<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





夏の暑い盛り。
出張の一日。
汗をだらだら流しながら、忙しいので十分な水分もとらずに本郷、飯田橋、丸子橋、渋谷と都内をあちらこちら歩きまわる。
夕方、やっとのことで最後の訪問が終わって、乾ききった喉でビールをグイッと一杯飲もうと三ノ輪にあるお気に入りのおでん屋へ寄ったら臨時休業していた。

「おおお!ホンマかいな。死んでしまうで~」

というようなシュチュエーションに遭遇して本当に死んでしまった探検隊の話がアラン・ムーアヘッド著、木下秀夫訳「恐るべき空白 死のオーストラリア縦断」(ハヤカワ・ノンフィクションマスターピース)なのであった。

尤も、こちらは飲み屋に行ったら休みだった、というような生やさしいものではない。
探検に出かけて息も絶え絶え中継地点に帰ってきたら、いるはずの支援部隊が姿を消していた、という恐ろしいケースだった。
このため、探検隊グループのほとんどが食糧不足、装備不足で死に絶えた。
オーストラリアのパーク・ウィルズ探検隊と、その始末記の物語だ。

日本が徳川幕府と薩長が国の形をめぐってドンパチを始めた頃。
オーストラリアはまだまだ未開の大陸であった。
とりわけ大陸中央部は謎につつまれ、その全容を解明するために多くの探検隊が組織され、不毛の砂漠へ冒険に乗り出した。
あるものは「カスピ海のような湖が存在するかも」と信じて出かけ、
またあるものはメルボルンからキタのカーペンタリア湾へ抜ける一番乗りの栄誉を目指して旅だったのだ。

今のように飛行機があるわけでもなし、ましてやグーグルマップで探検隊は今どこに、なんてことなど思いも寄らない時代なのであった。
バーク・ウィルズ探検隊もそうした探検隊の一つだったが、最も規模の大きな探検隊であり、メルボルンを出発するときの報道や市民の感心の高さはひと通りではなかったようだ。
そんな、人々の話題を一心に集めた探検隊が、ほんの些細な計画の反故により、悲劇に終わったという実話は、オーストラリアの歴史の1つとして記憶され続けられなければならないものなのかもしれない。

探検隊は中継地点にチームと膨大な物資を残して4名で砂漠を遠征。
ラクダや馬を失いながらも暑さのために岩も割れるという摂氏40度を超える猛暑と、水の不足の中、ついにカーパンタリア湾への縦断に成功し、戻ってくる。この時、全員が脱水、飢えに蝕まれ体力は限界に達していた。
かれらを生かせ、歩かせた唯一ののぞみが「中継地点で待つ仲間の部隊と食料、物資」だった。
しかし神様は残酷だった。
中継地点に彼らがたどり着いたとき、中継地点からは仲間全員はわずかの物資を残して撤退してた。
しかも、たった数時間前に撤退したばかりなのであった。
かれらの落胆は言語に絶するものがある。

物語はここから大きく方向を変えるのだが、実際ここからが最も目を離せない部分になっていく。

ところで、探検隊の動向も注目点だが、探検隊が衰弱して死を迎えるような土地で、アポリジニの人々は生活を営んでいたということは、本書の中の驚きの一つだ。
そして、その逞しく原始的で、親愛に満ちた人たちが、主にイギリスからの移民と接触することにより大きく人口を失ってしまったということも、実として記憶に残されるべきもののひとつである。

人口激減の原因は様々。
伝染病や遺伝的問題、はたまた重大な差別による虐殺などによって民族が滅ぼされてしまったということは、もっと多くの人々に知られることが必要なのではないかという暗部でもある。

このノンフィクションは単に探検隊の悲劇のみを語るものではなく、オーストラリアという外面と内面に大きな格差のある大陸の歴史を考えるための一冊でもあった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )