Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考資料】パトリック・ブキャナンの新しい本と「アメリカの終わり」

2007年11月30日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 パトリック・ブキャナンが新しい本を出版し「アメリカの終わり」について語っているそうです。

「アメリカは、バラバラに分解しつつある。一つの国として生き残ることは不確実だろう。アメリカがこのままそのやり方を続けるのなら、生き残りは不可能だ。私たちは国ごとの自殺の道を進んでいる。」

 天主様を離れて、天主様の無い、天主様から独立した国として、いかなる国も存続は不可能である、ということの預言だと思います。

 今のフランスも最近の暴動を見る限り、フランス革命以後、過去の権威は地に落ちつつあります。

 主よ、我らを憐れみ給え!

NEW BUCHANAN BOOK DECLARES 'END OF AMERICA'

"America is coming apart, decomposing, and...the likelihood of her survival as one nation...is improbable -- and impossible if America continues on her current course," declares Pat Buchanan. "For we are on a path to national suicide."

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【関連記事】

【参考資料】ウィリアムソン司教様とティシエ・ド・マルレ司教様の御説教の紹介

2007年11月30日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

【参考資料】ウィリアムソン司教様とティシエ・ド・マルレ司教様の御説教の紹介


兄弟姉妹の皆様、

 ウィリアムソン司教様が今年の6月29日にエコンの神学校の叙階式でなさった御説教のフランス語原文のリンク先を紹介します。

Sermon de Mgr Williamson aux ordinations
Econe le 29 juin 2007



 またティシエ・ド・マルレ司教様が、11月10日にパリのサン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会でなさった御説教のリンク先もご紹介します。

SERMON DE MGR TISSIER DE MALLERAIS
St Nicolas du Chardonnet le 11 novembre 2007



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【関連記事】


聖ピオ十世会総長様の「友人と恩人の皆様への手紙」第七十一号

2007年11月30日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 聖ピオ十世会総長様の「友人と恩人の皆様への手紙」第七十一号が発行されています。日本語にでき次第、「マニラの eそよ風」でお知らせ致します。(「マニラの eそよ風」をメールで受け取りたい方は、Yahoo! グループsspxjapan 聖ピオ十世会だより をご覧下さい。)

 とりあえず、フランス語原文と英語訳をお知らせします。

Lettre aux amis et bienfaiteurs N°71

Letter to Friends and Benefactors n°71

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【関連記事】


無原罪のおん宿りの祝日を準備する9日間の祈り(ノベナ)にご招待します

2007年11月30日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 11月29日から12月7日までは、聖伝によると、無原罪のおん宿りの祝日を準備する9日間の祈り(ノベナ)をする期間です。

 昨日そのことをお伝えし損ねてしまいました。そこで、今日から聖母マリア様の無原罪の御宿りの祝日まで(11月30日から12月8日まで)ノベナをすることを提案します。

 私たちは、九日間聖母の連祷を唱え、聖ピオ十世教皇様が作った童貞聖マリアに対する祈りを唱えることを提案します。

 特に、日本における聖ピオ十世会の意向で、無原罪のおん宿りの祝日の準備のノベナ(9日間の祈り)をなさって下さいますようにお願いします。


(1)聖母の連祷

(2)「童貞聖マリアに対する教皇聖ピオ十世の作った祈り」
 天主に嘉せられ、天主の御母となりしいとも聖なる童貞女よ、御身は、御肉体にても御霊魂にても、信仰においても愛徳においても罪の汚れのなきおん方なり、御身の力強き御保護を願い奉る我ら罪人をみそなわし給わんことをこいねがい奉る。最初の呪いを受けたいにしえの悪しきヘビは、哀れなエワの子らに戦いを挑み、罠を仕掛け続けるなり。我らの聖なる母、我らの元后、代弁者よ、御身は受胎の最初の瞬間から我らの敵の頭を踏み砕き給えり。願わくは御身と心を合わせて捧げ奉る祈りを受け入れ給い、天主の御稜威の玉座にそれを捧げ給え。そは我らに対して為された罠に決して掛かることなく、我ら皆、救いの港に到着せんがため、またかくも多くの危険のただ中において、聖なる教会とキリスト信者たちが、もう一度、解放と勝利と平和の讃歌をどこででも歌うためなり。アメン

(3)呼祷「原罪なくして宿り給いし聖マリア、*御身に寄りすがる我らのために祈り給え!」(三回繰り返す)

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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【関連記事】

【死者の月】死と救われる人々の数についての黙想

2007年11月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖書には、旧約に前兆として起こったことは私たちへの戒めとして書かれている(コリント前10:11)とあります。

 教父たちによると、次の史実は私たちの救霊の難しさの前兆だとのことです。すなわち、エジプトを脱出したときイスラエルの人々の数は二百万でした。しかし、約束の地に辿り着いたのはたったの二名でした。天主様から選ばれて、天主様によって導かれた民が!

 聖ペトロも、やはりノエの大洪水のことを救霊の類比に使っています。全世界の大洪水から救われたのは、方舟にはいることが出来たノエを含めてたった八名だった、と。

 コルネリウス・ア・ラピデ(Cornelius a Lapide)は教父たちの書き物に従って、こう言っています。
「しばしば、千人のうち、いや一万人のうちただ一人が救われるか救われないかだ。」

 聖アンブロジオはもっと厳しいことを言います。救われるものは「無ではない non utique nollus」と。

 次のことは、聖ヴィンチェンチオ・フェレルが私たちに教えたことですが、フランスのリオンの助祭長(Archdeacon)は、隠遁者として砂漠に身を退けて祈りと償いの生活をしたそうです。かれは聖ベルナルドと同時に亡くなったのですが、死後、自分の司教に現れてこう言ったそうです。
「司教様、私が息を引き取ったその時、三万三千人が亡くなりました。このうち、聖ベルナルドと私とが天国に直接行きました。そのうち三名が煉獄に行きました。その他はみな地獄に堕ちました。

 愛する兄弟姉妹の皆様、これはカトリック教会の信仰の全盛期にそうでした。

 主よ、我らを憐れみ給え!
 聖母の汚れ無き御心よ。我らのために祈り給え!

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【関連記事】

私たちはカトリックのローマに、聖伝の保護者である永遠のローマによりすがる

2007年11月21日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、
 今から33年前、ローマにてルフェーブル大司教様は、次のように宣言しました
 天主様の御恵みによって、使徒から伝えられたその聖なる信仰を、カトリック教会が二千年間そのまま信じ・教え・実践してきたその信仰を私たちも信じ・教え・実践し続けることが出来ますように!
 私たちもこの言葉を今日、繰り返したいと思います。

私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる

 私たちは、しかしながら、第二バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。実に、これら全ての改革はカトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている。

 たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、いかなる権威といえども、十九世紀もの長きにわたって教会の教導職によって明らかに表明され、宣言された私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように強制することは出来ない。

 聖パウロはこう言っている。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、また聖座の諸聖省の文書において、一つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、その時私たちは、常に教えられていたことを選び、私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。

 Lex credendi(信仰の法)を変更することなく les orandi(祈りの法)を深く変更させることは出来ない。新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、新しい神学校、新しい大学、カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。

 この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、その全てに毒が含まれている。これは異端から生み出され異端へと辿り着く。良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、なにがしらであれそれに従うことは出来ない。

 私たちの霊魂の救いのために、教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、改革を受け入れることを断固として拒否することである。

 それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。私たちは聖なるカトリック教会のために、教皇様のために、そして未来の世代のために、これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。

 それ故、聖伝の真理の光が永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを全て固く保持する。

 天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ十世の御助けによって、こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)となることができると確信している。アーメン。

童貞聖マリアの奉献の祝日
ローマにて、1974年11月21日

+マルセル・ルフェーブル



* * * * *


 人々がもはや健全な教えを忍ばず、私欲のままに、耳に快いことを聞かせる教師を集め、真理から耳を背け、作り話に耳を傾けるときが来るであろう。(ティモテオへの第二の手紙4:3)

 たとえ聖伝に忠実なカトリック信者が数えるほどの少数になったとしても、彼らこそがキリストの本当の教会のものである。(聖アタナシウス)

 もし誰かが、成文のものであれ不成文のものであれ、教会の聖伝を全て捨て去るものは、排斥される。(ニケア第二公会議:8世紀)

 私たちの信仰が昔の信仰と同一ものでように確実に保て。このことを否定するものは教会の一致を崩壊させるものである。(聖トマス・アクイナス)

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【関連記事】

【死者の月】死と永遠についての黙想

2007年11月20日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 11月は死者の月ですから、続いて死と永遠についての黙想を提案します。


 私たちは数限りない御恵みの露に潤いながら、世の空しい歓楽に惹かれて主に背き奉り、本来なら、とっくに地獄の底に突き落とされ、血の涙を飲んで泣き狂いしていなければならない身でした。

 しかしながら、主はこの恐ろしい罰を降し給わなかったのみか、かえって色々と私に勧めて、脅かして、悔い改めさせて下さったのです。。この御恩に万一でも報い奉るために、今より志を立て直し、主に背き奉った事を一心に悔い悲しみ、力の限りを尽して主を愛せんと決心いたしましょう。

 一度ならず、二度ならず、主を愛し奉ると約束しながら、私たちは、かえって一度ならず、二度ならず、主に背き奉ったのです。ただ私の為に磔にされ給いし主の感ずべき愛を思い、それを頼りにあえて御前に近づき、痛悔の涙と、主を愛する熱情とを伏して祈りましょう。

 主に背いて大いに御胸を痛め奉ったことを一心に悔い悲しみ、今よりは心を傾けて、身を尽してひとえに主を愛せんと決心しいたしましょう。

 私たちの力は極めて弱く、常に決心はしても、その決心を貫き得ないのですが、イエズスの御心の御憐れみにより、聖寵の助けをこいねがいましょう。

 罪人の拠り所なる聖母よ、私の為に御子に取り次ぎ、罪の赦しを乞い求め給え。アーメン。



些細なことから地獄に落ちた者の嘆き

 地獄に罰せられた悪人の何よりも大きな苦しみは良心の責めである。「かしこにてはその蛆は死なず」(マルコ9-47)と、主が予め注意された蛆、いつまでも死ぬ事の無い蛆とは、地獄において悪人の心を喰らう良心の責めに他ならない。

 私は真の教えを信ずる幸福を与えていただきないがら、罪を犯して主を打ち棄て奉り、一生の間哀れな月日を送り、果ては永遠にこの怖ろしい焔の底に永らえねばならないことになった。私を救わんとて主は数々の御光、色々な手段をお授け下さったのに、私はそれを一つも利用しないで自ら好んでこの苦罰の中に踊りこんだのである。

