Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【質問】祝別の意味とはなんですか?祝別されるとものはどうなるのですか?

2010年05月31日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 御質問を頂きましたので、ご紹介いたします。

【御質問】
 お恥ずかしい話ですが、私は今まで祝別の意味を考えた事がございません。
祝別とは、只の物が祝別後はもはや只の物でなく、信仰の役に立つ物になる、とNovus Ordo のカテケージスで教わったのですが、これは正しかったのでしょうか。

【お返事】
 カトリック教会には、秘蹟と準秘蹟があります。
 「祝別」というのは、準秘蹟に相当します。

 ご存じのように、秘蹟は、私たちの主イエズス・キリストが直接に制定したもの、準秘蹟は「カトリック教会」が制定したものです。

 準秘蹟を制定したのは「カトリック教会」であると、カギ括弧付きの「カトリック教会」と書いたのは、準秘蹟の中には、イエズス・キリストからその制定が由来しているものもあるからです。例えば跣足式です。しかし、たとえイエズス・キリストが積極的な意志と行為で制定したのではなく、「カトリック教会」(=イエズス・キリストの神秘体)の意志と行為で制定されたとしても、準秘蹟の偉大さは軽視できません。

 秘蹟も準秘蹟も、天主の命を与えるために制定されました。秘蹟も準秘蹟も、イエズス・キリストの御受難と復活の贖いの業の功徳が元になっています。ただし、秘蹟と準秘蹟とでは、その性質も効果も強さも子となっています。

 弱き人間には、常に超自然の助けが手元に必要です。その助けとして準秘蹟があります。

 人間は、天国に行くために被造物によって邪魔される弱さを持っていますから、準秘蹟は天への道行きの助けとして、それを照らし、保護し、体と霊魂の保全を促進します。

 カトリック教会法典1144条によると、準秘蹟は「教会の取り次ぎを通して効果を得るために、特に霊的な性質の効果を得るために教会が使用することを望む物および行為」です。

sacramentals are objects and actions which the Church is wont to use, somewhat as she uses the sacraments, in order to obtain through her intercession effects, especially effects of a spiritual nature (can. 1144).

 準秘蹟の効力は、カトリック教会の祈りと取り次ぎの力によります。準秘蹟を使う人々の信心によるだけではないのです。

 秘蹟は、事効的に "ex opere operato," 働きます。つまり、自動的に・秘蹟を執行したことによって効力を持ちます。

 準秘蹟は、それを使う人々の信心の程度によって "ex opere operantis," 働きます。たしかにこれは真理ですが、しかし、準秘蹟の効果性はそれだけではないのです。準秘蹟は、行為する教会の業によって "ex opere operantis Ecclesiae" 働くと言えます。まず、キリストの神秘体としての教会、キリストの花嫁としての教会の祈りの力によるのです。

そこで準秘蹟は3つのグループに分類できます。
(1)天主の礼拝に関する空間や人(司祭や司教を除く)や物にかんするもの【祭壇の聖別、修道女の聖別、祭服の祝別など】、
(2)ミサ聖祭や秘蹟の執行のために使われる物にかんするもの【祭壇の献香、聖福音の朗読、洗礼式での様々な儀式など】、
(3)教会における礼拝から延長上にある、キリスト教の家庭生活、仕事などにかんするもの【家の祝別、動物や畑の祝別、道具の祝別、水、塩、薬草の祝別、王や女王の祝別、ペストの時の害虫や有害な動物の祝別、火事や嵐や地震や洪水などから人間を守るための祝福など】。

 もちろん、準秘蹟をつかう信徒の心の状態も効果があるかないかの決め手になります。

 そこで、もしも、何かが準秘蹟として祝別されたのならば、祝別後はもはや只の物でなく、信仰の役に立つ物になるのです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ルフェーブル大司教伝記 19.2.7.『ドゥビア』(信教の自由への疑念)に対するローマの回答‐決断

2010年05月31日 | ルフェーブル大司教の伝記
『ドゥビア』(信教の自由への疑念)に対するローマの回答‐そして決断

 大司教はローマが1987年3月9日に与えた信教の自由への疑念 に対する回答に“第二の摂理的印”を見た。1985年10月に、信教の自由の教えとカトリック教会の従来の教えとの間にある食い違いに関して、39に及ぶ「疑問」を大司教は教理聖省に提出していた。

 ピオ九世が、その回勅『クワンタ・クーラ』の中に要約したこの聖伝に基づいた教えは、唯一の真の宗教を守る為に、“カトリックの宗教を攻撃する人々を法的刑罰によって処罰する職務”を国家に承認している事が思い出される。ところで、信教の自由に関する公会議の宣言は、如何なる人間的権威も、ただ単に偽りの宗教であるという事を理由に、誤った宗教儀式を公に行う者をそれが誰であれ妨げる権能を持てないとする【信教の自由に関する宣言3】。

 この『ドゥビア』(信教の自由への疑念)に対するローマからの回答は“とりわけ有能で信頼を置かれたある神学者” によってフランス語で書かれ、50ページから成っていた。それは、例の『ドゥビア』(信教の自由への疑念)の個別の疑念に関して何一つ答えていなかった。

 この回答は、信教の自由に関する教義は“間違いなく新しい”ものであると認める一方で、この教えは“連続における教義の発展”の行き着く先であると主張した。

 マルセル・ルフェーブルは何時もの洞察力で、即座に教理聖省の神学者が提示した論拠の核心を識別した。それは“自律的活動の社会的空間”と主張されるものであり、そこにおいて人間は自らの尊厳を理由に、国家が干渉をすることも出来ずに、宗教的な事柄において公然と行動する事が出来るというものだった。

 とんでもない!と1987年7月8日、ルフェーブル大司教はラッツィンガー枢機卿に回答した。

「国家が、社会において、個人の公的で人間的な行為に関して干渉し得ない領域などない。何故なら、公的で人間的なものである以上、その行為は徳を立てる、或いは躓きを起こす主体となる倫理性を有しているからだ。国家が躓きを容認しなければならないと信じるのであれば、この国家は全聖伝が語っている寛容さに従って行動する 。」

 大司教は自分の司祭らの一人にこう書いた。
「要するに、信教の自由というこの新しい概念を支持する人々は、天主により定められた摂理的秩序、すなわち天主が創立した様々な社会と、これらの社会に対し個人の統治を目的として天主が与えた掟から、ある意味で、人間の人格(ペルソナ)【道徳的行為の主体としての個人】を免れさせることを、どんな犠牲を払っても望んでいるのです。」

