水面下、積雲の涯には

第60話 刻暑 act.2―another,side story「陽はまた昇る」
談話室で広げたテキストから、ブナの純林が広がる。
翡翠色の静謐たたずむ若い林は写真も透し、木々の息吹あざやかに瑞々しい。
清澄な樹木の世界を眺めながら、テキストの資料を読んでいく高田の声が弾んだ。
「すごい綺麗なブナ林ですね。丹沢は学生のとき少し登ったけど、こんな所があるんだ?」
「高田さんも行ったんだね?俺もガキの頃に登ったケドさ、堂平のブナ林はイイよ、」
光一も楽しそうに活字を追い、写真と見合わせ笑ってくれる。
その向かいで日焼ほころばす顔は本当に嬉しそうで、周太も嬉しくなって笑いかけた。
「その写真はブナの純林で、まだ小さな芽も多い所です。なので普通は入れないんですけど、先生の調査のお手伝いで入れました、」
「それ、林床っていうんですよね?実生の芽が見られるって、やっぱり良いな。先生は樹医なんですか?」
質問してくれる高田の言葉は、やっぱり基礎的な知識がある。
きっと専門書も幾らか読んでいる?そんな推察をしながら周太は頷いた。
「はい、研究室の先生が樹医なんです。それで聴講生と学部のゼミ生を引率してくれました、」
「東大のゼミ生も合同なんだ?あそこの森林学は良いですよね、ハイレベルの講義なんだろうな、」
感心しながらページを繰ってくれる、その眼差しが憧憬に明るい。
こんなに植物に興味があるなんて高田は農学部出身だろうか?そう思うまま尋ねてみた。
「高田さんは農学部のご出身ですか?」
「いや、理工だよ?」
気さくな答えに共通点を見つけて嬉しくなる。
もしかして関根や自分と同じかもしれない、そんな期待に周太は訊いてみた。
「俺も工学部なんです、機械工学科なんですけど、」
「マジ?俺も機械工学だよ、湯原くんこそ農学部じゃ無いんだ?」
資料から上げた目が楽しげに笑って、親しみを見せてくれる。
その笑顔に楽しくなって周太は口を開いた。
「はい、警察官になったとき役立ちそうな学科が良いって思って、機械工学にしたんです、」
「そっか、俺は就職に良いかなってだけで具体的なビジョンは無かったよ。でも、これだけのノート取るくらい好きなら、勿体ないね、」
率直に笑ってくれる高田の言葉に、心を鼓動がやわらかにノックする。
嬉しい鼓動に微笑んで同時に、こみあげていく疑問が意識の底へ脈打ちだす。
本当に自分はどうして、こんなに好きなのに農学部へ行かなかったのだろう?
…いくら記憶喪失で樹医のことまで忘れたからって、どうして植物学が好きって気持ちまで、忘れていられたの?
14年前の春、父が亡くなった後に屋根裏部屋を閉じたのは自分だ。
そこに植物学の本も採集帳も全て仕舞いこんだのも、確かに自分だ。
それでも記憶ごと「好きだ」という気持ちまで忘れていたなんて?
『なぜ?』
そう疑問が心を敲き、鼓動ひとつ息づく。
疑問から靄が湧くよう記憶を隠してしまう、そして自分で解からない。
ただ日々の忙しさに忘れていただけ、そう思うけれど納得がいかない。
…だって庭の花や木はずっと好きだった、だからいつも手入れして…それなのに「植物学」は忘れていたなんて、変だ?
どうしてだろう、こんなの自分でも異常だと思う。
そう疑問に改めて考え込みかけた隣、テノールの声が口を開いた。
「機械工学科ならね、高田さんってラジオのことって詳しい?」
「ある程度は解かりますけど、ラジオ壊れたとかですか?」
光一の問いに高田は気さくに尋ね返してくれる。
その言葉に頷いて、光一は部下へと相談をした。
「まあね?ナンカここ来てからさ、ラジオの音に変な雑音が入っちゃうんだよね。人の声みたいなヤツ、」
光一の言葉に、日焼顔が怪訝に眉を顰めていく。
すこし考え込んで一拍の後、広げた資料の上から身を寄せて高田は低い声で言った。
「国村さん、今すぐ部屋に伺っても良いですか?」
「ラジオ診てくれるんだね、でもコレを見終った後でイイよ?」
からり笑って光一は資料のページを指さしてくれる。
けれど高田は難しい顔のまま、低めた声のまま資料を閉じた。
「いいえ、そちらを先にしましょう。隣の部屋は湯原くんですよね、悪いけど君の部屋にも入らせてくれる?」
「え?…はい、」
どういうことだろう?
光一のラジオを修理するのに、なぜ自分の部屋に高田が入るのだろう?
もしかしてラジオの電波を阻害する原因が、隣になる自分の部屋にあるのだろうか?
そうしたことは電波は専門外の周太には計りかねて、高田の意図が今一つ解らない。
首傾げならもテキストたちを纏める向かい、高田の顔が幾分か緊張している。
三人で席を立ち歩きだすと、低い声のまま高田は光一に尋ねた。
「国村さん、そのラジオって手動ダイヤル式のFM用ですよね?」
「だよ、昔っから使ってるんだけどさ、コンナの今まで無かったんだよね、」
「そうでしょうね…あ、ちょっと俺の部屋に寄らせてください、」
「うん。悪いね、世話かけちゃってさ、」
のんびり答えるテノールの横で、日焼顔は思案気に考え込んでいる。
なにか深刻な空気のまま歩いて高田は自室に入り、すぐまた扉を開き出てきた。
その手にはラジオとレシーバーを1機ずつ、白手袋にデジタルカメラと工具セットを携えている。
それら一式を底抜けに明るい目は可笑しそうに見、テノールの声が低く笑った。
「…もしかしてさ、俺の部屋って『アレ』されてるってコト?」
光一の問いかけに、高田の一重目が頷いた。
ふたり何かを解かりあう、そんな呼吸に周太は気がついた。
「あ、」
思わずこぼれた声に二人がこちらを見、揃って小さく首を振った。
いま「気がついたこと」には沈黙で、そう目だけで周太に告げて光一は部下に微笑んだ。
「部屋に入ったらさ、俺はラジオつけてナンカ歌ってみりゃイイかね?」
「あ、良い考えですね、それなら気付かれないでチェック出来ると思います、」
二人の会話でこれから何が始まるか、もう自分には解かる。
同じ機械工学科でも違うジャンルを学んでいた、それでも知識は一通りある。
これは電波というより別の問題だ、その思案に歩く横から低い声で高田は笑いかけてくれた。
「湯原くんは部屋に入ったら、黙っていてくれるかな?勘付かれたくないから、」
「はい、」
頷きながら光一の意図に気付かされる。
なぜ高田と周太を引きあわせたのか、光一も同席して会話に加わったのか?
『屋上だなんて周太、盗み聞きを警戒してるね?』
初日の夜、ふたり屋上で話したとき光一はそう言って微笑んだ。
あのときから考えてくれていた、そんな意図が談話室の会話になったのだろう。
その怜悧な頭脳に賞賛と少しの羨望を想ってしまう、それ以上に感謝が心に温かい。
これらを光一はどう立ち回るのだろう?そう考えながら歩いて三人、周太の部屋で立ち止まった。
その扉に鍵を挿した周太へと、高田は申し訳なさそうに笑いかけてくれた。
「湯原くん、悪いけど部屋にラジオを置かせて貰えるかな?」
「はい、」
そう言われる予想はもう出来ている、微笑んで周太は開錠してルームライトを点けた。
明るんだ部屋のデスク、高田は持って来たラジオをAMに合せてスイッチを入れ、チューニングする。
DJの明るい会話が流れだしたのを確認して、ライトは点けたまま部屋を出ると施錠し、光一の部屋に入った。
すぐライトを点けて光一はベッドサイドに指を伸ばし、手動ダイアル式ラジオにスイッチを入れる。
そして悪戯っ子に透明な目を笑ませ、テノールの声は歌いだした。
……
I'll be your dream I'll be your wish
I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need.