 過ぎ去った年月は、我らの目にすら夢の如く、瞬く間の如くにしか見えない。まして、地獄の悪人の為には、その邪悪を欲しいままにした五十年、六十年の歳月は果たしてどんなに見えるだろうか。地獄は永遠に終りがない。幾千万年と経ってから後に振り返ってみても、その悲しい永遠は、今始まったかのようであろう。それなのにその瞬く間の楽しみの為に、この永遠極まりなき苦罰の淵に身を投げたかと思って、彼等は如何ばかり悔しく悔しく思うであろうか。しかもその僅か五十年か六十年の間にしても、四六時中楽しみに耽っていた訳ではない。主に遠ざかり、罪悪に溺れていて何の楽しみが味わわれよう。罪悪の与える楽しみというものは、いかにも短い。瞬く間に過ぎ去ってしまう。後に残るのはただ心配と、恐怖と、良心の呵責のみではないか。


 いわんや自分の滅びの原因となった世間の栄華や楽しみの儚さを見ては、尚更堪らなく思うであろう。「ああ私は何という馬鹿げた事をしたものであろう?瞬く間に過ぎ去ってしまうような儚い栄華の後を追い、その為に霊魂も天国も天主までも失い、全ての人には見捨てられ、永遠にこの火の中に焼かれねばならぬ事になってしまった!」と歯噛みして悔しがるであろう。

 地獄の悪人はこの二つの蛆に激しく噛み苛まれるのみではない。なお僅かの努力で地獄を逃れる事が出来たのにと思い、悔しさの余り我と我が身を掻き毟るのである。

「ああ私もあの侮辱を赦してやったなら!」
「あの人目を憚る邪念を打ち破っていたなら!」
「あの危うい機会より遠ざかっていたなら!」
「あの交際を断つのにどんな困難があったろう!」
「あの忌まわしい楽しみを差し控えるのに、何が難しかったのか!」
「あの柄でもない欲望を投げ棄てるのに何の困難があった!?」

「例えどんなに難しい事があったとしても、救霊の為に万事を犠牲にするべきではなかったか!それに私はそれ位の事を思い切る勇気が無くて、その為にかくも不憫な身の上になった。今はもうこれまでだ。どうすることもできない!」

「いくら私でもしばしば秘蹟に与っていたならば!」
「毎日黙想を怠らなかったならば!」
「不断に主に寄り縋るのを忘れなかったならば、罪など犯さなかったであろうに!」
「私はいく度も決心した。決心しても決心通りには行わなかった。時には行いかけたが・・・長続きしなかった!」




救霊を得るのは容易だったという嘆き

 キリスト信者の身にして、地獄に投げ込まれる不幸に陥った者は、自分が主から与えていただいた霊光とか、御招きを思い出しただけで、胸が抉られるような心地がしないだろうか?

 「ああ私は徳を修めて聖人となり、終わり無き幸福を欲しい儘にすることは造作も無かったのに、どうしてこんな浅ましい身の上と成り果てたのだろう!」

 「ああ、私ぐらい愚かな者があろうか!主は私を救う為、全能の天主にもかかわらず十字架上にお命を擲って下さった。いくたびその慈しみ溢れる御手を差し伸べて私を抱き上げて下さった事だろう!それなのに私はその温かい御手を振り切って、自らこの火の中に飛び込んだのだ!」

「ああ、天国を失ってしまった。天主も失ってしまった・・・いつまでも、いつまでも、ここで焼かれねばならないのだ!」

 ここに一人の病人があるとしよう。言うにも言われぬ苦しみに悶え悩んでいるのに、誰も同情を寄せようとする者すらなく、かえって様々に侮辱し、その不身持ちを咎め、果ては殴るやら、踏むやら、蹴るやら、乱暴の限りを浴びせかけるとするなら、その病人の哀れさ加減を見るのも涙の種ではあるまいか。でも、地獄で罰せられている悪人は、その幾千倍もむごたらしく取り扱われる。ありとあらゆる恐ろしい責め苦に悶死せんばかりなのに、誰一人として「可哀想に!」と言葉をかけてくれる者すらいないのである。

 滅んだ霊魂は「ああ、私は遂に罰されたのだ・・・ああ、私は遂に罰されたのだ・・・」と悲しい声を振り絞って泣き叫びつつ、万に一つも地獄を逃れ出る道がないか探し回るであろう。

 彼等はせめて我と我が身を欺いて「この地獄もいつかは終わる時がくるかもしれない」と思ったならば、幾分なりとも気休めにもなるだろうが、いかんせん地獄には「かもしれない」などという単語は無い。彼等が被っている苦罰は永遠に終りが無いのだと彼等は明確に承知しているのである。地獄がかくも恐ろしい場所だと信じていながらどうして罪を犯す気になるのだろう。

 愛すべきイエズスよ、私の唯一の希望は主の御血と御死去にある。他人は残らず私を棄て去ろうとも主がお見棄てくださらなかったなら何も恐れることはない。私の罪がどんなに重かろうと、痛悔さえすればいつでも赦しを与えようと主は待ちうけておられる。私さえ主を愛する気になれば、主は聖寵でも親愛でも豊かに雨の様に降らせたいと思し召しである。これをもって見ると未だ今日まで私をお見限りになっていない証拠なのであるから、私は深く主に寄り縋り、この身をあげて全く主の御憐れみに任せ奉る。ああ私の命、宝、愛にてましますイエズスよ、私はこれまでの罪を絶えず悔い悲しみ、力の限り主を愛し奉りたい。たとえ今までは主から遠ざかっていたにせよ、今からは決して主を離れない。主を見捨て遠い遠い罪悪の巷に駆け落ちするようなことは断じてしない決心である。主よ、御望みを告げ給え。私はきっと満足に果たし奉るであろう。生きるも死ぬも主の聖寵のうちにおいてすることさえできたなら、他はいかようにも取り計らい給え。



限りなき宝を失ったという嘆き

 失った宝の大きなことを思うのも悪人の心を食い破る怖ろしい蛆である。「彼等は地獄の苦罰よりも天国の幸いを失った事を一層耐え難く思うのだ」と聖ペトロ・クリソロゴは断言しておられる。

 地獄の悪人は、無上の宝である主を失った次第を考えては、尚更耐え難く思うであろう。自分が主を失ったのは運が悪かったからではない。他人に邪魔されたからでもない。全く自分の失策が原因だ。

 主は自分を天国で楽しませる為に創り、生と死と終わりなき幸福と極まりなき禍とを勝手に選択させて下さった。永遠の幸福を得るのも、失うのも、全く自分の意のままにして下さったのである。

 しからば、自分が今の様になったのは全く自分の責任である。誰も怨みようが無い。

自分の知人で自分と同じような危険の中を通っても、安穏と天国へ辿り着いた者は多い。彼らとて倒れもした、罪も犯した。しかし主の御助けを呼び求めて起ち上がったから、格別怪我は無かった。

それなのに自分ばかりは倒れたら倒れたままでいつまでも罪悪の中に横たわっていたばかりに、こんな始末に立ち至ったのだ。


ああ、なぜあの時、すぐに起ち上がらなかったのだ!なぜあんな所に入り浸っていたのだ!といつまでもしても仕方ない懺悔を繰り返しているのである。

 主よ、その時になってから幾ら血の涙を飲んで悔しがっても済む話ではない。そんな事にならないよう、今から私は全く心を入れ替えて、罪の中をサッサと立ち退きたい。私は一心に主を愛し奉る。思し召しとあらば何事であろうと飛び立って従い奉るであろう。

 もし汚らわしい肉の快楽を求め、夢のような世の栄華を追い回して、その為に天国も天主も棒に振るような馬鹿馬鹿しい事をやっているなら、早く足を洗ってその罪悪の中から飛び退かねばならぬ。いつまでも罪悪にしがみ付いていては、永遠に血の涙を飲んで無益な懺悔をするより他に無い。

 今読んでいる所が、主の最後のご忠告であったらいかん・・・すぐに心を改めず、あいも変わらず罪を犯し続けていて、遂には主に見限られてしまったら、どうする考えなのだろう。

 「ああ私は道を誤った」と後悔しても、地獄に落ち込んでからそれが何の役に立つだろう?今からは悪魔の誘惑に遭うたび毎にすぐさま地獄を思い起こすことにしよう。

「汝の終わりを思え。しからば永遠に罪を犯さじ」(集会の書7-40)と聖霊はおっしやった。そして地獄が怖ろしくなれば、必ず主の御足の下に駆けつけるであろう。聖母マリアの御袖に縋りつくようにもなろう。

 主よ、私はこれまで主を見棄てて汚らわしい罪悪と親しく手を握り合っていた。しかしもう決心した。プツッと罪悪の手を振り切って主の御前にはせ寄り奉る。主よ、私の罪を赦し給え。私を退け給わず、いつまでも御傍に留め置き給え。

ああ罪人の仲介者なる聖母よ、私と御子との和解を取り計らい給え。いつまでも私を御陰の下に護り給え。アーメン。

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【関連記事】






【参考資料】世界統一宗教へ向かう動き:ダライ・ラマの来日の目的と、その目ざすところ

2007年11月19日 | エキュメニズム関連情報
アヴェ・マリア!

ダライ・ラマの来日の目的と、その目ざすところ

【参考資料】世界統一宗教へ向かう動き


ダライ・ラマ、伊勢神宮を訪問 2007年11月18日 15:19 発信地:三重

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世は18日、三重県伊勢市の伊勢神宮(Ise Shrine)を訪れた。ダライ・ラマは2003年に初めて伊勢神宮を訪れ、伊勢神宮参拝はこれで2度目、日本の伝統に従って2度拝礼し、五十鈴川(Isuzu river)の水で体を清めた。ダライ・ラマによると、今回の訪問は「世界中の聖地訪問」の一環で「すべての宗教(ママ)の目的は愛を伝えるということと、人類を救うというところで一致している。ゆえに、宗教間の調和と統一は非常に大切だ」と述べたとのこと。

 何故、観音菩薩の化身であり転生と自称するチベット仏教の指導者が、伊勢神宮でその奉られている神を参拝することが出来たのか? ダライ・ラマは何を自らのミッションとして活動しようとしているのか?

 イスラエルのアシュケナジの主席ラビであるヨナ・メツガーは(アシュケナジーとは、東欧系のユダヤ人のこと)、イエルサレムに「国連」の宗教版("a religious United Nations" いわば世界宗教連合)を創立することを提案してきた。

 ヨナ・メツガーは、高位のユダヤ教指導者やイスラム教指導者たちとエキュメニカルな会合を開き、2006年3月にはスペインのセルビアでイスラム教指導者(イマン)とユダヤ教指導者(ラビ)の国際会議ではダライ・ラマをも招いてこれを訴えた。

 メツガーは、「宗教連合」(United Religions)は、国際連合 (United Nations) に対抗するもので、世界諸宗教の代表者が名前を連ねることになる、そしてダライ・ラマに、この「宗教連合」議長となることを提案。ダライ・ラマは、この提案を大変喜び、メツガーの計画実現のために協力すると言ったそうだ。

Dalai Lama meets chief rabbis, Muslim leaders | Jerusalem Post

Dalai Lama Meets Chief Rabbis, Muslim Leaders
Jerusalem, 20 February 2006 (By Matthew Wagner, The Jeruslaem Post)
- Chief Rabbi Yonah Metzger called on Sunday for the establishment of "a religious United Nations" representing the religious leaders of all the countries in the world. Metzger suggested establishing the religious UN in Jerusalem and placing the Dalai Lama at its head.