 結局のところ、この社会的自律空間というものは、天主の愛徳の寛大なほとばしりが取り上げられているのである。

 1987年6月になるや、大司教は聖主イエズス・キリストの社会的君臨の破滅状態に関する書、『彼らは主から王冠を剥奪した』を出版した。この本はパウロ六世や第二バチカン公会議、及び“今日のローマ当局”を問題にした。それから1987年6月29日の説教は、雷の強打の如く炸裂した。大司教は、司教たちを聖別するぞと脅したのだ。

 その説教で『ドゥビア』(信教の自由への疑念)に対するローマからの回答は、自分が待っていた印、つまりアシジ【の諸宗教祈祷集会】以上に深刻な印であると述べた。

 何故なら、重大で【信仰の】躓きになる一つの行為を行う事と、実践において悲惨な結末をもたらすような原理、つまり聖主イエズス・キリストの王冠剥奪と“あらゆる宗教のパンテオン【万神殿】”を生み出す誤った原理を主張する事とは、別のことであるからだ。

 このことを確認する事を通してルフェーブル大司教はこの背教という結末について思い巡らすように強いられた。それは、教会が今苦しんでいる受難の渦中において、天主が見捨てる事をお望みにならないカトリック教会のため、また聖ピオ十世会---「この事業は天主様が私たちの手に委ねたものである」---のためである。

「【司教聖別の】明白な必要性がそこにはあります。ですから私は、この事業を存続させる為に後継者たちをつくることになるでしょう。何故ならローマが今、闇の中にいるからです。」  

 そして、密かに【in petto】彼はその日をその年の王たるキリストの祝日と決断した。

 聖伝の小世界は、「停船を求める警告射撃」に動揺した。ローマは不安になった。エコンの大司教は、【司教聖別の】脅しから嘆願へ移る為に自分がもたらしたこの衝撃の状況を利用した。

 7月8日、彼はラッツィンガー枢機卿に手紙を書いた。
「私たちは、枢機卿閣下の仲介を通して教皇聖下に対し、聖伝の自由な行使の許可を与えて下さるように、そしてデ・カストロ・マイヤー司教閣下と私自身が、私たちが選んだ補佐司教たちを聖別する事を許可して下さることを嘆願致します。」

 しかし、これに続く次の言葉はカプタツィオ・ベネヴォレンツィエ【captatio benevolentiae:迎合的表現方法、善意を引き出す事】からは程遠かった。

「過去に根拠を有さず、言わんやむしろ永久に変わらぬ教導権に反している新しい教導権というものは、たとえそれが異端的ではないとしても、離教的でしかありえません。聖伝を破壊しつくそうという継続的な意志は自殺的意志であり、その事実によって、真実かつ忠実なカトリック信徒たちが、生き残りと霊魂の救いの為に必要なあらゆる手段を手段を採る事を正当化するのです。」


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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.2.6.裁治権なき司教たち

2010年05月30日 | ルフェーブル大司教の伝記
裁治権なき司教たち

 聖ピオ十世会内部で、大多数の軍勢【たる司祭たち】は創立者の大司教に信頼した。それにも拘らずエコンでは、反乱精神を拡散していた6名の神学生たちが退校した。他方でドイツのババリアの神学校の校長には、疑念と不信が存在した。
 フランスでは、管区長ポール・オラニエ神父が司教職の特別な行為に関する研究 を準備させ、又同時にフランソワ・ピヴェール(François Pivert)神父は教皇命令のない司教聖別を、教会による栽治権補足の名によって正当化する文書 を著した。それによれば、ルフェーブル大司教をして既に、裁治権者たる教区長たちの許可なく自分が説教を行い、堅振を授ける事を可能にしたものと何一つ変わらないレベルで補足されるカトリック教会の裁治権を以ってこの司教聖別を行う事が出来るのである。

 1986年9月にルフェーブル大司教が指導したエコンでの司祭黙想会中に、ルフェーブル大司教は自分が聖別するだろう司教たちの制限された任務と、この彼らに課される制限は離教の臭いでさえも一切予防するだろう事を明確に定めた。

「彼らは私の補佐になりますが、一切の裁治権を持たず、単に堅振及び叙階を授ける為だけの司教ですが、それでも聖ピオ十世会内部では或る役職を持つことができます。しかしカトリック教会の目には、重きをなすのは総長です。司教たちは聖ピオ十世会の奉仕のための者です。カトリック教会の一員であって、カトリック教会の認可を受けたのは、聖ピオ十世会なのです。」
「これはもう一つ別の“並行教会(parallel Church:又は対立教会‐【訳者】)”を作ることでは絶対にありません。この司教聖別の目的とは、ただ司祭を叙階する司教がないからと言う理由で聖ピオ十世会が死に絶えることがないようにするため、この会を存続させる為なのです。」
「そして、永久なるカトリック教会の真理がローマに戻ってくる日には、これらの司教たちは己が司教たる位階を教皇の手に委ね、彼に「聖下、私たちはここにおります。私たちをどのようにすることをお望みでしょうか?もし聖下がお望みなら、平凡な司祭として私たちは生活するでしょう。もし、聖下が私たちをご利用になりたければ、そのようにして下さい。」と言うでしょう。」
「しかし留まるのは聖ピオ十世会です。これこそが、天主によって望まれた天主の業なのです。」


  ザイツコーフェンの神学校で、大司教は重要な質問をした。
「もしもローマがこの司教聖別に対する許可を拒絶するとしたら、それはこのような行為が悪いからでしょうか? いいえ違います、それはただ、今のローマの自由主義的かつ近代主義的な方針に反しているからです。」

彼はこう締め括った。
「私は、自分が非常に沢山の恩寵を与えたばかりの聖ピオ十世会が消滅するのを天主がお望みになるとは思いません。天主様が現時点まで‘進め、進め!’と言っておきながら、突然‘止め!’と言うだろうなどとは理解していません。事業が善であるならば、天主はそれが続く事をお望みです。」

 従って、この司教聖別は、天主が御自分の教会の善を求めてお望みになる事業の生き残りのために、謙虚で自己保存のための一時的な措置でしかないだろう。しかし、その歴史的重大性は、カトリック教会を揺さぶる危機の大きさに匹敵するであろう。



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聖ピオ十世会のアジア管区では5月1日から11月1日まで聖なる召し出しを求めて祈るための特別の期間設定

2010年05月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
聖ピオ十世会のアジア管区では、
今年の5月1日から11月1日まで、
カトリック教会のために多くの聖なる召し出しを求めて祈るための
特別の期間を設定しました。

