっても、決して「めでたし」を唱えることはない。彼らはスカプラリオを身につけたり、ロザリオを持ったりすることよりも、毒蛇を首に巻くことを好む。

カトリック信者の中でも、天主からの非難(reprobation)のしるしを持つ人々は、ロザリオ(それが五連のものであれ十五連のものであれ)のことをほとんど考えていない。彼らはロザリオを唱えないか、あるいは唱えるとしても非常に早く、また生ぬるい方法でしか唱えないのである。

例え私が福者アラン・ド・ラ・ロシュに啓示されたことを信じていなくても、私自身の経験が、この恐ろしくも慰めになる真理を私に確信させるのに十分だろう。どうしてこんなに小さいと思われる信心が永遠の救いの絶対的なしるしとなり、それが欠けていることが天主の永遠の怒りのしるしとなるのか、私は知らないし、はっきりとも分からないが、これ以上の真理はない。

現代では、聖にして母なる教会によって排斥された新しい教理を信じる人々は、表面上の敬虔さは非常にあるかもしれないが、ロザリオを軽蔑し、知人のロザリオへの愛と信仰を破壊して、ロザリオを口にするのを思い留まらせることがよくある。その際、彼らは世間の目から見てもっともらしい、手の込んだ言い訳をする。彼らはカルバン派のようにロザリオやスカプラリオを非難しないように細心の注意を払っているが、彼らの攻撃方法はより狡猾であるため、より致命的なものとなる。このことについては、後でもう一度言及する。

「めでたし」、十五連あるいは五連のロザリオは、天主の霊によって導かれている者と悪魔に騙されている者とを見分けるための祈りであって、確実な基準となる。私は、崇高な黙想によって鷲のように高みへと昇っていくように見えたのに、悪魔によって哀れにも道を踏み外してしまった霊魂たちを知っている。彼らがいかに間違っているのかに気付いたのは、彼らが「めでたし」やロザリオを軽蔑し、自分たちよりはるかに下に見ていたことを知った時だった。

「めでたし」は、天国へと救霊を予定されている人々の霊魂に降り注ぐ祝福の露である。それは、すべての聖徳に成長できるように、驚くほど霊的に豊な実りを与えてくれる。この祈りによって霊魂の庭に水が与えられれば与えられるほど、彼らの知性はより賢明になり、心はより熱心になり、霊的な敵に対する鎧はより強固になるのである。

「めでたし」は、天主の言葉と結び付いた鋭く燃えるような矢であり、たとえ説教の才能が少ししか、あるいはほとんどなくても、最も頑なな心を貫き通し、動かし、回心させる力を説教者に与えるのだ。

すでに述べたように、これは聖母が聖ドミニコと福者アランに教えた偉大な秘密であり、彼らが異端者や罪人を改宗させることができるようにするためのものであった。

聖アントニオは、多くの司祭が説教の最初に「めでたし」をする習慣を身につけたのは、このためだと教えている。


カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka

2021年11月16日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2021年11月14日(主日)東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計108人でした。大阪では23人でした。天主に感謝いたします!

11月22日(月)は、大阪で午後6時からミサと御聖体降福式がある予定です。
11月23日(火)勤労感謝の日は、名古屋(いつもの場所)で、午前10時30分からミサがあります。


【報告】【東京】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 108, including children.

09:00 mass
M: 22 (incl. 5 children)
F: 24 (incl. 5 children)
Total: 46 (incl. 10 children)

11:00 mass
M: 20 (incl. 5 children)
F: 20 (incl. 5 children)
Total: 40 (incl. 10 children)

12:30 mass
M: 15 (incl. 2 child)
F: 13 (incl. 2 children)
Total: 28 (incl. 4 children)

Total of 3 masses (excl. 6 people who participated in multiple masses)
M: 54 (incl. 12 children)
F: 54 (incl. 12 children)
Total: 108 (incl. 24 children)


「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール著 第十三、十四、十五のバラ 主祷文の各祈りの言葉は、私たちが天主の完全性に対して捧げる讃辞である

2021年11月16日 | カトリックとは

十三番目のバラ:「天にまします」第二部

主祷文の各祈りの言葉は、私たちが天主の完全性に対して捧げる讃辞である。私たちは聖父の御名によってその実りの豊かさを讃美する。

《聖父よ》
御身は永遠に
聖子を生み給う、
聖子は御身と同じ天主であり
永遠であり、御身と同一本質(consubstantialis)であり
御身がそうであるように、天主の本質それ自体であり
御身と同じ力と善と叡智のお方なり。

