アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
四旬節はいかがお過ごしでしょうか。
次は、コスタリカであった御聖体拝領の様子です。コスタリカの大統領候補オット・ゲバラのガールフレンドが、御聖体を半分に割ってゲバラにあげているところです。
これを見ると、ベネディクト16世の言葉を思い出します。
「黙想 キリストの現存である聖なる秘蹟(=御聖体のこと)が、どんなに濫用されていることか、しばしば、虚ろな心や悪意に満ちた心の人にも拝領されているのです。
祈り 主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。しかし、それは私たち自身の汚れです。私たち自身、大きなことを言うたびに、大げさに振る舞うたびに、あなたを裏切っているのです。」
「私たちが今日経験している教会の危機は、「もし神が存在しなかったとしても」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信している。」新しいミサに関するベネディクト十六世教皇の言葉
私たちには、現実を直視する勇気が必要です。
世俗の世界は、政治・経済・金融・マスコミを総動員して、カトリック教会という船を撃沈させようとしているのではないでしょうか? 私たちはカトリック教会は決して沈むことがないと信じています。しかし、私たちは教会を守るために出来るだけのことをしなければならないでしょう。現実を直視して。
もう、手による聖体拝領は中止する時に来ています。
もはや、カトリック教会はいたるところで聖伝のミサを復活させるときに来ています。
霊魂の救いのために。カトリック教会の栄誉のために。「第2バチカン公会議の後の教会に最も欠けていたのは、現実を直視するという勇気だった」と後世に言われないために。
かつて私たちは愛する日本にこんなことがあったと学びました。
米軍の沖縄上陸は1945年4月1日。1317雙のアメリカ軍艦が沖縄を包囲し、アメリカは総員45万人を動員した。そこに、1945年4月6日午後2時、大日本帝国の最高最大の「神機」と呼ばれた巨艦大和が出撃。海上特攻隊はたった10艦で沖縄に向かった。これが帝国海軍のもてる最大の戦力だった。これは「日本海軍最後ノ艦隊出撃」「世界海戦史上、空前絶後ノ特攻作戦」だったが、しかし客観的に見ると、自爆に等しかった。
こうして大和は、出港から24時間後の4月7日午後2時30分、魚雷を受けて撃沈した。世界無双の巨大な戦艦、前代未聞の装備と破壊力をもつ戦艦大和、この大和の最期が日本を象徴すると言われてきた、と。
「第二次大戦に近づく日本に最も欠けていたのは、現実を直視し、自国をもっと幅広い視野で見る能力、そしてそうした方法で政策を作るという勇気だった。」
吉田満『戦中派の死生観』(産経新聞 2010年2月22日朝刊 古森義久「体験的日米同盟考」からの孫引き)より
主よ、我らを憐れみ給え!
主よ、我らを憐れみ給え!
主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
四旬節はいかがお過ごしでしょうか。
次は、コスタリカであった御聖体拝領の様子です。コスタリカの大統領候補オット・ゲバラのガールフレンドが、御聖体を半分に割ってゲバラにあげているところです。
これを見ると、ベネディクト16世の言葉を思い出します。
「黙想 キリストの現存である聖なる秘蹟(=御聖体のこと)が、どんなに濫用されていることか、しばしば、虚ろな心や悪意に満ちた心の人にも拝領されているのです。
祈り 主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。しかし、それは私たち自身の汚れです。私たち自身、大きなことを言うたびに、大げさに振る舞うたびに、あなたを裏切っているのです。」
「私たちが今日経験している教会の危機は、「もし神が存在しなかったとしても」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信している。」新しいミサに関するベネディクト十六世教皇の言葉
私たちには、現実を直視する勇気が必要です。
世俗の世界は、政治・経済・金融・マスコミを総動員して、カトリック教会という船を撃沈させようとしているのではないでしょうか? 私たちはカトリック教会は決して沈むことがないと信じています。しかし、私たちは教会を守るために出来るだけのことをしなければならないでしょう。現実を直視して。
もう、手による聖体拝領は中止する時に来ています。
もはや、カトリック教会はいたるところで聖伝のミサを復活させるときに来ています。
霊魂の救いのために。カトリック教会の栄誉のために。「第2バチカン公会議の後の教会に最も欠けていたのは、現実を直視するという勇気だった」と後世に言われないために。
かつて私たちは愛する日本にこんなことがあったと学びました。
米軍の沖縄上陸は1945年4月1日。1317雙のアメリカ軍艦が沖縄を包囲し、アメリカは総員45万人を動員した。そこに、1945年4月6日午後2時、大日本帝国の最高最大の「神機」と呼ばれた巨艦大和が出撃。海上特攻隊はたった10艦で沖縄に向かった。これが帝国海軍のもてる最大の戦力だった。これは「日本海軍最後ノ艦隊出撃」「世界海戦史上、空前絶後ノ特攻作戦」だったが、しかし客観的に見ると、自爆に等しかった。
こうして大和は、出港から24時間後の4月7日午後2時30分、魚雷を受けて撃沈した。世界無双の巨大な戦艦、前代未聞の装備と破壊力をもつ戦艦大和、この大和の最期が日本を象徴すると言われてきた、と。
「第二次大戦に近づく日本に最も欠けていたのは、現実を直視し、自国をもっと幅広い視野で見る能力、そしてそうした方法で政策を作るという勇気だった。」
吉田満『戦中派の死生観』(産経新聞 2010年2月22日朝刊 古森義久「体験的日米同盟考」からの孫引き)より
主よ、我らを憐れみ給え!
主よ、我らを憐れみ給え!
主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)