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年の5月1日から11月1日まで、聖ピオ十世会のアジア管区では、カトリック教会のために多くの聖なる召し出しを求めて祈るための特別の期間を設定しました。いわば、ロザリオの十字軍のアジア管区版のようなものです。

 「カトリック教会に多くの聖なる召し出しが与えられるように」という意向で、ロザリオ、連祷、犠牲、その他多くの祈りを捧げる期間です。

 そこで、この期間の間(5月1日から11月1日まで)に、「カトリック教会に多くの聖なる召し出しが与えられるように」という意向を付けて捧げてくださったお祈りを是非ご報告ください。また、ロザリオの十字軍の時のように、お友達やご家族の方々にもお祈りを呼びかけてください。

 真理や天主やイエズス・キリストやカトリック教会を守るために、罪の償いのために天主に受け入れられる唯一のいけにえであるミサ聖祭を捧げるために、日本から聖なる召命の恵みがたくさん与えられ、多くの寛大な霊魂たちが輩出しますように! カトリック教会がまた再び、主をお慰めする霊魂であふれますように! 若い霊魂たちが、学生たちが、永遠の命が懸かっている召命に目覚めますように! 日本中に、いえ、世界中に日本からの聖なる召命が飛び立ち、イエズス・キリストのために誤謬と罪とに戦いを挑みますように!

 愛する兄弟姉妹の皆様がロザリオの十字軍の時に見せてくださったときと同じような、更なる寛大なご協力をお願い申し上げます。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2010年6月の聖伝のミサの予定

【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

   6月18日 金 17:30 教会博士証聖者助祭シリアの聖エフレム(3級祝日)白 小斎
   6月19 日 土 11:00 童貞ファルコネリの聖ユリアナ(3級祝日)白

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
   6月19日(土)午後6時30分 グレゴリオ聖歌に親しむ会
   6月20日(主)午前10時   ロザリオ及び告解
         午前10時半    ミサ聖祭
         午後2時半ごろ  公教要理の勉強
         午後3時半ごろ  休憩
         午後4時    グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
   6月21日 月 7:00 証聖者ゴンザガの聖アロイジオ(3級祝日)白
   6月22日 火 7:00 証聖者司教聖パウリノ(3級祝日)白

2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)の写真をご紹介します。

2010年05月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010 の写真をご紹介します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

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聖ピオ十世会:2010年の聖霊降臨の聖伝の巡礼(シャルトル・パリ)Pèlerinage du Sacré Coeur - Pentecôte 2010

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.2.5.突風のような見解の乱れ

2010年05月29日 | ルフェーブル大司教の伝記
突風のような見解の乱れ

 「もし行動しなければならないとしたら、御摂理は私たちの解決策が明確でさらに信徒たちのセンスス・フィデイ(Sensus Fidei)、つまり信仰の良識と一致するようなやり方で、諸状況を準備するでしょう。」

 そういう訳で、1985年ごろに大司教は数人の一般信徒たちに、内密の内に相談し、教義的、あるいは司牧的な論拠を伴う見解を求めた。2月22日、彼はクレド連盟の事務総長を務める友人ジャック・シュヴリ(Jacques Chevry)氏に手紙を書いた。

「この司教聖別問題はとても難しく、それに関する見解は非常に分かれています。私の良く知るケナール(Quénard)神父様がとても入念に作成した研究論文 を、貴方が送付して下さった事に感謝しております。御摂理が教皇の業と、行動、さらに言葉を私たちの目前で明らかにしているところであり、この人は一体誰なのだろうかと本当に自問してしまう程、私たちはいよいよ呆れて物も言えない状態にあると言わなければなりません。」

 数ヶ月が過ぎ去り、大司教は沢山の忠告を受けた。例えば、J.レイノ神父は大司教に対し、“完全秘密裏に”司教聖別を行う事を提案した。これは“最高評議員たち”の意見であった。大司教はこれに対する回答として、このような教会の行為は、いかなる曖昧ささえもあってはならないので、自分は公然と行動するだろうと答えた。

 ミシェル・マルタン(Michel Martin)氏は、ド・ローム・エ・ダイヨー(De Rome et d’Ailleurs:ローマと他の場所から)誌の中で、「聖伝主義はやりすぎの反動によって自殺行為を犯してはならない」と題する記事を書いた。彼はこう綴っている。

「もしも一般の教会つまりヨハネ・パウロ二世の教会と、反乱の教会とのどれか一つを選ばなければならないとしたら、明らかに大々多数の聖伝主義者達はルフェーブル大司教から分離するだろう。」  

 ジャン・ギトン(Jean Guitton)氏は大司教宛に手紙を書いた。「もし【ローマとの】断絶が発生すれば」、貴方の下にいる司祭たちはどうなるのですか?「彼らはどれほどの良心の呵責のドラマに投げ入れられ、解体され、途方に暮れなければならないのでしょうか?」

 ドン・ジェラールは発言を控えていたが、1986年8月22日、聖母マリアの汚れなき御心の祝日に、聖なる童貞マリアに対し“離教(と異端)の攻撃が私たちのところまで通過することなく私たちの壁に突き当たって砕け散るように”と祈った。

 上層部において犯される棄教と躓きに直面して、司教聖別を行ってくれるようにとルフェーブル大司教に駆り立てるような数々の要求も沢山あった 。「[パリの]聖ニコラ教会に所属する最初からの聖伝主義者の或る一人」は、“常に忠実で、常に刷新された司教職を与えるという、強固で親切な援助の【司教聖別という】行動”を懇願した。彼はこう書いた。

「大司教閣下、この司教職を一体誰が、私たちを聖ペトロに結び付ける鎖を断ち切ることなく、私たちに下さることが出来ますか。貴方以外の一体誰が?」

 この良識に満ちた考察は、崇高なセンスス・フィデイに満ちていた。つまり教義の使徒継承性こそが何よりも重要なのだ。

 最後に、ジョゼフ・クニッテル(Joseph Knittel)博士は、恐らく最も思慮に富んでいた。
「この重大な任務において、何を大司教閣下が行おうと決心しようとも、閣下とカトリック教会に対する私の揺るがぬ忠誠を当てにして下さって結構です。」


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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.2.4.マスメディアを駆使する司教

2010年05月28日 | ルフェーブル大司教の伝記
マスメディアを駆使する司教

 さらに一司教を立てる(司教を聖別する)ことに聖座が明示的に介入することは、神法により要求されない。ラテン教会の初期の数世紀に築かれた歴史がこれを立証している。

 「全ては暗黙の了解だった。それは使徒座との交わりという単なる意志に含まれていた。聖座に反して行動していない限りは、聖座に従って行動していると聖座それ自体によって認められていた。」

