アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
幼きイエズスの聖テレジアについて、その「霊的幼児の道」について、ますます深めることにいたしましょう。
「霊的幼児の道」は、私たちが自分の小ささを自覚し認めることから始まります。私たちは全て天主から受けたこと、天主が全てであり、私たちは何でもないこと、私たちが一人では何も出来ないことを愛を込めて受け入れることです。私たちのあるべき立場に身を置くことです。私たちの自分の持つ力にあまりにも頼りすぎないことです。私たちが天主の助けを常に必要とすることを理解することです。幼子が父親に助けを求めるように、天主の子らが、聖父なる天主に信頼を込めて助けを求めることです。
聖テレジアは言います。「私の道は、信頼と愛とに満ちたものです。」(ロラン神父への手紙1897年5月9日)「信頼の欠如はイエズスを侮辱し、聖心を傷つけます。」(マリ・ゲランへの手紙1889年5月3日)「私たちの望みと私たちの希望を制限することは、私たちが天主の無限の良さを拒否することを意味します。」「イエズスは偉大な行動を求めておられるのではなく、委託と感謝だけを求めています。」
たとえ私たちが欠点だらけであっても、霊的生活に成長することに失敗しているとしても、私たちはがっかりしてはなりません。失望は自己愛から生じるものだからです。ある修道女が聖テレジアに天主の御前に幼子として留まるとは、どう言うことかを聞きました。聖テレジアはこう答えました。
「それは、私たちが自分の無であることを認め、良き天主様から全てを期待し、私たちが実践する善徳を自分に帰することを拒み、自分だけでは良いことをすることが出来ないと信じることです。」(最後の言葉8月6日)
私たちの過去がたとえ罪にまみれていても、私たちがたとえ弱くても、決心を守れなくても、イエズスの憐れみに信頼することを聖テレジアは教えています。何故なら、イエズスは私たちの努力をご覧になっているからです。聖女が教えるのは、私たちの誠実な努力が成功を収めなかったとしても、天主の憐れみに信頼し続けることです。
「私たちは自分の力の及ぶ限り全てをしなければなりません。私たちはどれほどの骨折りをするかを数えずに与えなければなりません。私たちは、絶えず自己放棄しなければなりません。一言で言うと、私たちは私たちの愛を私たちが行うことの出来る全ての善行で証明しなければなりません。しかし私たちが出来ることは全て極めて小さいので、これらの仕事を聖化する唯一のお方に信頼すること、そして私たちが役に立たないしもべであり、私たちの望む全てをお恵みによって私たちに与えて下さると期待することが極めて重要です。」(マリ・ゲランへの手紙1890年7月)
では愛する兄弟姉妹の皆様、聖テレジアに倣って、イエズスの憐れみ深い愛に信頼しましょう。私たちの祈りと犠牲と生活の模範によって、多くの霊魂の回心と救霊の恵みを求めましょう。私たちの誠実な努力を憐れみ深くご覧になって、私たちの主イエズスが、奇跡的な聖化の恵みを与えて下さいますように!
2015年10月3日 童貞女幼きイエズスの聖テレジアの祝日にしたお説教を以下にご紹介いたします。
無原罪の聖母よ、我らのために祈り給え!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年10月3日 童貞女幼きイエズスの聖テレジア
小野田神父説教
聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2015年10月3日、10月の初土曜日のミサです。今日は幼きイエズスの聖テレジアのミサをしています。何故かというと、幼きイエズスの聖テレジアは、宣教地に於いて、1級の祝日として祝う事になっているからです。宣教地の守護の聖人として、宣教師たちの守護者として、聖テレジアを祝っています。
今日のこの御ミサの直後に、公教要理の続きがあります。先月は原罪についてみましたが、その続きを、その原罪の後の人類の歴史について、少しふれる事に致します。
「もしも幼子のようにならないならば、あなたたちは天国には入らないだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は幼きイエズスの聖テレジアの大祝日です。幼きイエズスの聖テレジアの人生を顧みて、一体この聖女が人生に於いて、一体宣教にかかわる何をしたのだろうか?なぜ私たちは、幼きイエズスの聖テレジアの祝日をこれほどまでに、1級祝日として、宣教地では全て祝わなければならないほどの、宣教の為の一体何をしたのだろうか?世界のどこを駆け回ったのだろうか?という事をみて、その幼きイエズスの聖テレジアの生涯を垣間見て、その後に、ではその何故、宣教の守護者となったのか、その理由を第2にみて、最後に私たちは、幼きイエズスの聖テレジアの精神を受けて、それをみて、霊魂の救霊の為に、イエズス様の聖国の到来の為に、一体何をしなければならないのか、という事を黙想して、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
第1のポイントは、では聖テレジアの生涯をざっと垣間見る事に致します。幼きイエズスの聖テレジアは、1873年、フランスのアランソンという所に、敬虔なお父さんとお母さんの元で生まれました。その子供の時から、修道生活に憧れていました。お父さんは元々神学生で、お母さんは修道女になりたい、と思っていた方でした。幼きイエズスの聖テレジアは小さい時から、「決して天主様に何も拒否しない、天主様のお望みの事は全てする。」という望みを立てていました。この望みを死ぬまで守っていました。5歳になると、お母さんが亡くなります。そこで幼きイエズスの聖テレジアは、マリア様の特別の御保護の下に、愛するお父さん、優しいお姉さんたちの世話の下に、すくすくと育っていきました。
リジューにある、ベネディクト会経営の修道女の経営の学校で9年間勉強し、それから10歳の時には、非常に大きな大病を患いました。その時に、マリア様の、本人の語るによれば、「マリア様の姿を見て、マリア様がお現われになった。勝利の聖母のマリア様だった。」と言います。その勝利の聖母のマリア様に9日間のノベナをして、奇跡的に病気から治りました。
この感謝の為に、幼きイエズスの聖テレジアは、パリの勝利の聖母の教会に巡礼に行き、その後にローマにも行きます。何故ローマに行くかというと、「司祭たちの為に、多くの霊魂がイエズス様の元に行くように、救霊の為に、自分自身を生贄として、修道女として捧げたい。」その為にまだ年齢が若かったのだけれども、しかしその為に特別の許可を求めに行きました。
15歳になると、本来ならば普通は許可されなかったのですけれども、レオ13世教皇様と面会ができ、特別の許可を得たので、15歳でカルメル会に喜んで入会する事ができました。マリア様のように隠れた生活、マリア様のように閉ざされた、秘密の美しい花園として、天主様にのみ捧げられた、聖徳の、天主の花園として、天主への愛と隣人への愛に咲き誇る花園として、幼きイエズスの聖テレジアは修道生活を送っていきました。
ある時、聖書を読んでいて、「もしも、誰かが子供であるならば、彼は私の元に来るがよい。」という1節を読んで、「私も、子供としてイエズス様の元に行きたい。」と、思いました。
幼きイエズスの聖テレジアは、「天主様を、愛する父親として、その御手に全き信頼と愛を以って委ねる。」という幼児の道でした。
「幼児の、子供の、霊的幼子の道」というのは、子供っぽいとか、幼稚だとか、幼じみている、という意味ではありません。「罪を知らない子供が、全くお父さんお母さんに依頼して委ねて、それを全く信頼して、そのお父さんお母さんの導かれるがままに、その自分の幼さを、その弱さを委ねて、全て依頼する。」というところにあります。
もしも、この世が傲慢と虚栄で膨れ上がっているとすれば、幼きイエズスの聖テレジアは、福音的な単純さと謙遜さで、それに対抗しようとしました。全てをイエズス様の愛の下に、信頼をもって委ねました。
幼きイエズスの聖テレジアはこの事を、「愛のエレベーター」と読んでいます。「ちょうど、エレベーターがスイッチを押すだけで上がるように、イエズス様の鷲の様な大きな翼が、私を連れて空の高い所まで上げて下さる。」
ちょうど、子供が階段を上がる事ができなくて困っている時に、お母さんにニコリと笑えば、お母さんがそれを見て、階段の上に連れて行って下さる、というその信頼の心でした。
亡くなる2年前、すなわち1895年、幼きイエズスの聖テレジアは、天主のあわれみ深い愛に自らを奉献致しました。1897年の9月30日、24歳でその霊魂を愛の内に天主様の元にお返しする事になりました。亡くなる前に、「自分は、天国からたくさんのバラの花を降らせましょう。」と約束し、幼きイエズスの聖テレジアの取り次ぎを以って、数多くのはかり知れない奇跡、また奇跡が、無数の奇跡が起こりました。回心の奇跡、治癒の奇跡。「本当に、テレジアは私たちにバラの花の雨を降らせている。」と皆確信し、ピオ11世教皇様が、まず列福、その2年後に列聖し、全ての宣教地の守護者として定めました。
第2の点は、では幼きイエズスの聖テレジアは、カルメル会の自分の地元から、ローマには巡礼に行ったかもしれないけれども、一生涯ずっとカルメル会の修道会の家の中に閉じこもっていて、一体、宣教の何をしたのか?アフリカに行ったのか?アジアに来たのか?アメリカに行ったのか?一歩も出ずに何故、宣教地の宣教者の守護者として、私たちはこれほど祝わなければならないのか?なぜ祝っているのか?その秘密は何なのか?
