Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ルフェーブル大司教様の伝記の出版準備中

2016年07月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!


愛する兄弟姉妹の皆様

ルフェーブル大司教様の伝記を出版する準備を進めています。

出版のために、祈り、クチコミ、宣伝などしてくださることができましたら、大変幸いに存じます。

愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご援助を、感謝いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

ルフェーブル大司教様の伝記の出版

2016年07月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!


愛する兄弟姉妹の皆様

ティシエ司教様の来日に合わせて、ルフェーブル大司教様の伝記を出版する計画があります。

印刷のためにあらかじめ予算が必要となります。もしも、印刷のために献金してくださることができる方がいらっしゃいましたら、大変幸いに存じます。

今、2枚しか在庫がありませんが、ルフェーブル大司教様の記念メダルを、最も多く援助くださった2名の方々に、その外の方々にはその他の記念品をお譲りしたいと思います。

愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご援助を、感謝いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

2016年7月17-18日の大阪の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2016年07月24日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

大阪における7月17日の主日には、新しい方々がミサに与ることができ、大変うれしく思います。小学生の男の子も聖伝のミサに来ることができました。天主様に感謝!

レネー神父様が韓国と日本に来られている間、私はマレーシアのコタ・キナバルにミッションに行きました。ボルネオ島のサバのカトリックの方々の信仰に改めて深い感銘を受けました。

7月21日(木曜日)には、プロテスタントからカトリックに改宗された日本の方の条件付き洗礼がマニラでありました。全宇宙の創造の第一日目に霊が水の上を漂っていたと創世記にありますが、私たちの主イエズス・キリストの霊的な再創造である水と霊とによる生まれ変わりのことをすでに見通しておられたのだなぁと思います。条件付き洗礼を受けたれたモニカ・イグナチアさんのためにお祈りをお願いいたします。

7月22日から25日までは、フィリピンのレイテ島のミッションがありました。これはすでに前から計画されていたもので、オルモック、ソゴッド、マアシン、バト、タクロバンの五つの巡回教会を回ります。今はその途中です。

6月からフィリピンでは新しい学年が始まりましたが、私は今年、一昨年と同じように、ラテン語を教えることになりました。是非、子供たちが自分からラテン語を勉強したいと思うようになり、翻訳しなくてもラテン語で読み、話し、考えることができるようになることを目標においています。


では、大阪での聖伝のミサのご報告をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
7/17-18の御ミサでの所感を報告いたします。
+Ave Maria! Immaculata!

ご報告が大変遅くなりましてすみません(^_^;)
7/17-18のレネー神父様の大阪での御ミサ、御説教での所感を報告させていただきます。
韓国での主日の午前の御ミサのあと、午後の飛行機で日本に到着されて、
夕方の御ミサを捧げてくださり、その後、十戒の講話もしてくださったレネー神父様に
心から感謝申し上げます。翌日は朝6:30からの早朝の御ミサをお捧くださいました。
私たち少ない日本の信徒のために、どれほどの犠牲を払ってくださっていらっしゃることでしょうか!
レネー神父様に、天主様がすべてを報いてくださいますように。

【あらためて感じたこと】
カトリックが真の宗教であることは、「十戒」によっても証明されている、と改めて感じました。
他宗教や自然法、国家の法律では、外的な行いに対してしか、規制や罰則がありませんが、
カトリックは内的にも、いえ内的にこそ、その宗教の本質があるからです。
外的にはとても良い人に見えても、心で憎しみや怒り、不潔な考えを持っている人を
天主はその人の心の奥底まで見通されていらっしゃること、裁き主は他の誰でもない、天主イエズス様であることを考えました。
カトリック以外の宗教(邪教)や無神論の世俗や、どれほど多くの人たちが、
「この世でひと様に迷惑をかけずに、無病息災、楽しく、幸せに生きて、苦しまずにポックリ死にたい。」と望んでいるかを考えました。
私の大切な友人や隣人たち(未信者、もしくはノブスオルド)は、この考えで生きています。

私たち人類の創造主、贖い主であり永遠に全てを統治されておられる天主を知らず、
知ろうとせず、無視することの恐ろしさを考えました。
私はインマクラータの御あわれみで、インマクラータの道具ですので、自らも罪とその機会を避け、
隣人の回心と救霊のために、全ての御ミサを、祈りを、拙い犠牲をインマクラータにお捧げしようと、改めて強く思いました。

乱文おゆるしください(^_^;)
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御ミサの報告を送りいたします。
遅くなって申し訳ありません。<m(__)m>

7月17日 聖霊降臨後第九主日 には14名の方が、
7月18日 証聖者聖カミロ の朝ミサには 9名の方が御ミサに与る御恵みを頂きました。 デオグラチアス!

御ミサに与って当分は、お説教での教訓や御ミサの中の一文が心に残っていて、出来るだけ天主様の事を考え、天主様のみ旨を感じながら生活できますのに、数日するとその決心が薄れてきてしまう。そしてまた次のミサが来ると心がリセットされる。大阪で御ミサが増えたおかげで以前より、ずっとカトリックの信仰を生活の中に直接に反映出来ているように思います。このお恵みを本当に天主様に感謝し、大きな犠牲のうちに来日をして下さる神父様方に感謝いたします。
日本がマリア様の特別の御保護のもとにある事をひしひしと感じます。

17日のお説教では天主の「第九戒」について黙想いたしました。
隣人の妻を望む事は、隣人の持ち物を望む(第十戒)とは本質的に違う事が良くわかりました。
「何かする事が悪である時、それを望むだけでも悪である」という一節がこの日一番心に残りました。

ミサの後の公教要理で「第十戒」を黙想しました。
十戒の掟が愛の掟であることのまとめになるようなお話でした。
良心の糾明が第十戒 を実践するために良い助けになるという事がとても勉強になりました。

第九戒のお説教のなかで、プロテスタントの十戒では第二戒がカトリックと違っていると聞きました。初めて知りました。

聖グリニョン・ド・モンフォールによる聖母の黙想会へのお誘い

2016年07月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

8月のご予定は、如何でしょうか?
今回、黙想会のお招きを申し上げます。

今年の8月には、聖ピオ十世会日本として初めて、シュテーリン神父様のご指導の下に「聖グリニョン・ド・モンフォールによる聖母黙想会」を行う予定です。

来年2017年のファチマ100周年準備のために、この黙想会はとても大切です。ファチマの聖母の100周年をふさわしく迎えるためにも、黙想会に参加されることを強く推薦します。

特に、世界中から要望を受けているシュテーリン神父様が黙想会を指導して下さるのは特別の機会です。最初で最後の機会かもしれません。何故なら、シュテーリン神父様は世界中から黙想会の指導を頼まれているからです。

来年(2017年)の8月は私たちはファチマとローマに巡礼をする予定ですし、再来年(2018年)は、聖ピオ十世会の総会が開かれる予定で、アジア管区長もそれに参加されるからです。総会でシュテーリン神父様が高い地位に選ばれてると、アジア管区に戻られないこともあり得るからです。

ですから、今年の聖母黙想会に参加されることを、改めて強くお願いいたします。

◆黙想会形式: 聖グリニョン・ド・モンフォールによる聖母の黙想会
◆指導司祭: アジア管区長シュテーリン神父様(日本語通訳 小野田神父)

◆日時: 8月10日夕方現地集合、15日 お昼頃まで。全日程の参加をお願いします。

8月11日(木)【山の日】朝7:00AMのミサから黙想会が始まります。
8月15日(月)午前9時30分から始まる歌ミサと聖体降福式をもって、黙想会が終了します。

◆黙想の場所: ホテルコスモスクエア国際交流センター 大阪市住之江区南港北1-7-50 http://www.kensyu-center.jp/

◆交通:
10日、15日は新大阪駅←→ホテルをバスが送迎してくれます(無料サービス)。
詳しくはアクセスのサイトをご覧下さい。
http://www.kensyu-center.jp/access/

◆宿泊費: シングル ひとり 61,000円
◇ツインをご希望の方々は、55,500円です。もしツインご希望の方がおられる場合はなるべく早く連絡すれば変更できます。ツインをご希望の方々は、その旨ご連絡ください。

◇部屋の数の都合により、必ずしもご希望に添えない場合もあるかもしれません。どうぞご容赦くださいますようお願いします。

◆御ミサは、会議室を仮の聖堂として使います。また、同じ場所で講話を行います。

◆持ち物: 祈祷書、ミサ典書、キリストに倣いて、新約聖書、筆記用具やノート類。個人で使用する衣服など。

◆参加ご希望の方は、メールでご連絡下さい。

◆申し込み締め切り:2016年7月24日までによろしくお願いします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年6月28日、アンゼール(ヴァレー州)における長上会議の決定に際し、総長から聖ピオ十世会全会員への公式発表

2016年07月21日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2016年6月28日、アンゼール(ヴァレー州)における長上会議の決定に際し、
総長から聖ピオ十世会全会員への公式発表


原文はこちら


2016年7月16日


聖ピオ十世会の長上らの会議に従い、ベルナール・フェレー司教は、2016年6月29日にエコンでの司祭叙階式の間に述べた声明に加え、その前日、すなわち2016年6月28日に、声明の中で司祭たちに以下の内容を伝えた。それを本日DICIが独占発表する。



天主の栄光のために、
我らの主イエズス・キリストと、その至聖なるおん母の光栄のために、
私たちの救霊のために。

聖ピオ十世会は、現在の深刻な必要の状態──それは当会に助けを求めてやってくる霊魂たちをに霊的援助を執行する権利と義務とを聖ピオ十世会に与えている──において、同会がカトリックであるが故に当然の権利として持つ教会法的承認を、何にもまして求めているのではない。【現在の深刻な状態の】解決策は単に法的なものでは【足り】ない。解決は、表明することが不可欠な教義的立場に依存する。

聖ピオ十世が近代主義を断罪した時、彼は回勅「パッシェンディ」【の中で近代主義】の全ての義論を、最初の原則に帰結させている。すなわち「自主独立」である。現代世界は、自分がその周りを回る軸を変えようとあらゆる努力を傾けている。カトリック信者にとって、そうでない者たちにとってもそうであるように、十字架はもはや【世界がその周りを回る】その軸ではないことは明らかである。パウロ六世はそのことを巧みに表現した。「人間である」と(1965年12月7日、第二バチカン公会議閉幕の演説を参照)。

パウロ六世によれば、現代世界は決定的に確立されたこの軸のまわりを回っている。つまり、人間の尊厳、人間の良心、人間の自由である。現代人は自分自身のために存在している。人間が宇宙の王である。現代人はキリストを王座から退位させた。現代人は自らの自律した、独立した良心を高揚する。しかも家庭と結婚のまさに基礎を解消させてしまうまでに誇る。

聖ピオ十世会は、政治的社会と教会の両方において、この万物の崩壊の計画に、常に反対してきた。

この全世界的な無秩序を回復させるため、主は一人の男を、キリスト者、司祭、司教である人間を立てた。彼は何をしたのか? 彼は一つの団体、つまり位階秩序的団体──その原理と目的とが叙階の秘跡であり、まさに、この全世界的な無秩序への解毒剤である団体を創立した。聖ピオ十世会の目的は、この危機への現実的解決策であるのみならず、これに協働するすべての人々の救霊であり続ける。聖ピオ十世会は、イエズス・キリストの十字架の上に、その王権の上に、その犠牲の上に、そして、主の司祭職──あらゆる秩序と恩寵の原則──の上に基礎を持つ、教義的、神学的、社会的正しさを維持し続けることを決意している。ルフェーブル大司教は全生涯の間、これらの基礎的真理の凱旋のために戦った。現時点でも、同じ原則のもと、私たちの努力を倍増し、同じ戦いを強く推し進めることは私たちに課された義務である。

私たちは「公会議主義者」ではない。何故なら、彼らはキリストの十字架が世界の軸であることを否定するからである。また、教会の社会的本性を拒絶する反乱者でもない。私たちは、イエズス・キリストの、カトリック教会の、司祭たちの兄弟会である。

今、本当に、教会の一般的復興のための時期だろうか? 天主のみ摂理は、ご自分の教会を──この教会のかしらは、イエズス・キリストの代理者なる教皇である──見捨てることはない。従って、この復興の確実なしるしは、教皇が、司祭職の秩序、信仰の秩序、聖伝の秩序を再び打ち立てる手段を与えるという明確な意志である。このしるしこそが、さらには聖伝の家族(聖伝を守っている修道会や信徒たち)の不可欠な一致の保証となるだろう。


Christus regnat,
Christus imperat,
Deo gratias,
Amen.

キリストは統治し、
キリストは君臨し給う。
天主に感謝し奉る。
アーメン。

+ ベルナール・フェレー

2016年6月28日、アンゼールにて。
使徒聖ペトロと聖パウロの祝日の前日。


Déclaration du Supérieur général à tous les membres de la Fraternité Saint-Pie X à l’issue de la réunion des supérieurs majeurs, à Anzère (Valais), le 28 juin 2016

A l’issue de la réunion des supérieurs de la Fraternité Saint-Pie X, outre le communiqué qu’il a lu le 29 juin 2016, lors des ordinations sacerdotales à Ecône, Mgr Bernard Fellay avait adressé aux prêtres, la veille, une déclaration que DICI publie en exclusivité.

Réunion des supérieurs majeurs de la Fraternité Saint-Pie X (25-28 juin 2016).

Pour la gloire de Dieu,
pour l’honneur de Notre Seigneur Jésus-Christ, et de sa très sainte Mère
pour notre salut.

Dans l’état présent de grave nécessité de l’Eglise, qui lui donne le droit de distribuer les secours spirituels aux âmes qui recourent à elle, la Fraternité Sacerdotale Saint-Pie X ne recherche pas avant tout une reconnaissance canonique à laquelle elle a droit parce qu’elle est catholique. La solution n’est pas simplement juridique. Elle relève d’une position doctrinale qu’il est impératif de manifester.

Lorsque saint Pie X condamne le modernisme, il ramène toute l’argumentation de l’encyclique Pascendi a un principe initial : l’indépendance. Or voici que désormais le monde emploie tous ses efforts pour changer l’axe autour duquel il doit tourner. Et il est évident pour les catholiques, comme pour ceux qui ne le sont pas, que la Croix n’est plus cet axe. Paul VI l’a très bien dit, c’est l’homme (Cf. Discours de clôture du concile Vatican II, 7 décembre 1965).

Aujourd’hui le monde tourne autour de cet axe, selon lui, définitivement établi : la dignité de l’homme, sa conscience et sa liberté. L’homme moderne existe pour lui-même. L’homme est le roi de l’univers. Il a détrôné le Christ. Il exalte sa conscience autonome et indépendante jusqu’à dissoudre même les fondements de la famille et du mariage.

La Fraternité Saint-Pie X s’oppose depuis toujours à cette entreprise de déconstruction de l’univers – tant de la société politique que de l’Eglise.

Pour remédier à ce désordre universel, le Bon Dieu a suscité un homme, un chrétien, un prêtre, un évêque. Qu’a-t-il fait ? Il a fondé une société – société hiérarchique – dont le principe et la fin sont précisément l’antidote au désordre universel : le sacrement de l’Ordre. Le but de la Fraternité Saint-Pie X continue d’être non seulement le remède actuel à la crise, mais aussi par là-même le salut de tous ceux qui y coopèrent. Elle veut absolument garder la rectitude doctrinale, théologale et sociale fondée sur la Croix de Jésus-Christ, sur sa Royauté, sur son sacrifice, son sacerdoce, principe de tout ordre et de toute grâce. Mgr Marcel Lefebvre a combattu toute sa vie pour faire triompher ces vérités fondamentales. Il nous incombe à l’heure présente de redoubler d’efforts, en intensifiant le même combat sur les mêmes principes.

Nous ne sommes ni des conciliaires : ils nient que la Croix du Christ soit l’axe du monde, ni des factieux : ils rejettent la nature sociale de l’Eglise. Nous sommes une société de prêtres de Jésus-Christ, de l’Eglise catholique.

Est-ce vraiment le moment de la restauration générale de l’Eglise ? La Divine Providence n’abandonne pas son Eglise dont le chef est le Pape, vicaire de Jésus-Christ. C’est pourquoi un signe incontestable de cette restauration sera dans la volonté signifiée du Souverain Pontife de donner les moyens de rétablir l’ordre du sacerdoce, de la foi et de la Tradition, – signe qui sera, de surcroît, le garant de la nécessaire unité de la famille de la Tradition.

Christus regnat,
Christus imperat,
Deo gratias,
Amen.

+ Bernard Fellay
Anzère, le 28 juin 2016,
en la vigile des saints Apôtres Pierre et Paul

(Source : FSSPX/MG –DICI du 16/07/16)

聖ピオ十世会総長よりの公式発表

2016年07月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!