  大司教はこう考える。
「私は聖座に反して行動していません。何故なら私はカトリック司祭職を救う為に行動するのだからです。」

 加えて言えば、ルフェーブル大司教は次のようにも指摘された。教皇の至上裁治権は、それが神権に属していることは確かだが、それでも単に裁治権にすぎない、言い換えれば、カトリック教会の共通善の為に秩序付けられた権能なのであって、自由裁量的に行使できる権能でも絶対的支配の権能などでもない。それ故、権威が共通善を危うくするような機能不全を起こしても、カトリック教会それ自体が、例えば司教団の一成員が特別な行動を取ることによって、補足する事の出来ないような権能はない。

 大司教の【司教聖別への】小心が薄れれば薄れるだけ、ローマの恐れは大きくなった。1983年7月20日、ラッツィンガー枢機卿は大司教宛に手紙を書くのが適切だと考えた。「教皇聖下は、貴方が(…)正に離教の開始となるもの、つまり司教聖別を挙行はしないだろうという事をご存知です。」

 枢機卿はマスメディアを通してルフェーブル大司教からの返答を得た。マスメディアを駆使する大司教は、1983年12月9日に、自分の“司教声明文”の機会を利用し、ロワシーに居合わせた報道関係者たちへ問いかけながら、喜んでローマに回答し、ローマの反応を探るための第二の「観測気球」として流した。

 「皆さんは全員、私が司教を作るつもりだと発表すると考えてここに来たのですね。」(笑)
 「大司教閣下」とある報道記者は質問した。「では何故、閣下は司教を作らないのでしょうか?」
 「何故なら、依然として私は、それ【司教聖別】が一見して、ローマとの断絶の行為であるかのようにみえるでしょうし、そうなればこれは深刻だろうと考えているからです。私は‘一見して’ともう一度申し上げます。と言いますのも、私は自分の行動が天主の御前では、カトリック教会の歴史、カトリック教会と(…)そしてカトリック司祭職の存続の為には必要な行為となる可能性があると考えているからです。ですから、いつかある日にそれをするつもりだと言うのではなく、むしろ、さらにより悲惨な状況が至るならば、私はそれをするつもりはないとは申し上げません。」

 二年後に開催されたシノドゥス(司教会議)の前日、ルフェーブル大司教とデ・カストロ・マイヤー司教たちは教皇に手紙を書き、自分たちは“カトリック教会がカトリック信仰に忠実な聖職者を保存する為には必要とあればどんな決定でも下す”状況になり得ると表明した。

 当然ながら、(1986年1月20日)ラッツィンガー枢機卿はルフェーブル大司教に、教皇は大司教が“カトリック教会との交わりに決定的な断絶を構成するような行動は取らないよう”要求している旨を伝えた。5日後(1986年1月25日)、アシジの集会の告知を以って、ルフェーブル大司教は待っていた最初の印を御摂理から受けたと考えた。



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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.2.3.ルフェーブル大司教の論拠

2010年05月27日 | ルフェーブル大司教の伝記
ルフェーブル大司教の論拠

 大司教は自分の論拠を教皇聖座空位論(セデヴァカンティズム)に置く事を避けながら、つぎの様に論じた。

「信徒たちの状況と現在の教皇職の状況にある問題は、裁治権による反論や不従順という反論、及び使徒継承性という反論を無効にしています。上述したこれらの概念は、信仰においても、[カトリック教会の]統治においてもカトリックである教皇の存在が前提条件となっているからです 。」

 歴史に基づいた論拠は、この根本的な論点を後に補足するだろう。サモサタの司教だった聖エウゼビウス(380年没) の例がはっきりと証している。アリウス派の異端がもたらした危機の時、追放の地から帰還した彼は、多くの地方の教会に牧者たる司祭が不足しているのを知り、シリア、フェニキア、さらにパレスティナを巡り始め、彼には現地の教会に対して一切の裁治権がなかったにも拘わらず、司祭、助祭を叙階し、さらに正統な教義を持つ司教たちを聖別した 。ルフェーブル大司教は、ドン・グレアによる論評を読みその内容に賛成した。

「もし歴史が、機能不全に陥っている諸教会の為に“医者”の役割を果たしたことを示しているとするならば 、それは同時に、どれ程緊急な状況が司教たちにこの行為を要求していたのかを我々に語っている。この行為を正当化するには、(1) 正に宗教の存在そのものが危うくされ、(2)地方の司牧者(司祭)たちの職務が完全に破壊されるか、あるいは無能にされ、(3)さらには聖座からのいかなる救済も一切期待できないという差し迫った必要性がなければならなかった 。」

 実にこれが現在の状況である。ローマへの救済依頼は、依然として物理的には可能ではあったが、この教皇聖下に染みこんだ精神により、つまり“偽りの諸宗教との交わり”や、さらに“カトリック教会に息吹く姦通的な精神”、“カトリック的ではないこの精神”により、道義的・精神的には不可能になっている。

「20年間、私たちは忍耐強く堅固に、カトリック教会の刷新と、霊魂の救い、さらに天主の栄光の為に、正統な健全な教義と聖伝とに立ち返る必要があることをローマ当局に理解させようと努力しました。しかし彼らは私たちの嘆願に耳を閉ざし聞こうとしなかったのです。おまけに、彼らはカトリック教会を蝕む第二バチカン公会議とその改革が申し分なく根拠があると、私たちが認めることを要求しています 。」

 こうしてドン・グレアが挙げた3つの条件は、満たされた。

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.2.2.司教聖別に関する神学的協議

2010年05月26日 | ルフェーブル大司教の伝記
司教聖別に関する神学的協議

 しかしルフェーブル大司教は、教皇の命令(mandatum)もなく挙行する司教聖別の合法性については、側近者たちの助言を求めようと決定した。

 アルバノにある神学校の教授の一人で、教会論を教えているフィリップ・ル・ピヴァン(Philippe Le Pivain)神父は、短い研究論文を書き、このような行為は最高位の牧者【教皇】が有する特権を横領する事になり、唯一人教皇だけが、配下の牧者【司祭】らを特定の羊の群れ【信徒たち】に配属する事が出来る、従って、このような行為は使徒継承性の中断となるだろう、と説明した。

 これを読み終えると「これがカトリック教会の教えです」と大司教は言った。これが、彼の協力者たちの持つ一般的な見解だったが、彼はこう考えた。「この教えは、私たちの手に届くことが出来るカトリック教皇の存在を前提としている。」