聖父と聖子との相互の愛から
御身と同じ天主である
聖霊を発出させ給う。
三位でありながら、唯一の天主なり。

《我らの聖父》ーこれは、聖父が私たちを創造し、私たちを支え続け、そして私たちを贖ってくださったことから、人類の聖父であることを意味している。また、罪人の憐れみ深い聖父でもあり、正しい人の友である聖父でもあり、天上の祝福された人々の栄光の聖父でもある。

私たちが 《[天に] まします》と唱えるとき、この言葉によって、私たちは天主の本性の限りの無さと広大さと充満さとを讃美する。すなわち、天主はまさしく“我は、在りて在る者なり”と呼ばれ、すべての存在の原因であるため、必然的に、本質により、そして永遠に存在しておられるのである。主は御自身の中に、すべての存在の完全性を卓越したものを保持しておられ、御自身の本質、現存、力によって、すべて在らしめられているものの内におられるが、その(被造物の)限界に縛られることはない。

私たちは、《天にまします》という言葉によって、その崇高さ、栄光、威厳を称える。つまり、「玉座に座し給う、御身の正義によってすべての人間を支配しておられる御方」というのである。

私たちが《聖名の尊まれんことを》と唱えるとき、私たちは天主の御稜威を礼拝する。《御国の来たらんことを》という言葉によって、天主の王権に敬意を表し、天主の律法の正義には頭を垂れ、天上の天使たちがそうであるように、地上においても人間たちが天主に従うことができるようにと祈る。

《日用の糧》を求めることで、天主の御摂理への信頼を示し、《罪の赦し》を求めることで主の御憐れみに訴えかける。

《我らを試みに引き給わざれ》と懇願するとき、主の偉大な御力に期待し、主に《我らを悪より救い給え》と願うことによって、主の善意に対する信頼を示す。

天主の聖子は、その御働きと、聖父に栄光を帰すことを人々に教えるためにこの世に来られたことによって、常に聖父を讃えておられる。御自身の唇で私たちに教えてくださったこの祈りによって、天主を讃美する方法を人々に示してくださった。したがって、この祈りを頻繁に唱えることは私たちの義務であり、敬虔に、注意深く、そして主が私たちに教えられた精神を以って唱えるべきである。


十四番目のバラ:「天にまします」第三部

私たちは、この主祷文を熱心に唱えるとき、言葉を発するのと同じくらい多くの崇高なキリスト教的聖徳の業を行なう。

《天にまします我らの聖父よ》と唱えるとき、私たちは信仰、礼拝、謙遜の徳を行なう。

《願わくは聖名の尊まれんことを》と、主の聖名が崇められ、栄光が与えられるように願うとき、私たちは主の栄光に対する燃えるような熱意を示し、

《御国の来たらんことを》と主の王国が広まるように願うときには私たちは希望の徳を行なう。
《御旨の天に行なわるるごとく、地にも行なわれんことを》と願うことによって、私たちは完全な従順の徳を行なう。

《我らの日用の糧》を求める時、私たちは清貧の徳を実践し、世俗的なものから離れるようにする。

《我らが人に赦す如く》と、自分に罪を犯した人を許すことによって、私たちは最高度の憐みの業を証明する。《我らの罪を赦し給え》と主に願う時、私たちは痛悔の業を行なう。

《我らを試みに引き給わざれ》と、すべての誘惑に対して天主に御助けを求めることによって、私たちは謙遜、賢明、堅忍の徳の業を行なう。
《我らを悪より救い給え》と、天主が悪から救い出してくださるのを待つ時、私たちは忍耐の徳を発揮する。

最後に、これらすべてのことを、自分のためだけでなく、隣人や教会の全成員のために求めることによって、私たちは真の天主の子としての義務を果たし、すべての人を包容する天主の愛を以って天主に倣い、隣人愛の掟を守っているのだ。

もし私たちが口で唱えたことを心の中で意図し、その意図が主祷文に表されたものと矛盾しないなら、この祈りを唱えることによって私たちはすべての罪を憎み、天主のすべての律法を守ることになる。天主が天におられ、その御稜威(みいつ)の偉大さの故に私たちから無限の隔たりがあることを思い、私たちが天主の御前に身を置くたびに、圧倒的な畏敬の念に満たされるだろうからである。そうすれば、主への畏れがすべての高慢を追い払い、私たちはまったくの無であるということの内に天主の御前に平伏すことになるだろう。