総長よりの公式発表


原文はこちら

2016年6月29日


6月25日から28日にかけてスイスで開かれた聖ピオ十世会長上会議の結論にあたって、総長は以下の公式発表を伝えた。

 聖ピオ十世会の主目的は、司祭職養成であり、これは教会の刷新と社会の復興のための本質条件である。

 1. 現在、教会内を支配している重大かつ苦渋に満ちた混乱の中で、カトリック教義を宣言することは、教会の中に入っているいくつかの誤謬を非難することを要求する。悲しむべきことに、これらの誤謬は教皇自身を含む大勢の司牧者たちによって支持されている。

 2. 聖ピオ十世会は、現在の深刻な必要の状態──それは当会に助けを求めてやってくる霊魂たちをに霊的援助を執行する権利と義務とを聖ピオ十世会に与えている──において、同会がカトリックの一事業として、それを有するの権利がある教会法的承認を第一に求めているのではない。聖ピオ十世会は、ただ一つのことを望むのみである。すなわち、唯一の進むべき道を示す二千年の聖伝の光を、天主への礼拝を人間の崇敬に置き換えるこの闇の時代に、教会と社会とにおいて忠実に伝えることである。

 3. 聖パウロにならって、聖ピオ十世が意図した「万事をキリストにおいて復興させる」(エフェゾ1:10)ことは、聖伝への立ち戻りを具体的に支持する教皇の支援なくしては起こり得ない。その幸福な日を待ち望む一方で、聖ピオ十世会は、天主のみ摂理が与え給う手段を使い、我らの主イエズス・キリストの社会的王権を打ち立て、拡大するために、努力を倍増するつもりである。

 4. 聖ピオ十世会は、教皇がカトリック信仰と道徳をその完全性において宣言するための強さを持てるよう、教皇のために祈り、償いを実行する。このようなやり方で、ファチマの出現百周年に近づきつつある私たちが熱心に望むマリアのけがれなき御心の凱旋を、教皇は早めることになるだろう。



聖ピオ十世会総長、ベルナール・フェレー司教
2016年6月29日、エコンにて
聖ペトロと聖パウロの祝日

天主の十戒「第十戒」ー汝、人の持ち物をみだりに望むなかれーこの世に愛着するな、至高の善、いと高き天主、永遠の救いを無視するな。:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

2016年07月19日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

レネー神父様の「天主の十戒」についてのお説教をご紹介いたします。

最終回の第11回目は、第十戒「汝、人の持ち物をみだりに望むなかれ」についてです。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年7月17日 聖霊降臨後の第9主日―大阪 霊的講話「第十戒」


親愛なる兄弟の皆さん、
私たちは最後の掟に到達しました。「隣人の家をむさぼるな。隣人の…しもべ、はしため、牛、ろば、すべて隣人の持ち物をむさぼるな」(脱出[出エジプト]20章17節)。第九戒と同様に、この掟は自分の内的な望みをコントロールし、その望みを、天主へと、天国へと、霊的なものへと向けさせ、貪欲や富への強欲、嫉妬、そしてあらゆる種類のゆがんだ愛情から離れさせるのです。

富への強欲と嫉妬は大罪になり得ます。実際、聖パウロは、それらの大罪を他の大罪と共に挙げ、「彼らはすべての不義、悪心、私通、貪欲、不正に満ち、嫉妬、殺人、争乱、詐欺、狡猾に満ちる」(ローマ1章29節)として、彼の時代の異教徒の腐敗を非難しています。そしてガラツィア人に対して、聖パウロは妬みを、救いから排除される肉のわざの一つとして非難しています。「肉の行いは明白である。すなわち、私通、不潔、猥褻、邪淫、偶像崇拝、魔術、怨恨、争闘、嫉妬、憤怒、喧嘩、争乱、異説、猜忌、殺人、酩酊、遊蕩、そしてそれらに似たことなどである。私は前にもいったように、またあらかじめ注意する。以上のようなことをおこなう人は、天主の国を嗣がない」(ガラツィア5章19-21節)。

私たちの主イエズス・キリストが私たちに教えてくださいます。「『すべての貪欲をよく警戒せよ。どんなに物が豊かでも、その人の命は持ち物が多いことで保証されるのではない』。それからたとえで話された。『ある金持ちがいた。畑が豊かに実ったので、その人は心の中で〈さてどうしよう。作物を納める所がないが…〉と考え、〈ではこうしよう。倉を壊してもっと大きいのを建て、そこに穀物と財産をみな納めよう。そして自分の魂に向かって言おう、“魂よ、おまえはもうこれから長い年月を過ごせる多くの財を蓄えたから、休め、飲め、食べよ、楽しめ”〉と言った。ところが天主はその人に、〈愚かな者よ、お前の魂は今晩呼び戻されるのだ。するとおまえの蓄えた物は誰のものになるのか〉と仰せられた。自分のために財を積んでも、天主のために財を積まぬ者はこの人と同じことである』」(ルカ12章15-21節)。

一見、この男は何も禁じられたことをしなかったように思われます。彼は盗んでいないし、殺してもいない、他の罪も犯していません。彼はだた成功した農民であり、かつ良い事業者にしかすぎなかったのです。では、何が問題なのでしょうか? なぜ、私たちの主は彼のことを「愚かな者よ!」と言われたのでしょうか。その理由は、彼が貪欲で、この世の宝を愛し、永遠の救いを無視したからです。何という教訓でしょうか! いかに多くの人々が、この世のものに究極の目標を置き、至高の善、いと高き天主を完全に無視するほど、この世のものに愛着しているでしょうか。彼らは成功を追求し、成功の上にさらにこの世の成功を追求し、永遠のものをまったく無視するのです。

このような態度の間違いを証明するために、第一に、この世のものは過ぎ去るもの、一時的なものであり、そのため永遠と比べれば無のようなものであることを考えてみましょう。そして、これらこの世のものを好む人々は、それらが過ぎ去るものであることを大変よく知っています。これが、彼らがそれらを失わないために急ぐ理由です。なぜなら、彼らはそれらが過ぎ去りつつあるもので、後になって手に入れることができないかもしれないと知っているからです。彼らは年老いた人々を見て、その人々がもはやこれら過ぎ去るものを楽しむことができないと思い、自分たちも毎日年を取っていっていることを考えません。時が過ぎていくのが分かっていて、そんな過ぎ去るものに愛着を持つのは愚かなことです。なぜなら、私たちは永遠の真理を理解できる霊を持っているのであり(例えば、数学の定理は、その永遠の側面を持っています。定理の真理は時を超えており、過去でも現在でも未来でも常に真理なのです)、そのため私たちの心は時を超えており、過ぎ去るものでは決して満足できないからです。聖アウグスティヌスは言います。「汝はわれらを汝のために造り給うた。われらの霊魂は、汝において憩うまで憩うことなし」(告白1章1節)。また、聖パウロが美しく言います。「私たちは見えるものではなく見えないものに目を向ける。見えるものは限られた時間のものであるが、見えないものは永遠のものである」(コリント後書4章18節)。

第二に、私たちはそのこの世のもの、物質的なものは、多くの人々が同時に所有できないということを考えてみましょう。「共同所有権」があるなら、それは部分的な所有権にすぎず、誰も他人の同意なくしてものを完全に処分することはできません。母親がバナナを持っていてそれを食べると、子どもはバナナを食べることはできません。その母親がバナナを子どもに与えて子どもが食べると、母親はそれを食べることはできません。なぜなら、皆さんが物質的なものを与えると、それを失うからです。従って、物質的なものへの望みが人々を分裂させます。節度を欠いたこの世のものへの望みはしばしば、紛争、妬み、詐欺、あらゆる種類の悪へつながります。聖パウロは警告しています。「富を求める人々は、誘いとわなと、人間を堕落と滅亡に落とし込む愚かな恥ずかしい欲望に陥る。実にすべての悪の根は金への執心である。それを得て信仰から迷い、さまざまの苦しみをもって自分自身を刺し貫いた人々がいる」(ティモテオ前書6章9-10節)。また聖ペトロは、次の人々を非難します。「彼らの目は姦通に満ち、飽くまで罪を犯し続ける。心の定まらぬ霊魂を惑わす彼らの心は、貪欲に慣れた呪いの子である」(ペトロ後書2章14節)。

第三に、富はしばしば、もっと重い罪である傲慢につながります。傲慢はあらゆる種類の悩みにつながり、平和と素朴な喜びを奪うのです。

それは、私たちがこの世での成功を気にかけず、成功への努力をすべきでないという意味でしょうか? 決してそうではありません。怠惰と義務の無視も、キリスト教的道徳に反します。子どもたちはよく勉強し、テストで良い成績を得るよう努力すべきですし、大人たちは自分の仕事に勤勉に励んで会社の目標を達成するために努力すべきです。しかし、これらすべての努力において、彼らの究極の目的がこの世での成功であってはなりません。彼らの努力は、義務感から、奉仕の精神によって行われるべきですが、この世のことへの貪欲や際限のない欲望から行われるべきではありません。実際、私たちは隣人から多くを受けたのですから、社会では隣人のために特定の奉仕で貢献すべきであり、その貢献から私たちは収入を得るに値するのです。しかし、これはすべて、奉仕の精神によって、義務感から行われるのであり、お金が欲しいから、もっとお金が欲しいから、もっと金持ちになりたいから行われるのではありません。聖パウロは、この奉仕と義務の感覚を非常にうまく説明しています。「盗人はもう盗むな。むしろ、貧しい人々に施すために、自分の手で何かよい仕事をして働け」(エフェゾ4章28節)。聖パウロは一生懸命働くよう勧めていますが、その目的は何でしょうか? 金持ちになるためではなく、自分の義務を果たし、他人を助ける立場になるためです!

私たちが「互いにイエズス・キリストの心を心と」(フィリッピ2章5節)するならば、私たちは天のものに渇き、地上のものから離れ、聖心の祝日の聖体拝領後の祈りで唱えるように、「地上のことを軽んじ、天のことを愛する」のです。愛は心の動きです。同時に上と下へ行くことはできません。ですから、私たちが天のものを愛するならば、必ず地上のものから離れなければなりません。

私たちの主ご自身が、次の素晴らしい知恵を教えてくださいます。「自分のためにこの世に宝を積むな。ここではしみと虫が食い、盗人が穴を開けて盗み出す。むしろ自分のために天に宝を積め。そこではしみも虫もつかず、盗人が穴を開けて盗み出すこともない。あなたの宝のあるところには、あなたの心がある」(マテオ6章19-21節)。

地上のものに関しては、主は気にかけたり心配したりするのを避けるよう忠告してくださいます。私たちは義務を果たし、受けたものの賢い管理人でなければなりませんが、しかしそれを気にかけてはなりません。「だから、まず天主の国とその正義を求めよ。そうすれば、それらのものも加えて与えられる。明日のために心配するな。明日は明日が自分で心配する。一日の苦労は一日で足りる」(マテオ6章33-34節)。

私たちは、このような態度において素晴らしい平和を見いだします。「足ることを知る人々にとって敬虔は利益の道である。私たちは何も持たずにこの世に来て、また何も持って去ることができない。食べる物と着る物があれば、それで満足しなければならない。…しかし、天主の人たるあなたはそれらのことを避け、正義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を求めよ」(ティモテオ前書6章6-8,11節)。「強欲なふるまいはするな。持っている物で満足せよ。天主は『私はおまえを見放さず見捨てない』と言われる」(ヘブライ13章5節)。

第九戒のときに説明したように、この第十戒を実践するよい手段は良心の糾明です。私たちは、この世のものをあまりにも気にし過ぎていませんか? 私たちは自分の義務をよく果たしていますか? また、どのような目的のためにそれをしていますか? ドン・マルミオンは美しく教えています。私たちは「天主がお望みになることを、私たちがそれをするにあたっては天主がお望みになる方法で、天主がお望みになるという理由で、行なわなくてはなりません」と。このように、私たちはすべての行動を天主に委ね、この世の強欲を避けるのです。

私たちの心が本当にこの世のものから離れているならば、私たちはそれを失っても平和でいるべきです。この世のものを失ったとき、とても怒ったり苦しんだりする人々がいます。これは、彼らがこの世のものに、あまりにも強い愛着があることを明らかにしているだけです。その反対に、旧約において聖なる人ヨブは、持っているものすべてを一日で失ったとき、家が竜巻で壊れて十人の子どもたちを失ってさえいても、まったく落ち着いていました。ヨブは言いました。「私は母の胎から裸で出た。裸でまた、向こうへ帰ろう。主は与え、また奪われた。主はみ心の通りになされる。主のみ名は祝されよ」(ヨブ1章21節)。ヨブは金持ちで、それも非常に金持ちでしたが、強欲ではありませんでした。それどころか、ヨブは愛に満ちていました。「私は盲人の目となり、不具者の足となり、貧しい者の父とな…った」(ヨブ29章15-16節)。彼の模範が示すように、強欲と闘うよい方法は慈善と善行を行うことです。

教会の危機について、ひとこと記します。驚くべきことに、新しい典礼では、体系的に「この世のものを軽んじること」への言及が削除されており、まったくないのではありませんが、多くの場合なくなっているのです。例えば、先に述べた聖心の祝日の美しい聖体拝領後の祈りにはなくなっています。

キリストのまことの精神はむしろ、この世のものを放棄することに、清貧という福音的勧告を実践することに導きます。「心の貧しい人は幸せである、天の国は彼らのものである」(マテオ5章3節)。「もし完全になりたいなら、持ち物を売りに行き、貧しい人々に施しをせよ。そうすれば天に宝を積む。それから私についてくるがよい」(マテオ19章21節)。これが本当に、第十戒の究極の実践です。天のものをさらに完全に所有するために、この世のものを放棄するのです。

地上で最も素晴らしい宝は、ご聖体にまします私たちの主イエズス・キリストです。これが、私たちの望みの最大の目的であるべきです。主は非常に高価な真珠です。このことについては、私たちの主ご自身が言われました。「天の国は美しい真珠を求める商人のようである。価の高い真珠一個を見つけると、持ち物を全部売りに行き、それを買ってしまう」(マテオ13章45-46節)。

天主の十戒に関する考察の最後に、愛は律法を完成させるということを思い起こしましょう。律法全体は愛の法であり、どのようにして、すべてものを超えて天主を愛し、また自分と同じように隣人を愛するかを説明しています。一つ一つの掟は愛の要求であり、私たちが十戒の掟に従うことができるのは、愛によってなのです。聖パウロは言います。「人を愛する者は律法を果たす。『姦通するな、殺すな、盗むな、偽証するな、むさぼるな』、その他のすべての掟は『隣人を自分と同じように愛せよ』という言葉に要約される。愛は隣人を損なわぬ。したがって、愛は律法の完成である」(ローマ13章8-10節)。愛は、犠牲に至るまで、私たち自身を超えた天主の愛です。愛は、「私たちに与えられた聖霊によって、この心に注がれた」(ローマ5章5節)のです。

これらの掟を守るよう私たちを促してくれる聖人たちの模範があります。とりわけ、特にベツレヘムで清貧の生活を送られた聖ヨゼフと聖母の模範です。しかし何にも増して、模範は私たちの中に生きておられ、私たちがこれらの徳を行い、掟を守るようにさせてくだるイエズスご自身です。「私を遣わされたお方は、私とともにましまし、常にみ旨にかなうことを行う私を、ひとりにしてはおかれぬ」(ヨハネ8章29節)。私たちが常に、主の恩寵に従順であり、主の掟を守り、そうして天国で永遠の至福に到達しますように! アーメン。

天主の十戒「第九戒」ー汝、人の妻を恋うるなかれー私たちが罪と闘わなければならないのは、そのまさに根っこ、心の中においてである。:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

2016年07月18日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

レネー神父様の「天主の十戒」についてのお説教をご紹介いたします。

第10回目は、第九戒「汝、人の妻を恋(こ)うるなかれ」についてです。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年7月17日 聖霊降臨後の第9主日―大阪 お説教「第九戒」


親愛なる兄弟の皆さん、
今回から最後の二つの掟に入ります。「隣人の家をむさぼるな。隣人の妻をのぞむな。そのしもべ、はしため、牛、ろば、すべて隣人の持ち物をむさぼるな」(脱出[出エジプト]20章17節)。ここには一つの掟しかないように思えますが、そうではないことを聖アウグスティヌスと教会の聖伝が非常に見事に説明しています。つまり、隣人の妻を望むということの本質と、隣人の持ち物を望むということの本質が本来異なるものであるため、ここでは二つの別個の義務、二つの別個の掟があるのです。ちょうど第六戒と第七戒が別個であるように。

この十戒についての一連の説教の冒頭で、私たちは、プロテスタントが第二戒として提示しているもの、つまり、「刻んだ像をつくってはならぬ」(脱出20章4節)は、実際には第一戒が禁じているのと全く同じ罪、すなわち偶像崇拝の罪を禁じている、と説明しました。したがって、このプロテスタントの第二戒は、第一戒とは別の掟になるのではありません。まさに次の句が、そのことを分かりやすくしています。「その像の前にひれ伏してはならぬ。それらを礼拝してはならぬ」(脱出20章5節)。ここでは反対に、姦通が盗みと異なるように、色情の罪は貪欲の罪とは異なっていることは明らかです! これらは明らかに二つの異なる義務であるため、二つの異なる掟に対応しています。そこで私たちは、伝統的な掟の番号付けを守るべきであって、プロテスタントの真似をしてはなりません。残念ながら、多くの現代主義のカテキズムは、プロテスタントの番号に従っていますが、これは間違っています。

従って、第九戒は色情の罪を禁じています。「汝、人のつまを恋うるなかれ!」。ここでの原則は非常に単純です。つまり、何かをすることが悪いことである場合、それを望むのも悪いことだということです。天主は私たちに、外的な聖性、つまり悪い行為を外的に行うことを避けることを要求されるだけではありません。内的な聖性、つまり悪いことを行うのを望むことさえも避けることを要求されるのです。私たちの主イエズス・キリストは、聖福音で非常にはっきりと言われます。「知ってのとおり、『姦通するな』と今まで教えられている。だが私は言う、色情をもって女を見れば、その人はもう心の中で姦通している」(マテオ5章27-28節)。

悪い考えは悪い行いに至り、良い考えは良い行いに至ります。私たちの主イエズス・キリストは実際、言われました。「良い人はその心の良い倉から良いものを出し、悪い人は悪い倉から悪いものを出す。口は心にあふれるものを言葉に出すからである」(ルカ6章45節)。私たちが罪と闘わなければならないのは、そのまさに根っこにおいてです。つまり心の中においてです。私たちは、悪い行いを避けるだけでなく、悪い望みや悪い考えも避けなければなりません。「だが口から出るものは、心から出たもので、これが人を汚す。つまり、悪意、殺人、姦淫、私通、窃盗、偽証、冒涜などは心から出る。これらが人を汚す」(マテオ15章18-20節)。

さて、目は霊魂の窓です。悪い考えや望みが来るのは、目を通してです。従って、私たちは、自分の目それ自体をコントロールしなければなりません。それゆえに、私たちの主イエズス・キリストは言われました。「もし目が罪をつくる機会となるなら抜き出して捨てよ。片目で命に入るほうが両目あって火のゲヘナに投げ込まれるよりもよい」(マテオ18章9節)。

聖なる人ヨブは、すでに旧約で、次の美しい言葉を言いました。「私は自分の目と契約を結んだ、どんな娘にも目を留めないと。そうしないと上なる天主からどんな分け前をもらい、高きところの全能者からどんな遺産を受けただろうか。天主は不正な者に滅びを、悪人に災いを下される。天主は私の道を見ず、私の歩みを数えないだろうか」(ヨブ31章1-4節)。行為においてだけでなく、まさに思いそのものにおいて実行される、そのような貞潔の徳が信仰の霊の実であるのは、これらのヨブの言葉からまったく明らかです。ヨブは、「天主は自分の道を見」ておられるということを大変よく知っており、ヨブはその事実、つまりどこであっても天主が現存しておられるという事実を意識して生きているのです。天主は私を見ておられる! 私たちの主イエズス・キリストは、すべての時間、昼も夜も、私を見ておられる。主は、私がしていることだけでなく、私が望んでいること、私が考えていることまでも見ておられるのです。「被造物のうち一つとして天主のみ前に隠れられるものはないのであって、私たちがいつか裁きを受けねばならぬ天主のみ前に、すべては明らかであり開かれている」(ヘブライ4章13節)。「人間は目で見るけれども主は心を見る」(サムエル前16章7節)。

さて、現代の世界では、目の慎みの無さは非常に増大してきており、想像を絶するほどです。街の通りや新聞、雑誌、そしてインターネット空間で、ポルノが公然と、際限なく表示されています。これは罪深いものです! これらは第九戒に反する罪です。慎みの無さが軽い場合は小罪かもしれませんが(それが誘惑する目的で行われる場合を除きます)、ハードコアポルノは疑いなく第九戒に反する大罪であり、第六戒に反する外的な行為がそのあとに続かなくても大罪です。このようなことに関わってはなりません!