 ルフェーブル大司教がリオを訪問した際、ドン・アントニオ【デ・カストロ・マイヤー司教】は、自分に代わってアルベルト・ナヴァッロ(Alberto Navarro)司教が教区長となったカンポスでは“あからさまな迫害”があると言う事を彼に伝えた。この新司教は現地の神学校を閉鎖すると、教授たちを罷免し、神学生たちは退学にさせ、永久のミサに忠実な司祭たちをその担当小教区から追放した。

 しかも“私たちに司祭を残して下さい!”と記された横断幕を掲げた様々な教会の前に多くの人々が集まっているのを無視してのことであった。ブラジル駐在教皇大使や、ブラジル司教団、そして典礼聖省も【つまり誰もが】、寄ってたかって彼らに反対して同盟した。


 「警察によって実力行使で小教区から強制排除されるのを待たないで、緊急の小教区を今すぐに結成して下さい。」と大司教は彼らに助言した。彼らが何故、昔のミサに対して忠実であるのかという理由を説明した小冊子はローマに送られたが、ローマの諸聖省からの回答はなかった。つまり彼らにとって、もはやローマに頼みを賭けることは無益なのだ 。

 同じ事が聖ピオ十世会にも当てはまった。ローマでは、聖ピオ十世会に対してラッツィンガー枢機卿の理解を示そうと試みているにも拘らず、袋小路に行き当たっていた。

 と言うも、一方で大司教が新しいミサは“信仰にとって危険”だと見做しているが、他方でローマは、ルフェーブル大司教がこの新しいミサの正当性を認めることと、信徒たちをして新しいミサに行かないように勧めるのを止めることとを望んでいたからである。この条件のもとでのみ--- これはルフェーブル大司教にとっては容認出来ないものであった---、ローマは大司教が望んだ、教皇視察訪問者 (Apostolic Visitor)をエコン派遣することに同意するだろう。

 1983年は、最初のエキュメニカルな躓きの数々と、【Sacrae disciplinae legesによる】新教会法典の告知をもたらした。それで大司教はもう一度、聖ピオ十世会総長という職を引き継いだ後継者のシュミットバーガー神父のような協力者たちとの協議を開始した。会合は何度もリッケンバハ(Rickenbach)の本部で開かれた。 総長第2補佐役のヨーゼフ・ビズィーク(Josef Bisig)神父は、自分の反対意見を説明した。それはル・ピヴァン(Le Pivain)神父の持つ意見と全く同じであった。つまり【この司教聖別は】天主より授かった権利として教皇に属している“裁治権の首位性を実質的に拒否すること”になるだろうというものだった。

 そうだ、これこそカトリックの教えである。それは、ティシエ神父とウィリアムソン神父も認めた。しかしこの教えには、道義的に 近づきやすい教皇、そして誤謬によって“占領されて”いない教皇の存在が前提となるのだ。「この前提の有無を決定する判事とは誰ですか?」とビズィーク神父が尋ねた。可視的カトリック教会に属する教皇の明示的な意志は、習慣的で暗黙の内に抱く望みに優る。それでも、ティシエ 及びアラン・ロラン(Alain Lorans)神父たちは主張した。カトリック教会の危機と教皇の状況が議論に入らなければならない。何故なら、それこそが司教聖別の唯一の理由であるからだ。



 実にこれこそがルフェーブル大司教の見解であった。彼は、ビズィーク神父によって書かれた意見をこう批評した。

「教皇職の状況は、ヨハネ二十三世の登位以来、そしてその後任の教皇たちの在位中に、益々深刻化する問題を幾つも引き起こしています。(…)彼らは新しい公会議後の教会、新しい教会論を創立している(…)。聖主の社会的君臨を通してのキリスト教社会秩序【を構築するための】の使徒となるかわりに、これらの教皇たちはキリスト教の色で染められた社会主義、あるいは共産主義の熱心な支持者となっています 。この教会はまだ使徒的かつカトリックなのでしょうか?私たちはこの教皇のことを、依然としてカトリックだと見做さなければならないのでしょうか?」

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.2.1.司教聖別という重大な決断

2010年05月25日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅱ.司教聖別という重大な決断

 1974年すでに、ドミニコ会司祭、ロジェ・トマス・カルメル神父はルフェーブル大司教に手紙 を書き、大司教は後継者となる司教を叙階しなければならなくなる日がやって来るだろうと伝えていた。はたして大司教はその時、まだ1984年にマルク・デン(Marc Dem)氏がルフェーブル大司教に帰した言葉を以って回答したのだろうか? つまり【マルク・デンはルフェーブル大司教の代筆をしてルフェーブル大司教に次のように言わせている】「私たちの神学生たちを叙階してくれるに十分な司教たちが世界各地で見つかることが、私には分かっています」 と。

 それはあり得ない事ではなかった。しかしそれは長い間ではないだろう。何故ならスイスのシエールの病院に入院した1981年の2月から、司教聖別を行うべきかという問いが彼の思案を支配していたからだ。彼の健康は優れなかった。現状のままでは司教の誰一人として、ピントネッロ(Pintonello)司教でさえも、自分の神学生たちを叙階することに同意しないだろうと認めざるを得なくなっていた。たしかにローマからは、聖伝ミサに自由を授与する文書が約束され、枢機卿を視察訪問者としてエコンに派遣する事の計画が詳しくなってきていた。しかしもしも事が深刻化したらどうなるのか?

 大司教はフランスの雑誌モンド・エ・ヴィ(Monde et Vie)に掲載された、アンドレ・フィグラス(Andres Figueras)氏とのインタビューの中でこの問いに答えた。

「もしカトリック教会内において、状況がもっと酷くなるとしたら、さらにもし、御摂理が、それを行わなければならないとはっきり私に示されるなら、恐らく司教聖別【の聖旨】に止むを得ず忍従するでしょう。何故なら、私には有効にそうする事が出来るからです。しかし、それはローマとの断絶の行為となるでしょうから‐その可能性をローマが恐れているのですが‐、それを回避する為に私は何でもするつもりです。」

 “ローマとの断絶”とはどういう意味なのか?ルフェーブル大司教は、このような司教聖別が、カトリック教会、永遠のローマとの断絶を招くだろうなどとは考えなかった。しかしそれは、事実上、今のローマとの仲違いとなるであろう。秋に指導した黙想会中、大司教はローマの教会を愛するよう自分の司祭達に勧告した。

