いま、中学2年生の娘が夢中になって読んでいるのは手塚治虫の「ブラック・ジャック」。
私が中高生の時に買い求めていたコレクションを一生懸命に読んでいるのだ。
もともとブッダという映画が公開された時に映画を見る代わりに、これも私のコレクションだった手塚治虫の「ブッダ」を読ませたのが娘が手塚漫画にハマるきっかけとなった。
ブッダを読み終わった段階で、娘自身がブッダと同じ本棚に並ぶブラック・ジャックを見つけたのだった。
多分、「ブラック・ジャック」の後は「三つ目がとおる」や「火の鳥」に移っていくのだと思うのだが、一番の驚きは手塚漫画を通じて私と娘が話題を共有できることが面白い。
ブラック・ジャックも全巻の三分の二を読み終わったところで、
「今までで何が一番面白かった?」
と聞いたところ、予知能力のあるラルフという犬が登場する回がとりわけ印象に残っていると答えた。
犬好きの娘なのでさもありなんだが、その話の触りを聞いただけで、私がストーリーを話したので、
「ええ!覚えてるん?」
と、娘は驚きと尊敬の眼差しで私を見つめるのであった。
私世代の手塚ファンならこのあたりのエピソードは何度となく読みふけっているので、だいたい記憶しているというのが「普通」なのだ。
私がブラック・ジャックに夢中になったのも、娘と同じ中学生の頃。
それまでは手塚漫画よりもむしろ赤塚不二夫や永井豪、藤子不二雄の子供向けギャグマンガがお気に入りだったのだが、長ずるとともに手塚作品が最もお気に入りとなった。
今でも「陽だまりの樹」「きりひと讃歌」「ムウ」「火の鳥」は時々読む作品で、正直これらを超えるマンガ作品は後にも先にもお目にかかったことがない。
浦沢直樹でも、高橋留美子でも敵わないのが漫画の神様、手塚治虫の魅力なのだ。
その手塚治虫の数々のエピソード、それもマンガのエピソードではなく、ブラック・ジャックが少年チャンピオンに連載されていた頃に実際にあった話を、今の当事者たちに取材して、それをドキュメンタリーマンガにまとめたのが「ブラック・ジャック創作秘話 手塚治虫の仕事の現場から」(秋田書店刊 吉本浩二作画 宮崎克著)なのであった。
ここではブラック・ジャックを連載していた頃の手塚治虫に関わるいくつかのエピソードが紹介されている。
当時から、手塚治虫のマンガ執筆の伝説は耳にしていたが、実際にこれだけの神業が展開されていたなんて、読者側のこちらは全く知らなかった。
例えば、
手塚治虫は1作品を描くためには必ず3つのエピソードを用意。その中から適切なストーリーを選択して完成させていた。
とか、
海外出張時でも人と合う時以外は機内の中でもホテルの中でもマンガを描き続けていた。
なんてエピソードは、神様というよりも執筆の鬼を感じさせる凄みがある。
全編を通じて言えることは手塚治虫の創作エネルギーはとてつもないものであって、マンガの神様はそのエネルギーをもってこそ神様と言われる存在になっていた、ということに気付かされることだ。
手塚治虫は天才であっても、単なる天才ではなく、努力とエネルギーの塊の人であったわけだ。
この作品を通じて学んだ最も大きなことは、今の日本人にはこの努力とエネルギー、貪欲さ、そして持続力が無くなっているということ。
今回もまた、ひとつひとつのエピソードを読むごとに、なにかしら感動を覚え、涙する。
手塚治虫が死去して二十余年経った今も、漫画の神様は違った形で私達に勇気と夢を与えてくれるているのだった。
これは感動のドキュメンタリーマンガなのであった。
文句なしの5つ星だ。
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