私たちが《聖父》という名を口にし、自らの存在が両親という手段を通して天主に依存していること、さらには自らの知識を、天主の代理者という地位にある教師に依存していることを思い出すとき、私たちは彼らに敬意と尊敬を払わずにはいられない、より正確に言えば、彼らの中におられる天主を敬うのだ。そうなると、彼らに失礼なことをしたり、傷付けたりする考えも、私たちから遠ざかってしまうだろう。

私たちは、《聖名が尊まれんことを》と、天主の聖なる御名が栄光のうちに輝くようにと祈る時ほど、天主を冒瀆することから遠ざかることはない。もし私たちが天主の御国を自分たちの遺産として本当に見ているのなら、私たちはこの世のものに執着することはできない。

もし、自分が必要としている同じ祝福を、隣人も得られるようにと心から天主に願うなら、憎しみや争いや嫉妬をすべて放棄するであろうことは言うまでもない。もちろん、《日用の糧》を天主に求めるならば、贅沢な環境で育つ大食漢や淫乱を憎むようになるだるう。

《我らが人に許す如く、我らの罪を赦し給え》と天主に心から乞い願うことで、私たちはもはや怒りや復讐の考えに屈することなく、悪には善を返し、敵を心から愛するようになる。

《我らを試みに引き給わざれ》と天主に乞い願うことは、誘惑を受けた時に私たちが怠惰と戦い、悪しき習慣を根絶し、救霊を実現するための手段を純粋に求めていることの証明になる。

《我らを悪より救い給え》と天主に祈ることは、天主の正義を恐れることであり、これが私たちに真の幸福をもたらす。なぜなら、天主を畏れることは知恵の始まりであり、人が罪を避けるのは、天主に対する敬畏の徳によるものだからである。


十五番目のバラ:「めでたし」

天使祝詞は非常に天上的であり、その意味の深さにおいて私たちを超えているため、福者アラン・ド・ラ・ロシュは、単なる被造物には到底理解できず、祝された童貞マリアから御生まれになられた私たちの主であり救い主であるイエズス・キリストだけが、それを本当に説明することがおできになる、と言う。

この極めて大きな価値は、まず第一に、この祈りが捧げられた聖母に、またこの祈りが天からもたらされた理由である御言葉の御托身の目的に、そして、この祈りを最初に唱えた大天使聖ガブリエルにある。

天使祝詞は、カトリック神学が、祝された童貞について教えていることを最も簡潔にまとめたものである。これは、讃美と懇願の二つの部分に分かれている。

第一の部分は、マリアの偉大さを構成するすべてのものを示し、第二の部分は、私たちが聖母に願わなければならないこと、そして、聖母の善良さを通して受け取ることが期待できるすべてのものを示している。

最も祝福された三位一体が、その前半部分を私たちに明らかにし、後半部分は、聖霊に息吹かれた聖女エリザベトによって加えられた。聖にして母なる教会は、430年にエフェゾ公会議でネストリウス派の異端を断罪し、聖母が真に天主の御母であることを定義し、その結論を私たちに与えた。この時、教会は私たちに、この輝かしい称号のもとに聖母に祈りを捧げるよう命じた。

『天主の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も、臨終の時も祈り給え。』

世界の全歴史における最大の出来事は、永遠の御言葉の御托身であり、その御言葉によって全世界は救われ、天主と人類との間に平和が回復されたのだ。聖母はこの途方もない出来事のために主の道具として選ばれ、聖母が天使祝詞で挨拶された時にそれが実行された。天国の宮廷を代表する第一人者である大天使聖ガブリエルが、この吉報を伝える大使として選ばれたのである。

天使祝詞には、太祖、預言者、使徒たちの信仰と希望が見て取れる。さらに、それは殉教者にその揺るぎない信仰と力を与え、教会博士たちの知恵でもあり、証聖者たちの堅忍であり、すべての修道者たちの生命でもある。(福者アラン・ド・ラ・ロシュ)

またこれは、恩寵の法則の新しい讃歌でもあり、天使と人類の喜びであり、悪魔を恐れさせ、惨敗させる讃歌でもある。

天使祝詞によって、天主は人となられ、乙女は天主の御母となり、義人の霊魂は古聖所(リンボ)から解放され、天上の空座は満たされた。さらに、罪が赦され、聖寵が与えられ、病人は回復し、死人は生命へと戻り、流罪者は家に帰され、最も祝福された三位一体の怒りが鎮まり、人類は永遠の命を得たのである。

最後に、天使祝詞は天とこの世の架け橋である虹であり、天主がこの世に与えられた憐れみと御恵みのしるしである。(福者アラン・ド・ラ・ロシュ)。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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