「カトリックに固有なこと、それは真にローマを愛する事です。ローマ教会の教義が暗まされているので、私たちが余りにも酷く攻撃され、苦しめられているのは事実です。だからと言って、私たちはローマの教会から分離すべきでしょうか? そして私たちの聖主イエズス・キリストに「自分自身を直接結び付ける」べきでしょうか? それは危険な思い違いというものです! 慎重にこの問題を検討することは私たちの義務です。。道を間違わないようにするためです。カトリック教会の確かに外へと出て行くようにと私たちを引きずり込む反感と方針とに従わないようする事です。」

 離教的方針? そうだ、ローマ当局を完全に軽視させ望まないようにさせる方針、思いのままに行動させ、“もう一つの教会”を創立させるような方針であり、つまりこれは大司教が嫌悪することである。それでも当分の間、彼は依然として【ローマ当局を】信用する事を望んだ。

 ルフェーブル大司教はこう言っている。
「あるオーストラリア人の若者が私に言いました:『大司教様の神学校に入りたいのですが、6年後には大司教様も亡くなっているでしょう。それなら入学してもしょうがないですね。』 私が咳をすると、神学生たちは心配して震え上がります。『少なくとも私の叙階式までは大司教様の命を持ち堪えさせ給え!』と。よろしいですか、御摂理に信頼しましょう。天主様が成就するのをお望みである出来事を見て待ち望みましょう。」


聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.1.7.信仰に反する躓きの罪:アシジ

2010年05月24日 | ルフェーブル大司教の伝記
信仰に反する躓きの罪:アシジ

 1976年以後、2回目のセデヴァカンティズム【教皇座空位論】への誘惑がルフェーブル大司教を悩ましたが、彼はそれに屈しはしなかった。信仰に対して忠実な本能は、自分をそんな細道にまで導かないだろう事や、さらに天主が自分に対して求めてることは、躓きを非難して信仰擁護のために戦う事だと彼は知っていたのだ。

「躓きという語が有する厳密な意味において、非常に重大な躓きです。何故なら、誰かに罪を犯すように仕向けるからです。このエキュメニズムの実践や、偽りの宗教の礼拝に参加する事などにより、キリスト教信者たちは信仰を失いつつあります。これが躓きなのです。彼らはもはや唯一真の宗教があることも、私たちの聖主イエズス・キリストも、唯一の天主なる至聖三位一体が存在することをも信じていません。」

 1986年4月13日この躓きは繰り返されてしまった。ヨハネ・パウロが、ローマのユダヤ教会堂(シナゴーグ)に行ってその指導者である大ラビや、教皇が“信仰における我らの兄【=ユダヤ教徒】”と呼ぶ人々から歓迎を受けたのだ。
大司教は批評した。

「衛星放送によって、世界中が、恐らく10億という人々が、シナゴーグに立つ教皇を目撃しました。彼ら視聴者たちは、教皇によるこの行為の重大さを理解したのでしょうか? またもしそれを理解しなかったとしたら、それは彼らがもはや聖主イエズス・キリストを信じていないからです。彼らは、私たちの聖主イエズス・キリストが唯一の救い主であるという信仰を失ってしまったのです。」

 1986年8月27日、ルフェーブル大司教は8名の枢機卿宛にアシジの集会を予見しての手紙を書いた。彼はヨハネ・パウロ二世の行動、それも“聖フランシスコの町のあらゆる道での多くの宗教代表者の取りまき”に抗議して欲しいと彼らに求めた。

「聖ペトロの座に就いている者によって公然と踏みにじられているのは、使徒信経の第一条であり、天主の十戒の第一戒なのです。カトリック信者の霊魂において躓きは計り知れません。教会はその根底から揺り動かされています。」

 ある記者会見において、エッチェガライ枢機卿は言った。「共同の祈りがあるなどと期待すべきではありません。ただ私たちは祈る為に一緒になるのです。」  従って、それによれば、アシジには一切のコムニカツィオ・イン・サクリス(非カトリック儀式への参加)は発生しないであろうというのだ。しかし、それでも教皇は、そこに集った各々の宗教儀式の連続して公開される実演の為に当てられるこの日に、ダライ・ラマの歌から、大ラビであるエリオ・トアフ(Elio Toaff)による演説まで、ジョン・プリティー・オン・トップ(John Pretty-on-Top)による平和の煙管(きせる)と、さらに神道代表者の演説さえも案内する事になる。この集会までちょうど一ヶ月と迫り、ルフェーブル大司教は教皇に“絵で解説された小さな公教要理” である二つのイラストを郵送した。一つは、聖主イエズス・キリストと主のいとも聖なる御母が、アシジ集会へ立ち入ることをヨハネ・パウロ二世が拒絶して「あなたたちはエキュメニカルではありません。」と言っているイラストである。もう一方は、唯一自分だけが救いの門である事をヨハネ・パウロ二世に言って、彼の天国入りを拒否する聖主のイラストである。






  
 10月28日、あの雑多な色に富んだ大会が開会された。12月2日にルフェーブル大司教とデ・カストロ・マイヤー司教は公然と抗議した。

「天主の単一性に反する公然の罪、御託身された聖言葉と教会とに反する公然の罪は、私たちをして恐ろしさに戦慄を覚えさせています。ヨハネ・パウロは、偽りの諸宗教に、各々の偽りの神に向かって祈らせました。それは前例のないスキャンダルであり、測り知れない躓きであり・・・、二十世紀にわたって同じ信仰を忠実に宣言する事において、カトリックとして留まる者たちにとって、考えられない不信心かつ耐え難い屈辱であります。」







 12月22日の枢機卿らと聖座の各聖省への訓示で、ヨハネ・パウロ二世はこの告発に対して自己弁解を試みた。彼は“第二バチカン公会議の教えという適切なキー・ワード”に訴えた。“全人類一致のための秘蹟” としてのカトリック教会【教会憲章(Lumen Gentium)、1項、9項;現代世界憲章(Gaudium et Spes), 42項】、さらには“全ての宗教の中に含まれているみことばの種子【教会の宣教活動に関する教令(Ad Gentes)、11項】”に訴えた 。

 それによれば「創造と贖罪の出来事に基づいた【人類】普遍の単一性【被造物であり、原罪及び自罪のキリストによる贖いを必要とする人間の全てに共通の現実】は、例え人々が異なる宗教に属していたとしても、ただ人々の現実的生において跡を残さないでいることが出来ない 」ことになる。

 従ってそれによれば、全人類を救わんとする天主の御意志とキリストの贖いの業は、必然的に、各々の人の心に中にまた全ての宗教の礼拝の中において、対象化され、具体化されるはずである、という 。第二バチカン公会議の元教父であった教皇が、アシジの光の下に、第二バチカン公会議をこのように読み直し、このように展開しているが、まさにこれこそ第二バチカン公会議のもっとも正統で正真正銘な解釈ではなかろうか?

