新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

朝井まかて『阿蘭陀西鶴』

2021年05月10日 | 本・新聞小説
中学国語では、井原西鶴『好色一代男』『日本永代蔵』『世間胸算用』という著作の羅列の暗記でした。本のタイトルだけの文学史。読みもしないのに多感な中学生には好色という文字にかなり抵抗感がありました。
朝井まかての作品を集中して探しているときに『阿蘭陀西鶴』が織田作之助賞受賞作品と分かって早速購入。そういう他力に頼るのもひとつの選択法、さすがに読みごたえがあり西鶴のイメージを変えました。
先に読んだ『眩(くらら)』は江戸の北斎父娘。今度は大阪の西鶴父娘。それぞれの父と娘の関わりかた、複雑な立場と心情が滲み出ていて心に響きました。

娘おあいを語り手として、父·西鶴と彼を取り巻く弟子や出版界の人々、いわば市井の人たちの物語です。
おあいは盲目で、だからこそ幼い頃から母親は家事全般をこなせるように厳しく仕込みます。何よりもハンディを意識することなく素直な心根の娘に成長します。その母もおあい9歳のときに亡くなります。

おあいは身勝手で傍迷惑な父を冷静に見ながら拒否することなく受け入れていましたが、心が寄り添ったものではなかったのです。しかし、ふとした事から父の本当の心の内を知ることになり父への気持ちが徐々に変化していきます。

大阪では町人の教養が高まり、多くの版元が誕生し出版物も多くなります。挿し絵の絵師も生まれます。歌舞伎や浄瑠璃も盛んになり街は活況を帯びます。
そんな時代を背景にして西鶴が俳諧師から浮世草子作家へと筆を移していく過程が、出版業界の思惑のなかで分かりやすく面白く描かれています。

ハンディを感じさせず物事をまっすぐ見る素直なおあいの人物設定が、ストーリーの展開を力みなく進めていくことで好感を持って読めるのだと感じました。
市井の人の日常を面白く描いた『世間胸算用』は、現代語訳版があるので読んでみたくなりました。大阪人の軽妙な特性を色濃く出している気がします。

コメント    この記事についてブログを書く
« プレゼント・・・ポピーの絵 | トップ | バラ一輪 »