これは、幼きイエズスの聖テレジアの愛による一致に秘密がありました。
ある時、聖テレジアは、聖パウロの書簡を読んでいて、「私たちはキリストの体の一部だ、肢体だ。ある者は使徒、ある者は教師、ある者は預言者、しかし皆が大切で、皆がその役割を果たしている。しかし、1つの体だ。」というのを見て、「私は宣教師になって、世の終わりまで、この世の地の果てまで、福音を告げ知らせたい。或いは殉教者となって、イエズス様の為にこの命を捧げ、血を流し尽くしたい。」などと、色々な望みを持っていました。「しかし自分にはそれができないので、それを動かしている原動力になりたい、教会の愛になりたい。」と、思っていました。
最後に、「イエズス様の神秘体の一部だ」という事を自覚するあまり、自分を天主のあわれみ深い愛に奉献した時に、こんな祈りを祈っています、「私は自分の無力を感じているので、願わくは、御自らが私の聖徳となって下さい。もはや私ではなく、私のものはあなたのもの、あなたのものは私のものですから、私の聖徳は、あなたがなって下さい。」また、同じお祈りの中では、「御身は私たちに、御一人子を私たちの救い主として、また私の淨配としてお与えになったのですから、これほど私たちを愛して、全てをお与えになって、御子の全ての功徳は、無限の功徳は全て私のものです。だから私はこの無限の功徳をあなたに捧げます、これは私のものですから。ですから、私を見る時には、私をこのまま見るのではなくて、イエズス様の尊き御面影、御顔を通して、私を見て下さい。イエズス様の聖心を通して私を見て下さい。私はイエズス様の一部です、イエズス様の聖心の一部です。」
更に、幼きイエズスの聖テレジアはこう言います、「私は神秘体の一部として、全ての聖人たちの全ての功徳と、全ての礼拝と、全ての愛をお捧げします。全ての天使たちの功徳と愛徳をもお捧げします。マリア様の愛もお捧げします。何故かというと、同じ体の一部ですから。マリア様の功徳を、マリア様の御手を通してお捧げします。」同じお祈りの中で、「あなたはこう約束しました。あなたは、もしもご自分の、『私の名前によって頼むなら、御父は必ずお前たちに与えるだろう。』だからその約束の通り、私はあなたの名前で求めます。御父は決して拒否する事がないでしょう。それは、私をイエズス様の一部として見て下さい、という事です。御聖体をいつも拝領している事ができますように。」
実は、私は昨日、イエズス様への聖心の信心と、私たちのイエズス様との一致について黙想して、その後に、昨日、初金の御聖体拝領の時に、「あぁ、イエズス様は、皆さんの霊魂1つ1つと、こんなに1つとなりたい、全てを与えておられる。皆さんも、イエズス様に、全ての1つを与えておられる。」というのを見て、「あぁ、」御聖体を授けながら、非常に大きな感動を覚えておりました。イエズス様の聖心の私たちに対する愛、一致の愛と、皆さまのイエズス様に対する一致への愛、それを何か目前にして、とても美しいと思っていました。
幼きイエズスの聖テレジアも全く同じで、「いつも御聖体拝領をしていたい、御聖体と一致していたい。できるならば、私は御身の御聖櫃となりたい。ですから私はお願いします。私を御身の聖櫃として下さい。決して私から離れないで下さい。」というお願いをしました。「私は御身と1つとなりたいのです。私の中にいつも留まって下さい。私のものはあなたのものです、あなたのものは私のものです。」「私は、イエズス様の望みの通り、この世の罪を償いたいと思います。御身をお慰めしたいと思います。だから、私をして罪を犯すような自由を与えないで下さい。御身を悲しませる事がないようにして下さい。いつも御身を喜ばせる事、慰める事だけ、御身の望みを果たす事だけを考えるように、いつもそれだけに1つにして下さい。」最後にこのお祈りの中で、「私は御身に感謝します。何故かというと、あなたは私に苦しみを与えて下さったから。この苦しみの坩堝の中で、私を溶かして下さったから。これほどの十字架と苦しみを与えて下さった事に感謝します。」
永井博士のようです、「長崎に原爆を落として下さった事を、皆感謝しよう。私たちは、天主様の生贄として選ばれた者となった、感謝しよう。」原爆の落とされた、その直後、多くの修道者、神父様たち、教会を失った、家族を失った博士は、皆にそう言って、「感謝をしよう。」と呼びかけました。
幼きイエズスの聖テレジアも、「この苦しみを感謝します。だから御身の御栄にも、苦しみにもこう与ったお恵みを感謝して、どうぞ御身の御栄にも与るのを許して下さい。できれば御身の5つの聖痕の栄光を私にも下さい。」「私は、御身の正義を纏い(まとい)たい。愛の生贄となりたい。愛の殉教者となりたい。愛に生きたい。愛に於いて死にたい。」と、いつも思っていました。
まさに、イエズス様との深い愛による一致によって、幼きイエズスの聖テレジアは、イエズス様の心を、愛で傷付けてしまったのです。幼きイエズスの聖テレジアの祈りに対して、もはやイエズス様は、何の拒否もできずに、「あぁ、我が愛する花嫁よ、さあ来なさい。レバノンから来なさい。さあ我が妹よ、我が花嫁よ、さあ来い、私の心は傷ついた、愛によって傷付いた、とろけてしまった、さあ。」
