<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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関西に住んでいる私はこの夏は節電に努力を払わなければならない。
まず、使っていない部屋の照明のスイッチは切ること。
これは節電の鉄則である。
噂によると、昨年の関東での節電騒ぎでは東京大学が使わない部屋や廊下の照明をスイッチ・オフするだけで一昨年から30%ダウンの省エネを達成したのだという。
これを家庭でも実現できないということはない。
尤も、東京大学のように国費という「他人のお金か感覚」で使える費用は個人宅には存在しないので、30%カットはとても無理。
料金にして数百円カットできるのが関の山であろう。

節電はすでに始まっていて、電車の昼間の室内灯はシャットされ、冷房温度設定アップのお知らせも始まっている。

ここで登場するのが、太陽エネルギー。
自宅の屋根に設置された太陽電池パネルで発電した電気を買い取ってくれる、という制度も始まるようだが、これを先頭立って旗振りしているのがソフトバンク社の孫正義。
ついこの間まで韓国籍だった人で、日本国籍取得後も韓国有利に働くことに変更はない、あちらの人には都合の良い人だ。
太陽電池パネルを妙な形で普及させると、儲かるのは中国や韓国企業で日本企業は儲からない。
補助金や買取は外国企業に益するだけで、日本には何の効果もないということを文春だったか、新潮だったかが伝えていた。
電気の買取制度で先行したドイツはすでにその失敗を認めているということも、日本人は知らなかった。

そんなこんなで太陽エネルギーは「素晴らしい」けれど「胡散臭い」のも併せ持つ、未来のエネルギーだ。

「太陽熱エネルギー革命」(日経プレミアシリーズ)は、太陽電池パネルではなく、太陽熱発電のお話。
発行されたのが昨年の3月1日で、ちょうど震災直前であっただけに、どこかピントのずれたような内容でなくはないが、今の話題として、書店で思わず買い求めてしまったのだ。
何か仕事の役に立てば、と思ったこともあったのもある。
しかし、買って読んでみて、すぐに後悔することになった。
内容が悪いのではない。
中途半端なのが悪いという意味ではない。
書いている人は自身でも断っているが専門的な技術者ではない。
だから表現の中で「○○と言われている」とか「○○との噂がある」というような、極めてファジーで私の大嫌いな表現が多いのだが、それも後悔した理由ではない。
私も先の東大の節電の件は他の人に聞いたネタ。
偉そうなことは言えない。
但し、知人の東大で講師をしている人に聞いたので、ちょっと信ぴょう性はあると思っている。

気に入らない点は「太陽エネルギー政策を中国や韓国と連携して行え」という点だ。
日本には太陽熱発電をするのに適した気候や広大な場所がないので、それはゴビ砂漠でやれ、という。
その感覚は、日本には美味しい餃子を作る土壌がないので「毒入り餃子を食べようね」というのと同じような感覚を覚える。
お金ほしさにハイブリッド車の技術を中国へ持ち込んだ世界トップの日本の自動車メーカーと同じ感覚なのだ。

また著者はエネルギー政策に政治イデオロギーを持ち込むのは理想的ではないようなことをおっしゃっている。
お釈迦様やイエスキリストのよな感覚になれというのか、不思議な思想だ。
しかし、エネルギー政策ほど政治色の濃いものはな。
この非常に重要な課題を、倫理感覚の全く異なる人たちと共有するのはどだい無理な話。

人が池で溺れていても「その人お金持ってますか」と訊いてくるようなレスキュー組織を持っていたり、プラスチックで作った豚耳を食材で販売する会社があったり、胎児の炭焼きをカプセルに入れて海外向けに薬で売ったりするようなB級SF映画に出てきそうな宇宙人のような方々と共有することなどできるはずはないのだ。
そんなアブナイ人たちと一緒に生きるのであれば、原始時代の生活に戻った方がよっぽど人生豊かに思うのである。

ということで、太陽エネルギー、とりわけ太陽熱発電を推奨する面白い新書だが、その根本的考え方に胡散臭さが漂う日経にあるまじき一冊だと感じたのであった。

なお、あとがきで著者の方は「この本をエンタテーメントとして楽しんでいただければ云々」とあったものの、半分以上真面目に書かれたものをエンタテーメントとして楽しむことはできなかった。



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