<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





ジョン・ウェイン主演の「駅馬車」は原題が「Stagecoach」。
邦題をつけたのは若き日の淀川長治さん。
「駅馬車」という言葉はその当時一般的ではなく、かなり勇気の要った命名だったそうだが、その邦題がジャストフットして作品は大ヒット。
今も西部劇の名作として語り継がれている。

10年以上前になるけれども、FM大阪で長年放送されているAVANTIでも、マット・デイモンの事実上のデビュー作「グッドウィルハンティング~旅立ち~」の邦題について宣伝担当者が語ったいるエピソードがあった。
原題は「Good Will Hunting」。
それだけでは日本の観客にはなんのことやらわからない。
せっかくの良い作品なのにどうしよう?
と、いうことで追加したタイトルが「旅立ち」。
この一言で映画は大ヒットして、作品の良さをわかってもらえたという話だった。

邦題は大切だ。

そういう意味で、マーティン・スコセッシ監督の新作「ヒューゴの不思議な発明」という邦題は素晴らしい物語に対して、最低の命名であったと言わなければなるまい。
なぜならドラマの真意が伝わっていないだけではなく、どうも観客に錯覚をもたらして興行収入を増やしてやろうという配給会社の作為みたいなものが垣間見られるからだ。

この映画の原題は「Hugo」。

主人公の少年の名前なので、このままでは何の映画かわからない。
わからないが、映画を見たら納得のいくタイトルで、そこに「不思議な発明」と付ける理由が判然としない。
ドラマには「不思議な発明」などはまったくなく、スコセッシが描く度肝を抜く映像がある意味ファンタジー映画のような感覚を持っているので大きな誤解を引き起こす可能性があるのだ。
つまりこの映画は「ファンタジー映画ではないのか」と。

この映画の物語の本筋は、パリのモンパルナス駅で売店の親父を営む老人と少年の出会い。
そしてその老人は意外な過去を持っていて、その過去に対する作者の敬意がファンタジーを連想させる素敵な映像になっていることに観客は気づくのだ。
冒頭から映画は長回しカットを多用する。
最初のカットは精巧でリアルだがCGとわかる映像なのだが、2つ目の長回しカットはどのように撮影したのかわからない実写で、見ているものはそれだけで物語の内部に引きこまれてしまう、さすがスコセッシの演出は映画ならではのスピード感と語り口で観客を映画の世界の住民にしてしまう。

そんな素敵な映像と物語がこの映画の最大の魅力なのだ。

ネットを検索するとひどい点数を付けている人がいるけれども、それはきっと邦題に騙されて「ファンタジー映画」と思って劇場へ足を運んだ人に違いない。
この映画はアカデミー賞を受賞するような素晴らしい夢のような映像だが、実際は実話を踏み台にした大人のドラマなのだ。

なお、私は中1の娘と「シャーロック・ホームズ」の新作を見る約束で劇場に出かけたのだが、時間の関係でこちらに変更。
娘が拗ねるのではないかちょっと様子を見たのだが、「ヒューゴ」に大満足の映画鑑賞なのであった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )