<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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2年ぶりに大阪に大相撲が戻ってきた。

昨年は一連の不祥事で大阪場所が中止。
相撲をテレビでも見なくなって数年が経過しているが、それでも恒例のイベントが無くなってしまうと寂しいもの。
今年は大阪府立体育館に色とりどりの幟が戻ってきて周辺は活気づいている。

活気づいてはいるが、私はほんとうに相撲を見なくなってしまった。
八百長だとか後輩イジメなどのスキャンダルが原因というよりも、魅力のある力士が少なくなってしまったのが最も大きな要因だ。
誰かスターでもいれば別なのだろが、自分自身、この力士はすごいぞ、と思える人がいないのだ。

大鵬柏戸時代に育った私は決して相撲嫌いではない。
どちらかというと好きな方で、小学生の頃は四股名を持って休み時間は相撲トーナメントに遊んだものだった。
廊下での相撲だったので、今思うと少々危険な感じがしないでもない。
実際、仲間の一人が消火器をひっくり返して廊下が白い泡でいっぱいになるという事件もあったことを思うと、今なら自分の子供には、自分のことを棚にあげて、
「危ないから止めなさい!」
と言ってしまうところだ。

私の大阪でのオフィスは難波にあるので、相撲のシーズンが近づくと南海電車なんば駅周辺を中心に相撲取りの姿をちらほら見かけるようになる。
場所が始まるとその傾向はより顕著になり、有名な力士や親方とすれ違うことも少なくない。
数年前には歩道を歩いていたら、隣を歩いているのが元若島津だと気付いて思わずサインを貰いそうになったことがある。
体育館前をさっそうと降りる北の湖親方。
芸能人の姿もちらほら。
なんばcityあたりで外国人観光客が相撲取りと並んで記念撮影する姿も、すっかり馴染みとなっている。

要するに華やぐのだ。
相撲取りが男芸者と呼ばれるのがなんとなくわかるような気もするのであった。

ところで、相撲を見なくなったもうひとつの理由は、外国人力士があまりに多いということがある。
別に外国人を差別するつもりはないのだが、相撲という「腐っても国技」のスポーツであるわけだから、あまりにも主要力士が外国人ばかりだと興ざめするのも仕方ないように思う。
随分昔になるけれども相撲評議会かなんかのメンバーだった作家の児島襄が、
「外国人力士は要らない」
と語って物議をかもしたことがあった。
確か、
「差別だ」
というような内容だった。
その時私も、
「ちょっと言い過ぎなんじゃないかな」
と思ったのだったが、今となればひとつぐらい外国人の立ち入れないスポーツがあってもいいのではないかと思えるのだ。

女性を土俵に上げない、と強情を張るだけの頑固さがあれば、「外国人は土俵に上げない」ぐらいの心意気が日本相撲協会にあってもいいのではないかと思っている、今日この頃なのである。

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「実は、明日、スカイツリーに納品があるんです」
「なんやて。スカイツリー?」
「そうです。」
「スカイツリーというと東京のスカイツリーやな?」
「東京の、って。他にスカイツリーがあるんですか?」
「大阪スカイツリー。」
「そんなんあったらパッチモン(大阪弁で偽物のこと)ですやん。」
「すでに通天閣がエッフェル塔のパッチモンや。エッフェル塔のパッチモン作る我が大阪。スカイツリーのパッチモンがあっても不思議はないで。」
「で、一緒に行きます?」
「もちろんや!」

ということで、東京スカイツリーに他部署の後輩のコネで納品のどさくさに紛れて登ってきたのであった。
登ってきたといっても歩いて登ったわけではなく、エレベータを使ったのは言うまでもない。
また、最上階まで行くことはできなかったが、下層階の地上350メートルの展望デッキまで登って東京の街並みを観察してきたのであった。

東京スカイツリーは地下鉄押上の駅を下車してすぐ。
B3番出口を出たところに工事用入り口があり、そこからトコトコ歩いていくこと約5分でエレベータのある1階ロビーにたどり着く。
いろいろあって、いざ行かん。

