5月16日の川崎市・生田緑地ばら苑から、つるバラを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/68/03de39b7710888a7c3e265743a04c84c.jpg)
朱紅色の「ホノオノナミ(焔の波)」は1967年京成バラ園芸の鈴木省三氏が作出。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ef/01f811f6e37b1acb8adc378dec5faefd.jpg)
1953年にアメリカのE.S.Boerner氏が作出した「パレード」。
花径約12cm、ローズ色のロゼット咲き大輪。満開になると丸弁のゆるいカップ咲きになる。
3~5輪の房咲きの花が枝先につき、春から晩秋まで咲き続ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/e6/579499d3ca0c61bb2df1500405e628ab.jpg)
欧米ではフロリバンダとして扱われる「リバプール・エコー」。
1971年にイギリスのS.D.McGredy氏が作出。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/6b/2b48737c5f6b76afbe032f8ce699e4bd.jpg)
サーモンピンク色の丸弁平咲き。
日本では枝が長く伸びるのでつるバラとして扱われることが多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/07/82274ab49f78ea15f5318a8c3475257b.jpg)
こちらもS.D.McGredy氏が1963年に作出した「アンクル・ウォルター」。
光沢のある赤色で剣弁高芯咲き。香りは濃い。
ハイブリッド・ティーとされるが、日本ではつるバラとして扱われている。
2歳の時に亡くなったバラ育種家の父の農場を守ったのが、父の妹の夫・ウォルター・I・ジョンストン氏。
この「アンクル・ウォルター」は感謝を込めて捧げられたものでしょう。
マグレディ氏は1972年にニュ-ジーランドに移住しており、生田緑地ばら苑には
「ニュ-ジーランド:マグレディ作出」のプレートを数多く見かけます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/a0/cf1d66320a146d26d62f810d51c0e012.jpg)
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朱紅色の「ホノオノナミ(焔の波)」は1967年京成バラ園芸の鈴木省三氏が作出。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/e2/59295d40de478cd7f7e0c336761d02be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ef/01f811f6e37b1acb8adc378dec5faefd.jpg)
1953年にアメリカのE.S.Boerner氏が作出した「パレード」。
花径約12cm、ローズ色のロゼット咲き大輪。満開になると丸弁のゆるいカップ咲きになる。
3~5輪の房咲きの花が枝先につき、春から晩秋まで咲き続ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/e6/579499d3ca0c61bb2df1500405e628ab.jpg)
欧米ではフロリバンダとして扱われる「リバプール・エコー」。
1971年にイギリスのS.D.McGredy氏が作出。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/6b/2b48737c5f6b76afbe032f8ce699e4bd.jpg)
サーモンピンク色の丸弁平咲き。
日本では枝が長く伸びるのでつるバラとして扱われることが多い。
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こちらもS.D.McGredy氏が1963年に作出した「アンクル・ウォルター」。
光沢のある赤色で剣弁高芯咲き。香りは濃い。
ハイブリッド・ティーとされるが、日本ではつるバラとして扱われている。
2歳の時に亡くなったバラ育種家の父の農場を守ったのが、父の妹の夫・ウォルター・I・ジョンストン氏。
この「アンクル・ウォルター」は感謝を込めて捧げられたものでしょう。
マグレディ氏は1972年にニュ-ジーランドに移住しており、生田緑地ばら苑には
「ニュ-ジーランド:マグレディ作出」のプレートを数多く見かけます。