 David Ben-Ariel によれば、メツガーは、イエルサレムの第三神殿建設を促進しているようである。そうなれば、異邦の諸国はイエルサレムに詣で、幕屋祭(Sukkot)を祝うようになるからだ。David Ben-Ariel は、「いわば、天主の無い世界平和を求めるバベルの塔の現代版」とコメントをしている。

 しかし、これはメツガーの発案ではないようだ。すでに、イスラエルの初代首相ダヴィド・ベングリオン(David Ben-Gurion, 1886年10月16日 -- 1973年12月1日)、は、すでに1962年ルック・マガジンに25年後の世界について、かなり正確な青写真を語っているからだ。

 ダヴィド・ベングリオンの1962年1月16日の「預言」によると(因みに同年10月11日に第二バチカン公会議が開催されている)、1987年には、世界は次のようになっているといっている。そしてその最後の点が、まさにメツガーの提案とそっくりである。

(1)冷戦は過去のものとなり、ソ連の民主化がなされるだろう。他方で、アメリカ合衆国を計画経済を持つ福祉国家と変えるだろう。

(2)東西ヨーロッパは、自律国家の連合体となるだろう。

(3)ユーロシア国家連邦を構成するソ連を例外として、その他の大陸は世界連邦として一つとなるだろう。世界連邦(world alliance)は、国際警察力を持ち、各国の軍隊は廃止され、戦争は無くなる(ママ)だろう。

(4)エルサレムには、国連が全ての大陸の連合のために「預言者達の神殿」を建てるだろう。これがイザヤが預言した(ママ)、人類最高裁判所の所在地となるだろう。

 従って、ダライ・ラマは、この「宗教連合」(United Religions)成立のために働き、その働きの報酬として「宗教連合」議長となるために、世界各地を回り「世界中の聖地訪問」し、各地でいろいろな神々を礼拝し参拝しているのではないだろうか。

 ファチマの聖母マリア様は「教会は迫害を受ける」と預言された。もしもカトリック教会が「教会の外に救いなし」というそのドグマを保持するかぎり、リベラルなエキュメニズムを信奉する、ダライ・ラマをその将来の議長とする「世界宗教連合」は、そのようなカトリック教会を迫害するだろう。第二バチカン公会議の名前によって、カトリック教会は迫害を受けるだろう。

 ファチマ・クルセーダーのクレーマー神父様によると、ピオ十二世は「世界史にも未曾有の苦しみを世界はもうすぐ苦しむだろう」 "The world must soon undergo suffering such as there has never been in the history of the world." と預言されていたそうだ。

 1917年から、共産主義ソ連では、ロシア人がロシア人同士が、人間を人間とも思わず大量に虐殺した。今では、世界中で堕胎により、地上に自分勝手な「ユートピア」を造ろうとして、つまり、人間が人間の計画と人間の意志による人間の望みの儘の世界を造ろうとして、無辜の国民を大量に虐殺している。

 しかしピオ十二世によれば、これから来る苦しみは、レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東の統治よりも怖ろしく、私たちの想像を超えるものだろう。

 主よ、我らを憐れみ給え! 私たちは主の御言葉に信頼しよう。「恐れるな、私はこの世に勝った」と言われた私たちの主イエズス・キリストの御言葉に。

 主よ、我らを憐れみ給え! ファチマの聖母マリアは、こう預言された。「最後に私の汚れ無き御心は凱旋するでしょう。教皇様はロシアを私に奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の一時期がこの世に与えられるでしょう。」また「全てが失われ悪が凱旋している、と見えるとき、その時こそ私の時が来るでしょう」とも言われた。その時、私たちは全世界と共にこう歌うだろう。Christus Vincit, Christus Regnat, Christus Imperat. キリストは勝利し給い、キリストは統治し給い、キリストは命じ給う!と。

主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!

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【関連記事】

主よ、我らを憐れみ給え!

【参考情報】聖ピオ十世会シンガポールの非公式ブログなど紹介します

2007年11月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、

【参考情報】以前、ウィリアムソン司教様のブログ Dinoscopus を紹介しましたが、その他にも幾つかご紹介致します。

【ご注意】愛する兄弟姉妹の皆様、参考情報としてご紹介致しますが、インターネットやブログの虜になって(振り回されて)しまわないようにご注意下さいますようによろしくお願いします。

SSPX District of Asia: Singapore
(This blog, which enjoys an unofficial status, does not necessarily reflect the opinions of the Society of St Pius X, the local District, or the local priory.)

 聖ピオ十世会シンガポールの非公式ブログです。
 シンガポールの小修道院の聖堂での聖ピオ十世の祝日の荘厳ミサ(Missa Solemnis)の写真もアップされていました。

Sacred Heart Choir
(Attached to the Chapel of the Sacred Heart of Jesus, Sungai Buloh, Selangor, Malaysia under the guidance of the priests of the Society of Saint Pius X.)

 マレーシアの「イエズスの御心」聖堂(聖ピオ十世会司祭がミサ聖祭を捧げる)の聖歌隊のブログです。(これは、侍者2さんから教えてもらいました。)


The Sleepless Eye
(ROMANITAS CVM CONSILIO ET PATIENTIA SVAVITER ET FORTITER)

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Dominus vobiscum, Et cum spiritu tuo.

 シンガポールで聖ピオ十世会のトリエント・ミサに与る Rachel Anne さんのブログです。

Seeking The Beatific Vision
(For the Restoration of Catholic Traditions ... )

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ウィリアムソン司教様のお手紙 「シェイクスピア、ありがとう」 より

2007年11月16日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 極東の島国日本では、1597年長崎にて日本二十六聖殉教者の壮烈な殉教に始まって、来年列福されるはずのテクラ橋本などが殉教した1619年10月の京都における元和キリシタン殉教など、厳しく残酷な迫害の時代がありました。

 丁度、時を同じゅうして、欧州大陸、西端に位置する島国英国では、ヘンリー八世から始まるイギリスの離教により、厳しいカトリック迫害の時代を体験していました。多くのカトリック司祭、信徒らが拷問を受け、処刑されていき、教会、修道院は没収され、聖画などはカトリック的であるという理由で破壊され尽くされました。

 さて、2001年11月のものですが、ウィリアムソン司教様のお手紙をご紹介します。

 さて、このお手紙の要旨は、次にある通り、イギリスの有名な作家シェイクスピアについてです。


+ + +

【お手紙の要旨:訳編 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)】


シェイクスピア、ありがとう Thank you, Shakespeare

 最近ドイツの Hildegard Hammerschmidt-Hummel女史が、シェイクスピアが実はカトリック信者であったことを実証する本を発表しました。【註:この本は最近英語に訳されたそうです。】

 ウイリアム・シェイクスピア(1564-1616)は、英国の産んだ最高の文学、世界的な劇作家ですが、彼はプロテスタントのエリザベス女王時代に活躍していました。エリザベス1世女王とジェイムス1世とはついに英国をローマから離れさせ、世界史に大きな影響を与えました。シェイクスピアの時代にイギリスは離教の真っ最中だったのです。イギリスの霊魂たち(イギリス人ら)はこの霊的な大震災に見舞われたのです。この苦悩をシェイクスピアはハムレットの中で表しています。

 シェイクスピアはその劇と生活の中で自分のカトリック信仰をうまく隠し、殉教を逃れました。シェイクスピアの両親も妻も娘も俳優たちもカトリックでした。Hildegard Hammerschmidt-Hummel女史の「シェイクスピアの隠れた存在」は、シェイクスピアがカトリックであったことを指し示しています。例えば、シェイクスピア所有の1608年の花の絵はレントゲンでみると聖母子と聖ヨハネが隠されていたり、英国で恐ろしい迫害の嵐が起こっていた年には、ローマのイギリス人神学校を訪問していたりしていたことを指摘しています。シェイクスピアの劇は37あるいは38作ありますが、その中ではロンドンの名前が60回出てくるだけですが、ローマは290回も出てきます!

 ところで、シェイクスピアを現代に移すと「ハムレット」が現代人の霊魂を預言しているように思えます。ハムレットの有名な苦悩「生きるべきか、死ぬべきか」「そうあるべきか、そうでないべきか」は、カトリックと現代との相克を表しているようです。

 デンマークの王子ハムレットは、実は隠れカトリックであったシェイクスピアのことだったのです。そして現代に生きる霊的な青年たちのことだったのです。

 「ハムレット」の筋
1 ハムレットは正統なデンマーク王位継承権のあるデンマークの王子。
2 しかし彼の悪しき叔父は、王である父を殺害し、近親相姦の罪を犯して王女である母と婚姻し王座を横領した。
3 ハムレットは自宅で追放の身であり、全くの孤独の身となった。自殺さえも考えた。
4 彼はついに戦いを挑む。叔父は抵抗する。流血の戦いとなる。
5 ハムレットは退廃するデンマークを救うために叔父に抵抗する権利がある。しかし、抵抗すると、デンマークが流血の惨事となってしまうので抵抗することはまちがっている。「そうあるべきか、そうでないべきか?」

 さてシェイクスピアの場合はこうです。
1 シェイクスピアはカトリックであり、カトリック英国の正統な後継者。
2 しかし異端者のプロテスタントが英国のカトリック教会を殺害し、カトリック教会を近親相姦的に英国教会としてしまった。
3 シェイクスピア自分の故国で異邦人となる。カトリック英国は退廃している。彼の周りの人々はほとんど全てが背教している。シェイクスピアはほとんど絶望しかける。
4 シェイクスピアの少ないカトリックの友人たちは抵抗を試み(例えばthe Gunpowder Plot (1605)など)、プロテスタントは彼らを皆殺しにする。
5 シェイクスピアは、イギリスを退廃させている異端者たちに戦いを挑むことを夢見る権利がある。しかしそうすることはまちがっている。「そうあるべきか、そうでないべきか?」

現代人の場合
1 人間は「行って全世界に教えよ」と言った私たちの主イエズス・キリストの御托身の後、キリスト教世界を相続する権利がある。
2 しかし現代世界は、キリスト教世界をほぼ消滅させ、近親相姦的に世俗の人間中心主義に取り替えてしまいました。人類は深く退廃している。
3 霊的な青年たちは自分が孤独であるのを感じている。この世界では、生きていくことができない。ロック音楽、麻薬、不潔、等。
4 彼はこの世界に戦いを挑む。しかしこの世界はこのような青年に抵抗する。しかし、彼はつぶされてしまう。
5 彼は、人間中心主義の世界に抵抗する権利がある。しかし、抵抗するのはまちがっている(全く無駄だから)。「そうあるべきか、そうでないべきか?」

 ハムレットを読むと、暗闇の中にいる英国のカトリックたちの苦悩が分かります。また霊的暗闇にいる霊魂たちの苦悩が分かります。シェイクスピアはカトリックだったからこそ、このことが分かったのです。

ありがとうシェイクスピア、ありがとう、天主の御摂理よ! 天主の富と上智と知識の深さよ、その裁きははかれず、その道は極めがたい!