スカイツリーへ登るエレベータの中は広々としていた。
20人くらいは楽々乗れそうな大きさであった。
エレベータの表示は5階までは「2F」「3F」「4F」と続くのだが、「5F」を超えるとメートル表示になり、あっという間に350mの高さに達する。
あまりの速さに250mを越えた所あたりからブレーキがかかる。
高度の変化で耳がツーンとするのが、また凄い。
動きはスムーズで、ほとんどというか、まったく揺れない。
このあたりが日本製エレベータ技術の凄いところで、シカゴのシアーズタワーを登った米国製エレベータとは大違い。
あの時はあまりの揺れに恐怖を感じたくらいなのであった。

エレベータの扉が開くと脚もとの隙間から風が吹き込んできた。
350mという高さのエレベータシャフトからの風なのであった。
完成したとは言うものの、まだ開業していないスカイツリーは閑散としていた。
しかし、350m階のカーペットの向こうに広がる景色は絶景であった。
まるで、飛行機から眺めているような景色で、近くの錦糸町駅のビル群がはるか下方に建っていてミニチュアのよう。
遠くの官庁街や新宿のビル群も下に見える。
凄い景色だ。

私は最も眺めたかった浅草の浅草寺の方向を見てみると、あな小さや。
五重塔も花屋敷も、ミニチュアか錦絵のような風景なのであった。



ただスカイツリーの硬さも台北101で感じた時の凄さはなかった。
なんといってもあちらはタワーではなくてビル。
展望台の高さは地上500メートル。
私は夜、台北101の展望デッキに上がったのであったが、周囲の高層ビルが眼下に低く生えていて、その高度感を実感。
しかもあちらは近くに高松空港(四国のではない)があるため、飛行機が目線より低い位置から着陸、あるいは離陸する姿が見られ迫力満点で大満足したものであった。



ということで、偶然つかんだスカイツリー初体験。
雨でなかったらもっと良かったのに、と思う東京見物なのであった。



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夏の暑い盛り。
出張の一日。
汗をだらだら流しながら、忙しいので十分な水分もとらずに本郷、飯田橋、丸子橋、渋谷と都内をあちらこちら歩きまわる。
夕方、やっとのことで最後の訪問が終わって、乾ききった喉でビールをグイッと一杯飲もうと三ノ輪にあるお気に入りのおでん屋へ寄ったら臨時休業していた。

「おおお!ホンマかいな。死んでしまうで~」

というようなシュチュエーションに遭遇して本当に死んでしまった探検隊の話がアラン・ムーアヘッド著、木下秀夫訳「恐るべき空白 死のオーストラリア縦断」(ハヤカワ・ノンフィクションマスターピース)なのであった。

尤も、こちらは飲み屋に行ったら休みだった、というような生やさしいものではない。
探検に出かけて息も絶え絶え中継地点に帰ってきたら、いるはずの支援部隊が姿を消していた、という恐ろしいケースだった。
このため、探検隊グループのほとんどが食糧不足、装備不足で死に絶えた。
オーストラリアのパーク・ウィルズ探検隊と、その始末記の物語だ。

日本が徳川幕府と薩長が国の形をめぐってドンパチを始めた頃。
オーストラリアはまだまだ未開の大陸であった。
とりわけ大陸中央部は謎につつまれ、その全容を解明するために多くの探検隊が組織され、不毛の砂漠へ冒険に乗り出した。
あるものは「カスピ海のような湖が存在するかも」と信じて出かけ、
またあるものはメルボルンからキタのカーペンタリア湾へ抜ける一番乗りの栄誉を目指して旅だったのだ。

