室町時代には「六花落」を「ゆきふる」と読んだそうな。風情がありますねぇ。
少し前に読んだ同著者『千両飾り』で、古河藩藩主土井利位(としつら)が雪の結晶の観察をまとめた『雪華図説』がちらりと出てきました。器具も装置もあるはずがない時代と藩主ということだけがずっと心に残っていました。
それを詳しく小説にしたのがこの『六花落々』で、友人から回ってきました。この友人のおかげで、自分からは手に取ってみなかった分野に足を踏み入れて、もう何十冊借りたかなぁ・・・。365連休の時間と心を埋め、満足度も高い歴史、時代小説に大変感謝しています。
雪の結晶を調べるのは藩主土井利位、重臣鷹見仙石、下士小松尚七の3人。主人公の尚七も実在の人物であることはあとがきで知りました。
雪の結晶に魅せられた苦労と努力の物語かなと思いきや、尚七を囲んで歴史の「名優」が出てくるわ、出てくるわ!
もう、一流の俳優を通行人の役に使ったような贅沢な顔ぞろえです。大槻玄沢、大黒屋光太夫、近藤重蔵、渡辺崋山、宇田川榕庵、シーボルト、高橋景保、間宮林蔵、谷文晁、司馬江漢、大塩平八郎・・・。
それぞれを主人公にした本ができるくらいの豪華メンバーが登場します。
これは時代小説でなく歴史小説です。
物語は偶然に出会った古河藩の重臣・鷹見と下士・尚七から始まります。その秘めた能力を見出された尚七は江戸で藩主の御学問相手に抜擢されます。
そうなると自然と交流は広がります。蘭医ら知識人と交流する中で、少しずつ渦巻き始めた時代の揺籃期に飲み込まれていきます。
下士出身の尚七は視点を常に民に置いていました。身分制度の厳しい時代に、「尚七はそのままでいい」とそれを許した鷹見もすばらしいと思います。
☕ ☕ ちょっとだけ閑話☕ ☕ 美術の教科書などでよく見かける渡辺崋山筆「鷹見仙石象」があります。絵の記憶はありますが、人物についてはノーマークでした。
それがなんとこの古河藩の家老にまで上り詰めた人で、この本では「鷹見忠常」家老になって「鷹見仙石」だったのです。微かな知識が結び合う偶然がとても嬉しく楽しくなります(*^^*)
この本では二番目の主人公とでもいえる圧倒的存在感の人物で、「土井の鷹見か、鷹見の土井か」とまで言われた人。意思の強い澄んだ表情がそれを物語っています。☕ ☕
さて、尚七には、高価な顕微鏡を使って雪を観察することが贅沢ではないのかというためらいがあります。雪の結晶がたくさん見られる年ほどその年のコメの収穫が悪くなるということに気づいたのです。観察の喜びに相反する農民の困窮。故郷の惨めな民百姓の姿が目に浮かび苦しみます。
まさに天保の大飢饉の最中に、鷹見は、贅を尽くした雪華文様の高価な蒔絵の道具数点を進物用として作らせます。苦しむ民をないがしろにしていると尚七は正面から反発します。
後になってわかるのですが、それは南の被害が少ない暖かい藩に宛てた贈り物でした。数年続く大飢饉で、食べるものにも困り果てた古河藩の民を救ったのが、被害の少ない九州の藩から送られてくる「お救い米」だったのです。
民百姓の汗水を無駄に費やしていると思った雪華観察が、領民の糧となったのです。ずっと先を見通した鷹見の見識の高さに、尚七は足元ばかり見ていた自分を恥じました。
有能な家老に支えられて藩主は大阪城代に抜擢され、そこに勃発した大塩平八郎の乱を平定します。大塩に忠鷹見は厳罰を下しますが、民に基軸を置いた大塩の思想は尚七の心に奥深く残ります。
大塩をめぐって鷹見と意見が激しく対立したときに「殿のためにも、わしのためにも、おまえはそのままでいろ」の思いがけない言葉をかけられます。
それは民百姓に近いところにいた尚七を通して、民の思いを藩主の殿に伝えられるからというものでした。鷹見は、藩主は民百姓の状況を知っておくべきだと確信していたのです。
「ありのままの自分を受け入れてくれ、認めてもらった」と尚七は、感動と共にそこに不思議な感覚を覚え、遠くで静かに白く揺らめく炎、白炎を見たのでした。
20年かけて「雪華図説」は完成します。そこに尚七の名前が挙がることはありませんでしたが、それは尚七も納得済み。
そんな欲のない尚七だからこそ、藩主は尚七に一番心を許し、自分の孤独を救ってくれた、これから先も共に歩くことを強く望まれます。
雪華みたいにすがすがしい清涼な空気が漂う、この本のクライマックとでもいえるでしょう。
雪華みたいにすがすがしい清涼な空気が漂う、この本のクライマックとでもいえるでしょう。
この本の登場人物で、後に幕府の咎めにより命を落とす人がたくさん出てきます。
倒幕に向かって歴史は少しずつ歩を進めていたのです。まさに白炎が。それまでとは違う何か新しい空気が漂う、何かが芽を出そうとしている・・・。だからこの時代の話が好きなのです。