+ リチャード ウィリアムソン

 ウィリアムソン司教様のブログは、以下の通りです。
Dinoscopus A collection of weekly columns by Bp Richard Williamson, of the Society of St Pius X

 ウィリアムソン司教様のお手紙の一部はインターネットで読むことが出来ます。
Bishop Williamson's Letters

 ウィリアムソン司教様のお手紙が書籍になっています。くわしくは次をご覧下さい。
True Restoration Press
Volume I: The Ridgefield Letters
From "The Nine" to the Episcopal Consecrations of 1988 (May 1983 - July 1988)
Rev. Richard Williamson, With an introduction by Dr. Peter Chojnowski

Volume IV: The Winona Letters, Part III
From Defending the Family to Persevering in Truth (January 2000 - August 2003) as well as some other writings through 2006
Rt. Rev. Richard Williamson, With an introduction by Fr. Lawrence Smith

TO BE OR NOT TO BE
A Catholic Opinion On Hamlet
Summary of a conference given by Bishop Williamson to the teachers of Holy Family School (Levis) on February 23, 2002. By Jean-Claude Dupuis.

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【関連記事】

【参考資料】パウロ六世の言葉

2007年11月16日 | 第二バチカン公会議
アヴェ・マリア!

【参考資料】パウロ六世の人間中心主義の言葉の幾つかを参考資料としてご紹介します。

ULTIMA SESSIONE PUBBLICA DEL CONCILIO ECUMENICO VATICANO II
ALLOCUZIONE DI SUA SANTITA PAOLO VI
Martedi, 7 dicembre 1965

Humanitatis illud laicum atque profanum studium, immani qua est magnitudine, tandem aliquando prodit, idemque ad certamen, ut ita dicamus, Concilium lacessivit. Religio, id est cultus Dei, qui homo fieri voluit, atque religio - talis enim est aestimanda - id est cultus hominis, qui fieri vult Deus, inter se congressae sunt. Quid tamen accidit? Certamen, proelium, anathema? Id sane haberi potuerat, sed plane non accidit. Vetus illa de bono Samaritano narratio excmplum fuit atque norma, ad quam Concilii nostri spiritualis ratio directa est. Etenim, immensus quidam erga homines amor Concilium penitus pervasit. Perspectae et iterum consideratae hominum necessitates, quae eo molestiores fiunt, quo magis huius terrae filius crescit, totum nostrae huius Synodi studium detinuerunt. Hanc saltem laudem Concilio tribuite, vos, nostra hac aetate cultores humanitatis, qui veritates rerum naturam transcendentes renuitis, iidemque novum nostrum humanitatis studium agnoscite: nam nos etiam, immo nos prae ceteris, hominis sumus cultores.

Aliud est etiam, quod consideratione dignum putamus: huiusmodi divitem doctrinae copiam eo unite spectare, ut homini serviat, in omnibus cius vitae adiunctis, in omni eius infirmitate, et in omni eius necessitate. Ecclesia quodammodo se professa est humani generis ancillam, et quidem eo tempore, quo ipsius magisterium ipsiusque pastorale regimen, ob sollemnes Concilii Oecumenici celebrationes, clariore lumine validioreque robore praedita se praestiterunt: immo vero ministerii exercendi propositum reapse praecipuum obtinuit locum.

「"人間となった天主"の宗教は、『自らを天主とする人間』の宗教(なぜならこれも宗教のひとつですから)と出会いました。何が起こったのでしょうか。衝突でしょうか。紛争でしょうか。排斥でしょうか。これらが起こり得ました。しかし、これらはありませんでした。良きサマリア人の昔の話が公会議の霊性のモデルでした。すなわち、限りない好感が公会議全体を侵略しました。人間の必要を発見し(そしてこの地上の子がますます自分を偉大とするに従って、この必要はますます大きくなるのです)それが私たちの会議の注意をまったく奪い取りました。現代の人間中心主義者である皆さんも、少なくともこの功績を公会議に認めてください。あなた方は最高の諸現実の超越性を放棄していますが、私たちの新しい人間中心主義を認めることを知りなさい。私たちも、誰にもまして人間を礼拝するものなのです。」(『歴史に輝く教会』 p444 参照)

【英語訳は緩和された表現になっている】
ADDRESS OF POPE PAUL VI
DURING THE LAST GENERAL MEETING
OF THE SECOND VATICAN COUNCIL
7 December 1965

Secular humanism, revealing itself in its horrible anti-clerical reality has, in a certain sense, defied the council. The religion of the God who became man has met the religion (for such it is) of man who makes himself God. And what happened? Was there a clash, a battle, a condemnation? There could have been, but there was none. The old story of the Samaritan has been the model of the spirituality of the council. A feeling of boundless sympathy has permeated the whole of it. The attention of our council has been absorbed by the discovery of human needs (and these needs grow in proportion to the greatness which the son of the earth claims for himself). But we call upon those who term themselves modern humanists, and who have renounced the transcendent value of the highest realities, to give the council credit at least for one quality and to recognize our own new type of humanism: we, too, in fact, we more than any others, honor mankind.

Another point we must stress is this: all this rich teaching is channeled in one direction, the service of mankind, of every condition, in every weakness and need. The Church has, so to say, declared herself the servant of humanity, at the very time when her teaching role and her pastoral government have, by reason of the council's solemnity, assumed greater splendor and vigor: the idea of service has been central.

SOLENNE INIZIO DELLA SECONDA SESSIONE
DEL CONCILIO ECUMENICO VATICANO II
ALLOCUZIONE DEL SANTO PADRE PAOLO VI
Domenica, 29 settembre 1963

CATHOLICAE ECCLESIAE RENOVATIO

Quae spes ad aliam quoque primariam causam indicti Concilii pertinent; ad sanctae Ecclesiae videlicet renovationem, quam vocant.


UDIENZA GENERALE DI PAOLO VIMercoledi, 2 luglio 1969

革新、それが公会議のモットー、プログラムとして与えられた。
「見よ、私は全てを新しくする。」

Diletti Figli e Figlie!
E nostro desiderio di accogliere le grandi parole del Concilio, quelle che ne definiscono lo spirito, e in sintesi dinamica formano la mentalita di quanti, dentro e fuori della Chiesa, al Concilio si riferiscono. Una di queste parole e quella di novita. E una parola semplice, usatissima, molto simpatica agli uomini del nostro tempo. Portata nel campo religioso e meravigliosamente feconda, ma, male intesa, puo diventare esplosiva. Ma e parola che ci e stata data come un ordine, come un programma. Anzi ci e stata annunciata come una speranza. E una parola rimbalzata fino a noi dalle pagine della sacra Scrittura: ≪Ecco (dice il Signore). Io faro cose nuove≫; e il Profeta Isaia che cosi parla; a lui fa eco S. Paolo (2 Cor. 5, 17), e poi l’Apocalisse: ≪Ecco ch’io faccio nuove tutte le cose≫ (21, 5).


INIZIO DELLA QUARTA SESSIONE DEL CONCILIO ECUMENICO VATICANO II
ALLOCUZIONE DI SUA SANTITA PAOLO VI
Festivita della Santa Croce
Martedi, 14 settembre 1965

Ac revera Concilium publica ac sollemnis amoris significatio sane est erga hominum societatem.

実に公会議は、人間社会に対する公の荘厳な愛の意味である。


PAOLO VI
ANGELUS DOMINI
Domenica, 7 febbraio 1971

Onore all’uomo!
Onore al pensiero!
Onore alla scienza!
Onore alla tecnica!
Onore al lavoro!
Onore all’ardimento umano!
Onore alla sintesi dell’attivita scientifica e organizzativa dell’uomo, che, a differenza di ogni altro animale, sa dare strumenti di conquista alla sua mente e alla sua mano.
Onore all’uomo, re della terra ed ora anche principe del cielo.
Onore all’essere vivente, che noi siamo, il quale in se rispecchia il volto di Dio, e dominando le cose obbedisce all’ordine biblico: cresci e domina.

人間に名誉あれ!
その思考に名誉あれ!
その科学に名誉あれ!
その技術に名誉あれ!
その労働に名誉あれ!
手の努力に名誉あれ!
・・・
人間に名誉あれ、その他の動物と違い、その頭脳とその手で征服する手段を自らに与えることを知っている人間に!
人間に名誉あれ、地上の王、そして今では天の君主に!


MESSAGE OF HIS HOLINESS
POPE PAUL VI
FOR THE CELEBRATION OF THE
DAY OF PEACE
1 JANUARY 1972

人間に対する真の礼拝(culto)の結果からでない平和は、本当の平和であるとは言うことが出来ない。

イタリア語原文
E' difficile, ma e indispensabile formarsi il concetto autentico della pace. Difficile per chi chiude gli occhi alla sua primigenia intuizione, che ci dice la pace essere umanissima cosa. Questa e la via buona per arrivare alla scoperta genuina della pace: se noi cerchiamo donde essa veramente derivi, ci accorgiamo che essa affonda le sue radici nel senso sincero dell'uomo. Una Pace, che non risulti dal culto verace dell'uomo, non e essa stessa pace verace. E come chiamiamo questo senso sincero dell'uomo? Lo chiamiamo Giustizia.

フランス語版
Meme si c'est difficile, il est indispensable de se faire une conception authentique de la Paix. C'est difficile pour celui qui ferme les yeux a son intuition premiere, qui nous dit que la Paix est une chose tres humaine. Voila la bonne voie pour arriver a la decouverte authentique de la Paix. Si nous cherchons d'ou elle vient vraiment, nous nous apercevons qu'elle plonge ses racines dans le sens loyal de l'homme. Une Paix qui ne resulte pas du culte veritable de l'homme n'est pas elle-meme une veritable Paix. Et comment appelons-nous ce sens loyal de l'homme? La Justice.


英語訳(緩和された表現になっている)
It is difficult, but essential, to form a genuine idea of Peace. It is difficult for one who closes his eyes to his innate intuition of it, which tells him that Peace is something very human. This is the right way to come to the genuine discovery of Peace: if we look for its true source, we find that it is rooted in a sincere feeling for man. A Peace that is not the result of true respect for man is not true Peace. And what do we call this sincere feeling for man? We call it Justice.

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聖伝のミサは廃止されたのか?聖伝のミサは本当に廃止されたことがあったと言えるのか?

2007年11月15日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

聖伝のミサは廃止されたのか?


