婚姻の目的
ルフェーブル大司教は、共産主義に反対するのみならずキリスト教的婚姻を擁護するというこの極めて崇高な行動の主要な推進力であった。キリスト教的婚姻の擁護とは、つまり、婚姻の第一の目的として出産を人間の愛の上に置くという伝統的な教理【レオ十三世の回勅『アルカヌム』、1917年版カトリック教会法典1013条§1、ピオ十一世の回勅『カスティ・コンヌビイ』など参照】を擁護することだ。
ルフェーブル大司教はすでに公会議間に、自由主義者たちが婚姻において二つの目的の転倒をはかっていると告発した事があった。
「47ページ、16目行以降の婚姻に対する章は、夫婦間の愛を婚姻の第一要素だと紹介し、出産という副次的要素の前に置いている。全章を通して、49ページ、24目行と 25目行にあるように、夫婦の愛をすなわち婚姻であると同一視しています。
これも、教会の聖伝の教理に反しています。それを認めるとすると、極めて悪い結果に至るようになるでしょう。もしもそれがそうであるなら、実際に、こういうことになってしまうでしょう。つまり、"夫婦間の愛がない、従って、婚姻もない!" と。ところで、すでに夫婦間の愛のない婚姻が、どれほど多くあることでしょうか! それにもかかわらずこの婚姻は正真正銘の婚姻であるのです。」
これには極めて重大なことがかかっていた。つまり、新しい教理を受け入れると、産児制限、避妊を奨励することであり、堕胎を許容することに繋がり、どう転んでもキリスト教家庭を必ず崩壊させるものだった。
一年前の1964年 10月 29日、スーネンス枢機卿が出産に反対する攻撃を指揮し、それに対してオッタヴィアーニは自分が 12人という多くの兄弟と一緒に育った貧しい家庭に生まれたことを例に出してスーネンス枢機卿に対して素晴らしく抗議したこと、次に、ブラウン枢機卿が“Cauti ergo esse debemus! 夫婦間の愛の権利をあまりにも誇張して人々が要求するとき、私たちは警戒しよう!”と叫んだこと、などの感情を高ぶりをルフェーブル大司教は思い出していた。
一年後の 1965年 11月 25日、パウロ六世が介入して概要の XIII にあるこの主題に関する四つの修正案を押しつけた。なかでも一つは避姙に関するものだった。
しかしパウロ六世は、婚姻の二つの目的の秩序を回復させなかった。そこで、ルフェーブル大司教はそれを変えるために最後の試みをしたが、残念ながら成功することはできなかった【概要 XIII の第一章に関する1965年12月2日の投票では、131名の教父が無神論に関する部分を拒絶したが、婚姻と家族に関する部分については155名が拒絶していた。1965年12月7日の全体投票の際には、反対票は75票に減少していた】。
共産主義を明確に断罪するのを拒否したのと同じく、最終文書では、婚姻の目的の順序を入れ替えることになった。『現代世界における教会にかんする司牧憲章』すなわち Gaudium et Spes -- 喜びと希望 -- の公布は、ルッフィーニ枢機卿が記述したように、むしろ‘Giorni di dolore’(悲しみの日)であった。
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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員
- 12.1.1.「いと高き者の息吹を受けて...」
- 12.1.2.タルディーニ枢機卿の公会議事前準備
- 12.1.3.天主の国に入り込んだトロイの木馬
- 12.1.4.最初の小競り合い
- 12.1.5.グレゴリオ聖歌及びローマの聖伝ラテン語ミサの保護者
- 12.1.6.一般の平信徒の使徒職と王たるキリスト
- 12.1.7.教皇ヨハネの二重性
- 12.1.8.劇的な対立(その1)
- 12.1.9.劇的な対立(その2)
- 12.1.10.劇的な対立(その3)
II. 革命が始まる
III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)