そうする事によって、幼きイエズスの聖テレジアは、多くの霊魂をイエズス様のもとに引き戻すお恵みと、バラの花を天から雨と降らすお恵みを受けたのでした。
では、私たちは今日どのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか?私たちも、幼きイエズスの聖テレジアに倣って、愛に生きる事に致しましょう。私たちも幼きイエズスの聖テレジアのようにおそらく、隠れた謙遜な単純な生活をして、奇跡を起こすわけではないし、世界を巡礼して旅するわけではないし、殉教の血を流して十字架に付けられて火で燃やされるわけではないし、皮を剥がれるわけではありませんが、しかし、愛によって、イエズス様の全ての、イエズス様から与えられる全ての日常の試練を、感謝をもって受け、イエズス様の聖心を決してお悲しませする事がないように、私たちとイエズス様は1つである、という事をいつも自覚していますように。私たちの行動はイエズス様と共に於ける行動であって、私たちの祈りはイエズス様と共の祈りであって、私たちの全ての生活はイエズス様と共の生活でありますように。
幼きイエズスの聖テレジアは、これをマリア様から学びましたので、私たちもマリア様から、勝利の聖母から、汚れ無き御心から習う事に致しましょう。聖母の御取り次ぎと、聖テレジアの御取り次ぎによって、私たちがますますイエズス様と一致できますように。多くの霊魂がイエズス様のもとに来ますように。イエズス様を知り、愛し、礼拝し、多くの霊魂が救われ、救霊のお恵みを頂けるように、お祈りを致しましょう。
「もしも幼子のようにならないならば、誰も天国には入れない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
幼きイエズスの聖テレジアについて、その「霊的幼児の道」について、ますます深めることにいたしましょう。
「霊的幼児の道」は、私たちが自分の小ささを自覚し認めることから始まります。私たちは全て天主から受けたこと、天主が全てであり、私たちは何でもないこと、私たちが一人では何も出来ないことを愛を込めて受け入れることです。私たちのあるべき立場に身を置くことです。私たちの自分の持つ力にあまりにも頼りすぎないことです。私たちが天主の助けを常に必要とすることを理解することです。幼子が父親に助けを求めるように、天主の子らが、聖父なる天主に信頼を込めて助けを求めることです。
聖テレジアは言います。「私の道は、信頼と愛とに満ちたものです。」(ロラン神父への手紙1897年5月9日)「信頼の欠如はイエズスを侮辱し、聖心を傷つけます。」(マリ・ゲランへの手紙1889年5月3日)「私たちの望みと私たちの希望を制限することは、私たちが天主の無限の良さを拒否することを意味します。」「イエズスは偉大な行動を求めておられるのではなく、委託と感謝だけを求めています。」
たとえ私たちが欠点だらけであっても、霊的生活に成長することに失敗しているとしても、私たちはがっかりしてはなりません。失望は自己愛から生じるものだからです。ある修道女が聖テレジアに天主の御前に幼子として留まるとは、どう言うことかを聞きました。聖テレジアはこう答えました。
「それは、私たちが自分の無であることを認め、良き天主様から全てを期待し、私たちが実践する善徳を自分に帰することを拒み、自分だけでは良いことをすることが出来ないと信じることです。」(最後の言葉8月6日)
私たちの過去がたとえ罪にまみれていても、私たちがたとえ弱くても、決心を守れなくても、イエズスの憐れみに信頼することを聖テレジアは教えています。何故なら、イエズスは私たちの努力をご覧になっているからです。聖女が教えるのは、私たちの誠実な努力が成功を収めなかったとしても、天主の憐れみに信頼し続けることです。
「私たちは自分の力の及ぶ限り全てをしなければなりません。私たちはどれほどの骨折りをするかを数えずに与えなければなりません。私たちは、絶えず自己放棄しなければなりません。一言で言うと、私たちは私たちの愛を私たちが行うことの出来る全ての善行で証明しなければなりません。しかし私たちが出来ることは全て極めて小さいので、これらの仕事を聖化する唯一のお方に信頼すること、そして私たちが役に立たないしもべであり、私たちの望む全てをお恵みによって私たちに与えて下さると期待することが極めて重要です。」(マリ・ゲランへの手紙1890年7月)
では愛する兄弟姉妹の皆様、聖テレジアに倣って、イエズスの憐れみ深い愛に信頼しましょう。私たちの祈りと犠牲と生活の模範によって、多くの霊魂の回心と救霊の恵みを求めましょう。私たちの誠実な努力を憐れみ深くご覧になって、私たちの主イエズスが、奇跡的な聖化の恵みを与えて下さいますように!