 私たちはベネディクト十六世教皇様の自発教令によってこう確認することが出来た。

「福者ヨハネ二十三世が1962年に公布した且つ決して廃止されていないローマ・ミサ典書の規範版に従ったミサ聖祭の犠牲(いけにえ)」
 ベネディクト十六世『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM』)


「ミサ典礼の特別な形式としての1962年版典書の使用に関して、私は、この典書が今迄決して法的に廃止されたことはなかったし、従って原則として常に許されていた、という事実に注意を引きたいと思います。」
 ベネディクト十六世の「司教達へ宛てられた書簡」2007年7月7日


何故か?何故、聖伝のミサ典書を使うことがが今迄決して法的に廃止されたことはなかったし、従って原則として常に許されていたのか?


何故なら、
(1)聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)が、その聖伝のミサが永久に有効だと言っているから。


 今後、未来永劫にわたって、全キリスト教世界〔の教会〕において、諸地方の総大主教の教会において、司教座聖堂において、参事会管理聖堂及び教区教会において、在俗及び男女を問わず如何なる修道院・修道会においても、更に、義勇修道会(仮訳)の教会においてさえも、又、「権利或いは習慣によって、ローマ教会の挙式法に従って合唱隊と共に高い声で或いは低い声で修道院のミサが挙行される」(霊魂を導く)責のない教会又は聖堂において、余によって出版されるミサ典礼式の定式による以外が歌われ、或いは唱えられる事の無いように。〔その事は上記の〕同じ諸教会が、使徒座の許可によって、習慣によって、特権によって、例え宣誓によるものであっても、使徒座の批准によって、如何なる方法で特別許可を備えていてもである。・・・
厳しく、全ての、そして個々の上記の諸教会の総大主教、管理聖職者、そして他の如何なる教会位階の尊厳を有する人物であれ、更に、彼等が聖なるローマ教会の枢機卿、或いは、如何なる他の卓越した位階であっとしても、彼等に聖なる従順の名において、他の全てのやり方、及び他のミサ典礼書の挙式法が、例え古く、現在に至るまで習慣化していたとしても、それらを今後完全に除き、全面的に廃止する事によって、今、余によって伝えられるこのミサ典礼書による挙式法、やり方、そして法規に則ってミサ聖祭を歌い、又、読誦し、ミサ聖祭の挙行においてこのミサ典礼書に掲載されているもの以外の他の儀式、又は祈りを敢えて追加、又は唱える事の無いようにと命じ規定する。
更に、如何なる教会においても歌ミサ聖祭、或いは読誦ミサ聖祭において、如何なる良心の呵責無しに、或いは他の罰、宣言そして非難を全く課される事無く、今後このミサ典礼書それ自体に、全く従うように、そして、それを自由に合法的に使用する事が可能であり適法であるように、使徒継承の権威を以って、しかも永久のこの〔文面〕を以って、余は承認し認可する。
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)


(2)パウロ六世は、新しいミサを許可しただけだったから。

"Ad extremum, ex iis quae hactenus de novo Missali Romano exposuimus quiddam nunc cogere et efficere placet. ...
Nostra haec autem statua et praescripta nunc et in posterum firma et efficacia esse et fore volumus."
【日本語の直訳】
「ここまで私が新しいローマミサ典礼書について述べてきたことから、今、最後に何らかのことをまとめて結論付けるのがよいでしょう。・・・
 私はこの (haec) 規定 (statua) と決定 (praescripta) とが今も将来にも確定され、効力を持つものであることを望みます。」

「第2バチカン公会議の教令に基づいて刷新されたローマ・ミサ典礼書を公布する使徒座憲章」
Constituio Apostolica qua Missale Romanum ex decreto concilii Oecumenici Vaticani II instauratum promulgatur "Missale Romanum"

【但し、日本語の公式訳は次の通り】


「最後に、新しいローマ・ミサ典礼書について今まで述べてきたもののうち、あるものを、今ここで義務づけ、発効させたいと思います。・・・
 この憲章に規定したことは、本年の11月30日待降節第1主日より発効するものとします。【註:この一文は本来のラテン語には存在していなかった】
 上記の規定と決定とが今も将来にも確定され、効力を持つものであることを望みます。」




【メモ】
(1)この憲章の承認は4月3日であったが、「公布」は、典礼聖省の教令により4月6日に行われた。承認され「公布」された、新しいミサの本文自体は Institutio generalis(総則)と共に、その数週間後に印刷された。

(2)聖ピオ五世の大勅令『クォー・プリームム』は、この憲章によって廃止されなかった。もしも廃止しようとしたなら、そのことをこの憲章の中ではっきり言わなければならなかった。しかしそうしなかった。

(3)教会法的観点から見ると、パウロ六世の新しいミサは大勅令『クォー・プリームム』の規定からの特別例外(particular derogation)となる。

(4)パウロ六世の新しいミサとその総則は、4月3日の「承認」及び4月6日の「公布」後、何度も修正が加えられ、規範版(すなわち公式版)が発表されたのは、1970年3月でしかなかった。

(5)カルメル会司祭ジョゼフ・ド・サント・マリ神父は、ラ・パンセ・カトリック誌212号(1984年9-10月号)において、この異常さを次のように疑問を投げ掛けている。
「この(1969年10月20日の)教令 Instructio の最初は、「新しいミサ典書を承認した」使徒憲章「ミサーレ・ロマーヌム」について語っている。しかしこれは承認されても公布はされていなかった。まだ存在していないミサ典書をどうやって公布することが出来たのか?あたかもどんな金額でも書くことが出来る白紙の小切手にサインをしたこの「承認」と、実際にミサ典書が出てくるまでの間に、何度も手直しが入っている規範版という、カトリック典礼の根本的書籍に、教皇様の権威がかけられていたというのは既に異常事態である。これは、これらの文書に関わるその他多くの様々な種類の違反というこのドラマの一つに過ぎない。これらは慌てて混乱のうちに発表され他ということ自体が、疑いを引き起こす。一つのミサ式次第を「承認」する4月3日の使徒憲章と、その数週間後になってようやく出された総則、そしてその後もあった多くの手直し。特にミサ典書を「承認」していた憲章は、その当のミサ典書を一年後にようやく見ることになった・・・。」

(6)1969年4月3日の使徒憲章の題は「公布」という意図を明示していた。
「第2バチカン公会議の教令に基づいて刷新されたローマ・ミサ典礼書を公布する使徒座憲章」
Constituio Apostolica qua Missale Romanum ex decreto concilii Oecumenici Vaticani II instauratum PROMULGATUR "Missale Romanum"
 しかし、1970年3月26日、典礼聖省の「教令」(decretum)が、新しいミサの公式版を「公布」したとき、この教令は1969年4月3日の使徒憲章はこのミサ典書のテキストを承認していた、承認していたが公布はしていなかった、と説明した。

 

新しいミサが発表されると、例えば次のような反対の声が挙がった



1969年9月
 オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿とはパウロ六世に新しいミサの批判的研究を提出し、新しいミサの廃止を求める。

1969年9月12日
 デ・カストロ・マイヤー司教は、パウロ六世に新しいミサに反対する手紙を書く。

1969年9月24日
 ルイ・サルロンは、週刊誌カルフールに新しいミサに反対の最初の記事を書く。

1969年9月25日
 レモン・ドュラック神父は、「ローマ通信」紙に新しいミサに反対する最初の記事を書く。

1969年10月
 ジョルジ・ド・ナント神父は、「カトリック反宗教改革」紙に新しいミサに反対する立場を表明する。

1969年12月
 イティネレール誌の論説にてジャン・マディランは聖伝のミサ禁止に反対する記事を書く。

1970年1月
 ドミニコ会司祭カルメル神父は、イティネレール誌に自分は、聖ピオ五世が法定化した聖伝のミサを捧げ続け、新しいミサを拒否すると宣言する。

1970年2月
 レモン・ドュラック神父は、イティネレール誌に「新しいミサを拒否する理由」を発表する。

1970年10月
 ルフェーブル大司教により、エコンにおいて聖ピオ十世国際神学校が開かれる。

1970年12月
 ルイ・サルロンは、新しいミサに反対する本を Nouvelles Editions Latines 社で発表。

1971年6月9日
 ルイ・サルロンはローマに行ってオッタヴィアーニ枢機卿とインタビューをし、枢機卿の宣言を週刊誌「カルフール」に発表。
オッタヴィアーニ枢機卿「聖ピオ五世の命令によるミサの聖伝の典礼様式は、私の知るかぎり廃止されていない。」

1971年6月14日
 典礼聖省から、新しいミサ実施の通知(Notificatio)

1971年11月
 Latin Mass Society の要請により、ヒーナン枢機卿は聖伝のミサを英国人のために時々する許可をパウロ六世から与えられたことを知らせる。

1972年10月27日
 ジャン・マディランはパウロ六世に手紙を書く。
「教皇様、私たちに聖書と公教要理とミサを返して下さい。」


1977年2月27日
 四旬節第一主日、モンシニョール・ドュコ・ブルジェとルイ・コアッシュ神父、ヴァンサン・セラルダ神父と聖伝のミサを求める信徒たちとは、パリのサン・ニコラ教会に留まり始めた。


ところが、・・・



1969年11月12日
 フランス司教団からの通達(Ordonnance)により、1970年1月から、司教委員会の作ったフランス語訳による新しいミサの執行が義務となる。
 ただしこの通達は、教会法的観点から見ると離教的である。何故なら、自分の権力でフランスにおいて典礼様式を変更することが出来ると主張し、教皇の権能を簒奪しているからである。この通達は、使徒憲章「ミサーレ・ロマーヌム」も、ローマからの通達も参照していない。この通達を持ってフランス司教団は事実上1970年1月より、聖伝のミサの典礼様式を禁止し、いかなる典礼様式であれラテン語のミサを禁止した。

1971年6月14日
 典礼聖省から、新しいミサ実施の通知(Notificatio)

1973年1月
 スイスのシオン教区司教であるアダム司教は「特別許可の場合以外は、聖ピオ五世の典礼様式に従ってミサを執行することは禁止される。この典礼様式は、1969年4月3日の憲章「ミサーレ・ロマーヌム」によって廃止された(ソノママ)。」さらに「この宣言は、当局の正統な教えと厳格な指示に従ってなされた」と付け加えた。

1973年7月
 スイス司教団の定例会議の発表よれば「聖ピオ五世の典礼様式によるミサを捧げることはもう許されていない。」

1973年10月
 バイユー及びリジューの司教であるバドル司教の名で、通達が発表された。「教会への従順の気遣いより、どのような状況の下であれ、聖ピオ五世の典礼様式によるミサを捧げることは禁止される。」

1974年11月14日
 フランス司教団の通達により、明示的に聖伝のミサが禁止される。
(それまでは、フランス語の新しいミサをすることが義務であるとして暗黙のうちに聖伝のミサを禁止していただけだった。)そして、今回は、自分の権威に訴えるのではなく、1971年6月14日のローマからの通達を「適応させる」と述べた。