 この解釈はヨハネ・パウロ二世をして「キリストは、世界に存在する全ての諸宗教が抱く憬れの実現であり、そのこと自体により、キリストは全ての宗教の唯一かつ決定的な到着点なのである」 と教えるようにするだろう。

 この詭弁に耳を傾ける必要などルフェーブル大司教にはなかった。彼の宣教師としての経験こそが、公教要理の一点を自分に確証してくれた。つまり、全て偽りの宗教はキリストに霊魂を到着させない。何故なら偽りの宗教はそのキリストを否み、キリストから霊魂を遠く引き離して、自分たちの誤謬の中に虜として引き留めるからである。

 その時以来、エコンの大司教は周囲の人々に、問題はもはや “ルフェーブル大司教”でもなく‐もちろん違う‐、敵によって占領された都市であるかのようなカトリック教会でもなく、カトリック信仰に反するイデオロギーによって取り憑かれ、いわば占領されたかのような教皇自身であるという事を理解させる為の熱心な努力を払った。この事実が提起する痛ましい問題を超えた向こうでは、重大かつ実際的な決断を下す事がいよいよ正当で必要なことになろうとしていた。


聖ピオ十世会韓国では聖霊降臨の主日に

2010年05月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会韓国では、今日の聖霊降臨の主日に、二名の成人と二名の幼児が洗礼の恵みを受けました!!天主に深く感謝いたします!!聖母マリア様に感謝いたします!!

 新しく洗礼を受けた方々のために愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

 聖ピオ十世会アジア管区長は、アジア管区の巡礼団を引率してトリノの聖骸布の聖堂に巡礼中とのことです。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

19.1.6.公会議閉会20周年のシノドスからアシジの諸宗教平和祈祷集会の発表まで

2010年05月23日 | ルフェーブル大司教の伝記
公会議閉会20周年のシノドスからアシジの諸宗教平和祈祷集会の発表まで

 1985年1月25日、城壁外の聖パウロ大聖堂でヨハネ・パウロ二世は、第二バチカン公会議閉会20周年の折に特別シノドス(司教会議)の集会を開催することを発表した。この会議は、公会議【の教令】がよく適用されているのかを検証し、“カトリック教会の生活においてその絶えざる履行を奨励する”ためのものである 。これに対してルフェーブル大司教とデ・カストロ・マイヤー司教は、教皇宛に手紙を書き「荘厳に注意を促した」。彼らは信教の自由と、それがもたらす結果である現今の宗教無関心主義や、ヨハネ・パウロ二世によって実践されているエキュメニズム、さらにカトリック教会の全ての敵に媚びいる姿勢などを告発した。“もしこの司教会議がこのような誤謬を翻さなければ”、 “司教会議の成員らはもうカトリック信仰を表明していることにならず”、ヨハネ・パウロ二世は“もはや良き牧者ではない”という結論を下すように、2人の司教は追いやられるであろう。

 しかし1985年12月8日に終わったこの司教会議は、“第二バチカン公会議が私たちに示した道に沿って【歩き】続けると満場一致で”決定した。

 ある逸話がある。それは、この会議中、ヨハネ・パウロ二世が廊下でシオンの教区長のシュヴェリ(Schwery)司教と会った時の事である。ヨハネ・パウロ二世は司教にウィンクして言った。「気をつけなさい!今から私はもはや良き牧者ではありません。」  

 ルフェーブル大司教は、ラ・レハにあるアルゼンチンの神学校への希望に満ちた旅から帰って来た。ラ・レハでは、ルフェーブル大司教は12月1日に8名の司祭を叙階し、友人のアントニオ・デ・カストロ・マイヤー司教による下級品級を授与する叙階式に立ち会ったのだ。ルフェーブル大司教はエコンに帰ると、【ローマが見せた】誤謬にしがみ付く頑固さに対していらだちを語った。

 1986年1月25日のキリスト教一致週間の閉会式の間、教皇は“アシジの町で予定された平和祈願の特別集会”が“様々な宗派のキリスト教会及び団体だけではなく、世界中に存在する他宗教の代表者たちと一緒に”開催される事を発表した 。ローマ聖省の誰一人このような発表を予期していなかった。しかし、ルフェーブル大司教だけはすでに1985年に、自分の親しい同僚たちに伝えていた。「教皇があらゆる宗教の会議を計画中なのは確かです。」

 この会議の開催が発表されると直ぐに、大司教はレオ十三世が非難した1895年シカゴ開催の諸宗教の混合会議 を、エコンにいる神学生たちに想起させた。正にこれと同じ事が目撃されようとしていたのだ。しかし今回は教皇によって計画されたものである。

 ルフェーブル大司教は言った。

「これは悪魔的です。私たちの聖主イエズス・キリストに対する侮辱です。彼らは誰に祈るのでしょうか? 一体彼らはどんな神に平和を求めて祈るのでしょうか? 唯一真の天主に祈らないとしたら、一体どんな平和を祈り求める事が出来るというのでしょう? 彼らは、聖主イエズス・キリストに祈らないことでしょう。ユダヤ教徒たちはそれを望みませんし、イスラム教徒や仏教徒たちもまたそれを望んでいません。多くのプロテスタント達はイエズス・キリストの神性を信じていません。では一体彼らはどの神に祈るのでしょうか? Et Deus erat Verbum, et Verbum caro factum est. 天主は私たちを救う為に人となり、私たちの内に来られて住まわれたのです。私たちには誰か別の何者かに祈る権利などありません。もしイエズス・キリストを脇に置くならば、私たちは真の天主に祈っていません。それは私たちの聖主イエズス・キリストに対する、言い尽くしがたい程に不敬な行為であります。」

 1985年の夏の間、ヨハネ・パウロ二世は【アフリカ中西部】トゴ共和国において、幾つもの精霊崇拝者による儀式に参加した。翌年の2月5日に彼はインドへ行き、マドラスでは、ヒンドゥー教のいわゆる神聖な灰を【額に】受けて、世界的兄弟愛を共に促進するためにと諸宗教間の相互理解を説いた。

 ルフェーブル大司教は、コムニカツィオ・イン・サクリス(communicatio in sacris)、即ち、非カトリック儀式への参加というこの醜聞を公然と告発した。この事柄は、従来の教会法(1258条)によって禁止されており、偽りの宗教に対する信仰宣言と、その結果として起こるカトリック信仰の拒絶を暗に意味すると言う理由で、上記事項に該当する行為を行った者を【教会法2316条により】“異端被疑者”にしていた。