今のように飛行機があるわけでもなし、ましてやグーグルマップで探検隊は今どこに、なんてことなど思いも寄らない時代なのであった。
バーク・ウィルズ探検隊もそうした探検隊の一つだったが、最も規模の大きな探検隊であり、メルボルンを出発するときの報道や市民の感心の高さはひと通りではなかったようだ。
そんな、人々の話題を一心に集めた探検隊が、ほんの些細な計画の反故により、悲劇に終わったという実話は、オーストラリアの歴史の1つとして記憶され続けられなければならないものなのかもしれない。

探検隊は中継地点にチームと膨大な物資を残して4名で砂漠を遠征。
ラクダや馬を失いながらも暑さのために岩も割れるという摂氏40度を超える猛暑と、水の不足の中、ついにカーパンタリア湾への縦断に成功し、戻ってくる。この時、全員が脱水、飢えに蝕まれ体力は限界に達していた。
かれらを生かせ、歩かせた唯一ののぞみが「中継地点で待つ仲間の部隊と食料、物資」だった。
しかし神様は残酷だった。
中継地点に彼らがたどり着いたとき、中継地点からは仲間全員はわずかの物資を残して撤退してた。
しかも、たった数時間前に撤退したばかりなのであった。
かれらの落胆は言語に絶するものがある。

物語はここから大きく方向を変えるのだが、実際ここからが最も目を離せない部分になっていく。

ところで、探検隊の動向も注目点だが、探検隊が衰弱して死を迎えるような土地で、アポリジニの人々は生活を営んでいたということは、本書の中の驚きの一つだ。
そして、その逞しく原始的で、親愛に満ちた人たちが、主にイギリスからの移民と接触することにより大きく人口を失ってしまったということも、実として記憶に残されるべきもののひとつである。

人口激減の原因は様々。
伝染病や遺伝的問題、はたまた重大な差別による虐殺などによって民族が滅ぼされてしまったということは、もっと多くの人々に知られることが必要なのではないかという暗部でもある。

このノンフィクションは単に探検隊の悲劇のみを語るものではなく、オーストラリアという外面と内面に大きな格差のある大陸の歴史を考えるための一冊でもあった。

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ジョン・ウェイン主演の「駅馬車」は原題が「Stagecoach」。
邦題をつけたのは若き日の淀川長治さん。
「駅馬車」という言葉はその当時一般的ではなく、かなり勇気の要った命名だったそうだが、その邦題がジャストフットして作品は大ヒット。
今も西部劇の名作として語り継がれている。

10年以上前になるけれども、FM大阪で長年放送されているAVANTIでも、マット・デイモンの事実上のデビュー作「グッドウィルハンティング~旅立ち~」の邦題について宣伝担当者が語ったいるエピソードがあった。
原題は「Good Will Hunting」。
それだけでは日本の観客にはなんのことやらわからない。
せっかくの良い作品なのにどうしよう?
と、いうことで追加したタイトルが「旅立ち」。
この一言で映画は大ヒットして、作品の良さをわかってもらえたという話だった。

邦題は大切だ。

そういう意味で、マーティン・スコセッシ監督の新作「ヒューゴの不思議な発明」という邦題は素晴らしい物語に対して、最低の命名であったと言わなければなるまい。
なぜならドラマの真意が伝わっていないだけではなく、どうも観客に錯覚をもたらして興行収入を増やしてやろうという配給会社の作為みたいなものが垣間見られるからだ。

この映画の原題は「Hugo」。

主人公の少年の名前なので、このままでは何の映画かわからない。
わからないが、映画を見たら納得のいくタイトルで、そこに「不思議な発明」と付ける理由が判然としない。
ドラマには「不思議な発明」などはまったくなく、スコセッシが描く度肝を抜く映像がある意味ファンタジー映画のような感覚を持っているので大きな誤解を引き起こす可能性があるのだ。
つまりこの映画は「ファンタジー映画ではないのか」と。

