自動車のご当地ナンバー制度。
その中で「世田谷ナンバーなんて嫌だ」という住民からの訴訟で制度自体が揉めている。
「世田谷ナンバーなんて、意味あるんですか?品川で十分です。」
というのが原告住民の主張で、よくよくかんがえてみると尤もな話ではある。
ここ数年、ご当地ナンバーをつけた自動車が少なくない。
私の生まれ育った街、大阪府堺市もそんな地域に指定されている。
私の自動車は「和泉」ナンバーだが、今堺市で買うと「堺」ナンバーがついてくる。
「堺」ナンバーも「世田谷」ナンバー同様に感動の薄い名称だと、堺に愛着のある私自身が感じている。
どうして堺ナンバーなのか。
そんなナンバーどうしているのか。
はなはだ疑問なのだ。
往年の米国テレビ番組「刑事コロンボ」に自動車のナンバープレートが重用な証拠になるというエピソードがあったと記憶する。
その題名は忘れてしまったが、カリフォルニア州ではナンバープレートに名前の一部などを使用できることをその時知って軽い衝撃を受けたのであった。
自動車社会アメリカで自動車のナンバープレートは個人の個性を反映できるのに対し、日本では陸運局のある場所と数字ひらがなの組合せ。
なんて無粋なんだ、とそのほうが印象に残ったのであった。
月日は流れて現在ではご当地ナンバー制度ができたのだが、個性の反映には至らず、単に地名が増えただけ。
それがどうしたの?
という感じだ。
そんな仲での世田谷ナンバーに対する疑問の提供は自動車のナンバープレート制度を再考するちょっとしたきっかけになるのではないかと思っている。
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