「もし目があなたに罪を犯させるなら、それを抜き取れ。片目で天主の国に入るのは、両眼があってゲヘナに投げ込まれるよりもよい。そこではうじは失せず、その火は消えぬ」(マルコ9章47-48節)。私たちの主は「あなたの目を閉じよ」とは言われず、「それを抜き取れ」と言われます。テレビが皆さんをつまずかせるなら、テレビのスイッチを消すのでは十分ではなく、家から完全にテレビを取り除いてください! 私の父は意識して家にテレビを置かないという選択をしました。私はその賢明な決断を天主に感謝しています。父がそうしていなかったら、父は司祭である三人の息子を持つことはなかったでしょう。

このことはテレビに当てはまりますが、インターネットについても当てはまります。今日ではインターネットは多くのことに必要な手段となってきていると異議を唱えることができるかもしれませんが、それならばインターネットを他のことに、不必要なことに使うことは絶対に自制すべきです。インターネットを無駄に閲覧することは避けなければならず、それは、ポルノとはっきり分かるものを避けるだけではありません。インターネットの使用において、自ら本当に禁欲することが必要です。そして、人は堕落したならばしたほど、自制する必要があり、自分の罪を償う必要があり、将来の罪を犯さないようにする必要があります。

聖霊修道会において、ルフェーブル大司教は現代主義の司祭たちの行動を見て苦しまれました。彼らの中には夕食の食卓を離れる者がおり、そのとき大司教が総長としてそこにおられたのにもかかわらず、テレビのある部屋に急いで行き、そのあと終課を行うための御聖堂にいなかったのです。そのため大司教は、聖ピオ十世会を創立したとき、自分たちの住居にテレビを置かないという規則を作り、こう言われました。「私たちのテレビはご聖櫃である!」。私たちは、世の人々がテレビの前で過ごす時間を、ご聖櫃の前で過ごしましょう。主を礼拝し、主とともに時間を過ごすことは、第九戒に反する罪に対する最善の薬です。自分の時間をテレビやインターネットの前で無駄に使うこと、さらには、これら現代のメディアから私たちの霊魂に対する毒を飲むために私たちの限られた時間をさらに悪く使ってしまうことをする代わりに、私たちはご聖体を黙想するという、ずっと良いことをするのです。黙想は超自然の真理を、愛を込めて見つめることです。私たちの主を見つめ、主を愛せば、霊魂が天の喜びで満たされます。アルスの聖なる司祭、聖ヴィアンネーが、ある日、自分の教会でちょうど彼の座席に男性が座っているのを見つけたことを思い出してください。司祭はその男性に尋ねました。「あなたはそこで何をしていますか?」。すると、男性は答えました。「私は主を見ています、主は私を見ておられます!」。これが黙想です!「主を喜びとすれば、主はあなたの望みをかなえられる」(詩篇36章4節)。

親たちは子どもたちを見張る必要があり、親たちの監督下にないまま子どもたちを自由にさせてはなりません。洗礼が原罪そのものを洗い流した後でも残っている情欲の傷は、実際にあるのです。洗礼は、癒やしの過程を開始させたのですが、その癒やしはまだ終了していません。自分の心を癒やすには、十分に見張ること、苦行することが必要です。若いときに親たちから苦行を学ぶ子どもたちは幸いなるかな! このような監督をせずに子どもたちを自由にさせる親たちは、子どもたちに残酷であり、義務を果たしていないのです。

ここで、誰かが言うかもしれません。「しかし神父様、自分の考えをコントロールすることは大変難しいことです」。皆さんは何も考えないということはできませんから、悪しき考えを追い出す唯一の方法は、その悪しき考えを良い考えで置き換えることであり、良い考えの最上のものは、十字架上の私たちの主イエズス・キリストのことを考えることであるのは確かです。誘惑を受けたとき、常にそこに、十字架の下に戻ってください! 鞭で引き裂かれた主の全身を黙想してください。皆さんのために釘付けにされた主の御足、主の御手を黙想してください。皆さんを愛するがために槍で刺し貫かれた主の聖心を黙想してください! 十字架の下の主の聖なる御母を黙想し、主が感じられたこと、聖母が感じられたことなどを考えてください。そうすれば、悪しき考えは、たちまち皆さんの考えの中から出ていくでしょう。まことに私たちの主イエズス・キリストはあらゆる罪のための薬なのです。

皆さんが自分の考えをコントロールしたい場合、読む本をコントロールする必要があります。良い本を読み、聖人伝や、聖人の書いた文章、そして何にも増して聖福音をすべて読んでください。良い考え、聖なる考えで皆さんの心を養うためです。そうすれば、皆さんが悪しき考えを良い考えと入れ替えるのは簡単になるでしょう。しかし、皆さんが心に良い考えがないままにするならば、自然は空虚(真空)を嫌うので、皆さんの心はたちまち悪しき考えで満たされてしまうでしょう。

自分の考えをコントロールすることは、私たちの望みをコントロールすることに結びついています。人間は単なる動物ではありません。人間は理性を持ち、理性で自分の望みを支配しなければなりません。すべての運動は、特定の方向を向いており、すべての活動は、特定の目標を持っています。目標を知って意識してその目標を望むということは、理性に属しています。私たちの心が、私たちの情熱をコントロールする代わりに、その情熱のコントロールを放棄し、これらの情熱によって動かされるという事実そのものが、間違っています。ですから私たちは、私たちの行動の方向を常に知っておく必要があります。私たちが追求している目標は何でしょうか? 私たちは天主に近づいているのでしょうか、それとも、私たちは被造物やコントロール不能な快楽に引きつけられ、自分を堕落させているのでしょうか?

聖イグナチオが勧めたように、良心の糾明を行うことは、罪を避けるために、特に第九戒および第十戒に反する罪を避けるために、非常に有益です。毎朝、聖性への道を進もうとする決心、天主に近づこうとする決心、私たちの主イエズス・キリストに私たちをさらに統治していただくために近づこうとする決心を新たにし、そして、その目的に到達できるよう主の御助けを願うのです。また毎晩、自分の行動を振り返って、自分の行動がこの正しい道から外れているかどうかを確認し、その日の過ちの赦しを願います。そのような過ちはうまくすれば少しだけであればよいのですが、それが更に少なくなっていくことを確認します。そしてこの過ちを犯した機会を調べて、今後その機会を避けるようにします。そして、私たちの主イエズス・キリストの恩寵によって、翌日はさらに良くしていこうという決心を立てるのです

もう一つの良い実践は、短い「射祷」の実践です。これは、私たちの心からイエズスの聖心へ射かけられる小さな矢のようなもので、助けを呼び求め、天主への私たちの愛と望みを表現し、赦しまたは多くの他の恩寵を願うか、あるいは、天主の愛に満ちたご配慮の下で、天主の現存において生きているのが幸せであると愛する天主にただ話すのです。このような愛の矢、「聖なる呼祷」は、私たちの心に良きかつ聖なる考えを持ち続けるよう、そして私たちの心を危険な考えや望みから守るよう、大いに助けてくれます。心は、自然に私たちが愛するものについて考えるものです。私たちが「すべての心、すべての知恵、すべての霊、すべての力をあげて」(マルコ12章33節)まことに天主を愛するならば、そのような考えを持つことがほとんど自然になります。聖トマス・アクィナスは、望む対象物を心に置くことによって愛情や望みが生じる、と教えています。ですから、私たちが心に聖なる考えを持ち続ければ、私たちの心は聖なる望みを持ち続けられるのです。

この第九戒に完全に従う最も美しい模範は、童貞聖マリアです。ずば抜けて優れた罪のないお方であり、貞潔に反する小罪さえも、その他のあらゆる徳に反する小罪さえも決して犯さなかったお方です。そして天主は、そのような無垢を愛されるのです! 天主は、その無垢の源でいらっしゃるのです。十字架の上の私たちの主イエズス・キリストは、全身全霊で主に立ち返るマリア・マグダレナのように痛悔する者を愛されます。しかし主が、主から決して離れようとはなさらなかった童貞母をそれ以上に愛されたのは疑いありません。

童貞聖マリアの御取り次ぎを願いましょう。私たちが、天主の愛のため、霊魂の永遠の救いのために、第九戒とすべての掟を常によりよく守ることができますように! アーメン。

2016年7月8日から11日までの聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2016年07月13日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

7月8日、9日と大阪で、10日には東京で聖伝のミサを捧げることができました。

大阪の聖堂は、行く度に美しくなっており、常設の聖堂はやっぱりすばらしいとつくづく思います。

東京では、36名の方々が聖伝のミサに与りました。夏休みのご旅行の方々や、体調が優れずにミサ聖祭に与れなかった方々、ウッカリしておられた方、その他の用事の方々がおられたようです。

ミサ聖祭といつもの公教要理の後に、マーチフォーライフに参加しました。私たちの参加者は全員で11名でした。もっとカトリックの参加者の方々が多いと想像していたのですが、私たち以外はほとんどいらっしゃらないようで驚きました。しかし参加してとても良かったと思います。私たちは、ロザリオを一方の手にとって、もう片方にうちわを持って、ロザリオの祈りを唱えながら、お祈りをしながら歩きました。一緒に歩いて下さった愛する兄弟姉妹の皆様の方々に感謝します。

本来なら、カトリック教会こそが、罪なく排除されようとしている赤ちゃんたちを守るために、つまりお母さんのお腹の中にいる胎児の命をまもるために、積極的にならなくてはなりません。

「戦争放棄」をしたはずの日本国憲法(1946年11月3日 公布、1947年5月3日 施行)のもとで、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下のもとで世界で先駆けて中絶法を成立させ(1948年7月13日火曜日)てしまい、罪なき赤ちゃんに対して虐殺を開始して、数千万の幼い日本国民の命が犠牲になりました。日本国だけで犠牲となった胎児たちは、第二次世界大戦のアジア・太平洋地域の犠牲者を遙かに超えています。

日本の中でとくに深刻な問題は、平和に安らかに眠っている赤ちゃんたちが、今なお、大人の都合と身勝手を押しつけられているばかりか、天主の掟と、天主から与えられている赤ちゃんの命の大切さとをまったく無視して、無関心の内に虐殺が進められているということです。ここに表れている肉欲優先・天主無視の姿勢こそが、平和を築こうとする努力とは決して相容れないものです。

日本のカトリック教会は、何よりもさきに、無辜の胎児に対する戦争とテロを止めるように祈り、世界に先駆けて働きかけなければならないのです。

カトリック教会(旧教)の教えによれば、罪なき人を故意に殺害することは、天に復讐を呼び求める罪です。人道に反する罪です。罪のない幼き市民に対してなされる暴力を押さえ込むために、これを禁止させる制裁が必要です。犠牲と祈りのこころが必要です。さもなければ日本は破滅に向かうだけです。自分の子供を大人の都合で虐殺する国に、天主からの祝福はないからです。

私たちには、憲法九条よりも、更に「天主旧教」のほうが、旧教を守るほうが遙かに大切だと考えます。何故なら、憲法九条は罪のない日本国民の胎児を守るのに役に立っていないからです。旧教を守ることが、本当の平和を私たちにもたらすからです。

何故なら、私たちは、唯一の真の天主イエズス・キリストを礼拝し、愛し、賛美することによってのみ、真の平和がやってくるからです。何故なら、イエズス・キリストこそが平和の君(Priceps Pacis)であり、真の平和とは天主の秩序における安寧であり罪こそが真の平和を乱す最悪ものもであるからです。何故ならイエズス・キリストへの従順の内にこそ、罪を避ける聖寵を見出すことが出来るようになるからです。だから、ファチマの聖母マリア様も、聖母の汚れなき御心への信心によって平和を求めるように要求しました。

そのためにこそ、真の平和を希求する私たちは、聖伝のミサ(旧典礼)を大切にし、それによってカトリックの教え(旧教)を守らなければなければなりません。何故なら、「罪と悪魔と悪魔の業とその栄華を放棄し、唯一の真の天主様を礼拝する」という内容のカトリックの聖伝のミサ(旧典礼)には、トリエント公会議をはじめとする、異端を防ごうというカトリック教会の信仰と思いが詰まっているからです。

カトリック教会で昔から言い習わされてきており、ベネディクト十六世教皇様も確認した通り「祈りの法は信仰の法」であり、典礼を変えることは、信仰を変えることに繋がってしまうからです。新しい信仰、新しい宗教へと繋がってしまうからです。

私たちは旧典礼を守ることによって、使徒継承の旧教を守らなければなりません。旧教を変えるというのは絶対あってはならないことです。

主が家を建てて下さらなければ、家を建てる人の労働も虚しい。
主が町を守って下さらなければ、番人の警備も虚しい。

願わくは、我が愛する祖国日本において、赤ちゃんたちの命が守られますように!願わくは、ヘロデのような態度が日本からなくなりますように!

願わくは、日本中の全ての司教様たちが、世界中に向けてこう宣言して下さいますように!

「世界の本当の平和を築くためには、主が平和を下さるようにしなければなりません。私たちの主イエズス・キリストが私たちに与える平和は、この世が私たちに与える平和とは全く異なるからです。私たちの主イエズス・キリストをこそ、日本にとって本当の友人、真の友人として作るべきなのです。」

「聖伝のミサの改変よりも、むしろ世界の国々がこのミサ聖祭の精神、十字架の犠牲の精神、カトリック信仰を噛みしめるように祈り行動しなければならない。旧典礼は世界の宝」と。

400年前の長崎の殉教者たちと声を合わせます。「至聖なる御聖体の秘蹟は、讃美せられさせ給え!」LOVVADO SEIA O SÃTISSIMO SACRAMENTO!Louvado seja o Santíssimo Sacramento!Benedictum sit Sanctissimum Sacramentum!

願わくは、全世界において、御聖体の内に真にましまし給う私たちの主イエズス・キリストが礼拝され、賛美され、愛され、慕われ、敬われますように!!


さて、ユスト高山右近の列福式の日程が決定されました。ユスト高山右近は、聖伝のミサに与って霊操をしていました。聖伝のミサしか知りませんでした。旧教をまもった武士でした。

列福式は以下のように行われます。

日時: 2017年2月7日(火)正午より
場所: 大阪城ホール(大阪市中央区)
教皇代理: 列聖省長官 アンジェロ・アマート枢機卿

●動画「ユスト高山右近を讃う」歌【河合まり子 作詞・鈴木和之作曲】 みはたかき しろにありとも

2007年7月1日に行われた高山右近像祝別式(小豆島新聞より)

ユスト高山右近 マニラにおける帰天400周年(通説2015年2月5日) 本当は、2015年2月3日

では、聖伝のミサのご報告を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミサの報告をお送りいたします。

7月8日(金)ポルトガルの寡婦聖エリザベト の御ミサには14名が、
7月9日(土)聖母の土曜日 の御ミサには15人が、御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

8日金曜日のミサのお説教では、日本とゆかりの深いポルトガルの女王エリザベトの一生をお聞きしました。
ミサを何より愛した聖女に倣って、善き僕の一人が悪い僕のわなから救われた話はどても興味深かったです。
自分も、御ミサを愛し、これからも出来るだけ沢山の御ミサに与りたいし、日本中で 聖伝のミサがあげられて、多くの人が御ミサの御恵みを受けられる日が来るよう、聖女のお取次ぎをお願いたしました。

9日土曜日のミサのお説教ではファチマのメッセージの核心について黙想しました。
「マリア様の汚れなき御心への信心をする人を天主様の玉座を飾る花として、マリア様が御自ら花を置いて下さり、その花を天主様はとても大事に思ってくださる」という話をお聞きして、うれしくてたまりませんでした。
ファチマ100周年の準備としてのロザリオと小さい犠牲の十字軍も、俄然やる気がでました!!がんばります!

9日御ミサの後の公教要理では「愛徳」について勉強しました。
神学的な勉強は、聞いているときはなるほどと わかった気になっていますが、帰ってきてもう一度話をしてみるとなかなかうまくいきません。まだ理解が足りないのですね。
今日わかった事は、「愛徳は天主様との特殊な友情関係」である事、天主様との友情はひとつ(超自然の至福を分かち合う事)だけである事でした。

愛徳を勉強する前に「徳」の概念について触れましたが、『可能性と実現の間にある良いことをする状態が徳である。』というところがよく理解出来ませんでした(/_;)
「可能性」→「実現」の間に「徳」が位置していることがピンときませんでした。質問する間もなく悶々としていました。すみません・・・・。


【お返事】
「徳」virtus というのは、何か良いことをするための習慣 habitus です。
良いことをする agere bonum ため、ということは、「その良いことをすることができる」ということから、「良いことを為した」ということへと移ること(運動)です。
「そうする能力がある、それをすることができる」から、「それを為した、やった、実現した」へとの動きがあるからです。
「能力がある、できる、可能である」ということは、ラテン語では potentia と言います。
「為した、行為した、やった、実現した」ということは、ラテン語では actus と言います。
そこで、
「可能性 potentia」→「実現 actus」
という運動、動きがあることが分かります。
ここまでは、わかりやすいですね。

ところで、「徳」というのは単なる純粋な「可能性」potentia ではなく、「より簡単に、よりうまくできる状態で、より上手に行為する習慣がついている」ことです。
かといって、「徳」というのは、いつも行為しているという状態ではありません。うまくできる状態ですが、まだ「為してしまった」actus わけではありません。

例えば、人間は、目と耳と十本の指とがある限り、ピアノをうまく弾くということがあり得ます、その可能性があります。
練習をすればするほど、ピアノをうまく弾けるような状態を作り上げ、ピアノをうまく弾く習慣をつけることができます。良いピアニストになります。
だからといって、良いピアニストは、いつも現実にピアノを弾いているわけではありません。ピアノを現実に弾いていなくても、ピアノをうまく弾くことができる習慣をつけている人は、ピアニストと呼ばれます。

そこで、言ってみると、「可能性」→「実現」の間に「徳」が位置していると考えられるのではないでしょうか?
どう思いますか?


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

マーチフォーライフはたくさんの方がいらっしゃったのでしょうか?
私ももし大阪近くであったら是非とも参加したいと思います!!
暑い中、小野田神父様は喉もかすれて大変お疲れだったと思うのですが、マリア様が小野田神父様のこの犠牲を、東京の信者の方の犠牲を、日本の隠されたテロの償いと改善に報いて下さることと思いますm(_ _)m
マーチフォーライフの写真を少しネットで拝見させて頂いたのですが、小野田神父様のお父様がちょっと写ってらっしゃいました!(^^)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
トマス小野田神父様


小野田神父様、こんにちは!
無事にマニラに戻られましたでしょうか。
私は国内を車で移動をして御ミサに与りに参りますが、
小野田神父様をはじめSSPXの神父様方は国内に留まらず国外まで銀の翼で
飛び回っていらして、本当に大変だと思います。それも一重に私たちの霊魂の為であることに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


御ミサのレポートをお送りいたします。
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○今回の御ミサでこれだ!と分かった点
聖福音の例の家令は、ファティマのマリア様である。
そのファティマのマリア様の御心のお約束は、私たちの永遠の助かりを保証する、永遠の住所に迎えてくれるのみならず、「天主様にとって価値のある貴重な霊魂」、「聖徳のいちばん高いところまであげられる」
というすばらしい尊いお約束であるということ。

○今回でもよく分からなかった点
この日の聖福音の解釈を、以前何かの解説書で読んだ際に
(何に書かれていたのか失念してしまったのですが・・・、もしくはどちらかの神父様がお話して下さったのかもしれません)
家令は自分自身、主人の負債者は隣人、友人は天国に先に行った霊魂たちであり
自分が死を迎える時に、主人の負債者達つまり今は天国に行った友人の霊魂たちが
助けて、天主様に霊魂の助けを願ってくれる、とあり
ずっとこのように理解していたのですが、この解釈は正しいのでしょうか。

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マーチ・フォー・ライフにも参加ができたことを、案内を下さった兄弟の方、
またお声がけしてくださった神父様、そして天主様に感謝いたします。
しかも、ロザリオを祈りながら参加ができたことはとても素晴らしいお恵みでした。
ロザリオのお祈りを唱えつつ、同じ参加者の方々や沿道からマーチを見ていた方々、
そのようなカトリックのお祈りを全く、もしくはほとんど知らない方々の耳にも
使徒信経やイエズス様やマリア様のお名前が少しでも耳に届けられたならば良かったと思いました。

マーチに参加した方々が「何故、中絶がいけないのか」というこの活動の根本的な問題に対してどのような考えをもっていらっしゃるのか、私たちカトリック信者がもつ答えとは隔たっているのでは、という印象を受けました。(実際にお話ししておりませんので分かりませんが)
より多くの方々が、カトリック教会の教えを知り、人間中心の考えから
「天主様のもつ生命に関する権利を人間の権利として好き勝手に扱うことはできない=中絶はできない」
という真理に導かれますようお祈りいたします。

8月15日からはじまるロザリオ十字軍によりよく参加できますよう、マリア様の汚れなき御心によりすがりお祈りいたします。
日本からもっと多くの召命がありますよう、お祈りいたします。

デオグラチアス!