1976年6月25日
 バチカン国務長官ベネリ司教は、パウロ六世の名前でルフェーブル大司教に手紙を書き「"公会議の教会"に真の忠実」を要求した。

1976年9月8日
 ジャン・ギトンは、フランスに聖伝のミサの執行を許可することをパウロ六世に求めたが、パウロ六世は厳しく「これは決して許さない」と答えた。(このことはパウロ六世の死後、ジャン・ギトンの書籍『パウロ六世の秘密』の中で明らかにされた。)

1976年9月11日
 カステルガンドルフォにて、ルフェーブル大司教はパウロ六世に謁見。ルフェーブル大司教は教皇に「聖伝の実験をさせてほしい」と求めた。つまり聖伝のミサに対して主張されていた禁止を解いてほしいと言うことだった。教皇は、良く考えて相談してみる、と答えただけだった。

1976年10月11日
 パウロ六世からルフェーブル大司教への手紙。その中で聖伝のミサを放棄するように要求。

1978年6月16日
 教義聖省長官のセペール枢機卿は、ルフェーブル大司教に聖伝のミサに忠実な司祭たちの叙階を中止するように要求。

1976年5月24日
 パウロ六世は、枢機卿会議の訓話でこう語る。
「聖伝の名前により、私は全ての私の子供達とカトリック共同体に、熱心と尊厳をもって新しい典礼の典礼様式を捧げることを求めます。新しいミサを取り入れることは、司祭や平信徒の自由な決定に委ねられているのではありません。・・・ 新しいミサは古いミサの代わりに発布されました。」 ・・・

1999年7月13日、及び1999年10月18日、
 メディナ枢機卿、典礼聖省長官として公式文書での発言
新しいミサ典書こそが「典礼一般法により、ローマ典礼様式のミサ聖祭祭儀の唯一の有効な形式」である。

こうして、聖伝のミサを捧げる多くの司祭たちは、事実上「破門」同然の処置を受けてきた。



 だから、1984年12月7,8,9日、スイスのマルティニーで、ミサ聖祭擁護のための大集会が開かれ、聖ピオ十世会は聖母の悲しみに満ちた汚れ無き御心に奉献された時、その機会に12月8日、ルフェーブル大司教は聖伝のミサをささげて、説教でこう言ったのだった。

「このようなやり方で私たちが迫害されるのは正しいのでしょうか?この敵意を持って追い回されるのは正しいのでしょうか?もしも私たちのミサが、教会のものではないなら、カトリック教会は今までかつて存在したことがないことになります! 私たちは、私たちをこのようなやり方で迫害する人びとの方こそ、もはやカトリック精神を持っていないと言わざるを得ません。何故なら、彼らが迫害しているのは私たち自身ではなく、私たちが代表する全てだからです。私たちは、20世紀の間の聖伝を代表しています。20世紀間のキリスト教世界と20世紀の間の霊魂の聖化を代表しています。教会が20世紀の間してきたことを批判する人々は、教会の精神をもはや持っていません。

 パウロ六世教皇、フランス司教団、スイス司教団、いや全世界の司教団が、聖伝のミサが「廃止された」「禁止された」と思いこませようとして、教会法に基づかない様々な発言をしてきた。しかし、それは教会の精神にも、教会の法にも基づかないものだった。

 それでは、聖伝のミサは本当に廃止されたことがあったと言えるのか?

 否、この聖伝のミサ典書が今迄決して法的に廃止されたことはなかったし、従って原則として常に許されていた、それが「事実」(ベネディクト十六世)である。

 ベネディクト十六世がそう言ったから、それが事実になったのではなく、聖ピオ五世の大勅令とパウロ六世の使徒憲章という客観的な事実がそうだから、ベネディクト十六世がそれを今回ようやく確認してくれたのだ。

 それを確認して下さったベネディクト十六世に感謝すると共に、聖ピオ五世の大勅書とカトリックの聖伝にあくまでも忠実であったルフェーブル大司教様やその他のカトリック司祭たちに感謝する。

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【参考資料】ビッフィ枢機卿の自叙伝『イタリアの枢機卿の追憶と叙述』より

2007年11月15日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

【参考資料】ビッフィ枢機卿の自叙伝『イタリアの枢機卿の追憶と叙述』“Memorie e digressioni di un italiano cardinale”



 イタリアの枢機卿、元ボローニャの大司教ビッフィ枢機卿は『イタリアの枢機卿の追憶と叙述』という自叙伝(640ページ)を発表しました。少し内容をご紹介します。

 それによると、ビッフィ枢機卿は、第二バチカン公会議が「教会の内的刷新」ということよりも、ヨハネ二十三世の“aggiornamento”アジョルナメント(今日化)というモットーがふさわしくなく有名になってしまった、と嘆く。教皇様のお考えではなかったが、「アジョルナメント」は、聖父の永遠のご計画と救霊の御旨を追求すると言うよりも、この世的な歴史上の「今日」だけを追求するようにさせてしまった。

 ビッフィ枢機卿は、第二バチカン公会議が共産主義について沈黙を守ったことを驚く。二十世紀の最も長い厳しい歴史的現象であるにもかかわらず、教会と現代世界に関する憲章において、共産主義については何も語らない。共産主義において、人類史上初めて、「無神論」がいわば「国家宗教」となり、押しつけられた。第二バチカン公会議はそれについて何も語らなかった

 第二バチカン公会議の参加者の中には、ナチの犯罪についてピオ十二世が「沈黙」を守ったと主張し批判するものがいたが、共産主義の犯罪に対する沈黙について、私たちはそれよりも遙かに遠くにいる。

 ヨハネ・パウロ二世は、1997年7月7日、ビッフィ枢機卿を昼食に招待した。食事の途中、ヨハネ・パウロ二世は枢機卿に、使徒書簡『第三千年期の到来』の一文を変更したことを告げた。

 公表される前の草稿ではこの一文が入っていた。「教会は、自分の子らの罪を自分のものと見なす」と。しかしビッフィ枢機卿はこれを受け入れられないと忠告し、最終文章は「教会は、罪深い自分の子らを、それでも自分のものと見なす」と変更された。

 枢機卿は言った。「私は、過去の誤りや矛盾の赦しを求めるという前例のないことを率先してやることは、主イエズスのお好みの「小さき者たち」をつまずかせるでしょう。信徒たちは、神学上の区別をどうつけて良い分からず、教会の神秘を健全に信じるだろうか?信仰宣言が私たちに告げるように、この教会の神秘とは、特に、教会が聖なるものであるということの神秘です。彼らはこの自己批判に混乱させられるでしょう。」教皇様は「はい、そうですね。そのことを考えてみます」と答えた。しかし、教皇様はそのことを充分に考えなかった。

 ベネディクト十六世が教皇に選ばれる四日前、将来の教皇様に向けて次のようなスピーチをした。

「・・・私は、私の言うことを聞いている将来の教皇様に、私の連帯と理解、また私の兄弟愛に基づく同情を表明します。しかし、私は彼にここで聞いたことを心配し過ぎたり、恐れすぎないようにとアドバイスしたいと思います。主イエズスは、彼にこの世のこれらの問題を解決するようにとは求めないでしょう。イエズスは彼に特別の愛を持ってイエズスを愛することを求めるでしょう。「これらの人々よりもあなたは私を愛するか?」と。アルゼンチンのマンガ、マファルダの中に、数年前こんなものがありました。手に負えない賢い小さな女の子マファルダはこう言うのです。「分かった!この世界には、問題発見学者はたくさんいるけれど、解決発見学者は珍しいってことね。」



「将来の教皇様に、私はこれら全ての問題に注意してもらいたいと思いますが、しかしそれよりも前に、そしてそれよりももっと、現代、天主の民を苦しめている混乱と指針の狂いの状況(state of confusion and disorientation)とを理解していただきたいと思います。彼らがどれ程、道を踏み外して導かれているか、とくに「小さき人々」が迷わされているか、をです。」
「数日前、私はテレビである老修道女がインタビューにこう答えているのを見ました。「亡くなったこの教皇様は、だれよりも偉大でした。何故ならこの教皇様は私たちに全ての宗教が同じだと教えてくれたからです」と。ヨハネ・パウロ二世がこのような賛辞を聞いて喜ぶか、私にはよく分かりません。・・・」


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【参考資料】ビッフィ枢機卿は、今年2月25日から3月3日まで教皇様とバチカンの長官たちの黙想会の指導をした。

 黙想会中、ビッフィ枢機卿は教皇様たちにこう訓話した。
反キリストは、自分を平和主義者、エコロジスト、エキュメニストとして提示する。反キリストはエキュメニカルな公会議を開催し、全てのキリスト教派の同意を求め、それぞれに何かを妥協するだろう。カトリック、政教徒、プロテスタントの少数グループを除き、群衆は反キリストのあとに従うだろう。反キリストに駆逐され、彼らは反キリストにこう言うだろう。『あなたは私たちに全てを与えたが、私たちにとって重要なこの一つだけは例外だ。すなわちイエズス・キリストだ。』」

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「二つの日付は、第三の秘密の二つのテキストゆえにどちらも正しいのか?」 「その通り」

2007年11月14日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
ファチマ・クルーセイダー「ファチマの第四の秘密」を推薦します。

二つの日付と二つの「第3の秘密」



ファチマ第3の秘密について専門家たちはこう語る

 ファチマの第三の秘密についてオッディ枢機卿はこう指摘された:

「それはゴルバチョフとは何の関係もない。祝せられたおとめは教会における背教に対してわれわれに警告を発しておられる。」

[1990年3月17日、ローマの Il Sabato 誌でのインタビューにオッディ枢機卿はこう言っている。
「私はヨハネ二十三世をよく知っていると思います。・・・もしも(ファチマの第3の)秘密が教会を慰めることについてのことであったなら、例えばロシアの回心とか、東欧での宗教的再生とか、ヨハネ二十三世はこの秘密を公にするようにしたことでしょう。彼の性格上、喜ばしいことを伝えることには何らの躊躇もしなかったからです。しかし、1960年、私が秘密を守る義務が終わったとき、何故ファチマの最後の部分を公にしなかったのか、謁見のときに訪ねました。ヨハネ二十三世はため息をついて答えました。「お願いだから、その話題は私にしないで下さい。」
 オッディ枢機卿は、ファチマの第3の秘密がヨハネ二十三世の「新しい聖霊降臨」、第二バチカン公会議が生み出すと期待していた夢と対立していたので、これを快く思わなかったのだろうと信じている。
(from Cardinal Oddi was "well-known for his views on Third Secret of Fatima")]

 16年間にわたってファチマで公式の公文書記録係を務め、またシスター・ルチアと多くのインタビューを行った故ホアキン・アロンソ神父(+1981)は次のように証言した:

