ギリシャ神話は、何回読でも人物をなかなか覚えられず、それでも読む度に面白く感じるのは、その寓意性と垢抜けしたストーリーにあると思います。
私が読むのは、でーんと厚い本でなく、阿刀田高作の「私のギリシャ神話」(集英社文庫)です。
私の好きなくだりは・・・・、あるとき神と人間が、殺した牛をどう食べるかと取り分が問題になった時、才知にたけていたプロメテウスが、二皿の肉を作ります。ひとつは美味しい肉と臓物を胃袋に詰めたもの、もうひとつは骨を脂で包んで一見美味しそうに見せたもの。
うっかり後者を選んだギリシャ神話の大神ゼウスは、神々が人間よりまずいものを食べていいものかと激しく怒ります。ゼウスは、奸計を図ったプロメテウスと美味しいものを食べた人間に怒りを覚え、人間から火の使用を禁じてしまいます。が、プロメテウスはここで人類の味方となり、神々のもとから火を盗み出し人間に与えてやります。これにゼウスは激怒し、泥を練ってパンドラという美しい女を作り、プロメテウスのもとに放ちます。
パンドラが訪ねてきたとき、プロメテウスは留守で、弟のエピメテウスが彼女を迎えます。エピは「あとで」、メテウスは「考える」の意味で 「あとで考える人」だから、なんの思慮もなく妻としてしまいます。パンドラには神々からすべて贈りものが委ねられて、その壺は「けっして開けてはならない」ことになっていました。
なのに二人で開けてしまったのです。蓋をとると、中からパッと黒煙が・・・。疾病、戦争、貧困、憎悪、嫉妬、飢餓、瀆神、残虐、好色・・・とありとあらゆる悪が飛び散りました。パンドラの壺の蓋が開き、すべての悪がこの世に広がったのです。
諸悪が飛び散るのを見て、パンドラはあわてて蓋を閉じたけど、時すでに遅し。かろうじて壺の底にひとつだけ取り留めたものがあったのです。それは、すなわち「希望」です。だから人間は、どのような悪にさいなまれても希望だけは持つことができるということです。
実にうまい話だなと、このくだりにくるたびに感心します。プロメテウスの話には後日談がありますが・・・。「希望」はやはり尊い言葉だと思います。