【お返事】

福音書のたとえは、その以前の通りのご理解で正しい理解です。
「家令は自分自身、主人の負債者は隣人、友人は天国に先に行った霊魂たちであり
自分が死を迎える時に、主人の負債者達つまり今は天国に行った友人の霊魂たちが
助けて、天主様に霊魂の助けを願ってくれる」です。

今回のミサ聖祭での黙想は、次の点を考察しました。
1)私たちは、天主に債務がある。【書簡】
2)私たちは、臨終の時、天主に、天主から受けたことについて報告する監査報告の義務(責務)がある。【福音】
3)天主への厳しい監査報告の時に、「憐れみ」を乞い求めることができれば良いが、すでに憐れみを乱用し、馬鹿にし、侮辱してきた人々にとって、それはできずに地獄に落ちてしまう。【ファチマ1917年7月13日】
4)しかし監査報告をパスする特別のやり方がある。それをすると、単にぎりぎりで受かる(救霊が約束される)のみならず、天主にとって大切なものとなり、高い聖徳まで導かれる。それが、聖母の汚れなき御心への信心である。債務を負けてくれるようで、福音書の僕に似ているけれどごまかしではない。天主の望みである。【ファチマ1917年6月13日】

長崎巡礼-霊的講話-2016年5月2日シュテーリン神父様「聖マキシミリアノ・コルベの生涯【後半】」

2016年07月09日 | お説教・霊的講話
2016年5月2日 長崎巡礼 シュテーリン神父様霊的講話【その3の続き】
同時通訳:小野田圭志神父


【長崎大浦天主堂の元神学校前にて】
では1930年に何でマキシミリアのコルベ神父様はここにいらっしゃったのでしょうか?何故かというと、地方の教区長の許しなく宣教師が入る事ができなかったからです、「中国に宣教師として行く」という許可を、口頭の許可はもらったのですけれども、しかし実際に行ってみると、コルベ神父様は入国を拒否されました。ところで、「長崎の司教様が、神学校の教授を必要としている」という事を聞いて、コルベ神父様は使徒職をする為にここにやって来ました。神父様と一緒に来たのは4名の修道士たちでした。その当時この5人のポーランドのフランシスコ会の人たちは、日本語を一言も知りませんでした。ポケットの中に1銭もありませんでした。

今からこの中に入ろうとするこの神学校で、コルベ神父様たちは日中の間、多くの授業を教えました。それからこの丘の下に麓にある小さな家の部屋に、お部屋を借りてそこに下宿していました。

では、コルベ神父様のご生活とその修道士たちの生活はどうだったのでしょうか?神学生にはラテン語で授業をしました。ブラザーたちは家で、第1号、創刊号を準備して、無原罪の聖母の騎士の出版の為に働いていました。コルベ神父様は無原罪の聖母の騎士の原稿をラテン語で書いたのですけれども、ラテン語から日本語に翻訳して下さる方を見つけて、到着1ヶ月後には、すでに『無原罪の聖母の騎士の創刊号』を出版する事になりました。ところでこの翻訳、ラテン語から日本語に翻訳したのは、コルベ神父様の大ファンで、コルベ神父様の仕事のお手伝いをした人ですけれども、実はメソジストのプロテスタントの牧師さんだったのです。

ところでこの当時の一緒にいた人たちは、外国人たちに対してあまり熱心にこう「協力しよう」という感じではありませんでした。しかしマリア様が日本の方々の心を開いて、コルベ神父様の無原罪の聖母の騎士のニュースレターを受け入れる事が出来るように準備して下さいました。何故かというと、カトリックではなかったり、異教徒だったり、プロテスタントだったりするのですけれども、でもこの「マリア様についての話を読んでみたい。」という気持ちを起こさせて下さったのです。

マキシミリアノ・コルベ神父様の最初の数年の生活について、具体的にはこの神父様の下宿の部屋の所でお話ししたいと思いますけれども、でもこの神学校は、フランス人のパリ外国宣教会の神父様たちが「どうやって日本の方にカトリックの教えを伝えようか」とやって建てた神学校であって、どのように働いたのかとても面白い点があります。

ここに、250年間隠れて信仰を守っていた、隠れキリシタンたちをカトリック信者たちを発見したその場所、ここがその場所であって、ここに神学校を建てて、ここから宣教の本拠地とした、フランス人のパリ外国宣教会の神父様たちの、ものすごい大活躍の中心地であります。

今からこの神学校に入って、もう今では博物館になって記念館になっていますけれども、どうやってフランス人の神父様たちが、「日本の方々に、イエズス様の教えを教えよう、伝えよう」としたのか、その素晴らしい業をご覧になって下さい。この中の展示の時の説明文も出来る限りよくお読みになって理解して下さい。これからこの後に、コルベ神父様が泊まった下宿の家にも行きます。それからそこでまた詳しくお話しいたします。どうもご清聴ありがとうございます。


【コルベ神父様の下宿の家(聖コルベ館)にて (大浦天主堂へ登る坂道の途中にある)】
この写真の多くはポーランドのニエポカラヌフからのものです。この無原罪の園、聖マキシミリアノ・コルベの列聖式の写真です。ここでの写真の中で一番特徴的なのはこの2つです。ここの左側に写真の中にあるのは、今見た大浦天主堂です。その天主堂の隣の神学校もあります。この写真に写っている下の方にある家がこの家で、ちょうどここに来た時に住まいとして下宿しました。

1年と数ヶ月ここに居たのですけれども、でもその当時居た家はなくなってしまって、このこれの柱だけが残っています。このこれはですね暖炉で、ここで火を起こしたのですけれども、この一部だけ暖炉の一部だけがこのレンガでできていて、その他は木造でした。ここでコルベ神父様が何をやったかっていうのが面白い興味のものです。

まず最初にやった事は、ここに小さなチャペルを作る事でした。規則正しい祈りの生活を始めました。でもミサは、この上の教会の聖母の祭壇でミサを捧げました。午前中ミサの後には、神学校で授業があって授業を教えていたのですけれども、その間ブラザーたちがここに残って、マリア様のお仕事をしていました。授業が終わって自由時間になると、その自由時間の全てを使って使徒職に使っていました。

ここでの生活は非常に困難でした。家は本当に貧しくて、住むに耐えないものでした。ここにある暖炉は全く価値がなくて、ここで火を焚いても、熱は全て外に逃げてしまっていて、部屋は全然暖まりませんでした。夏は、長崎の夏は非常に暑くて、冬はそれほど氷点下それほどのものではないのですけれども、湿度の高い寒さで、乾燥した寒さよりも身に染みるものでした。

ブラザーたちが生活したのは、まずコルベ神父様が神学校の教授として受けるお礼としての月謝、謝礼は、まだ神父様が食べていくのにだけに充分なものでした。ブラザーたちの食事とか他の全ての生活費に必要なものは、ポーランドのニエポカラヌフから来ました。この家からポーランドに書く手紙にはいつも必ず、「あの、すいませんお金がまだ届いていません」「あの、お金はいつ送りましたか?」「あの、私たちの事を忘れてしまったのでしょうか?」「お金はまだでしょうか?」「お金が届いていません」という事でした。そこで神父様たちは本当に貧しくてお金がなくて、時には食べる物がありませんでした。

そこでここで、長崎で一番安い食べ物がお米でした。そこで、朝お米、昼お米、夜お米、ごはん、ごはん、ごはんだけを食べていました。時々信徒の方が卵を贈り物として贈ると、それは大祝日のごちそうでした。

皆さん覚えていますか?コルベ神父様はポーランドの時から既に結核を患っていました。ですから結核の為に機能していたのは、たった1つの肺のうちの3分の1でした。そこでこの家での貧しさと貧困と、寒さと、飢餓の為に、この結核が非常に進行してしまって、顔さえも顔つきさえも変わってしまいました。顔にもシワが、苦悩のシワが入るようになりました。この家の家主は、かなり高価な金額をこの神父様たちに要求しました。

しかしこの家で、最初の『無原罪の聖母の騎士の創刊号』が出されました。この無原罪の聖母の騎士の雑誌が、コルベ神父様の事とそのインマクラータの事業について多くの人に知れ渡る事になりました。

でもこの神父様にとってこの周りの環境は良くないもので、何故かというと、近くに港があって、多くの人はその港の船人を扱って商売をしていたので、その「お金、お金、お金」神父様はそのお金で騙されたり、という事があって、あまりここに住むのが好きではありませんでした。

第2の問題は、ここに神父様が「来るように」と仰った司教様でした。ところでこの司教様がこの神父様をこう招待したのですけれども、その身分証明書としてローマからの、ローマ布教聖省からのそういう身分証明書みたいな物を発行されなければなりませんでした、フランシスコ会の司祭として。しかしローマの布教聖省はあまりその事に注意を払いませんでした。そこでその手紙が到着しませんでした。ところで手紙が到着するのは2、3ヶ月後の事です。

そこでコルベ神父様がやって来た時に、その内のここの長崎の神父様の1人が、その名前は今ちょっと忘れてしまったのですけれども、コルベ神父様がその紙を持ってない、証明書を持っていないので、「これは偽物の司祭だ。これはローマからのこの証明書がない。このローマから公認を受けて来ていない。」という事で、告発しました。「きっとこの5人のフランシスコ会士は、ここで日本に来て面白おかしい生活をしたかったのだろう。」と言いました。その時に司教様は、電話も無ければEメールもFAXも無かったので、ローマに確認を取る事ができませんでした。

そこで司教様は、ここのコルベ神父様の所に行って、「非常にすまないけれども、もう日本に居る事はできない。」と言わなければならなくて、コルベ神父様は、「日本からいつ追い出されるんじゃないか」と恐れていました。そこでポーランドから来たその荷物はそのままま、まだカバンの中に入れたまま、それも紐解く事もせずに、「いつここから追い出されるか」その手紙を待って、待って、待っていました。

これは、これと同じような事がポーランドのインマクラータの都市ニエポカラヌフでも起こりました。コルベ神父様と一緒に働いた修道士のブラザーの1人は、とてもこの事で有名です。このコルベ神父様はこの彼を選んだのですけれども、それはそのポーランドで一番頑固で、言う事を聞かない修道士だったのです。この頑固でちょっと言う事を聞かないブラザーは「ゼノ」というのですけれども、このゼノ修道士は、いつもポーランドでは皆共同の物、持ち物は共通で共同の物を使っています。コルベ神父様だけが自分の固有の服を持っていて、他の修道士たちは皆同じ物を使っていました。ところで講義の為の授業の準備をして、レッスンプランをこう立ててて、「これをこうやって、こうやって、こうやって、これを教えて、こうやって」この講義の原稿を書いていたのです。ところがその原稿が無くなってしまいました。「ど、どこにやったんだ!?」

ポーランドで、もしも靴が汚れたりこの濡れたりしたら、どうするか知っていますか?濡れた靴の中に紙を詰めて、紙がこの水を吸収して、靴を乾かします。一生懸命考えて、ラテン語でこう授業の準備をしたこの講義の原稿が、その靴を乾かす為に使われて、ゼノ修道士がこう一生懸命靴の中に入れて、それに使われていました。

コルベ神父様が日本で一緒に来る時にこう選んだのは、このゼノ修道士のように、このエリートではなくて、ゼノ修道士のようにちょっと性格が厳しいとか、ちょっと中々物分かりの良くないような人たちを選んで来ました。

まずゼノ修道士がどうやって修道士になるか、とそのきっかけについて話します。「どの修道会が良いかなぁ?」と色々な写真を見ていました。そうするとコルベ神父様の修道士たちは、ピカピカに光っている靴を履いていました。そこでゼノ修道士は、「コルベ神父様、私はこの修道会に入りたいのです。何故かというと、こういう靴を履きたいから。」しかしこのゼノ修道士はこの長崎に来て、非常に荒々しく野蛮だったのが、聖人に変わりました。

考えて下さい。コルベ神父様は、食べ物とか住む所とか色々な、このローマからの手紙とか証明書とか、色々な問題、講義の授業とか色々な授業の準備とか、色々なこう心配とか仕事の中で、同じ自分の連れて来たブラザーも問題を起こすブラザーだったのです。

何故この4人をこの難しい4人を選んで、他の4人を連れてこなかったのでしょうか?何故かというと、「この4人ならば、どんなに難しいミッションにも耐え忍ぶだろう。」と分かったからです。確かに神父様の考えた通りに、ゼノ修道士はコルベ神父様の右腕となって、コルベ神父様が無原罪の園を発った後もそれを、コルベ神父様の仕事を続ける人となりました。コルベ神父様がやったのは、「自分が好きだから」とか、「自分の思い」というよりは、「マリア様が確かにこの人を、これだ、マリア様の御旨だから」という事だけをしました。この無原罪の園でコルベ神父様が日本に居る時には、必ずゼノ修道士がそのすぐ横にいます。

何故ここに居た所の1年居て後に、無原罪の園に行く事になるかというと、ある夜、ある雪の降り積もる冬、屋根が落ちて、寝ているブラザーたちの頭に雪が降って、屋根が無くなったのに気づいて、「ブラザー、そろそろ私たちもここを出なければならない。」と理解したのです。

実は他の代わりになる場所を色々探したのですけれども、お金が無かったので行く事ができませんでした。でももしも私の記憶が正しければ、ゼノ修道士が、この今から行く無原罪の園の場所を発見しました。

でも、その当時長崎で最も立地条件の悪い、考えられない所でした。まず使徒職で一番大切な、郵便局から最も遠い所でした。またコルベ神父様が教えなければならない神学校から最も遠い所でした。それは坂の山の上の傾斜に建っています。ゼノ修道士がこれを見せると、「ブラザー、一体ここにどうやって家を建てるのですか?」

何故そこが選ばれたかというと、それはコルベ神父様でも買う事ができるほど安かったかというと、それは昔動物の埋葬所だったのです、お墓だったのです。人々は、「ここには祟りがあるのじゃないか」とか、何か「亡霊がいる」だとか「幽霊が出る」という事で恐れて、誰も買おうとしませんでした。もしもそこに誰か家を建てたら、ちょっと頭がおかしいとしか考えられませんでした。

そこでところがそんな反対を色々、反対意見を色々受けた中で、コルベ神父様は、「私はここに引っ越す。」と決めました。1945年8月9日になるまで、そこの意味が分かりませんでした。ブラザーたちでさえも、「何でコルベ神父様はこんなに遠い山奥に、何でこんな遠い所に修道院を建てたのか」分かりませんでした。ところで原爆が長崎に炸裂した時に、無原罪の園だけは、長崎の中で傷を受けなかった所でした。ですからインマクラータにニエポカラーナに信頼しなければなりません。ではここでロザリオを一連唱えます。

【聖コルベ記念館(長崎市本河内)にて その1】
コルベ神父様の原則はいつもこうでした、「天主様、イエズス様と、インマクラータ無原罪のマリア様の為なら最高のものを。私たち自分たちの為には、受ける為に必要最低限のものを。」という事で、ブラザーたちには本当に貧しく、しかしマリア様の宣教の為ならば最高の最新の物を惜しみなく使っていました。

コルベ神父様の使っていたお部屋がここに復元されています。この大きな修道院の修道院長、何万部もの雑誌を発行する編集委員長のこの部屋が、こういう小さな所でした。この部屋の壁や床には、コルベ神父様の汗が染み渡っています。このコルベ神父様が日本を離れて、ポーランドのニエポカラヌフに行ってそのお部屋も全く同じ構造です。机があって、それから机の上に無原罪の聖母の御像があります。それからいつもあったのが、イエズス様の聖心の御影でした。それから幼きイエズスの聖テレジアの御影もよくありました。それはコルベ神父様の話によると、「天国における、天における私のお友達。」と言っていました。

この当時どんな様子だったのか、というのは写真があるので中にあるのでご覧下さい。机の横、机の下、机の上、それからベッドの下、ベッドの横、みんな紙切れが付いていました。雑誌の記事を書いたり、講話の原案を作ったり、或いは授業の準備をしたりしていました。それから多くの手紙を書きました。私の机の上の散らかっている様子を考えて、それからコルベ神父様の机の上を見ると、あまり恥ずかしくなる必要はないなと思いました(*^_^*)笑。

こちらの壁には、コルベ神父様の若い時からゲシュタポに捕まってしまう時までの写真があります。右から4番目の写真は日本での写真ですけれども、日本でどれほど苦悩に満ちていたかというのが見てとれます。こちらにはゼノ修道士の話があります。これがコルベ神父様が使った最初の印刷機です。ところで幼きイエズスの聖テレジアの写真もここにあります。ヨハネパウロ2世の写真もありますけれども、それはもちろん彼がヨハネパウロ2世が(コルベ神父様を)列聖したからです。それから日本人で有名な女性の写真もあります、北原怜子。

ここでコルベ神父様が、マリア様の為に汗と血を流して、この場所を聖化したという事を考えながら、どうぞ見学なさって下さい。


【聖コルベ記念館にて その2】
(ポーランドの無原罪の聖母の騎士創刊号の解説)…そこの下にある蛇を貫き刺しています。この剣のこの下には、蛇のみならず本も刺し貫かれて、本には「異端」と書かれています。これはどういう事かというと、「マリア様は『聖母の騎士』という道具を使って、蛇とつまり悪魔と、それからその悪魔がその表現する異端を打ち砕く」という意味です。これはエキュメニズムではありません。コルベ神父様はこう言います、「マリア様は異端を、偽りの宗教を憎む。しかし偽りの宗教に騙されている人たちを愛して、その彼らがその暗闇から本当の宗教に回心する事を望んでいる。」ところでもう1つの剣は、やはり蛇を貫くのですけれども、蛇の下に本があって、その本には「フリーメイソン」と書かれています。マリア様の下には地球があって、その地球の上に立ち、蛇を踏み砕いているのですけども、そこの地球の上には、聖書から来た、それから典礼から取った、私たちのモットーが書かれています、M・Iのモットーが書かれています。それは、「彼女は蛇の頭を踏み砕くだろう。」もう一つは、「御身は御一人で全ての異端を打ち砕いた、滅ぼし給うた。」