2015年10月3日 童貞女幼きイエズスの聖テレジアの祝日にしたお説教を以下にご紹介いたします。
無原罪の聖母よ、我らのために祈り給え!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2015年10月3日 童貞女幼きイエズスの聖テレジア
小野田神父説教
聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2015年10月3日、10月の初土曜日のミサです。今日は幼きイエズスの聖テレジアのミサをしています。何故かというと、幼きイエズスの聖テレジアは、宣教地に於いて、1級の祝日として祝う事になっているからです。宣教地の守護の聖人として、宣教師たちの守護者として、聖テレジアを祝っています。
今日のこの御ミサの直後に、公教要理の続きがあります。先月は原罪についてみましたが、その続きを、その原罪の後の人類の歴史について、少しふれる事に致します。
「もしも幼子のようにならないならば、あなたたちは天国には入らないだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は幼きイエズスの聖テレジアの大祝日です。幼きイエズスの聖テレジアの人生を顧みて、一体この聖女が人生に於いて、一体宣教にかかわる何をしたのだろうか?なぜ私たちは、幼きイエズスの聖テレジアの祝日をこれほどまでに、1級祝日として、宣教地では全て祝わなければならないほどの、宣教の為の一体何をしたのだろうか?世界のどこを駆け回ったのだろうか?という事をみて、その幼きイエズスの聖テレジアの生涯を垣間見て、その後に、ではその何故、宣教の守護者となったのか、その理由を第2にみて、最後に私たちは、幼きイエズスの聖テレジアの精神を受けて、それをみて、霊魂の救霊の為に、イエズス様の聖国の到来の為に、一体何をしなければならないのか、という事を黙想して、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
第1のポイントは、では聖テレジアの生涯をざっと垣間見る事に致します。幼きイエズスの聖テレジアは、1873年、フランスのアランソンという所に、敬虔なお父さんとお母さんの元で生まれました。その子供の時から、修道生活に憧れていました。お父さんは元々神学生で、お母さんは修道女になりたい、と思っていた方でした。幼きイエズスの聖テレジアは小さい時から、「決して天主様に何も拒否しない、天主様のお望みの事は全てする。」という望みを立てていました。この望みを死ぬまで守っていました。5歳になると、お母さんが亡くなります。そこで幼きイエズスの聖テレジアは、マリア様の特別の御保護の下に、愛するお父さん、優しいお姉さんたちの世話の下に、すくすくと育っていきました。
リジューにある、ベネディクト会経営の修道女の経営の学校で9年間勉強し、それから10歳の時には、非常に大きな大病を患いました。その時に、マリア様の、本人の語るによれば、「マリア様の姿を見て、マリア様がお現われになった。勝利の聖母のマリア様だった。」と言います。その勝利の聖母のマリア様に9日間のノベナをして、奇跡的に病気から治りました。