この映画の物語の本筋は、パリのモンパルナス駅で売店の親父を営む老人と少年の出会い。
そしてその老人は意外な過去を持っていて、その過去に対する作者の敬意がファンタジーを連想させる素敵な映像になっていることに観客は気づくのだ。
冒頭から映画は長回しカットを多用する。
最初のカットは精巧でリアルだがCGとわかる映像なのだが、2つ目の長回しカットはどのように撮影したのかわからない実写で、見ているものはそれだけで物語の内部に引きこまれてしまう、さすがスコセッシの演出は映画ならではのスピード感と語り口で観客を映画の世界の住民にしてしまう。

そんな素敵な映像と物語がこの映画の最大の魅力なのだ。

ネットを検索するとひどい点数を付けている人がいるけれども、それはきっと邦題に騙されて「ファンタジー映画」と思って劇場へ足を運んだ人に違いない。
この映画はアカデミー賞を受賞するような素晴らしい夢のような映像だが、実際は実話を踏み台にした大人のドラマなのだ。

なお、私は中1の娘と「シャーロック・ホームズ」の新作を見る約束で劇場に出かけたのだが、時間の関係でこちらに変更。
娘が拗ねるのではないかちょっと様子を見たのだが、「ヒューゴ」に大満足の映画鑑賞なのであった。

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NHK朝のドラマ「カーネーション」の主役が交代して1週間。
まったく別のドラマになってしまったと感じているのは私だけだろうか。

夏木マリに違和感があるわけではない。
しっかりと主人公糸子の晩年を演じているし、娘たちの配役は変わらないし、セットも時代が経過したとしても基本的に変わらない。
そういう意味では「カーネション 晩年編」にしっかりとなっているのだ。

ところが、これも当たり前だけれども夏木マリと尾野真千子は別人だから、いくら尾野真千子の糸子が年を取ったからと行って夏木マリの糸子に変身するのは無理がある。

例えば、
「オレが年取ってポール・ニューマンになったらどうするんだ」
と家族に話したら、
「アホかいな」
と相手にされないのがオチなのだ。

しかし言うなれば朝のドラマはそういうことをやってしまったわけで、視聴者に想像と創造のストレスを与えるという、なんとも罪なことをしでかしたと言われても仕方あるまい。

主役が別の役者によって演じられるというのはドラマや映画ではよくある話。
6月に公開される「スパイダーマン」の新作は、主役をはじめすべてのキャストが刷新。
ストーリーも第1作のリメイクに近いもののようだ。

日本でもあの「水戸黄門」でさえテレビドラマでは東野英治郎や西村昇、里見浩太朗、石坂浩二らによって演じられたが、いずれも別シリーズ。
私の大好きな「鬼平犯科帳」も松本白鸚、萬屋錦之介、丹波哲郎らによって演じられた。
ところが、そのシリーズで素晴らしいはまり役が出てくると、その俳優と主人公が一体化して他の役者が演じると妙な印象を受けてしまう。
吉右衛門の鬼平が定着化した今、かつての丹波哲郎バージョン、錦之介バージョンに違和感を感じるのは、その一体化効果のなせる技だ。
フーテンの寅さんに至っては渥美清以外は考えられないキャラクターになる。

結論から言って、やはり今回の朝ドラは老け顔にしにくくとも最後まで尾野真千子に演じてもらいたかった、というのが結論ではないだろうか。



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先週から、鬱陶しい梅雨に似た毎日が続いている。
シトシト降っては、ちょっと止んで、ピカッと晴れたかと思うと、またシトシト。
まるで自分で自分のことを決められず、周囲と一緒にウジウジしているN首相の表情のようだ。
その鬱陶しい毎日の谷間のような先日の一日。
大阪南部のある有機農法に取り組む町を訪れてきた。

大阪府と和歌山県の府県境に聳える和泉葛城山脈は、ブナ林原生の南限として知られている。
少なくとも私以外には知られていたようだ。
大阪生まれの大阪育ち、今も大阪を拠点に生活している私なのだが、和泉山脈のことなどミャンマーのアラカン山脈ほども知らなかったのだ。
このブナ林を水源にした大阪南部の地下水の品質は高く、とりわけ有機農法には適しているという。
もしかすると、酒造りにも適しているかも知れない。
従って大阪南部で採れた作物は人々の健康に良いというのが、有機農法奨励の町の話なのであった。