日本に着いて、日本から書いた手紙によると、神父様はすぐに、「ポーランドから別の司祭を送って下さい。」と要請しています。何故かというと1人では、「自分1人ではとても大変だから」です。ポーランドから来た1人の修道士は、司祭ではなくてまだ助祭でした。そこで助祭としてやって来たこの修道士を、日本で司祭に叙階して、その叙階の記念の写真がこの第2番目の棚にあります。コルベ神父様はここに6年間居て、その6年後離れる時には既に、司祭になるべき日本人の修道者がここに居ました。

コルベ神父様は日本に来た時に、神父様が書いた日本から書いた手紙によると、神父様は日本に来た時に、「きっと、日本で赤い冠が待っているだろうと考えている。」と書いていました。コルベ神父様は実は、日本で生活して、日本で亡くなり日本で死ぬ事を望んでいました。

日本に6年居た後に、「日本を離れなければならない、ポーランドに行かなければならない」という命令を受けたので、「これがインマクラータ、マリア様からの命令だ。その御旨だ。」という事を悟り、日本を離れ、ポーランドで修道院長として3年間過ごします。

3年間いらした間にニエポカラヌフは、ポーランドの無原罪の園、無原罪の街は本当に栄えて、第2次世界大戦が勃発する直前までに、1,000名の修道者たちを抱えていました。20世紀において、このニエポカラヌフの修道院は、世界で最大の修道者を収容する修道院でした。当時、無原罪の聖母の騎士の会員は100万名を超えていました。この無原罪の聖母の騎士の雑誌は、色んな国の言葉に翻訳され、中には司祭たちの為にラテン語でも翻訳されていました。

修道士たちの生活は、祈り・労働・休憩、祈り・労働・休憩でした。ブラザーたちが一生懸命働いた写真があります。ブラザーゼノの仕事は、郵便物を郵便局まで運ぶ事で、この重い荷物を遠い郵便局まで運ばなければならない事で文句を言っていました。ゼノ修道士は死ぬまで亡くなるまで、ここにずっと留まり続けました。第二次世界大戦後、ゼノ修道士はこの日本の恩人、偉大な恩人となりました。ここにゼノ修道士の生涯にした色々な出来事があります。

ゼノ修道士は本当に単純な男でした。例えば、「めでたし」を日本語で覚える事ができませんでした。ですから、「めでたし聖寵…」と日本語で祈り始めても、必ずポーランド語で終わっていました。でもゼノ修道士は誰をも恐れなくて、天皇陛下にお会いする事も、例えば県知事に会って交渉する事も何とも思っていませんでした。こう戦争で家を失った人たちの為に小さな家を建てて、救助に救援にあたっていました。そこでこれは「アリの街」と言われています。

あそこには永井博士の写真もあります。コルベ神父様は結核だったので、その結核のレントゲン写真を撮る為に永井博士のお世話になりました。永井博士が白血病だという事が分かった時に、「余命3年」と宣告されました。本来ならば、永井博士は1946年とか47年に亡くなっている予定でした。第二次世界大戦後、コルベ神父様がここの上に作ったルルドに、永井博士は巡礼に行きました。そこでルルドでお祈りすると、何か力を得て、「あとこれで5年生きる事ができるというように感じた」と言っています。それで、「これはコルベ神父様のお祈りのおかげだ。」と言っています。

ポーランドのニエポカラヌフから書いた神父様の手紙が、タイプライターで打ったのがニエポカラヌフから日本の無原罪の園に行って、その来た手紙がそこにあります。このコルベファンのコルベ神父様の事をよく知っている人は、いつもこのコルベ神父様の言葉をいつも引用するのですけれども、一番有名な引用文が、この長崎の共同体の為に書かれた手紙の言葉なのです。

その内容は、この長崎の共同体に与えられた内容は、「『お祈り』というのは、一番霊魂の回心の為に必要なものであるけれども、一番無視されている。」この長崎の愛する兄弟たちに送った手紙の内容は、「私たちが持っている最大の一番強い武器は、『使徒的な祈り』であって、『使徒職の祈り』であって、お祈りをする事によって、霊魂の回心を促進する事ができる。」という内容です。

ここで、神父様の使ったお部屋の中でロザリオを1連唱えて、それから皆さん一緒に神父様の作ったルルドに行きましょう。

長崎巡礼-霊的講話-2016年5月2日シュテーリン神父様「聖マキシミリアノ・コルベの生涯【前半】」

2016年07月07日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

長崎巡礼でシュテーリン神父様がなさった霊的講話【その3】をご紹介いたします。どうぞお読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年5月2日 長崎巡礼 シュテーリン神父様霊的講話【その3】
同時通訳:小野田圭志神父


今日は皆さんに、聖マキシミリアノ・コルベの生涯について、導入をお話したいと思います。

今日、長崎の巡礼の最後の1日となりましたけれども、色々な奇跡について黙想して、その奇跡の場所に行きます。
1つは、司祭なくして250年間信仰を守り通した、その信徒たちが発見された所の奇跡。この奇跡というのは本当に教会史上ユニークで、もう特異なものであって、他に例を見ないものでありますので、この事だけでもインマクラータのマリア様に讃美をしなければなりません。この約10世代にも渡る信徒たちが信仰を、司祭なく、或いは本もなく、色んな構造もなくこうやって信仰を守り通したのは、マリア様の取り次ぎなくしてはありえない事だからです。
今日の第2の奇跡というのは、ここに特別な使徒を宣教師を、日本のこの長崎の地に送り込んだ、マリア様は送り込んだという事です。この宣教師は、まさか将来自分が長崎に来る事になるだろうという事はゆめゆめ思わなかった人なのです。

この人この方は、ポーランドの小さな村の工業的な町で1月8日に生まれました。その時の生活状況は非常に厳しいものでした。よく当時行われた事は、長男であれば、長男にたくさん両親はお金をかけて学校にも通わせるし、色々な事を資本を費やすのですけれども、長男ではありませんでした。他の次男三男など他の子供たちは、この長男を養う為にたくさん働かなければなりません。皆はこの事に同意していて、それが良い事だと思っていました。そこでライモンド君も両親を助ける為に一生懸命働こうとしました。

小さな時からちょっと難しい子供でした。この子供のライモンド君は、戦う能力と、いつも腹を立てる事ができていて、いつも毎日のように家に帰ってくると傷だらけで、汚い服を着ていて、いつも喧嘩して帰って来ました。カトリックのポーランドの家族がいつもそうであるように、この家族も非常に信心深いものであって、ライモンドが喧嘩好きだったからといって信心がなかったわけでありません、敬虔じゃなかったわけでありません、その反対です、マリア様に深い信心を持っていました。

ここで2つの事が分かります。よくこれは普通の事なのですけれども、カトリックの環境と雰囲気と、原罪を持って生まれてきた人間のその性、その2つです。私たちも全く同じです。今はとても良いカトリックの環境の中に、今巡礼に来ています。でもその環境の中でも、私たちには悪い性格を持っていたり、怒りっぽかったり、角を生やしていたりします。聖人というのは天から降ってくるようなものではなくて、私たちと同じ人間であって、時には私たちよりももっとひどい性格を持っている人たちです。ライモンド君はもっと悪かったのです。

お母さんはライモンド君を厳しく、厳しい言葉で表現しています。そのお母さんはある時ライモンドにこう言うのです、「ライモンドや、お前こんな事をしていると、お前良くなるどころがますます悪くなって、本当にもうヤクザで終わっちゃうよ。」するとそのお母さんの言葉を聞いて、「え!?何か極道のヤクザになるって!?一体何の事なんだ!?一体自分に何が起こってるんだ!?」と目を覚ましました。

そこでライモンド君は、私たちが皆しなければならない事をしました。それはマリア様の所に行って、助けを求めたのです。

ライモンドはとても良い誠実な子で、たとえ喧嘩をしている時でも誠実でした。例えば喧嘩をして帰ってくると、お母さんにこの杖を与えて、「お母さん、どうぞ。」と言って帰ってきました。ライモンドはそれは正しかったのです。何故かというと悪い事をして、してはいけない喧嘩をして、お母さんから罰を受けなければなりませんでした。ですからその罰を受けるのは正しかったのですけれども、その翌日もまた喧嘩をし続けます。

将来ライモンドは、何千何万人の人々と接触しなければならなくて、このような人々が「やはり原罪を持っている、自分と同じように弱さを持っている」という事をよく理解していました。皆さんも同じようにご覧になって下さい。皆さんは自分の悪い性格の為に苦しんでいます。皆さんが犯した罪の為に苦しんでいます。何回やっても何回やっても、自分の悪い性格は直らないので、腹を立てています。ライモンド君がやったと同じ事をして下さい。いつも常にマリア様の元に行きました。誰からも見られないような脇祭壇に行って、その教区の教会の脇祭壇に行って、長い間マリア様の前でお祈りをしていました。

するとこの若いライモンド君に幼いライモンド君に、2つの冠の神秘が起こったのです。マリア様が彼に現れて、2つの冠を見せました。白い冠と赤い冠です。白の冠は白い殉教で、つまり「貞潔の殉教」です。赤は血の殉教で、「血を流して死ぬ殉教」です。後でよく考えてみると、この白い殉教というのは、「マリア様の汚れ無き御心の為に、汚れ無きマリア様の為に全命を、全ての命を捧げて、マリア様の為に生きる」という殉教の冠でした。赤の冠というのは後から考えてみると、彼が、「憎しみや憤りなど悪魔的な思いの中に入り込んで、彼らの為に祈り働いて死に至るまで働き尽くす」という殉教の、血の殉教の冠でした。

これは冠です。冠というのは、これは「報い」の事です。白の冠は、マリア様インマクラータの為に全て尽くしたその報いの冠です。赤の冠は、霊魂の救霊の為に尽くした、その尽くした努力への報いです。

このビジョンを見た時にライモンドは何も言いませんでした。もしもこのビジョンの後に、完璧な根本的な全体的な彼の生活の変化がなければ、もしかしたらこのビジョンはなかったと疑う事ができたかもしれません。この小さなライモンド君がこんなにもガラリと変わってしまったのが分かったのは、それはお母さんでした。

「ライモンド、ちょっと来なさい。」とお母さんが言います。「どうかしたの?病気なの?何か女の子のようにいつも泣きべそをかいてるね、昔のようじゃないね。昔はよく汚い服を着て帰って、泥んこになって傷だらけで血を流して帰ってきたのに、この頃は何かどこかに消えてなくなって姿を見かけないけど、何かうつ病でもなったの?」ライモンドは何も言おうとしません。「ライモンドちゃん、従順でお母さんの言う事をよく聞かなければなりませんよ。全て、ちゃんと全て言いなさい。」それでお母さんの元にこう抱きついて、「わぁ~ん、わぁ~ん!」と言って、お母さんに全てを話します。

お母さんはライモンドのそういう話を聞くと、でも夢想家でもなかったし、すぐそのような話をコロリと信じて騙されるような女性ではありませんでした。地面にちゃんと大地に足を付けて踏ん張って生きているお母さんなので、それを最初は信じようとしませんでした。私たちはそのお母さんがライモンドにその時に何と言ったかは記録に残っていないので分かりません。しかしライモンドはこの話を他に誰にも言いませんでした。お母さんだけに言って、私たちはその話をお母さんからのみ知っています。しかもこの子供は全てをマリア様にインマクラータに委ね尽くしてしまったのです。

マリア様はライモンド君に今した事を、皆さんにもしようと望んでいます。もちろん皆さんはビジョンを見るわけではない、と願っています。もしも、もしも皆さんが「あぁ、神父様!ビジョンを見ました!」と来たらちょっと困ってしまいます。

マリア様だけが私たちの心を変える事ができます。マリア様だけです。何故かというと、天主様がマリア様だけにそれを与えたからです。マリア様はこの心を変える事を望んでいます。コルベ神父様がこう言うのを聞いて下さい。「マリア様、もしもあなたが御身が私を打ち捨ててしまうなら、私が引き寄せている連れている他の人たちも一緒に捨ててしまう事になります。もしもマリア様、あなたが私に手を伸ばして下さるならば、私はその私の導いている全て全世界をあなたの元に連れて行きます。そしたら私は大聖人になる事でしょう。」

これは本当の謙遜によって行われます。なぜ謙遜かというと、自分の力に全く信頼を置かずに、全てマリア様の御手に委ねているからです。コルベ神父様は後にこのビジョンの事を「回心」と言うのですけれども、そのご自分の全生涯の種は、その行動原理の種は、この回心のこの瞬間に植えられました。

その後で、小教区に宣教師たちがやって来て御説教をしました。そのお兄さんと自分は2人の兄弟、他にも兄弟がいるのですけども、2人はその宣教師の話を聞いて、「わぁ!マリア様の為に人生を捧げたい!」と思いました。でも貧乏だったのでお金がありません。学校にも行けなかったので、お兄さんだけが学校に行く事ができました。ライモンドはお母さんのお手伝いをして、お店のお手伝いをしなければなりません。

ライモンド君のお母さんは産婆さんとして働いていました。お母さんはですから、この身籠ったお母さんたちをたくさん助けていたので、いつも家にいる事が少なかったのです。そこでライモンド君が家での料理人になりました。実は自分の家の小さなお店では薬も売っていたのです。薬はラテン語で書かれていたので、「薬を買いたい」という人が来ると、そのラテン語の名前を自分で覚えてしまいました。

お母さんは看護婦で産婆さんでもあるので、ライモンド君はいつも薬の調達にも活躍しました。ライモンド君が薬局に行って、「あの私はこのパラセタモルと○○と」とラテン語でベラベラベラーッとラテン語の薬の名前をズラズラズラーッと言うと、「え!?何でこの子はラテン語を知っているのだ!?」と、「難しいこの名前を良く知っている!」と薬局の人は驚いたのです。するとライモンド君は「僕は侍者でね、ミサ答えをしているからラテン語は神父様が教えてくれるんだ!」と言いました。でも神父様はお祈りはラテン語で唱えるのを教えましたけれども、ラテン語を教えたわけではありませんでした。このようにこう話を大げさに言ったりするライモンド君はまだ、回心した、聖人になったとは言い切れませんでした。でもライモンドが分かった事は、「マリア様に全てを委ねると、マリア様は全て準備して下さる」という事が理解できたのです。

ライモンドは司祭になりたかったのです。しかし人間的に言えば、司祭になる事は全く不可能でした。全く無理で、門は全て閉ざされていました。でもライモンドはマリア様にインマクラータにそれを委ねて、「マリア様がして下さるから」と、それを心配しませんでした。

ところでこのマリア様は、ライモンドの弱ささえも使って、ライモンドにその司祭職の道を開こうとしました。例えばライモンドのラテン語の名前を聞いた薬局の人は、「あっこの子すごい!」と思って、それで「俺が君にラテン語を教えてあげるよ。」とラテン語の先生になる事を名乗り出たのです。こうやって状況は非常に不思議な事に回って、ライモンド君はお兄さんと一緒にフランシスコ会の小神学校に入学する事ができるようになりました。

次の天才的なこの若い男の子のエピソードがあります。入学した時には、入学したてで凡人だった学生ですが、数ヵ月後にはクラスでトップになります。ライモンド君は数学の先生に時々、先生でも答える事ができないような難しい質問をするので、先生が何と返答して良いか分からなかったほどでした。

2つライモンド君の特別な能力がありました。1つは戦略家で、例えば戦略ゲーム戦争ゲームがあると、そのゲームでどうやって戦略を立てて、どうやってゲームに勝つか、という事を計算する事ができました。その時ライモンド君を知っていた人々は皆、「あっ彼はきっと兵士に、軍人になるだろう。彼は戦略家であって、戦略の才能がある。」第2の特徴は、数学とか物理とかに非常に興味があって、非常に高い才能を見せていました。ライモンドがその時考え出したのは、月にまで飛ぶ事ができる機械で、自分で考え出しました。そういうライモンド君を知っている人は、「おそらく、あぁ彼は将来科学者になるだろう。世界をリードするような科学者になって、全世界を驚かすだろう。」と思っていました。

天主様は、御自分の子供たちにどのような才能を与えるべきかよく知っています。しかしこのような才能は、より天主のより大いなる栄光と、霊魂の救いの為だけに与えられているので、その為に使わなければなりません。こうやってライモンド君は修練者となって修道士となって、すると修道会は、「彼はとても才能がある子だから」と言ってローマに送る事を決意します。ポーランドで全世界の神学生たちが夢見る「あぁローマ、ローマで勉強できる、ローマの神学校で勉強する。それはもう何という栄光であって、何という夢であって、それが実現できる」という事でした。

修道名をマキシミリアノと受けたライモンドは、「ローマに行く?えぇ、ローマ…?」と言って恐れました。何故でしょうか?

2つの冠の事を覚えていますか?マキシミリアノはインマクラータの為だけに仕えようと思っていました。でもその同じ修道会の修道者の人たちから、ローマの嫌な噂話を聞いていました。「ローマには悪い女性がたくさんいる。」と。「何故かというと、そういう女性たちは、こう神学生の周りをうろついて、神学生たちを誘惑して、その神学校から出してしまおうとしている。」という噂話でした。マキシミリアノは16歳でした。そこでマキシミリアノは長上に言って、「神父様、私の名前を外して下さい。」と言うと、神父様は、「え!?ローマに行きたくないの!?」と言います。「あの、ここに居たいんです。」

ところでそう言った後に、自分の部屋に戻って考えてみると、「長上の神父様は私に『ローマに行け』と言うのに、私が『嫌だ』と言うのは、これは従順だろうか?私はインマクラータに無原罪のマリア様に従順でなければならない。」長上の部屋に戻って、ノックノックノック、「神父様、やっぱり戻して下さい。」「君、どうかしたの?」「神父様、神父様はローマに行けと仰いましたね。神父様長上の命令は天主様の御旨です。でも私はただ、ローマにいる悪い女の人たちを恐れたのです。でもそれは私の意志でした。この名前を外して下さいというのは、私の思いでした。でも私は天主様の御旨だけを果たしたいのです。」

ここに2つの原理があります。まず第1は、「インマクラータへの愛が汚れ無きマリア様への愛は、私たちがいかなる汚れをも受ける事を許さない」という事です。「もしもインマクラータが私に火の中に飛び込めというのなら、私は飛び込む。インマクラータの無原罪のマリア様の御旨は命令は全てです。」これがマキミリアノ・コルベ神父様の全生涯でした。

マキシミリアノ・コルベはローマに行って、神学・哲学を勉強しますが、左手でその博士号を取ったりします、勉強します。しかしそんなのは簡単な事であって、もっとマキシミリアノ・コルベについて関心があったのは何だったのでしょうか?