この感謝の為に、幼きイエズスの聖テレジアは、パリの勝利の聖母の教会に巡礼に行き、その後にローマにも行きます。何故ローマに行くかというと、「司祭たちの為に、多くの霊魂がイエズス様の元に行くように、救霊の為に、自分自身を生贄として、修道女として捧げたい。」その為にまだ年齢が若かったのだけれども、しかしその為に特別の許可を求めに行きました。
15歳になると、本来ならば普通は許可されなかったのですけれども、レオ13世教皇様と面会ができ、特別の許可を得たので、15歳でカルメル会に喜んで入会する事ができました。マリア様のように隠れた生活、マリア様のように閉ざされた、秘密の美しい花園として、天主様にのみ捧げられた、聖徳の、天主の花園として、天主への愛と隣人への愛に咲き誇る花園として、幼きイエズスの聖テレジアは修道生活を送っていきました。
ある時、聖書を読んでいて、「もしも、誰かが子供であるならば、彼は私の元に来るがよい。」という1節を読んで、「私も、子供としてイエズス様の元に行きたい。」と、思いました。
幼きイエズスの聖テレジアは、「天主様を、愛する父親として、その御手に全き信頼と愛を以って委ねる。」という幼児の道でした。
「幼児の、子供の、霊的幼子の道」というのは、子供っぽいとか、幼稚だとか、幼じみている、という意味ではありません。「罪を知らない子供が、全くお父さんお母さんに依頼して委ねて、それを全く信頼して、そのお父さんお母さんの導かれるがままに、その自分の幼さを、その弱さを委ねて、全て依頼する。」というところにあります。
もしも、この世が傲慢と虚栄で膨れ上がっているとすれば、幼きイエズスの聖テレジアは、福音的な単純さと謙遜さで、それに対抗しようとしました。全てをイエズス様の愛の下に、信頼をもって委ねました。
幼きイエズスの聖テレジアはこの事を、「愛のエレベーター」と読んでいます。「ちょうど、エレベーターがスイッチを押すだけで上がるように、イエズス様の鷲の様な大きな翼が、私を連れて空の高い所まで上げて下さる。」
ちょうど、子供が階段を上がる事ができなくて困っている時に、お母さんにニコリと笑えば、お母さんがそれを見て、階段の上に連れて行って下さる、というその信頼の心でした。
亡くなる2年前、すなわち1895年、幼きイエズスの聖テレジアは、天主のあわれみ深い愛に自らを奉献致しました。1897年の9月30日、24歳でその霊魂を愛の内に天主様の元にお返しする事になりました。亡くなる前に、「自分は、天国からたくさんのバラの花を降らせましょう。」と約束し、幼きイエズスの聖テレジアの取り次ぎを以って、数多くのはかり知れない奇跡、また奇跡が、無数の奇跡が起こりました。回心の奇跡、治癒の奇跡。「本当に、テレジアは私たちにバラの花の雨を降らせている。」と皆確信し、ピオ11世教皇様が、まず列福、その2年後に列聖し、全ての宣教地の守護者として定めました。
第2の点は、では幼きイエズスの聖テレジアは、カルメル会の自分の地元から、ローマには巡礼に行ったかもしれないけれども、一生涯ずっとカルメル会の修道会の家の中に閉じこもっていて、一体、宣教の何をしたのか?アフリカに行ったのか?アジアに来たのか?アメリカに行ったのか?一歩も出ずに何故、宣教地の宣教者の守護者として、私たちはこれほど祝わなければならないのか?なぜ祝っているのか?その秘密は何なのか?
これは、幼きイエズスの聖テレジアの愛による一致に秘密がありました。
ある時、聖テレジアは、聖パウロの書簡を読んでいて、「私たちはキリストの体の一部だ、肢体だ。ある者は使徒、ある者は教師、ある者は預言者、しかし皆が大切で、皆がその役割を果たしている。しかし、1つの体だ。」というのを見て、「私は宣教師になって、世の終わりまで、この世の地の果てまで、福音を告げ知らせたい。或いは殉教者となって、イエズス様の為にこの命を捧げ、血を流し尽くしたい。」などと、色々な望みを持っていました。「しかし自分にはそれができないので、それを動かしている原動力になりたい、教会の愛になりたい。」と、思っていました。
最後に、「イエズス様の神秘体の一部だ」という事を自覚するあまり、自分を天主のあわれみ深い愛に奉献した時に、こんな祈りを祈っています、「私は自分の無力を感じているので、願わくは、御自らが私の聖徳となって下さい。もはや私ではなく、私のものはあなたのもの、あなたのものは私のものですから、私の聖徳は、あなたがなって下さい。」また、同じお祈りの中では、「御身は私たちに、御一人子を私たちの救い主として、また私の淨配としてお与えになったのですから、これほど私たちを愛して、全てをお与えになって、御子の全ての功徳は、無限の功徳は全て私のものです。だから私はこの無限の功徳をあなたに捧げます、これは私のものですから。ですから、私を見る時には、私をこのまま見るのではなくて、イエズス様の尊き御面影、御顔を通して、私を見て下さい。イエズス様の聖心を通して私を見て下さい。私はイエズス様の一部です、イエズス様の聖心の一部です。」
更に、幼きイエズスの聖テレジアはこう言います、「私は神秘体の一部として、全ての聖人たちの全ての功徳と、全ての礼拝と、全ての愛をお捧げします。全ての天使たちの功徳と愛徳をもお捧げします。マリア様の愛もお捧げします。何故かというと、同じ体の一部ですから。マリア様の功徳を、マリア様の御手を通してお捧げします。」同じお祈りの中で、「あなたはこう約束しました。あなたは、もしもご自分の、『私の名前によって頼むなら、御父は必ずお前たちに与えるだろう。』だからその約束の通り、私はあなたの名前で求めます。御父は決して拒否する事がないでしょう。それは、私をイエズス様の一部として見て下さい、という事です。御聖体をいつも拝領している事ができますように。」
実は、私は昨日、イエズス様への聖心の信心と、私たちのイエズス様との一致について黙想して、その後に、昨日、初金の御聖体拝領の時に、「あぁ、イエズス様は、皆さんの霊魂1つ1つと、こんなに1つとなりたい、全てを与えておられる。皆さんも、イエズス様に、全ての1つを与えておられる。」というのを見て、「あぁ、」御聖体を授けながら、非常に大きな感動を覚えておりました。イエズス様の聖心の私たちに対する愛、一致の愛と、皆さまのイエズス様に対する一致への愛、それを何か目前にして、とても美しいと思っていました。