なお、大阪府南部の湧き水は良い品質なのに、なぜわざわざ滋賀県民や京都府民の飲み残した品質のイマイチな琵琶湖の水を水道水に使用しているのかは、また別問題。

確かに化学農法は使用するケミカルの関係で、
「土壌は汚染され」
「水系は乱され」
「やがてナウシカに出てくる腐海のようになってしまう」
と、考えがちだ。

人によっては遺伝子組換え食物を見るような目で、化学肥料を使用した農作物を毛嫌いする人もいるにはいる。
が、そういう人がカップラーメンなどを食べているところを見かけたりすると、世の中は不条理に満ちていると思わずにはいられないのだ。
そんなこんなで腐海にならない有機農法は人の健康にも、地球の健康にも良いとなると、説明する人の話にも真剣に耳を傾けるというものだ。

しかし本当に有機農法が有益なのか。
私は疑ってみる必要もあることは確かだと思いながら話を聞いていてふといくつか疑問点が浮かんできた。

というのも、以前何かで読んだ本だったか新聞の記事だったかは忘れてしまったが、全ての農業が有機農法になってしまったら人類のかなりのパーセンテージは飢えて死んでしまうのだと書かれていたのだ。
化学農業で高い収穫量を確保することで、現在の膨大な数の人口をまかなっているのが実情で、自然な循環のみによる有機農法では全人類を養うだけの作物を得ることができないという。

まだある。

「健康に良い」
「安心安全」
「地球に優しい」

有機農業は、今流行りの植物工場とは相反する部分がたくさんあり、とりわけ福島県は「路地物の有機作物は健康だ」などと言っていられない切実さがある。
福島県から何百キロメートルも離れた大阪だからこそ「有機農業奨励」と単純にアピールできるのではないか、と福島県やその近隣の県の農業を思うと簡単にはメリットを認めることができなかった。

植物工場は完全な環境、衛生管理で栽培され、そこで収穫された作物は洗わなくても食べることができる。
しかし、路地物の有機栽培の作物は人によると「不潔な堆肥を使用しているので、洗浄が大変だ」と主張されることもある。

はてさて有機農法と植物工場。

どちらが優れているのかは判断できないが、それだけ農業に注目が集まりつつある証拠の一つなのかも分からないと思いながら、美しい農村風景を眺めたのであった。


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「生徒の評価は心を込めて手書きで書くように」

という大阪府教育委員会の指導をバッサリ否定したのはご存知、橋下市長。

「今時、手書きでなんて時代遅れも甚だしい。そんなことを保険庁もやっていて大きなトラブルを引き起こした。時は金です。」

と。

最後の「時は金です」発言だけが誤解を招きそうで余計だが、この人。
いったいどれだけ政治ネタを持っているのか。
矢継ぎ早に繰り出される政策や案の連続は驚くものがあるけれども、それが途切れること無くほぼ毎日、新聞記事になるくらいだから、そのネタの数に思わず感動してしまう凄みがある。
こういう人が好きに連れ悪しきに連れ大阪のリーダーを務めているのは、「ホンマにオモロイ」と云わねばなるまい。

とはいえ、「子供たちの評価にワープロなんて」と思う先生や父兄は少なくないはず。
「手書きこそココロだ」
と訳もわからず思っている人もいるはずで、例えば「あの先生の時の下手さ、忘れられない思い出だ」となるようなことを期待しているに違いない。

でも、これも例えば手紙を書くときに、英文だったりすると、むかしからタイプライターやワープロを使って本文を書いてから最後に肉筆でサインすることも少なくなく、これも十分に心のこもった文章だと思ったものであった。
従って内申書もワープロ作成して先生の肉筆サインを添えると、なかなか味のあるものに仕上がるのではなかろうか。

