<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



「厚さ数ミリの靴の底と、アルミでできた着陸船の脚部分との違いしかない。だからどちらが先に降り立ったなんて馬鹿げた話だよ。」

とニール・アームストロングが言っていたことを私はちっとも知らなかった。
アポロ11号で月に向かって出発する前そんな会話がかわされているとは当たり前といえば当たり前。
だが私は今日に至るまでちっとも気づかなかったのであった。
月着陸船イーグルに乗り組んだアームストロングとオルドリンのどちらが先に月の地表に降り立つのか。
そんな驚き満載だったのが、
ジェイムズ・R・ハンセン著「ファーストマン:ニール・アームストロングの人生」
なのであった。

人類が月に降り立ってから50年。
アポロ計画が終了してから日本を含め探査機は何度も飛んでいったものの人類は一度も月へは訪れていない。
だからなんだか遠い昔の出来事で、もしかしたらウソだったんじゃないかと思われる人も少なくない今日ではある。
事実「あれはNASAが作り出したフィクションの世界。月着陸は特撮で月を歩く光景はスタジオ撮影だ」というトンデモ説がまことしやかに囁かれるのも当然といえよう。
しかしアームストロング含め12人のアメリカ人が上陸し、さらに6人がその周回軌道まで行ったことは厳然たる事実なのだ。
高性能のレーザー装置で月をターゲットに距離を測ると、アポロの飛行士が手で下げていった反射鏡が置かれていることを我々は利用することもできる。
だから月へ人間が行っていないのは費用対効果の問題以外の何物でもない。

アポロ11号が月に着陸したとき、私は幼稚園児だった。
だからそのときのことはまったく記憶にない。
アポロが月に着陸したのは米国東部時間で午後4時頃だったので日本では早朝。
子供の頃から早起きだった私だが、まだ寝ていたのかも知れない。
しかしその翌年に大阪で開催されたEXPO70大阪万国博覧会の最大の目玉が米国館に展示されていた月の石であったことは今も鮮明に記憶している。
そして群衆の列に並ぶのが大嫌いだった両親のおかげでその石を見ることはついになかったことも忘れられない思い出なのであった。

よくよく考えてみると1960年代の科学技術でよくも月まで行ったもんだと感心してしまう。ほんとは命がけだったんだと今回この本を読んで初めて気がついたのだった。
「もしも...」
という危うさがすべての段階に存在していたのを全く意識せずにこれまではこの歴史的偉業を思い出していたのだった。

もしもサターン5型ロケットの発射に失敗していたら。
もしもロケットの段切り離しがうまく行かなかったら。
もしも着陸船と司令船がドッキングできなかった。
もしもドッキングしたあとにジェミニみたいに制御不能に陥っていたら。
もしも月の軌道に入るルートから外れてしまっていたら。
もしも着陸途中で燃料が無くなっていたら。
もしも着陸した地点にでかい岩が転がっていて、イーグル着陸船がひっくり返っていたら。
もしも月からの離陸エンジンが点火できなかったら。
もしも司令船エンジンが再点火できていなかったら。
もしも宇宙服が破れてしまっていたら。
もしも帰還カプセルのパラシュートが開かなかったら。
もしも帰還カプセルが浮かばず海に沈んでいたら。
などなど。

様々なもしもな可能性を克服した結果、アプロ計画の成功が存在するわけだ。

とりわけ今回この本を読んでいて最も緊張してしまったのがイーグルの離陸。
「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」
とい有名な一言を発したアームストロング船長とオルドリン飛行士。
もしもエンジンが点火しなかったら、この言葉の意味も大きくことなっていただろうし、二人の月からの中継がどのように打ち切られたのか想像するだけでもサブイボが立ってしまう恐ろしさがあるのであった。

ということで「ファーストマン」はニール・アームストロングの伝記ではあるが、あのアポロ計画がいかにスリリングでオッカナイものであったかをひしひしと感じることのできるスリルあふれるノンフィクションなのであった。



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