「それゆえに、そのテキストが教会内部の信仰の危機に、そして司牧者たち自身の怠慢、[そして]教会の懐そのものにおける内的な闘争、そして上級の位階の重大な司牧的怠慢に具体的に言及しているということは完全にあり得ることである...」

「マリアの汚れなき御心の偉大な勝利に先立つ時期に諸々の恐るべき事柄が起こるはずである。これらのことが秘密の第三の部分の内容を構成する。それらは何であるか?もし『ポルトガルにおいては信仰の教義が常に保たれる』ならば...このことから、教会の他の部分においてはこれらの教義が曖昧となる、あるいはまったく失われてしまうことさえある、ということが明らかに結論づけられ得る...」

「公表されなかったそのテキストは具体的な諸状況について語っているか?それがこの中間の時期の間の教会における信仰の真の危機について語っているばかりでなく、例えばラ・サレットの秘密と同じように、カトリック教徒たちの内的な闘争、あるいは司祭たちや修道者たちの堕落、へのより具体的な言及があるということは非常にあり得ることである。おそらくそれは教会の上層の位階の諸々の怠慢にさえ言及している。そのことに関するかぎりでは、このことのどれ一つシスター・ルチアがこの主題に関して行った他の諸々の伝達と無縁ではない。」

 ファチマの三番目の司教、アマラル司教は1984年9月10日にオーストリア、ウィーンにおける講演において秘密について次のことを語った:

「その内容はただわれわれの信仰にだけ関わりがある。[第三の]秘密を破局的な告知あるいは核のホロコーストと同一視することはメッセージの意味を変える。一大陸の信仰の喪失は一国家の絶滅よりももっと悪い。そして信仰がヨーロッパにおいて絶えず先細りをしていることは確かなことである。」

 次に、教皇ヨハネ・パウロ二世を含んで彼まで四人の教皇の個人的神学者であったルイジ・チアッピ枢機卿からの有名な引用がある:

「第三の秘密においては、他のこともいろいろあるが、教会において大きな背教がトップで始まる、ということが予告されている。」

 カトリック教徒は、教会における大規模の背教に関して「危険な内容」を含んだ秘密の部分 - まだ公表されるべき第二のテキスト - がまだあるということを信じるしかるべき理由を持っていた。

・・・

 ソリデオ・パオリーニは2006年7月5日、ソット・イル・モンタにある大司教の邸宅にカポヴィッラを訪問した。カポヴィッラ大司教は「ファチマの第三の秘密」を読んだことがあり、その内容を知っていた。

 前置きの会話の後にパオリーニはカポヴィッラに、彼の訪問の理由はファチマに関する彼のジャーナリストとしての研究から来ていると告げた。

パオリーニはこう言った:「あなたは第一級の情報源ですから、私はあなたにいくつかの質問」、特に第三の秘密に関して、「質問したいと思います。」

カポヴィッラ大司教は最初にこう答えた:「誤解を避けるために、本当に駄目です。それは公式的に明らかにされてきましたから、私は言われてきたことを固く守ります。たとい私がそれについてもっと多くのことを知っていたとしても、われわれは公式的な文書において言われていることに固執しなければなりません。

(それは大司教からの一つのヒントである。すなわち、「ええ、私はそれについてもっと多くのことを知っています!」ということである。)

大司教はこの時点で微笑みそしてこう言われた:「どうかあなたの質問を手紙に書いてください。そうすればそれらの質問に答えましょう。」「私はあるもの、おそらく一つの文言を送りましょう...手紙を書いて、そして待っていてください。」

 三日後にパオリーニはカポヴィッラ大司教に一連の質問を書いた手紙を出した。7月18日にパオリーニはカポヴィッラ[大司教]からその答えと彼の文書からの数枚の書類の入った小包を受け取った。

 カポヴィッラ[大司教]によって送られてきた小包にはいくつかの公式的な書類と次のように書かれた小さな自筆の署名の入ったカードが入っていた:


2006年7月14日
親愛なるソリデオ・パオリーニ様

「私の文書記録の中からいくつかの書類をお送りします。あなたが2000年に信仰教義聖省によって公表されたファチマ・メッセージの小冊子をお求めになるよう提案します。」

豊かな祝福がありますように
ロリス・カポヴィッラ


 パオリーニにとってはこれが大司教からのなおもう一つのヒントであるということは明白であった。それはあたかもカポヴィッラ[大司教]がこう言われたかのごとくであった:「6月26日文書をもう一度お読みなさい。しかし今回は私が送る諸文書の光に照らして、お読みなさい!」と。

 パオリーニはこう言った:「ヴァチカンによって出版された小冊子をヨハネ・パウロ二世の秘書[であるカポヴィッラ大司教]が私に送られた記録文書と比較することによって、一つの非常に印象的な矛盾が、それ[公式的な封印]の上の承認のスタンプをもった「控え目な符号において」著者[私]の目に直ちに入って来る。2000年6月26日の公式的な文書が『パウロ六世はその内容を1965年3月27日に読み、そしてテキストを公表しないことに決定されながら、その封筒を聖座の公文書保管所に送られた』と主張している一方で、教皇パウロ六世が秘密を1963年6月27日午後に読まれたということが正式に証明されている。」

 それゆえわれわれは日付の不一致をここに見るのである。カポヴィッラ[大司教]の公式のヴァチカン文書はパウロ六世が秘密を1963年6月27日に読まれたと述べた。一方で、[2000年]6月26日ヴァチカン公式文書は同じ教皇が秘密を1965年3月27日に読まれたと主張したのである。

 パオリーニは直ちに日付の不一致に関して説明を求めるために、カポヴィッラ大司教に電話した。

 カポヴィッラ[大司教]は「われわれは聖書について話しているのではありません」というようなそのような陳述を伴った彼の答において少しばかり責任のがれであった。

 パオリーニは直ちに答えた:「その通りです、閣下。しかし私が言及しているのは一つの公式的に書かれたテキスト(公式的なヴァチカン文書)であって、それは明白であり、また他の諸々の記録文書に基づいています!」

 モンシニョール・カポヴィッラは答えられた:「そうですね、おそらくベルトーネの包み[6月26日の文書]はカポヴィッラの包みと同一ではないのでしょう...」


パオリーニ:「それでは両方の日付は、第三の秘密の二つのテキストが存在するがゆえに、どちらも正しいのでか?

カポヴィッラ大司教は答えられた:「まさにその通りです!


もうひとつの不一致:ポルトガル語方言の表現

ソッチは、オッタヴィアーニ枢機卿が、ヨハネ二十三世は[秘密が入った]封筒を開け、そしてそれを読まれたとき、それがポルトガル語で書かれていたにもかかわらず、それを完全に理解された、と言われたと述べている。しかし、ファチマについての全真理 The Whole Truth About Fatima の著者聖三位一体のフレール・ミッシェルは、教皇がいくつかのポルトガル語の表現を理解するのに彼を助けるよう信頼できるモンシニョール・タヴァレスという人を呼ばれた、と指摘している。カポヴィッラ大司教もまた、テキストはポルトガル語の方言の表現を含んでいたので、モンシニョール・タヴァレスという一人の司祭が呼ばれたと証言しておられる。

ソッチは、この不一致はただ、秘密の二つのテキスト、ヨハネ二十三世がモンシニョール・タヴァレスの助けなしに読むことができたテキストと彼の助けを必要としたもう一つのテキストが存在する場合にのみ理解され得ると主張する。


それはどのようにして起こり得たか?

ソッチ氏はヴァチカンの壁の背後で2000年に何が起こったのかについての一つの仮説的な説明を構成している。ソッチは、ヨハネ・パウロ二世が秘密を公表しようと決定されたとき、性質の分からない一つの権力闘争がヴァチカンにおいて噴出したと信じている。彼は、ヨハネ・パウロ二世とラッツィンガー枢機卿が秘密をその全体において公表することを望まれたが、しかし、当時のヴァチカン国務省長官ソダノ枢機卿がその考えに反対したと仮定している。そしてヴァチカン国務省長官からの反対は手強いものである。


第一に、われわれは聖ピオ十世会のウィリアムソン司教による最近の陳述を持っている。彼はオーストリア出身の知人の一司祭が、ラッツィンガー枢機卿は(そのオーストリアの司祭に)自分は良心の重荷となる二つの事柄を持っていると打ち明けたと彼に告げたと述べている。その一つは6月26日にファチマのメッセージについての彼の誤った取り扱いであり、もう一つはルフェーブル大司教についての彼の1988年の誤った取り扱いであった。ラッツィンガー枢機卿はルフェーブル大司教の事例において「私は失敗した」、そしてファチマの事例においては「私の手は強制された」と言われたと報じられている。ソッチの仮説はラッツィンガー枢機卿が言われたとされている彼の手の強制についての陳述を支持している。

第二に、ヴァチカンの Romanita をよく知っている者は誰でもそのような仮説の可能性を受け入れることに何の困難も持っていない。

主流の論評

ソッチの書物はここで詳論するには余りにもその数が多すぎる他の多くの点を含んでいる。彼はヨハネ二十三世およびパウロ六世のシスター・ルチアに対する軽い軽蔑;秘密の隠された部分が信仰の重大な危機を予告し、そしておそらく第二ヴァチカン公会議についての否定的な警告を含んでいるという事実;当時のベルトーネ大司教によるシスター・ルチアとのばかばかしい2001年11月17日の閉じられた扉の中でのインタビュー - その中で彼は、ロスアンジェルス・タイムズがそのことに関する記事に「ヴァチカンのトップの神学者、ファチマ信心の名声をやんわりと低下させる」と表題をつけたほどその文書がファチマの名声を非常に激しく傷つけたけれども、6月26日文書におけるあらゆる事柄にシスター・ルチアが同意したと主張した - について話している。・・・

 くわしくは、ファチマ・クルーセイダー「ファチマの第四の秘密」をご覧下さい。

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【死者の月】死と煉獄の霊魂についての黙想

2007年11月13日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 11月は死者の月ですから、死と煉獄の霊魂についての黙想を提案します。


 私たちは、先日、日本の枢機卿様の死を報ずる弔いの訃報を耳にしました。また将来、今度は、私たちのため報ずる訃報を人々は聞くことでしょう。死亡帳に故人の名を今読むが如く、いつかは私たちの名も読まれるでしょう。私たちが怖しいと思うのは、死が一度きりで、一度仕損じたら取り返しのつかないものであることです。



 ああ天国の聖人達よ、現世で肉体を責め懲らしめられた貴方達はどんなに賢かったことか!今や彼らの遺骨は祭壇の上に安置され、霊魂は限りなき栄光を帯び、主を目の当たりに眺めつつ公審判の暁を待ち望むのだから。かつてこの世の苦しみを共にした肉体と再び合体して、永遠無窮に天国の栄光を楽しむべき公審判の暁を待ち給うのですから!