ハンコの出番が減るかも知れないが、それはそれ。
新しいパターンができるのも時代の流れで、良い方に向かえば社会も活気づくというものだ。

ところで、新聞記事によると「ワープロ可」になっても教師へのパソコン普及率は40%という驚くべき低レベルだという。
これでよく、学校が務まるものだと感心してしまうが、40%だからかこそ、パソコン購入の需要ができて、そっち方面のビジネスが多少とも活気付くネタにもなるだろうから今回の橋下発言。
もしかすると府下の経済対策もついでに投げかけているのかもわからない。

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3月11日まであと少し。
あの日から1年が経過する今週は、テレビやラジオ、新聞では震災の復興状況や1年前のあの日の特集が頻繁に放送されている。

昨年の3月10日。
私は今日のように東京のホテルで朝、目覚めた。
目覚めて直ぐに「ガタガタガタ」と強い地震がホテルの建物を揺らしたので、

「おお、東京で地震。久しぶりやけど、大きかったな」

と少々ビクビクしながら感じていた。
地震でビクビクするようになったのは17前の阪神大震災からで、あの日、大阪堺市の我が家では書棚が倒れて、本は壊れないので無事だったが、書棚の上に乗っていた高校生の頃に作ったプラモデルが粉砕。
家をそのままに電車が全部止まっていたので、原チャリにまたがって20km先の会社に出社。
西宮の甲子園に住む同僚の連絡が取れないので、そのまま原チャリで30km先の西宮へ。

結局同僚は無事だったが、家は傾き、途中の道路には大きな段差ができ、甲子園球場前の高速道路は橋桁が落下して映画みたいな風景に愕然としたものだった。

だからそれまで「関西に地震なんて」と思っていたが、大震災を経験して地震に敏感になっていたのだ。

で、3月10日の朝の地震の前、3月9日にも昼ごろ大きな地震があって、お客さんのところへ行ったら、

「地震あったでしょ」

と言われたが、

「バスに乗ってて気が付かなかったですよ」

と話したのを今も覚えている。

もう一日宿泊しようかと思っていたが、やはり大阪の仕事を片付けたくて夜遅く大阪に戻ったら、翌日に大震災。

間一髪のビジネストリップなのであった。

で、今日はそんな地震のニュースの中で、震災シミレーションをこれまで「震度6」で想定していたものを「震度7」で総てしなおすというもので、聞いていて「アホちゃうか」と思うこと仕切りなのであった。

今、震度6だとか震度7とか言っているよりも、震災が発生したら、どうやって人を避難させるかとか、緊急物資を搬送するか、とか帰宅困難者をどうやって保護したり家に帰すのかという計画を策定するのが重要だ。
そして、いかにして復興計画を速やかに策定して実施するかが重要なのだ。

今回の震災では地震の揺れで大規模な損傷を受けた建物は殆ど無かったという。
少なくとも、大手建築事務所の設計士に聞いた話では、

「現在の日本の建築基準法を遵守して建設された建物は、M9や震度7程度の地震では、びくともしないことがわかりました」

と言うぐらいで、

「建物の心配をするよりも、建物の中の壁、天井、家具、調度品などの対策をすべきで、殆どの人は、こういうものの下敷きになって怪我したり、亡くなったりしています。」

のだと言う。

建物の外側は大丈夫だが、内側は危ない、というわけだ。


そこで思い出されるのが、我が政府。
震災対策への無策ぶりは子どもでも認めるところだが、その象徴が「復興庁」の設立。
震災被害から地域と国を復興させるための機関が設立されたのは震災発生から11ヶ月も経ってから。

震災被害のシミレーションは震度6とか、震度7とかいうよりも、誰が、どの政党が政権を担った時の被害規模を想定する方が大切なのかも分からないと思った。

なお、唱和20年8月6日に原爆を投下されて街が根こそぎ破壊された広島市は、翌年1月8日に復興局が設置された。
市民の30%以上が亡くなった戦災だったが、戦後のゴタゴタした社会情勢にも関わらず市の為政者はたった4ヶ月で街の復興を軌道に乗せた。
震度理屈を述べるより、まず「考えながら行動する」ように政治家、科学者に訴えたいと思うニュースなのであった。