マキシミリアノは何時間も何時間も、御聖体の前で時間を潰しました。そこで聖人たちの知恵を発見しました。そこで私たちの贖いの神秘を発見しました。特に勉強ではマリア様の神秘を深めるという事のお恵みを得ました。特別なお恵みも受けました。この祈りと黙想のその何時間で、長いお祈りを経て、マキミリアノは理解しました。それは「マリア様は元后であって、女王であって、戦いの指揮をする軍隊の総司令官である」という事です。

ポーランドの全歴史を黙想しました。ポーランドの歴史はマリア様の歴史です。もっと正確に言うと、ポーランドの歴史というのは、マリア様を信じ、マリア様の中に生きている人々の歴史です。ポーランドというのは、困難と戦争と戦いと苦しみの歴史の国です。ポーランドという国が生まれた途端、異教の国がこのポーランドという国を亡き者としようとしてやって来ました。マリア様のおかげでこのポーランドの人々はその戦いに勝ちます。

しばらくすると、北からプロテスタントがやって来て攻めて来ます。北から来た大軍にどうやって打ち勝つ事ができるでしょうか。このポーランドという小さい国は、もはやプロテスタントの国と成り果てるしかないかのように思えました。ところで非常に不思議な事は奇跡的な事は、プロテスタントの大軍がポーランドにやって来て、ポーランドの中央にある聖地チェンストホーバ、マリア様のいらっしゃるその聖地の直前で、突然それが侵攻が止まるのです。その瞬間は、ポーランドの王様が、マリア様の前に跪いて、ポーランドの全てをマリア様の御手に奉献した時でした。

その次には、離教の正教がやって来ます。それから次には、共産党が共産軍がやって来ます。しかしそのやって来る度に奇跡が起こりました。その攻撃を受ける度に、マリア様がポーランドを守ってくれました。例えばコルベ神父様が生まれた時には、地図の上にはポーランドという国はありませんでした。ポーランドはこの地上から消えて無くなってしまったのです。どこにも無いのです、この全世界でポーランドという国が。ロシアがまず一部を取って、オーストリアがもう1つを取って、プロイセンがまたその1つを取ってしまったのです。それでポーランドの人々はそのような国に分かれて帰属する事になっていたのです。これは3回起こりました、歴史の中で。それにもかかわらずポーランドの人々は「ポーランドの心、ポーランドの母」と、マリア様の元にいつも集まってお祈りします。

これはそのイコンは、チェンストホーバはイコンですけれども、実は「マリア様の御心」なのです。マキシミリアノ・コルベはこの事をよく理解しました。コルベ神父様はこう理解してこう言います、「歴史を見ると、本来ならば私の祖国は、敗戦のうちのまた敗戦、敗北の後の敗北、敗北、敗北の連続であったはずなのに、現実に起こった事は、勝利、また勝利、また勝利、また勝利。何故かというと、御身よマリア様、あなたが総指揮官であるからです。エトマンカであるからです。」

コルベ神父様はローマで、特に全世界に於けるマリア様の活動、マリア様の働きについて深く研究しました。特に詳しくルルド、最近起こったルルドの事を、不思議のメダイについて研究しました。ちょうどそのマキシミリアノ・コルベがローマにいた時から75年前、何故かというと75周年を祝っていたからですけれども、75年前、つまり1840年に、アルフォンソ・ラティスボン、教会を憎んでいた、教会の天敵であったユダヤ人ラティスボンが不思議のメダイによってカトリックに回心した、その回心の記念を行っていました。

1917年、第一次世界大戦のど真ん中にやってきます。ここでマキシミリアノ・コルベは、ローマでものすごい光景を目の当たりにして、その目撃証人となります。同時にモスクワでは共産主義革命が起こりました。この後、モスクワから全世界の半分を無神論的唯物主義に陥れる事でしょう。同時にフリーメイソンも200年、その存在200周年を祝おうとしていました。この200周年を祝うその場所はローマでした。フリーメイソンのトップランキングのような大人物がローマにやって来て、「ローマを反キリストの座に、反天主の座にしよう、教会の敵の座にしよう」と動きをしていました。イタリアの大統領はフリーメイソンで、教会を迫害しており、教皇様はバチカン市の中に、その外にも出る事ができない囚人のようでした。

フリーメイソンの人は教会のコピーをします。どういう事かというと、聖母行列、聖体行列のように、フリーメイソンはこう旗を持って、行列をして、「悪魔が、サタンが教会を踏み砕く、サタンが勝利を収める。」という行列をします。それはものすごい危険な事であって、神学生たちや司祭や修道士たちは、そのような危険な所に身を晒す事ができませんでした。神学校、或いは修道院の中に隠れてなければなりませんでした。皆、神学生や司祭たちは涙を流し、悲しみの中に、「一体ローマがどうなってしまったのか。」と言って憂鬱になっていました。

ここでマキシミリアノ、小さな若き神学生は、「何でそんなに気を落としているのですか?私たちはもっと強いじゃないですか。もちろん私たちは何でもありません。私たちはゼロです。もしも私たちがいくら集まっても、ゼロをたくさん集めてもゼロです。でも1がそのゼロの前にあれば、100万にもなるし、1億にもなります。皆さんみんなゼロです。でも1があって、それがマリア様です。」「あのねマキシミリアーノ、あんたは修道士じゃないか。あんた一体何ができる、1人で何ができるというのか。見ろ外を。この人たちはお金も持ってるし、政治家も持ってるし、法律もあるし、全てを手にしている。1人で何ができるのか。」「神父様、簡単です。彼らには軍隊がありますけれども、私たちにも軍隊があります。彼らのボスは悪魔です。私たちの総指揮官はマリア様です。神父様たちはいつも土曜日にどういうお祈りをするのですか?聖務日課でこう祈るじゃないですか、『あなたは御一人で世界の異端を滅ぼし給えり。』と。聖書の最初に何て書いてありますか?『彼女は悪魔の頭を踏み砕くだろう。』と。私の祖国ポーランドを見て下さい。マリア様はいつも無用の私たちを使って勝利を収めました。この最も教会の危機、教会が威嚇されて、脅されているこの時に、マリア様の元で働く聖母の騎士たちが、無原罪の騎士たちが必要だ、という事が分かりました。『無原罪の聖母の騎士』というのは言葉ですけれども、この言葉の裏に隠れたのはこういう事です、つまり『マリア様は勝利を収める事ができる。しかしその勝利を収める為には道具が必要だ』という事です。つまり天才的な画家は素晴らしいものすごい大傑作を描く事ができるけれども、それを描く為には筆が必要だという事です。」

そこでマキシミリアノ・コルベは「じゃあ、やれ。」という事で、やる許可を得ました。聖イグナチオがイエズス会を始めた時には7名いました。コルベ神父様が無原罪の聖母の騎士を始めた時には、やはり7名でした。

ファチマでは太陽の奇跡が起った、その3日後、聖マルガリタ・マリア・アラコックの祝日の前日、すなわち1917年10月16日の夕方、その16日のこの夕方、「無原罪の聖母の騎士」が始まりました。ですからこれはファチマの太陽の奇跡の後の3日後でした。

一体何が起こったでしょうか?その翌日、マキシミリアノ・コルベは、血を吐いて病気で倒れます。結核でした。結核はその当時、治療の方法が無い、もう死を待つしかない病でした。そこでマキミリアノ・コルベはすぐに結核病棟に隔離されて、「治るのを待つか、或いはおそらく死ぬのを待つだろう。」と言われました。

マキシミリアノ・コルベの最初の5年間のM・Iは「マラスム」と言われて、ちょうどMで始まりますけれども、つまり災害と困難との連続でした。ものすごい熱意を持って、「さあ、始めよう!」としたその翌日、長上から命令が下って、「そんな事は忘れて、さぁ隔離室に行きなさい。もしも病気が治ったらその事を考えなさい。」と言われました。

しかしマキシミリアノ・コルベは分かりました、「これはインマクラータの御旨だ。私は従順に従おう。」従順に従いました。これに従順でなければならなかったコルベの心からは、血が滴り落ちていた事でしょう。それだけではありません。他の修道会の皆がマキシミリアノの話を聞きました、「マキシミリアノを知っているか?何か『聖母の騎士』作ったって。それで翌日病気で隔離室だって。ブーッ。」「見よ、おーい、大軍隊を作ろうとするあの男よ。」「おぉマキシミリアーノ、これがお前の夢の終わりだ。」7名一緒に始めた7名も、7名のうち数名かは、「な~んだ。」と言って馬鹿にし始めました。これは本当に、大変難しい苦しい事でした。

マキシミリアノ・コルベは、病気の為に勉強する事さえも難しくなって、叙階を受ける事さえも難しくなってきました。それでも4月28日、1918年4月28日、司祭に叙階されます。それは聖グリニョン・ド・モンフォールの祝日でした。

司祭となってポーランドに帰って、「あぁ、これで司祭になった!ポーランドに帰ってきた!さぁ救霊の為に働こう!」と思っていました。多くのポーランドの人たちがその彼の元にやって来ます。そこで神父様も一生懸命になって、「さあ」霊的な講話、色んな活動、人々がたくさん集まってきて、大きくなってきました。

そこでところが、突然また病気が再発して、「1年間、何の活動もしてはいけない。」と言われました。

これが1921年まで続きます。でもギブアップしませんでした。一緒にいた修道会のブラザーたちや修道士たちが、「ちょっと足りない、何かネジが外れているマクス。」とバカにしていました。その時にもちろん、マキシミリアノ神父様の心は痛んだのですけれども、その時にニコッと笑っていました。

でもその後健康が戻ると、長上に許可を求めて「印刷機を買ってもいいですか?」と頼みました。なぜ印刷機かというと、みんながこの話を聞いて「無原罪の聖母の騎士」という事に興味を持ったので、話ではもう伝えきれなかったので、書いて、印刷してそれでその「プリントしたものでこれを知らせよう」としたからです。

印刷機を買おうとお店に行くのですけれども、「あまりにも高くてお金がとても足りない、買えない。」という事で、中古の印刷機を買ってきて手で印刷しました。この印刷機の名前は「おばあちゃん」という名前でした。この印刷機を回すには3人の男が必要でした。このこれを5,000部刷る為には6万回これを回さなければならなかったそうです。その後で回した後で、自分でこれを折って印刷されたのを折って、手はもう血だらけでした。でも幸せでした。

まず記事を書いて、印刷して、それから折りたたんで、製本して、配って、全部1人でやりました。最初の第1号は創刊号は、5,000部でした。

もともとクラカオという所に任命されたんですけども、クラカオの修道院では「そのようなちょっと狂った男を留めておく事はできない」という事で別の所に行かなければなりませんでした。そこで一番遠く離れた、もうポーランドの僻地に送られました。

毎月毎月、その印刷機で印刷される部数は増えるばかりでした。最初このクラカオからマキシミリアノ・コルベ神父様と一緒について行ったのは3人でした。でもその「インマクラータの為に自分の命を捧げたい。全生涯を捧げたい」という志を同じくする者が、5年後には25人になっていました。最初5,000部だったのが1921年には5,000部だったのが、5年後には6万部になっていました。そこでその僻地に居た修道院があまりにもたくさん、あまりにも多くの人が来るになって、「もうここにいる事はできない。どこか他の所に引っ越せ。」と言われました。

1927年、首都ワルシャワにインマクラータの街を建設します。これはただの土地だけです。そこの土地に3つの掘っ立て小屋を立てます。1つは教会で、私たちの主イエズス様の為。第2は印刷機の為。第3が他のその他の為。23名のブラザーたちもいました。毎日のようにそのブラザーの数が増えていました。1930年にはすでに100名以上のブラザーになっていました。発行部は15万部になっていました。もう日々日々そのコルベ神父様の活動は花開くように発展しています。

これは、神父様は必ず長上からの許可を得てからのみ、これを全てしました。コルベ神父様は何か事業をしてこの考えついた時に、必ず長上に言って、「神父様、あなたは私の長上です。このような事をしたいのですけれども許可を下さい。あなたの決定がマリア様の御決定です。決定して下さい。」長上は、「あぁ、また気違いのマクスが。」この許可を求めた後は、コルベ神父様はよく寝る事ができました。でも長上は、「許可を与えるのか、与えまいか、与えるか、与えまいか、」と眠れない夜が続きました。「人間的に言えばこれは全く無理な話で、こんな事は全くできないのだけれども、どうも見るからにマリア様がやっているようだし、だから無下に『できない』とも言えないし、どうしたらいいか、どうしたらいいか、」と悩んでいます。ある時長上はこう言うのです、「私ははっきりと『ダメだ。』という準備をしていた。『何故ならばこれがこれで、これがこれで、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ。』でもマキシミリアノが来ると、何だか知らないけれど、『はい、いいよ。』と言ってしまった。」と。

これが1929年に起こりました。1929年、「アジアで宣教師が欲しい」というニュースを聞きました。長上の元に行って、「もしもインマクラータの御旨ならば、私はこのアジアに行って、宣教師となりたいのですけれども、許可をくれますか?」「え!?何だって!?今お前は今、こうやって、インマクラータの都市ニエポカラヌフを作って、今こうやって建設中で、それをやめてどっかに行ちゃうの!?これ、誰が、後で面倒みて管理して、誰がその後をやるの!?」「インマクラータのマリア様がやれます。他のブラザーが代わりにやってくれます。だから私は自由に行く事ができるはずです。」そこで「じゃあちょっと考えておきましょう。どこに行きたいの?」「中国が面白そうですし興味もありますけれども、もしかしたら日本もいいです。」「言葉を知っていますか?話せますか?」「いいえ。」「お金はありますか?」「いいえ。でもマリア様がお金をくれます。」この長上はもう驚きのあまり目を大きくして、このマキシミリアノの方をじっと見つめて、「この男、本当に大丈夫か?」とこう見ているのですけれども、コルベ神父様はこうニコッとしてこの長上からの返事を待っています。そこで長上は全く全ての想像されるべき答えに反して、「行け。」と言います。

コルベ神父様はとても賢かったのです。人間の本姓をよく知っていました。人間は最初のこのエモーションこの感情では、「はい、いい。はい、行け。」と言います。でもよく考えてみると、「あぁ、ダメダメダメダメ。」と言ってそれを取り消します。そこで長上が「じゃあ、行け。」と言った時に、全ての荷物をこうやってもう姿を消してどこかに行ってしまったので、長上が「やっぱり取り消そうかな」と言った時にはもう既に時遅しで、神父様はもう既に出てしまいました。

実はコルベ神父様は上海に行きたかったのです。何故かというと、1930年には上海ではキリスト教がものすごい勢いで発展していたからです。そこに、非常にこの寛大な裕福なカトリックの信者が、中国人の信者がいて、「中国語で『無原罪の聖母の騎士』を印刷したい。」と言ってきたのです。でも本当ならば「ブラザーを2人送って、試しに印刷してみる」という事をお願いしたのですけれども、長上が「ダメだ。」と言ったのです。「それじゃあ私は日本に行きます。」となりました。

コルベ神父様は、東京とか大阪とか別の所を、横浜とかを考えていたはずです。フランシスコ会が既にいる所を考えていました。ところで長崎の司教様が、神学校で教える教授を探していたのです。コルベ神父様は博士号を持っていました、神学博士と哲学博士です。ですから神学校の教授として行く事になりました。

今からこの終わってすぐに行く所が、神学校を見に行くのですけども、この神学校の教授としてコルベ神父様は長崎に行きます。この続きは神学校でします。

(後半に続く)

2016年7月10日 東京で午前10時半から聖伝のミサが、午後4時からマーチ・フォー・ライフがあります。

2016年07月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 今日は、有名なスンモールム・ポンティフィクムが発表されて9年目ですね。

このあがむべき古くからの典礼の使用に対してふさわしい敬意が払われなければならない。
「福者ヨハネ二十三世によって発布され、決して廃止されたことのないローマ・ミサ典礼書規範版に従って、・・・ミサのいけにえを行うことは許される。」

 明日7月8日(金)と9日(土)は、大阪で、この聖伝のミサがあります。

 7月10日の主日は、東京で聖伝のミサがあります。

 7月10日の午後の公教要理の時間は、例外的に、いつもより早めに午後1時45分には開始して2時45分には終わらせる予定です。
 何故なら、この日は選挙の日ですが(私はすでに事前投票を済ませて参りました)、この日の午後4時から「マーチ・フォー・ライフ」に参加する意向だからです。

 「マーチフォーライフ」は、1973年1月22日にワシントンで、ひとつの最高裁判決が下ったことにより、アメリカは全州にわたってABORTION=人工妊娠中絶が「合法」になりました。その日から今日までに五千万件以上の中絶がおこなわれ、中絶問題はアメリカ社会に大きな影を落としています。

 一方、この判決に疑問を抱いた市民が立ち上がり、翌1974年から「March for Life=マーチフォーライフ」が始まりました。判決のあった日にワシントンDCに集まる参加者の数が年々増えつづけるとともに、すべてのいのちを守る「Pro-Life=プロライフ」の価値観が草の根でアメリカ全土に浸透していきました。





 アメリカ合衆国では、1973年以来2007年までのの中絶数は、49,551,703名でした。

 いのちのための大行進の参加者の大半は、10代、20代の若者たちです。彼らはPro-Life Generation=プロライフ世代であると言われ、世論調査でも今の若者は上の世代よりもプロライフの傾向が強いことが明らかになっています。

 今年の1月22日(金)のワシントンでは、吹雪のなかでも、マーチが行われたそうです。今年は、聖ピオ十世会の総長のフェレー司教様も参加されました


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 日本では、残念なことに、1948年7月13日に、現在の母体保護法の前身である優生保護法が成立しました。

 今から2年前の2014年7月13日、日曜日の午後、国会をめざして日本で初めてのマーチがスタートしました。産まれる前の赤ちゃんが、声をあげられないように、マーチ参加者も静かに、でも、満面の笑顔で歩きます。お腹の赤ちゃんが、声はあげられなくても生きていることそれ自体を喜んでいるように。

 こうして、声なき行進、祈りの行進がはじまり、毎年、7月の第二日曜日は、日本のマーチフォーライフの日となりました。

 先日、私たちは深い悲しみと憤りを持って、バングラデシュのダッカでのテロの事件を知らされました。日本人7人とイタリア人9人とを含む罪のない犠牲者20人が、平和にレストランで食事をしている間に殺害されたのです。週末で喜びと会話に満ちたレストランが、突然として恐怖に包まれ、血の海となりました。大使館のそばの高級レストランです。もっとも安全なはずの場所においてなされた卑劣な蛮行でした。過激で、憐れみもない悲劇でした。犠牲者たちは、バングラデシュにどんな悪事を行ったというのでしょうか?すこしでも助けたいと思ってバングラデシュにいたのに。何故、問答無用に、邪魔者として殺害されなければならなかったのでしょうか。「自己責任」なのでしょうか?それとも政府が邦人の安全確保のための責任を行使していなかったのでしょうか?