【死は世間の空しさを暴露する】

 死は、世のあらゆる希望を煙と化す。四海の富も、帝王の物でも、死の床から眺めると、その色は褪せ、その光は暗んでしまう。
 死の影は、いかほど美しい、あでやかな色でも、全く見る影もないようにしてしまう。
 世間の儚い宝、その空しい誉、楽しみの為にかけがえもない霊魂を滅ぼした人ほど可哀想な者はない。彼らはその霊魂を滅ぼして、その一切を亡くした。
 人は必ず死なねばならぬ。しかも、死ぬのはただ一度きりだ。



 万事を投げ打って、ただ主のみを愛し奉るのは、よほど窮屈で不愉快極まるものの如く世人は思っているようだが、実は決してそうした訳ではない。かえって真心から主に仕え奉っている人でなければ、真の満足を味わえないのだ。
 身も心も残らず主に捧げ奉れる霊魂ほど幸な人が、全世界の帝王の中を探しても、一人でも見つかるだろうか?
 私は只今この世を立たねばならぬというならば、これまでの行動について安心されようか?


【死に臨む世間主義の人】

 死ななければならぬ。遅かれ早かれ人は必ず死ななければならぬ。
 我らはみな首に縄をかけて、即ち死の宣告を受けて生まれる。どんなに長生きをしても、最後の一日は必ず来る。
 その一日のうちに、最後の一時間は必ずやってくる。そしてこの日も、この時も、きちんと決まっているのである。
 今これを書いている私も、読んでいるあなたも、二、三年を経ずしてこの世の人ではないかもしれぬ。
 今、私が人の死を報ずる弔いの鐘の音を耳にするが如く、人もまた私のために打ち鳴らされるその鐘の音に胸を驚かせるのだ。死亡帳に故人の名を今読むが如く、いつかは私の名も読まれるのだ。要するに死は決して免れ得るものではない。ただ怖しいのは、死が一度きりで、一度仕損じたら取り返しのつかないものであることだ。

 その時になったら、見るもの聞くもの一つとして悶え・怖れの種にならないものはないであろう。今の今まで見せびらかしてきた栄華までが、茨の棘となってその心を苦しめないだろうか?その酔っ払ってきた楽しみも棘、その成功した事業も棘、その人が高ぶってきた誉れも、己を主から遠ざからせた友達も、その派手やかな衣服も、何から何まで怖しい棘となってその心を散々に掻き破るであろう。

 見よ、世間主義の人が重い病に悩み、もはや死に瀕しているその憐れな有様を。先ほどまで大手を振って人中を練り歩き、人を侮り、罵り、誰彼と無く悪口・暴言を投げつけ、傍迷惑な振る舞いをしていたのだが、今はただ弱り果て、力なく、身動きさえ自由にできず、口語らず、目見えず、耳聴かずになってきた。


【臨終】

 今日にも死なねばならないと聞いたならば、誰しも俄かに狼狽して、なお1年、いや1カ月の猶予を求めようとし、その為には大金を投げ出しても惜しくはあるまい。

 しかもその死のやってくるのは何時かわからないからである。今年か?今月か?いやいや今日ではあるまいか?

 どうも今のままで死にたくないと思うならば、どうして今のままで月日を送ろうとするのだろうか?人が急に死んだのを見ては、「マアかわいそうに。何の用意もするひまも無しに・・・」と気の毒に思うのではなかろうか?それなのに自分はその大切なひまを持っていながら、なぜ急いで用意に取り掛からないのだろう?

 心に罪の重荷を背負っている病人は、ただ「永遠」という語を耳にするだけでも身震いするぐらいである。憐れなる彼は、ただ病の辛さ、医者、薬などのほかは語りたいとも思わない。霊魂のことに対して話題にする人がいると、直ちに嫌気を覚え、「どうぞ休ませてちょうだい!」と話題を打ち切ってしまう。

 平素から格別主を愛していなかった人は、臨終の聖体を見ても何となくうら怖しく覚えるものである。


 しかし、かねがね主の他に愛するものなしと言うぐらいの人ならば、主が忝くも永遠の旅路の糧とも、道連れともして、己のあばら屋を訪れてくださったことを思って、希望に満ち、感涙に咽ぶのである。

【臨終の苦悶と死去】

 冷や汗が額に噴出す、目は眩み、脈拍は弱まり、手足は凍えてさながら死体のようになる。臨終の苦悶は遂に襲ってきた。彼の運命の時は瞬く間に迫ったのである。苦しい息は次第に細り、死期の近い兆候が現れた。司祭は祝別済みの蝋燭を病人の手に握らせ、臨終の祈りを始める。ああくすしきともし火よ、今私の心を照らせ。為したる悪事に薬をつける暇の無い時になっては、汝の光も格別益にはなるまいから・・・。

 この物悲しい蝋燭の光に照らされたら、世間の儚さ、罪の重い憎たらしさなどが手に取るように明らかに見えるであろう。

 遂に彼は行き絶えた。その最後の一息こそ彼にとってはこの世の終わりで、永遠の始まりだ。幸の永遠か、禍の永遠かは、実にこの一息によって定まるのである。

 主と和解して死んだなら安息を得るに違いないが、万一、聖寵を失ったまま死ぬようなことでもあれば、それこそ可哀想なことで、天主が天主でまします限り、彼は安息できないであろう。

 死ぬと間も無く訃報があちらこちらに伝えられる。聞く人々は思い思いに噂をする。「彼は正直は正直だったが、どうもあまり熱心ではなかったね」と言う者があるかと思うと、「彼は救霊を得たでしょうかねぇ」と言う者もいる。親兄弟は悲しみを忘れようとして、なるべく彼について語らないようにする。やがて彼は棺桶に入れられて墓に送られてしまう。

 さてさて今まで社交界の華と言われていた彼も、今や誰一人思い出してくれる者すらいない。その名を出すことさえ遠慮して差し控えるようになった。彼の部屋を訪ねても彼は影も形も見えない。彼の家具、彼の財産は残らず人手に渡ってしまった。そして彼は今どこにいる?肉体は墓の中に、霊魂は永遠の世界に。

 彼を見たければ墓穴を掘って中を覗くがいい。以前のすこやかな肉体、元気な顔つき、喜びの色が溢れる彼ではなくて、もはやまったく腐敗した肉の塊がある。豊かな頬も、朱の唇も蛆虫は容赦なく食い尽くしてしまった。余すところは白骨ばかり。それすら時を経ると頭は首と、手足は胴と離れ離れになって、完全なものは一つも残らない。見よ!主に背くことがどれほどのことだとのたまっていたその体の成れの果てを。

 ああ天国の聖人達よ、現世で肉体を責め懲らしめられた貴方達はどんなに賢かったことか!今や貴方達の遺骨は祭壇の上に安置され、霊魂は限りなき栄光を帯び、主を目の当たりに眺めつつ公審判の暁を待ち望む。かつてこの世の苦しみを共にした肉体と再び合体して、永遠無窮に天国の栄光を楽しむべき公審判の暁を待ち給うのである。

 主よ、私も聖人達に倣い、今のうちに肉体を懲らしめて我が罪を償い、主を一心に愛し、後に天国において、聖人達と共に、いつまでも、いつまでも主を賛美し奉りたい。何とぞ御憐れみを垂れて私を顧み給え。私の罪を赦し給え。



 私が今永遠の世界に在るものとすれば、主の為に何をしていたらよかったのに!と思うだろうか。

 聖カミロはしばしば墓穴を覗き、一人自ら嘆息して「この人が蘇って、再び世に出ることが許されるなら、終わりなき命の為に、どんな努力でも厭わないであろう。それなのに今私は何をしているのだ?」と言って奮い立たれた。私は永遠の為に今まで何をしたであろうか?

 死んだ上では幾ら望んだところで一分間の命すら与えられない。しかし私にはいまだ充分な月日が残っている。今これを何のために用いねばならぬ?いたずらに世の栄華、快楽を漁りまわっていてよいのだろうか?そうやって天国の為に何の備えもしていない間に、突然「現世を去れ」という命令を受けたらどうするつもりなのであろうか?

 主よ、私は憎んでも足りない恩知らずではあるが、しかし御憐れみを垂れて私を顧み給え。他の人は暗闇の中で罪を犯したけれど、私は真っ昼間に主に背き奉った。罪を犯せばいかなる辱めを主に加えることになるのか重々承知しながら、聖寵の光も、主の御勧めも踏みにじり、散々悪事を働いた。しかし主よ、「願わくば我が恐れとなり給わざれ。主は禍の日に我が避難所にまします」(エレミヤ17-17)。しかり、イエズスよ、主は私の唯一の避難所にましませば、臨終の苦悶の時、私の恐れとなり給わず、かえって何よりの信頼となりたまえ。


【煉獄の霊魂は如何なる苦しみを嘗めつゝあるか】

 煉獄の苦痛の如何なるものなるかを説明するのは、なかなか以って容易なことではない。



 聖チプリアノ曰く、「たとえ殉教の苦しみを凌(しの)いでも、今の中に罪の償いを果たして置くが可い。後の世までさし延ばしたならば、彼の恐ろしい煉獄の中で、極々小さな罪までも償はなければならないから」と。



 聖セザリウス曰く、「何人にしても天国にさえ昇れたら、救(たす)かることさえ出来たら、煉獄に幾ら長く苦しんでも構わぬ、と夢にも思ってもならぬ。煉獄の苦痛は、此の世に於いて人が堪え忍ぶこと出来る総ての責め苦、否、想像すること出来る総ての責め苦よりも、未だ未だ堪え難いものである」と。

 聖アウグスチヌス曰く、「此の世の苦痛を皆んな集めても、煉獄の苦痛と比べたら何でもない」と。

 聖トマス・アクィナス曰く、「煉獄の苦罰は地獄の苦罰と変わった所がない。ただ終があるのと終がないとの差別があるばかり」と。

 損失の苦罰と云うのは、御承知の通り、天主を見ること出来ない苦しんで、最も堪え難いもの。

 もとより煉獄の霊魂は地獄の霊魂見たように失望したり、天主を怨んだりするようなことはない。

「ああ私はなぜ早く償いをしなかった!なぜ斯う云う色々の罪を犯した?・・・あの病を与えられた時、償いとしてよく忍んで置けばよかったに!彼の難儀苦労に出遭した時、なぜ償いと思って快く堪えなかったのだろう?なぜ祈祷や、ミサや、聖体拝領や、其の他の信心の務めをよく尽さなかったのだろう?なぜ布教の為め、慈善事業の為め熱心に奔走しなかったのだろう」と連(しき)りに悶(もだ)えるのである。

 天主は正義によって彼等の為に苦しみの時期を定めて居られる。

 今、足下が開けて、煉獄に苦しみつつ、助けを叫んで居る霊魂等を面(まのあた)りに見ることが出来ましたならば、否な、其の霊魂の中の一人でも皆さんに顕れて参りましたならば、何にも頼まれない中から、その憐れな姿を一見したばかりで、同情を催し、何とかして早く救い上げたいと云う気にならずに居られますでしょうか。



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