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LCCの華々しいデビューとは裏腹に、知らない間に神戸と関空を結ぶ高速船の運営会社が倒産していた。
日頃、テレビのニュースを見なくなっていたので見過ごしていたのかは分からないが、帝国データバンクの倒産情報を読でいて見つけてびっくりしたのであった。
 
倒産していたのは神戸と関空を結ぶベイシャトルを運行する海上アクセスという会社。
神戸市の第三セクターなんだそうで、倒産しても順調に運行を続けているところが、将来の大阪市営バスを見ているようだ。
尤も、こっちは関西経済の緩やかな回復傾向と神戸ポートアイランドの産業地域の開発活性化で利用客が増えているということで、今回の倒産というか精算は、今後の展開に備えた前向きなものなのだという。
 
なるほど、神戸には数々の企業や官庁の重要拠点が建設され、活気が出てきているような感じもしている。
なんといっても蓮舫議員に「2番目じゃダメなんですか!」と危うく仕分けされそうになった世界最高速のスーパーコンピュータ京もここにある。
 
私は大阪に住んでいるのでこの船を利用したことは無いのだが、果たして便利なのだろうか。
ネットで料金と所要時間を調べてみると、大人片道1,800円。所要時間約40分。
ダイヤは1時間に1本程度。
あまり便利に思えない。
参考に三宮から関空までのバス料金は1900円。所要時間は交通混雑で多少異なるかも知れないが1時間程度。
上記の船が神戸空港からのアクセスなので、三宮からとなるとプラス30分とポートライナーの利用料金が必要だ。
 
日本での生活では離島に住んでいない限り船を使うことは滅多に無く、
「渋滞がなくて便利だから」
「のんびり通勤できるから」
というような理由で隅田川や淀川のボートを日常的に利用している人を私は周囲に知らないし、会ったこともない。
水上交通の便利さを日本人は忘れ去って100年以上が経過している。
 
例えばこればタイのバンコクのようなところだと、チャオプラヤー・エクスプレスよろしく船での移動は日常茶飯事なので珍しくもなんともないが、なかなか一度覚えた地上交通網の味は忘れることが難しい。
 
ということで、LCCも順調に離陸したことだし、頑張れ海上アクセス。
と、思って一度家族で乗ってみたいと考えてみたが、親子三人、片道だけで5000円を超えるとなると、少々考えてしまうのも、これまた事実だ

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ANA系列の格安航空会社がピーチエビエーションが営業を開始した。

先々月あたりから関空を利用すると貨物ターミナルと旅客ターミナルの中間辺りの駐機場に2機のピーチエアの飛行機が駐機されていて、

「お、いよいよやな」

と感慨深く眺めていた。
北海道まで大阪から片道5000円以下で旅行できるというのは夢の様な話だし、北海道だけではなく鹿児島、沖縄、韓国、その他と近中距離の国内外へリーズナブルに旅行できるのは大歓迎だ。

関西空港がそのLCCの拠点となりつつあるのも、大阪人の私としては大歓迎。
もともとスカイマークが羽田との間を定期運行していて、

「安くて便利」

なんて、喜んでいたのだが、いつの頃か運行が無くなって寂しくなっていたら、スターフライヤーが就航し、今回ピーチエア、そしてスカイマークももうすぐ復活ということなので、関空の利用価値一気にアップと嬉しい話だ。

なお、ピーチエアは運賃をギリギリにディスカウントするために座席のピッチがメチャクチャ狭いのだという。

以前私はANAのB737の一番小さな機種に函館から関空まで乗った時にそんなに肥満していない私のお腹にテーブルがつっかえてジュースが飲みにくかったという体験をしたことがあり、それが今回唯一の心配ではあるのだ。

なお、当分北海道にも鹿児島にも行く予定は無いのでピーチエア初体験は暫くのお預けだ。

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