 優生保護法が施行されて、日本では、平和に安らかに眠っている日本人が、お母さんの胎内という赤ちゃんにとってもっとも安全で守られなければならない場所で、殺害され続けています。犠牲になった赤ちゃんたちは、手足を切りとられ、頭は砕かれ、虐殺されてお母さんのおなかの中から引きずり出されます。非常に残酷な話です。

 お母さんのおなかの中という赤ちゃんの場所が、突然として恐怖に包まれ、血の海となるのです。これは、胎児にとって、恐るべきテロ行為でなくてなんでしょうか。卑劣で、野蛮で、過激で、憐れみもない悲劇ではないでしょうか。赤ちゃんは、どんな悪事を行ったというのでしょうか?何故、問答無用に、邪魔者として殺害されなければならないのでしょうか?だれか守ってあげる人はいなかったのでしょうか?赤ちゃんには「自己責任」はありませんから。政府は、何故、赤ちゃんの安全確保のための責任を放棄してしまったのでしょうか?

 バングラデシュのダッカでのテロの罪のない犠牲者20人にたいして、私たちは深い悲しみと憤りと追悼の念を持って祈りますが、それと同じく、お母さんの胎内で殺害され続けている多くの赤ちゃんたちを守りたちと願います。しかも、10代の子供たちさえも中絶をしていて、その数は、日本が世界で一番いちばん多いのだそうです。

 そこで、7月10日には、このマーチに参加しようと思っています。そのために、いつもの晩課を愛する兄弟姉妹の皆様と一緒に歌うことができなく残念に思いますが、どうぞご理解下さい。

 愛する兄弟姉妹の皆様もどうぞご参加下さい。


 午後4時常盤公園出発、外堀通りに入り、呉服橋、鍛冶橋、数寄屋橋を通って、午後5時日比谷公園中幸門内解散というコースになります。

 常盤公園は、となりに京王プレッソインというホテルがありますので、目印にしてください。

 当日が参議院選挙の投票日となるので、デモ行進中に特定の政党や候補者の支持を訴えるような行為は謹んでくださいとのことです。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


「その他の多くの権利の前提である基本的人権は、生命それ自身への権利である。これは受胎の瞬間からその自然な終わりまでの生命に関して真である。従って、堕胎は人権であり得ない。まさに人権に反対している。」(ベネディクト十六世


2016年7月1日から4日までの聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2016年07月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 7月1日の初金曜日と2日の初土曜日には大阪で、7月3日の主日には東京で聖伝のミサを捧げることができました。7月には東京で、一人の成人男性と、一人の生まれたての赤ちゃんが洗礼を受けました。天主様に感謝!

 洗礼とは不思議なもので、韓国の地方の全州というところに聖ピオ十世会は毎月2回ミサに行っています。そこで聖伝のミサに与っている方のお兄さんが、半身不随だったのですが、危篤でICUに入っていてもう命も幾ばくもない、家族は皆洗礼を受けているけれどもこの兄だけ受洗していない、ということで洗礼を授けるようにと要請を受けて病院に数ヶ月前に行きました。子供達も奥さんもお母さんも病院に集まっていました。病院の規則は厳しく、面会時間が制限され一日一回15分だけ、しかも一回に3名だけしか許されませんでした。そこで、その方の妹さんとお母さんと私とがまず面会し、私は彼にヨゼフという名前で緊急洗礼を受けました。私たちがそこから出るとその直後に奥さんと二人の子供達が面会しました。これで生きている顔を見るのが最後になるかもしれない、とのことでした。
 その後、ヨゼフさんが退院したという便りを聞き、しかも、今まで動かなかった手も足も動くようになり、今では車を運転することができるようになっているそうです。医者は、何故こうなったのか分からないそうです。奇跡だと言っているとのことです。
 この前、全州にミサ聖祭を捧げに行ったとき、いつも来る妹さんは、お母さんとが来ていました。お兄さんも来る予定だったけれども、車がガス欠で来れなかったとのことです。

 さて、来る7月8日、9日と大阪で、7月10日には東京で聖伝のミサがあります。

 ミサ聖祭のご報告をいただきましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミッションありがとうございました。
大阪で風邪をひかれたのではないでしょうか?いつもの美声が今日は・・・(^^;)。どうぞお大事になさってください。

御ミサの報告をお送りいたします。

7月1日(初金)イエズス・キリストのいと尊き聖血の祝日 には16名の方々が、
翌2日(初土) 聖母のご訪問の祝日には15名の方々が御ミサに与る御恵みを頂きました。 デオグラチアス!

初金曜日、いと尊き聖血の御ミサのお説教では旧約の動物のいけにえと新約のイエズス様の十字架上でのいけにえの関係を考察しながら天主ご自身の聖なる血によって買い取られた神秘を黙想しました。
旧約のいけにえは、動物の血であったにもかかわらず罪の赦しを受け得たのは、新約のいけにえの前兆として、そのかかわりによって効果を持っていた。
また、イエズス様の贖いの御業は時間と場所を超えて働いておられる。
御ミサに与りながら、自分が今ほんとうにカルワリオの十字架のいけにえに参与して、ミサを通して私たちの足りなすぎるであろう惨めな礼拝と、感謝と讃美と愛を、悲しみに沈めるマリア様を通してイエズス様をお慰めするために捧げる事ができる幸せに感謝の言葉もありませんでした。

初土曜日のお説教のポイントは、マリア様が天主の御母となられて最初にされた行動が「エリザベトへのご訪問」であったという事でした。
マリア様が、霊的なお助けだけでなく、私達の人間的な惨めさや、苦しみをも同情され、全速力で助けに来てくだることをお聞きして勇気がでました。
マリア様がイエズス様を私たちにお連れ下さる事をこの初土曜日の信心の黙想として黙想しました。

公教要理では、「希望」について勉強しました。
質問に対するお答えの話の中で、天主様が審判の時に、悪人には大いなる憐みによって刑罰を軽くされ、善人にはその報いを自分がした善に見合わないほどどれ程大きく与えてくださるかをお聞きし、この日の公教要理の題材の大きな「希望」を持って要理の勉強を終わる事ができました。

大阪ではこの二日は32度を超えて久しぶりに暑い日を迎えました。暑くなると神父様も、御移動にも体力を使われて、きっとお疲れになられることと思います。
イエズス様への愛のために、私達信徒のために行ったり来たりしてくださる神父様に天主様が大きく報いて下さる事は間違いないと思いますが、どうぞご自愛くださいませ。


【報告】
+Ave Maria! Immaculata!
大阪でのミッションをありがとうございました。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ブログを色々更新して下さってありがとうございます!
秋田・長崎巡礼の皆さんのアンケートコメントを読んでいるだけで、その時の巡礼の様子がありありと思い出されて、非常なお恵みをマリア様に感謝するばかりです。

ハーバード大学のリチャード・ライト教授の講義の方法、レポート提出は、東京の方も書かれていましたが、本当に良い方法だと思います!書く内容も、分かった事と分からなかった事だけでよいのでまとめやすいですし、東京での小野田神父様の公教要理のご講義も、受講された方のレポートを読むことにより私たちも要点を知ることができますので、とても嬉しいです!!この方法をご提案して下さった小野田神父様に感謝致します!

この「怒るな」というイエズス様の御言葉の御説教は、特に私には非常にヒットする御説教でした。全てを超えて主を愛する者の為には、天の特別の至福が準備されているから、この地上の事であまり腹を立てるな。という部分がスッと心に響き、せせこましい視野から広い視野に導かれるようでした。そして、怒りを感じたときに、それを表に出さずに、心の平和を保ったまま柔和に耐え忍ぶことは、マリア様からの特別の御保護がないと難しいので、その瞬間にすぐマリア様にイエズス様の聖心にお祈りしようと思いました!
私の為にもお祈りをお願い致しますm(_ _)m


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

本当に聖アタナシウス様は、現代の聖ピオ十世会と、ルフェーブル大司教様とピッタリと映るようです!実際にリベリウス教皇様から破門されていたなんて(゜Д゜;)
それでも今では聖人と讃えられ、このように祝日のミサを祝うのですから、ルフェーブル大司教様もいつか、ローマが聖伝に回心した未来では必ず聖人の位に上げられるのだろうなと思います!
無原罪のマリア様がこの聖ピオ十世会をいつもお守り導いて下さいますように!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんばんは!(*^▽^*)

7月1日初金のイエズス・キリストのいと尊き御血の大祝日の御ミサ、そして2日の初土のマリア様の御訪問の御ミサ、そして御聖体降福式など色々ありがとうございました!!

今年は至聖なるイエズスの聖心の大祝日も、イエズス・キリストのいと尊き御血の大祝日も、ちょうど初金曜日にあたって御ミサに与ることができて、本当に御恵みの年です!デオ・グラチアス!

御聖体降福式の時にも、6月に新しく叙階された聖ピオ十世会の神父様方の為に、日本から聖なる司祭の召命が輩出しますように、新しく大統領が就任されたフィリピンの為にお祈りさせて頂きました。

御ミサに与ると、それまで本当に自分は悪い状態で苦しくても、告解をして御ミサに与り、御聖体拝領をすると力を得て、心が平安になり、人にも親切にできるようになるのでとても嬉しいです。
そして今月はまた今週の金曜日にも御ミサがあるのでとても嬉しいです(o^^o)

デオ・グラチアス!



【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 15人(内、子供0人)
女: 29人(内、子供1人)
計: 44人(内、子供1人)


【報告】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!
トマス小野田神父様

小野田神父様、こんにちは!

今回は、御ミサの前にステファノ・ロムワルドさんの洗礼式でもお祈りすることができました。洗礼式は何度拝見しても天主様の語り尽くせないお恵みを感じることができ本当に感動します。

御ミサの感想をお送り致します。
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1.これだ!と分かった事
2つあります。
1つは、私たちが良い実を結ぶためには必ずイエズス様に結ばれていなければならないこと。
もう1つは、ゲッセマネの園でのイエズス様の御苦しみは過去の事ではなく、今現在私たちが犯している、犯す罪のために時間を超越して、まさに今、私たちのために苦しまれていること、
イエズス様はまさに今この瞬間、十字架に架けられて苦しまれながら、今私たちの上に御憐み御恵みを注ごうとしていらっしゃること
私たちが罪に打ち勝つと、まさに今、苦しまれていらっしゃるイエズス様を今おなぐさめすることができる、ということが分かりました。そして、すべての御恵み、御憐み、功徳、玄義が時間を超越していることも分かりました。

2.よく分からなかった事
今回はよく分かったことばかりで、よく分からなかったことはありませんでした。
しかしよく分からなかった事がないというのは、よく理解していないということではないかと思います。。不勉強なので、もっと勉強しなければと思います。

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イエズス様が私の罪によって、まさに今、御苦しみになられていると考えるともう本当に罪を犯す事はできないと思います。少しでも今苦しまれている、イエズス様の御苦しみ御悲しみを和らげることができるように、マリア様に助けていただき、私ができること(お祈りや断食、罪を避けること)をしようという決心を新たにしました。

また来週、御ミサに与ることができるのでとても幸福です。お忙しい中、何度も日本へ足を運んでくださる神父様に大変感謝いたします。!

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様
主日の午後書き止め 書き加えて送らせていただきます。
(悪文お許しください)

7月3日の説教で深く心に残る目覚めをいただきました。
「あっ!」と思いましたのは、マタイ7章15~21節の善き樹が結ぶ善い実とは何かについてのことです。
善い実とは ローマ書6章22節の「聖なるものとなるための実・・・永遠の生命なり」の中に出てくる言葉の“永遠の生命です”のことです、とそのように神父様はおっしゃられたように思われます。
私はこれまでマタイ書のこの個所を全く物質的の意味にしか読めないでいたことに気づきました。
善い実という表現が永遠の生命のことをさしているとは、これまでわからなかったことでした。

「(この世的な)何か良い結果を生じさせるようなもの」 が良い木であるのかなの程度でした。
ピンとこないながらもでしたが、恥ずかしい限りです。
この福音書の箇所の意味が(善い実とは永遠の生命のことであるということが)わかった今、いろいろなことの合点がいくように感じられます。
カトリックの教えというのは 本当はこのようにすっきりとした美しいものとわかり、とてもうれしく思いました。

そしてお説教の中で教えていただいたことですが、
マリア様が御胎内に御子キリストという実を宿されましたように、
私もよい葡萄の木であるキリストといつも内的生活の中でともにおられますよう、
内なる聖なる神殿におられるイエズス様をいつも見失いませんよう、
善い木であるイエズス様という木の枝につながっていることができますよう、
心を尽くし そうできますようお恵みをいただきたいと願っています。

神父様は 「意向が大事・大切です」とおっしゃられました。
その言葉をよく噛みしめたいと思います。
聖母の黙想会のご案内のお手紙もありがとうございました。

神父様はこのたび週末前までご実家にお帰りになられることができると伺いましてほっとしました。
長崎秋田の巡礼のお疲れがすっかり癒されますよう 
お身体もお心もすっかり安らかになられますよう お祈り申し上げます。

洗者聖ヨハネの賛歌 Ut queant laxis resonare fibris

2016年07月04日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

6月24日は洗者聖ヨハネの祝日でした。そこで、聖ヨハネの祝日に聖務日課で歌う有名な Ut queant laxis resonare fibris という賛歌にまつわるお話をご紹介します。

洗者聖ヨハネの賛歌(モンテカシーノのベネディクト会修道士であった助祭パウロ (Paulus Diaconus)の作った、サッポー詩節(Sapphicum)という韻律で書かれたもの)でその第1節は、11世紀にグィド・ダレッツォ(Guido d'Arezzo)によってソルフェージュの名前をつけるために使われました。

サッポー調というのは、次のようなリズムを持った詩のことです。

UT queant laxis || REsonare fibris
― U ― ― ― || U U ― U ― x

MIra gestorum || FAmuli tuorum
― U ― ― ― || U U ― U ― x

SOLve polluti || LAbii reatum
― U ― ― ― || U U ― U ― x

Sancte Iohannes.
― U U ― x
(― は長い、Uは短い、xはどちらでも可を意味します。)


グィド・ダレッツォ(Guido d'Arezzo)は、この賛歌の最初の三行の、ut, re, mi, fa, sol, la という最初の音節がドレミの音階の名前として使いました。最後の行(Sancte Iohannesの部分)はその時は特に使いませんでした。

しかし16世紀に7番目の音に名を付けるために Sancte Iohannes の最初の文字を取って SI をつかうようになりました。これは、フランダースのアンセルム(Anselme de Flandres)によるとのことです。

最初の ut は16世紀にイタリアで、do と置き換えられました。1536年には既に、ピエトロ・ダレッツォの書いたものの中に、イタリア語として使われた記録があります。このピエトロ・アレティーノ(1492 - 1556, Pietro Aretino, フランス語では Pierre l'Arétin)は、グィド・ダレッツォとは別の人です。これについての研究は、音楽家であった Corselis 神父(Mr l'abbé Corselis, Professeur de solfège et maître de chapelle du Collège du Sacré-Cœur de Tourcoing)のものがあります。

フランス語の語源辞典によると、17世紀初頭の人であったジョヴァンニ・バッティスタ・ドニ(Giovanni Battista Doni)が自分の名前の最初の音節から取ったのではないことになる、とあります。さらに、1673年にボノンチニ(Bononcini)が、イタリアの音楽家ドニの名前からとって ut を「ド」とした、という説もあるのですが、ドニとボノンチニとが生きている前から、既にドの名前が音符の名前として使われていた記録が残っていることから、ジョヴァンニ・バッティスタ・ドニを「ド」のゆかりとする説は否定されています。
Prononc. et Orth. : [do]. Ds Ac. 1878 et 1932. Étymol. et Hist. 1768 (ROUSSEAU). Mot ital. attesté dep. 1536 (l'Arétin ds BATT.) inventé pour remplacer ut*, moins facile à énoncer en solfiant; l'attest. de l'Arétin prouve que le mot n'a pas été inventé par G. B. Doni (1re moitié XVIIe s.) d'apr. la 1re syllabe de son nom. Fréq. abs. littér. : 68. Bbg. HOPE 1971, p. 360. SAIN. Sources t. 3 1972 [1930], p. 162.

http://atilf.atilf.fr/

http://www.cnrtl.fr/definition/do

Découvrir la musique médiévale は、以上のことを指摘して、ラテン語の Dominus から「ド」の名前が来ているという説を支持しています。

ラルース(Larousse)の音楽事典 « Dictionnaire de la musique »の Ut queant laxix の項によると、

このメロディーは、11世紀以前には(つまりグィド・ダレッツォ以前には)、そのソルフェージュのメロディーでは歌われたことがなかったこと、
そこでしばしば信じられていることとは反対に、グィド・ダレッツォは、この賛歌だけを利用したのであってもともとのメロディーを利用したのではなかったこと、
このメロディーは、同じサッポー詩節で書かれたホラティウスの叙情詩を歌うためにあった学習用の歌のメロディーから取られたか、あるいは、グィド・ダレッツォがソルフェージュのために作曲したか、のどちらかであること、
などが指摘されています。

実際、Silvia Walli の書いた Melodien aus mittelalterlichen Horaz-Handschriften. Edition und Interpretation der Quellen あるいは Jan M. Ziolkowski 著の Nota Bene: Reading Classics and Writing Melodies in the Early Middle Ages (Turnhout: Brepols, 2007)によれば、ホラーティウスの『歌集』4巻11歌1-20 Est mihi nonum superantis annum という叙情詩にこれと同じメロディーが付けられて11世紀の写本(Montpellier, Ecole de Médecine 425H)に残っています。

上記のラルース音楽事典は、ジャック・ヴィレ(Jacques Viret)とジャック・シャイエ(Jacques Chailley)が1981年に発表した発見についても言及しています。

それによると、よく「いろは歌の謎」などと言われる、例えば「とがなくして死す」というようなやり方の、深い意味がこの助祭パウロの詩には隠されていたとのことです。私の思うには、こじつけですが。

ジャック・ヴィレとジャック・シャイエによれば、この詩の中央に SOL という音節があり、これはラテン語では「太陽」を意味する。この「太陽」を文字でイメージすると SOL の真ん中の O の文字である。この O は、ギリシア語の最後の文字であるオメガに対応する。黙示録で天主は「私はアルファでありオメガである、はじめであり終わりである」と言っている。
この賛歌では SOL が、 FA と LA の音節に囲まれているが、これは ALFA アルファにつながる(中世ではアルファを ALPHA の代わりによく ALFA と転写した)。
ファの前は MI だけれども、これは M と I とから成立している。 M はラテン語では千を意味し I は一を意味する。マクロな世界とミクロな世界である。
FA と LA を ALFA と読んだように、SANcte IOhannes を IONAS と読むことができる。これは旧訳の予言者でキリストの復活の前兆である。云々。


では、 Ut queant laxis resonare fibris という賛歌の翻訳をご紹介します。

ラテン語

Ut queant laxis resonare fibris
mira gestorum famuli tuorum,
solve polluti labii reatum,
Sancte Iohannes.