幼きイエズスの聖テレジアも全く同じで、「いつも御聖体拝領をしていたい、御聖体と一致していたい。できるならば、私は御身の御聖櫃となりたい。ですから私はお願いします。私を御身の聖櫃として下さい。決して私から離れないで下さい。」というお願いをしました。「私は御身と1つとなりたいのです。私の中にいつも留まって下さい。私のものはあなたのものです、あなたのものは私のものです。」「私は、イエズス様の望みの通り、この世の罪を償いたいと思います。御身をお慰めしたいと思います。だから、私をして罪を犯すような自由を与えないで下さい。御身を悲しませる事がないようにして下さい。いつも御身を喜ばせる事、慰める事だけ、御身の望みを果たす事だけを考えるように、いつもそれだけに1つにして下さい。」最後にこのお祈りの中で、「私は御身に感謝します。何故かというと、あなたは私に苦しみを与えて下さったから。この苦しみの坩堝の中で、私を溶かして下さったから。これほどの十字架と苦しみを与えて下さった事に感謝します。」
永井博士のようです、「長崎に原爆を落として下さった事を、皆感謝しよう。私たちは、天主様の生贄として選ばれた者となった、感謝しよう。」原爆の落とされた、その直後、多くの修道者、神父様たち、教会を失った、家族を失った博士は、皆にそう言って、「感謝をしよう。」と呼びかけました。
幼きイエズスの聖テレジアも、「この苦しみを感謝します。だから御身の御栄にも、苦しみにもこう与ったお恵みを感謝して、どうぞ御身の御栄にも与るのを許して下さい。できれば御身の5つの聖痕の栄光を私にも下さい。」「私は、御身の正義を纏い(まとい)たい。愛の生贄となりたい。愛の殉教者となりたい。愛に生きたい。愛に於いて死にたい。」と、いつも思っていました。
まさに、イエズス様との深い愛による一致によって、幼きイエズスの聖テレジアは、イエズス様の心を、愛で傷付けてしまったのです。幼きイエズスの聖テレジアの祈りに対して、もはやイエズス様は、何の拒否もできずに、「あぁ、我が愛する花嫁よ、さあ来なさい。レバノンから来なさい。さあ我が妹よ、我が花嫁よ、さあ来い、私の心は傷ついた、愛によって傷付いた、とろけてしまった、さあ。」
そうする事によって、幼きイエズスの聖テレジアは、多くの霊魂をイエズス様のもとに引き戻すお恵みと、バラの花を天から雨と降らすお恵みを受けたのでした。
では、私たちは今日どのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか?私たちも、幼きイエズスの聖テレジアに倣って、愛に生きる事に致しましょう。私たちも幼きイエズスの聖テレジアのようにおそらく、隠れた謙遜な単純な生活をして、奇跡を起こすわけではないし、世界を巡礼して旅するわけではないし、殉教の血を流して十字架に付けられて火で燃やされるわけではないし、皮を剥がれるわけではありませんが、しかし、愛によって、イエズス様の全ての、イエズス様から与えられる全ての日常の試練を、感謝をもって受け、イエズス様の聖心を決してお悲しませする事がないように、私たちとイエズス様は1つである、という事をいつも自覚していますように。私たちの行動はイエズス様と共に於ける行動であって、私たちの祈りはイエズス様と共の祈りであって、私たちの全ての生活はイエズス様と共の生活でありますように。
幼きイエズスの聖テレジアは、これをマリア様から学びましたので、私たちもマリア様から、勝利の聖母から、汚れ無き御心から習う事に致しましょう。聖母の御取り次ぎと、聖テレジアの御取り次ぎによって、私たちがますますイエズス様と一致できますように。多くの霊魂がイエズス様のもとに来ますように。イエズス様を知り、愛し、礼拝し、多くの霊魂が救われ、救霊のお恵みを頂けるように、お祈りを致しましょう。
「もしも幼子のようにならないならば、誰も天国には入れない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。