 1986年、エコンで迎えた復活の主日のミサでの説教で、大司教はこの様に叫んだ。

「これこそ、私たちが置かれた状況なのです。私がそれを創案したのではありません。この状況が存在しないためになら私は死にたいと思います! 私たちは深刻なジレンマに直面しています。それは私が思うに、カトリック教会内にこれまで存在しなかったほどのジレンマです。ペトロの座に就く人が、偽りの神々の礼拝に参加しています。偽りの諸宗教の礼拝に参加するという、これらの繰り返し行われる行為に直面して、恐らく数ヶ月の内に、私たちは一体どの様な結論を引き出さなければならないのでしょうか。分かりません。自問します。しかし、私たちが、あの教皇は教皇ではないと信じる事を余儀なくされることも起こりうることです。何故ならちょっと見には‐‐未だそれを正式且つ公的には言いたくないのですが‐‐教皇が公的に且つ正式に異端者になるという事はあり得ないと私には思えるからです。」



聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.1.5.カトリック教会の受難

2010年05月22日 | ルフェーブル大司教の伝記
カトリック教会の受難

 この1984年、ルフェーブル大司教はエマニュエル神父がちょうど一世紀前にカトリック教会について著した“心を奪うような” ページの数々を読んだ。この司祭は、特に時の終わりには教会の劇的な時代がどのようなものになるかを描いていた。「全てにおいて聖主のようでなければならないカトリック教会は、世の終わりの前に、真の受難となる試練を受けるだろう。」大司教はこれらのページが自分に与える印象を物語った。

「この数ページの中に聖霊の息吹を感じる事が出来ます。その内の数ページは、カトリック教会の受難を描く時、予言的でさえあります。 」

 この本を読むことを提案してくれた友人らにルフェーブル大司教は手紙を書いた。
「教皇たちが、カトリック教会をその破壊に導く事が出来るのだと知る為に、私たちは1960年から現代までを生き延びなければなりませんでした。聖霊の助力の約束を与えられているので、そのような事は私たちにはあり得ないと思われていました。しかし、Contra factum non fit argumentum。事実に反しては、議論は無意味です。【教皇たちがカトリック教会をその破壊に導いているという】事実は、私たちの目前にあります。ですから、聖主は時の終わりまでの助力をお約束しつつも、ご自分の神秘的淨配【カトリック教会】にとって暗黒の時期と受難の時代があることを除外しなかったと私たちは結論を下さなければなりません。」


聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.1.4.“妥協運動” の誘惑を拒絶する

2010年05月21日 | ルフェーブル大司教の伝記
“妥協運動” の誘惑を拒絶する

 1984年10月3日の【新しいミサを受け入れることを条件に 、聖伝ミサの挙行に自由を与えるとする】特別許可【インダルト】の公布と、さらには、イタリアの月刊誌ジェズ11月号に掲載された『何故、信仰は危機にあるのか?』と題するラッツィンガー枢機卿のインタビューとにルフェーブル大司教は次のように反応した。

「私たちの同志が、これに気を緩めて戦いに飽きてしまわないように気をつけるように!」

 ある聖伝主義者らは、聖伝のミサに挙行の自由が与えられた事や、ラッツィンガー枢機卿がカトリック教会における危機を認めると共に、それについての詳細に渡る分析をしていること、枢機卿によれば教会の危機は“公会議の反精神”(“公会議の精神ならぬ精神”)に起因し、“真の公会議に戻る”ようにと招いていることを指摘し、「私達はこれ以上何を要求する事が出来るだろうか?」この特別許可を受け入れ、再度可視的教会の枠組みの中に入ろう。「いったん内に入れば、私達には事態を大改革し、それを元の状態に戻す事が出来るだろう」と一部の信徒は考えた。

 しかしルフェーブル大司教は答えた。
「この理屈は全くの誤りです。私たちを根絶させようと待ち構えている長上たちが支配するもとでその枠組みの中に立ち入る事など出来ません。「私たちが一旦認められれば、カトリック教会の内側から行動する事が出来るでしょう。」と皆さんは言います。これは完全な間違いであり、現在の教会位階級にある方々の精神を全く誤解しています。これを理解する為に、ラッツィンガー枢機卿が自分のインタビューで発言した事を読むだけでこと足ります。」

 あのポルポラート【ラッツィンガー枢機卿】はインタビューでこう言った。
「1960年代の課題とは、自由主義的文化の二百年間が生み出した最高の価値観を受け入れる事だ。例えこれらの価値観がカトリック教会の外部で誕生したとしても、浄化と補正を受ければ、カトリック教会が世界について抱くビジョンの中にその場所を見出す事が出来る。正にこれこそが【第二バチカン公会議によって】行われた事だ。これがもたらした様々な結果が、ひょっとしたら純真であった期待を裏切ってしまったのは真実だ。だからこそ、新たなバランスを見出す必要がある。」

 大司教の論評は情け容赦もなかった。この論評によれば、ラッツィンガー枢機卿はカトリック教会内の危機が第二バチカン公会議の試みた教会と革命との和解や、さらにはカトリックの原理と、エキュメニズムや人権宣言や信教の自由などで知られる自由主義の“価値観”とを和解させようとしたことに原因があると認めている。要するにラッツィンガー枢機卿は、これらの試みがカトリック教会に危機をもたらしたと告白しているのだ。だからこそ彼は“新たなバランス”を見出したいのだ。これが実現不可能なバランスであるにもかかわらず。

「これ【訳者注:教会と革命との結合をするということ】は恐ろしく深刻なことです。それは彼がインタビューで発言する事全てを咎めています。そこにこそ彼の発言の核心があり、このことこそが私たちの望まないものなのです。」

 結論は明らかだ。

「その思想が自由主義的である権威、私たちをして少しずつこれらの思想とその結果を、まず第一に新しいミサを、必然的に受け入れるように強いて来る権威の管下に自らを置く事など出来せん。」

 聖伝のミサの特別許可に関しては「それは私たちの為にできたものではありません。」何故なら、これは聖伝のミサを新しいミサを受け入れる人々にのみ与えているからである。

「常に物事を非常に上手く要約するマディラン(Madiran)氏は、こう書いています:『要約するならば、あのローマの回状[特別許可]は、聖伝ミサを廃止することを望んだ司教たちが、聖伝のミサを望むいかなる動機もないことを証明する人々に、そのどうでも良いと思っている聖伝ミサを挙行する許可を与える事を可能にしている。』


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