このラテン語に一番正確なフランス語の訳は次の通りです。

« Afin que les serviteurs (de Dieu) puissent clamer à pleine voix les merveilles de tes actions, ôte l'erreur de leurs lèvres impures, saint Jean. »

インターネットで見つける訳では、本当は、gestorum tuorum (あなたの行為(複数)の)という意味なのに、リズムの関係で famuli tuorum となっていることに引きずられてか、famuli tui (あなとのしもべたち)という意味で訳したもののコピペが氾濫しています。

洗者聖ヨハネには、しもべたちがおらず、これは天主のしもべたちが、あなた(つまり洗者聖ヨハネ)の驚くべき生涯を歌うことができるようにして下さい、という意味なのです。そのところをこのフランス語はちゃんと理解しています。

英語で凝った訳として、ラテン語のリズムを生かして訳した次のものあります。

Let thine example, Holy John, remind us
Ere we can meetly sing thy deeds of wonder,
Hearts must be chastened, and the bonds that bind us
Broken asunder.

あるいは、

O for thy Spirit, Holy John, to chasten,
Lips sin-polluted, fettered tongues to loosen,
So by thy children might thy deeds of wonder
Meetly be chaunted

ベネディクト会のシスターであった Cecile Gertken, OSB (1902-2001) は次のように、ド・レ・ミという音を生かして訳しました。英語では Do が「ド」ではなく「ドゥ」ですけれど。

Do let our voices
resonate most purely,
miracles telling,
far greater than many;
so let our tongues be
lavish in your praises,
Saint John the Baptist.

日本語では、次のような意味になります。

しもべらがゆるやかな声帯で
御身の驚くべき行為を歌い響かせ得るように
けがれた唇の罪を赦したまえ
聖ヨハネよ。



韓国語の訳は次の通りです。

세례자 요한이여 들어주소서
위대한 당신업적 기묘하오니
목소리 가다듬어 찬양하도록
때묻은 우리입술 씻어주소서

中国語では、次のようです。

神的僕人以誠摯的歌聲
讚美令人驚嘆的神蹟,
以除去他們言語間的罪惡,
啊!聖若翰我們讚美你。

==2016年12月19日追記==

洗者聖ヨハネと使徒聖ヨハネ、の「ヨハネ」は、日本語では同じですが、中国語では(そして韓国語でも伝統的に)、別人だということを区別させるために、別の言葉で訳します。

天主教(カトリック教会)では、中国語訳(汉譯)として、
洗者聖ヨハネを「圣若翰洗者」と「若翰」とし、
福音史家使徒聖ヨハネを「约翰」として訳し分けています。

プロテスタント(新教)では、どちらも「约翰」とされているようです。

韓国語では、現代伝わるカトリックの教えは中国語経由で導入されたので、当時の漢字の韓国語読みを採用し、洗者聖ヨハネと使徒聖ヨハネとでは「ハン」に当たる漢字が別に当てられていたために、

洗礼者聖ヨハネを、요안
使徒聖ヨハネは 요왕
と訳し分けていました。

天主様の祝福が豊かにありますように!

==追記終わり==


では、日本語をもう一度ご紹介します。
聖務日課では、晩課、朝課、讃課の三回に分けて歌います。

【晩課】

Ut queant laxis resonare fibris しもべらがゆるやかな声帯で
mira gestorum famuli tuorum, 御身の驚くべき行為を響かせることが出来るよう
solve polluti labii reatum, けがれた唇の罪を赦したまえ
Sancte Iohannes. 聖ヨハネよ。

Nuntius celso veniens Olympo 高き天より御使いが来たりて
te patri magnum fore nasciturum, 偉大なる御身が生まれることを
nomen et vitae seriem gerendae 御身の名とその一連の生涯を
ordine promit. 正しく御身の父に預言する。

Ille promissi dubius superni 父は天からの預言を疑い
perdidit promptae modulos loquelae, 意のままに話す力を失った
sed reformasti genitus peremptae しかし御身は生まれると
organa vocis. 失われた声の喉を直した。

Ventris obstruso positus cubili 御身は閉ざされし母胎にあるとき
senseras regem thalamo manentem; 寝室にいる王を察知した
hinc parens nati meritis uterque ここから両の親は子供の功徳により
abdita pandit. 秘密のことを明らかにする。

【朝課】

Antra deserti teneris sub annis 御身は少年のとき民の喧騒を避けて
civium turmas fugiens petisti, 荒野の洞穴におもむいた
ne levi saltem maculare vitam 軽薄な会話でその生きざまを
famine posses. せめて汚すことがないように。

Praebuit hirtum tegimen camelus 駱駝が剛毛の衣服を、羊が腰紐を
artubus sacris, strophium bidentes, 聖なる体に与えた
cui latex haustum, sociata pastum 飲物は水であり食物は
mella locustis. 蜂蜜といなごであった

Ceteri tantum cecinere vatum 他の予言者達が予感の心で告げたのは
corde praesago iubar adfuturum, ただの光の到来にすぎなかった
tu quidem mundi scelus auferentem ところが御身は世の罪を取り除くお方を
indice prodis. 指を指して明らかにした。

Non fuit vasti spatium per orbis 広き世界の中でもヨハネに以上に
sanctior quisquam genitus Iohanne, 聖なる人が生まれたことはない
qui nefas saecli meruit lavantem 彼は世の罪を洗い清めるお方を
tingere lymphis. 水で濡らすを許された。

【讃課】

O nimis felix meritique celsi, ああ余りにも幸福で高き功徳の人
nesciens labem nivei pudoris, 白い純潔の汚れ知らず
praepotens martyr eremique cultor, いとも力ある殉教者にして隠遁の信奉者
maxime vatum! 最大の予言者!

Serta ter denis alios coronant 三十の果実をつけた冠が、他の人達を飾り
aucta crementis, duplicata quosdam, 別の人達をその倍の果実の冠が飾る
trina centeno cumulata fructu ところが聖者よ御身を飾るのは
te, sacer, ornant. 三百の果実を盛った冠なのだ

Nunc potens nostri meritis opimis 最善の功徳もて力ある御身は今こそ
pectoris duros lapides repelle, われらの胸の堅き石を除きたまえ
asperum planans iter et reflexos 起伏多き道をならし
dirige calles, 曲がれる小道を伸ばしたまえ

Ut pius mundi sator et redemptor 世の優しき救い主かつ贖い主が
mentibus pulsa livione puris 邪念の去った清い人々の心に
rite dignetur veniens sacratos 正しく聖なる足取りを置いて
ponere gressus. かたじけなくも来給わんことを。

Laudibus cives celebrant superni 天の住民は御身を称賛し奉る
te, Deus simplex pariterque trine, 一にして三位なる天主よ、
supplices ac nos veniam precamur, われらもまた伏して許しを願い奉る
parce redemptis.  贖われた者たちを容赦し給え。

Sit decus Patri genitaeque Proli 聖父および生まれし聖子に
et tibi, compar utriusque virtus, 聖父と聖子との等しく両者の力なる聖霊よ御身にも、
Spiritus semper, Deus unus, omni 唯一の天主よ、常に栄光あれ
temporis aevo. いつの世にも

Amen.アーメン

韓国語の訳もご紹介します。

세레자 요한이여 들어주소서
위대한 당신업적 기묘하오니
목소리 가다듬어 찬양하도록
때묻은 우리입술 씻어주소서

저높은 하늘에서 내려온사신
위대한 주님탄생 알려주시고
이름과 생애까지 일러주시며
낱낱이 아버지께 예고하였네

그약속 의심했던 당신아버지
그즉시 언어능력 잃으셨으나
당신이 이세상에 태어나시자
잃었던 목소리를 돌려받았네

어머니 모태속에 숨어계실때
태중의 임금님을 알아보시니
양친도 당신덕에 눈이밝아져
놀랍게 숨은사실 드러내셨네

드높은 하늘나라 시민들이여
하느님 삼위일체 찬미하여라
저희도 겸손되이 용서비오니
저희죄 사하시고 구원하소서

높은덕 빛나시는 세례자요한
죄없이 눈과같이 깨끗하시네
사막의 은수자요 크신예언자
용감한 순교자로 복되시도다

꽃으로 곱게꾸민 빛나는화관
성인들 머리위에 올려지나니
어떤이 이중화관 받아쓰지만
당신은 삼중화관 받아쓰셨네

무수한 공로세운 능하신이여
저희의 굳은마음 녹여주시고
함한길 고르시어 평탄케하사
굽어진 오솔길도 곧게하소서

만물을 지어내신 우리구세주
마음의 어지러움 물리치시고
깨끗한 저희마음 찾아오시어
거룩한 당신거처 마련하시리

드높은 하늘나라 시민들이여
하느님 삼위일체 찬미하여라
저희도 겸손되이 용서비오니
저희죄 사하시고 구원하소서

아멘.



「誰も兄弟に向かって怒る者は、裁きに渡される。」

2016年07月03日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年6月19日 聖霊降臨後第5主日に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年6月19日 聖霊降臨後第5主日
小野田神父説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2016年6月19日、聖霊降臨後第5主日のミサをしています。今日午後の14時30分からいつものように公教要理の復習会があります。

今日は「希望の徳について」、希望の徳と信仰の徳と愛徳と、一体どちらの方が一番上なのか、希望の徳に反対する罪とはどんなものがあるのか、不信仰と絶望と或いは慢心と、どちらの方が罪が重いのか、など皆さんと一緒に考察していきたいと思っています。
16時から第2晩課があります、主日の第2晩課があります。
明日の朝ここで7時からミサがあります。

7月は司祭の都合により、7月3日と10日の主日にここでミサがあります。これはできるだけレギュラーにしたかったのですけれども、レネー神父様の姪御さんがフランスで誓願を立てるという事で、レネー神父様がそれに黙想会を指導しに行かれて、その誓願式に与るという事で、その為に少し予定がずれました、どうぞご理解下さい。

8月10日から15日には、シュテーリン神父様が指導して下さるモンフォールによる聖母黙想会があります。これは非常に大切な黙想会なので、是非皆さんできるだけ与るようになさって下さい。8月10日から、10日の夜から15日のお昼頃までです。大阪で行います。


「誰も兄弟に向かって怒る者は、裁きに渡される。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日私たちの主は、「私たちの義徳が善徳が正義が、律法学士やファリサイ人の旧約の人たちが要求したよりも遥かに優らなければ、天の国には入れない。昔の人は言った、『殺すな』。しかし私は言う、怒るな。それだけでもう裁きに渡されるだろう。」

では私たちの主は、「怒るな」という事で、一体何を教えていらっしゃるのでしょうか?「怒るな」という事はどういう事なのでしょうか?もしも誰か私たちに不正な事をしたら怒って当然ではないでしょうか?当然の権利を要求して何が悪いのでしょうか?何故裁きに渡されなければならないのでしょうか?今日のミサ全体を、集祷文、或いは書簡書、その福音を、イエズス様の仰った「怒るな」という、この怒りの観点から黙想してみる事を提案します。ではこの「怒り」というのは何であって、何を怒ってはいけなくて、何を怒るのはいいのか?それから私たちは怒らない為にはどうすれば良いのか?或いは怒ってしまったらどうしたら良いのかを、一緒に黙想する事に致しましょう。

「怒り」というのは、聖人たちの言うには、「私たちの顔を引きつらせて動物のように醜くさせるのみならず、霊魂を破壊してしまって、理性を暗ましてしまって、すべての悪徳を私たちに開いて、注ぎ受け入れさせてしまうドアのようなものだ。」と言っています。

これは一体どういう事かというと、怒る事によって、私たちの正常な理性、或いは平常心が失われてしまうので、或いは冒涜、或いは不正義、或いは悪口、或いは讒言(ざんげん)、躓き、或いは憎しみ、憎悪などを私たちの心に注いでしまうからです。一体、善が何であるか、悪が何であるか、正しいものが何であるか、やりすぎが何であるかが分からなくなってしまいます。あまりにも情念が理性を暗ましてしまうので、理解が暗んでしまうからです。

その時の危険は、私たちにこの怒りが留まってしまう事です。怒りが留まってしまうと、これは簡単に憎しみになります。怒りというのが、急激にアッと起こったものだとすると、それが蓄積されて憎しみとなります。

聖アウグスティヌスは言います、「私たちは区別しなければならない。誰かが兄弟が犯した『罪』をその『悪』を憎むのは、それは時にはそれは合法的な事で、時には私たちの義務であるけれども、特に私たちが管理職や或いは指導の立場にある者にとっては、その悪を罪を憎むのは義務であるけれども、しかしその罪を犯した悪を犯した『兄弟』を、その『人』を、『罪人』を憎むのは、これは許されていない。」と。

ここで聖アウグスティヌスは、「罪を憎む」のと「罪人を憎む」のとは違う、「罪について怒る」というのと、「罪人を怒る」のは違う、という事を教えています。ですから私たちが、罪を犯したというが為にその人を憎む事は決して許されていません。例えそれがどれほど酷い罪を犯したとしても、その人を憎む事は許されていません。何故かというと、その憎しみは非常にしばしば復讐に変身するからです。

私たちは時々、「全くこれは不正義だ。もう我慢できない。堪忍袋の緒が切れた。」と、もう怒りにメラメラと燃え立って、もうグツグツと燃えるコンロかやかんのようにフーッフーッと言って、顔を真っ赤にしてもう台風が来たかのように、嵐のように怒るかもしれませんが、しかしよくある事は、それが静まってよく考えてみると、その人の立場に考えてみると、自分にとって「何かすごい悪い事だな。」と思った事も、その人から見れば「まぁ、そうしても有り得るかな。それもそんなに悪い事じゃなかった。」という事もよく起こりがちです。これは何故かというと、怒りによって目が暗まされてしまったからです。その暗まされた目は簡単に憎悪として、復讐へと成長していくからです。

ですからイエズス様は、「怒るな。」と教えて下さいました。

では私たちは、怒りを感じる時にはどうしたら良いでしょうか?怒りを感じないというのは難しいと思います。何故かというと、「怒り」というのは、聖トマスアクィナスによると、「悪に直面した時に、それに対して立ち向かおうとする時の感情」であるからです。もしも「悪が来た時に、それから逃げてしまう」というのは、それは「恐れ」と言います。しかし、それに立ち向かって何とかしよう、というのが怒りであるからです。

その時に私たちは、その怒りに対して、柔和を以て立ち向かわなければなりません。つまり「理性と心の平和を保ちつつ、立ち向かわなければならない」という事です。不平を言ったり、或いは情念の燃えるままに任せてしまう事なく、いわば「イエズス・キリストに倣う」という事です。

イエズス様は、イエズス様の聖心はこう言いました、「私は、心の柔和謙遜な者であるから、私に倣え。」と。またイエズス様は真福八端で、「柔和な者は幸いなるかな。何故なら彼らは地を受け継ぐであろうから。」と、柔和を私たちに勧めて下さっています。

聖パウロも言います、「憐れみの衣を着よ。互いに許しあえ。」と。今日使う聖パウロの書簡を読むと、まさにここにあります、「私たちは兄弟愛を愛し、柔和で、謙遜で、悪に悪を返すな。」と勧めています。

また集祷文では教会は、私たちの心をもっと上にあげて、「私たちは主を倣うが為に、主を愛するが為に、その全てのこの地上のものを超えて主を愛せ。」と。「何故かというと、全てを超えて主を愛する者の為には、私たちはもう見る事もできない、目も想像する事もできない、特別の約束が準備されているから。天の特別の至福が準備されているから、この地上の事であまり腹を立てるな。」と言っているかのようです。

実際に私たちの主もそうでした。イエズス様は真の王の王でありました。しかしその事を信じてもらえず、ローマ兵たちはイエズス様を喜劇の王として侮ったではないでしょうか。イエズス様の正義の当然の権利がどれほど否まれた事でしょうか。イエズス様が本当なら受けるべき尊敬は、どれほど拒否された事でしょうか。イエズス様がやった親切に対して、感謝の言葉がどれほど欠けていた事でしょうか。しかしイエズス様は、私たちの永遠の幸せを準備する為に、それを全て忍耐されました。

もしもイエズス様が忍耐されたのでしたら、私たちも当然、「あぁ、ビジネスクラスのお金を払ったのに、何だエコノミーしかくれないのか。」「これを、当然これをしたのに、それもなれないのか。」という事があったとしても、「当然受けるべき尊敬がなかった。」「当然受けるべき感謝がなかった。」「当然なされて然るべきものがなかった。」という時も、イエズス・キリストを思えば、私たちがどうしてそれを忍耐し、柔和に耐え忍ばない事があるでしょうか。

キリシタンたちもそうでした。キリシタンたちがお坊さんと色々討論した時に、ある時のお坊さんが唾を吐いたのです。それをその時に、キリシタンは何も言わずに拭いて、そのまま何事もなかったかのように話を続けました。当時、「人の顔に唾吐く」というのは非常に無礼な行為でした。「もうただ事ではおかない!何だお前!」と言って、ここで決闘が、もう人殺しが起こって当然だったかもしれませんが、何も起こりませんでした。このキリシタンに唾を吐いたお坊さんは後で、「私もキリシタンになりたい。」と言ってきたそうです。

多くの私たちの祖先、殉教者たちは、ミゼリコルディアの組によって、病気の人を看病し、貧しい人を助け、善を施し、愛徳を施してきました。そのお礼に政府は、この人たちを逆さ吊りにして、蓑を着せて火を点けて火踊りをさせて、或いは水攻めにして、或いは爪の間に釘を刺してそれで土を引っ掻かきさしたり、拷問の後の拷問、一体本当に、受けるべき善に対する感謝もなかったどころか、却って悪さをされました。しかしキリシタンたちは、それを許す許しと、忍耐と、感謝と、平和の心でそれを耐え忍びました。

それを見ると、私たちが他の方々から受ける、この21世紀に受ける屈辱や、侮辱や、悪口や、その他嫌がらせというのも、本当に子供の遊びのように思われます。

ではもしも、つい私たちが不幸にして怒ってしまったならば、どうしたら良いでしょうか?誰かから注意されたので、その注意してくれた事を「ありがとう。」とも言わずに、「何だ!」と怒ってしまったり、或いは私たちが何か善意で言われた事を「屈辱だ」と思って、「侮辱された」と思って腹を立てたり、或いは「当然怒るべきだ!」と思って怒ったものについてはどうしたら良いでしょうか?

イエズス様はまず、「もしもそういう事を思い出したならば、例え天主様に対する祭壇に生け贄を供えるという事であったとしても、その前に和解して、それから祭壇に供えるように。」つまり私たちの心に、その怒りをまず消し去る事を要求されています。

旧約聖書の中で、ヨブの中にもありました。ヨブは財産を全て失っても、「それは全て主が下さり、主が取り去り給うた。主の御名は讃美せられさせ給え。」旧約聖書では、ダヴィドが悪口を言われた時に、「これは、主が彼らの口を使って、私に言わしめているのだ。」と言いました。

ですから私たちはこの6月に、イエズス様の聖心の中に深く入る事に致しましょう。イエズス様が耐え忍んで下さったそのすべての苦しみの為に、イエズス様が私たちに持っておられるそのすべての愛の為に、イエズス様を愛するが為に、イエズス様を全てを超えて愛するが為に、私たちに永遠の命が、全てを超える喜びが準備されているが故に、この地上の事を全て、柔和に、平和のうちに耐え忍ぶ事ができる御恵みを乞い求めましょう。

「私は言う、もしも兄弟に対して怒るならば、あなたは裁きに渡される。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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