司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読みながら、一番感動したのは海軍学校設立でもなく、あの有名な薩長同盟でもなく、その後に起こる海援隊の傭船・いろは丸沈没事件に関しての竜馬の交渉術でした。
いろは丸事件は、瀬戸内海に於いて紀州和歌山藩船・明光丸といろは丸が衝突し、いろは丸が大破沈没した日本初の蒸気船同士の衝突事故です。非は明光丸にあるとする海援隊側の主張に対して、天下の御三家・紀州55万石が引くはずはありません。
双方の間で繰り返し賠償交渉が行われますが、竜馬は航海日誌や国際法『万国公法』を持ち出し、街に歌を流行らせて世論を盛り上げ、藩のトップも動員して世界を視野に入れ、これからの日本を見据えて理論的に攻めていきます。
そうして勝ちとった賠償金83500両(のちに少し減額されています)。この快挙に日本が大きく変わりつつあるエネルギーを感じ、竜馬の力というものを具体的に見る思いでした。
ちょうど検察と被告のように口論しあい賠償金を勝ち取ったことは、裁判闘争で勝ったようなもので、初めての「判例」として、長編小説の中でも心に残った一場面でした。
本を読んでいても竜馬を器の大きさという抽象的なとらえ方が多かったのが、やっとはっきりと竜馬の人物像をとらえることができた事件でした。
ところで83500両とは一体いくらぐらい?と思って調べてみました。現在の数字に置き換えると興趣も増すものです。
写真は、磯田道史「武士の家計簿」からの資料です。
加賀藩猪山家文書(1846年)の両替データをもとに計算してみました。
現代賃金からの換算だと「83500×30万」で250億5000万円。この換算はちょっと高すぎる気がします。
現在の米価から換算すると「83500×55555」で約46億3800万円。
ある説では、1863年の1両は14800円。「83500×14880」で12億4248万円。昔のお金の換算はなかなか難しいです。