私にとって全然知らない芸人さんだった猫ひろし。
オリンピック出たさに日本国籍を捨ててカンボジア国籍を取得したのは良いけれど、取得して1年以上経過した事実もなければ、住んだこともなかったというお粗末さ。
その結果、「あなたには出場する資格がありません」と相成った。
昨日報道されたこのニュース。
あちらこちらで大いに話題になっていた。
「もう、日本に帰ってこなくていいから」
とか、
「がんばってカンボジアの土になってください」
とか書き込まれているサイトもあって散々だ。
たぶん猫ひろしという人の「国籍感」というのはいい加減で、こんなことになれば日本人にすぐにでも戻れるとでも思っていたのではあるまいか。
このようなことは大いに問題にしてもいいのではないかと思える。
というのも、今、日本人の国家意識、国籍意識が極めて希薄で、それを原因とする様々な弊害が起こっていると思われることが多々あるからだ。
「愛国心」がタブーな言葉であるように教育した日本教職員組合の負の功績でもある。
たとえば最近は電気製品でも日本のメーカーは総崩れで、パナソニックもソニーもシャープも巨額の赤字を出している。
この赤字の原因は不毛な国際競争と高機能、高品質なのにガラパゴス化している日本のプロダクトの今がある。
これとは反対に韓国、台湾といういわばかつて「ミニ日本」と言われた国々のメーカーがブランド力も無いのに世界に製品を拡販し、日本製品を駆逐している。
その台湾・韓国のメーカーの基礎力は日本人によるものであることをなぜか新聞もテレビも問題にしない。
日本メーカーを耐蝕したベテラン技術者が金に釣られてこれらの国のメーカーに技術を伝授、もとい、流しているのだ。
ここには「個人」はあっても「国」はない。
「自分で開発した知恵と技術を他人に売って何が悪い」
というのはへ理屈で、それで自分の国が疲弊したら、道徳的には立派な国家反逆罪だ。
つまりここには猫ひろしと同じ構造が存在する。
ということで、猫ひろしの騒動を見て、日本人も自分の国籍についてもっと真剣に考える機会になればいいと思っている人は多いのではないだろうか。
国籍を考えないのは恥ずかしいと。
ついでながら、
「永住外国人に選挙権を。」
といった考え方や、
「日本人の国籍を取得したから太陽光発電で一儲けしようと企んでいる」
なんて携帯電話会社を経営する実業家なんかは愚かしいと気づけば、なおベターといったところか。
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