I love you more with every breath
Truly, madly, deeply, do..
I will be strong
I will be faithful
Because I am counting on a new beginning
A reason for living
A deeper meaning yeah
……
優しいトーンの旋律をテノールが紡ぎだす。
その透けるような声の歌詞に、そっと心が掴まれ周太は微笑んだ。
…英二が好きな曲だ、これ…光一も聴いたのかな、英二の車で、
遠征訓練のとき成田空港と往復する車中、聴いたのかもしれない。
この歌は自分にとって想い深く懐かしい、もう初めて聴いた英二の寮室が心に浮ぶ。
その前から着信音として自分は知っていた、歌詞を聴いてからは尚更に好きになっている。
この歌詞は光一によく似合うな?そう思いながらも澄ませた聴覚へ、ラジオの音に2つの声も聞えだした。
「…うん、」
頷いて高田はラジオを手にとると、部屋のあちこちを移動し始めた。
スピーカーから聞こえてくる歌声は移動するごと、小さく大きく変化していく。
そして壁際に設置されたエアコンに近づけた時、甲高いハウリング音が響いた。
「ここだ、」
高田の声に、歌いながら光一はシートを出してエアコンの下に広げてくれる。
その上に周太は椅子を運び支えると、手袋を嵌めて高田は上に乗りエアコンの蓋を外していく。
そして内部を撮影したデジタルカメラを周太に手渡すと、今度はドライバーを機械の中に挿しこんだ。
ややあって小さな金属音が鳴り、エアコンの蓋を閉じて椅子を降りると高田は困ったよう微笑んだ。
「FMラジオ式盗聴器です、でもラジオからまだ雑音、聞えていますよね?」
手袋を嵌めた掌のなか、小さな黒っぽい金属製の箱が1つある。
もう機能を止められ鎮まっている欠片、けれどラジオに混じるノイズに光一も低く笑った。
「ゴキブリは1匹いたら何匹もいるってヤツだ、ねえ?」
他にも盗聴器はどこかにある、そう示すノイズの音源は何処にあるのか?
その現況への理解に微笑んだ周太の前で、高田は提案してくれた。
「念のため、この部屋でもUHFとVHFのもチェックした方がいいですね?そっちの方が一般的ですし、」
話しながら盗聴器を袋に納めて、高田はレシーバーのスイッチを入れた。
スキャン機能を作動させていく、そして掴んだ周波にFMラジオの雑音と同じノイズだけが鳴りだした。
その音を聴き分けながら光一も登山ザックを開き、高田と同型のレシーバーを出すとダイアル式ラジオも携え微笑んだ。
「さて、お次も行ってみよっかね?」
「はい、」
頷いて高田も工具を纏めていく、その傍ら周太も椅子を戻してシートを畳んだ。
片づけ終えてもライトを点けたまま部屋を出て、きちんと施錠して隣室へと入る。
そして予想の通り、AMラジオのDJが話す声が光一のラジオで明確になった。
…やっぱり盗聴されてたんだ、
ラジオの反応に心裡ため息こぼれてしまう、それに呼吸ひとつで周太は微笑んだ。
もう光一は周太の状況を知っている、けれど無関係の高田には何も気取らせたくない。
そう思いながらエアコンの下にシートを広げて椅子を置く、その隣に光一も立つとラジオから甲高い音が響いた。
「…同じとは芸が無いねえ、」
低い声で笑った横から高田が椅子に乗り、また同じ手順で盗聴機を外してくれる。
それに声無く笑って光一は黒いレシーバーにスイッチを入れ、セッティングすると2つのラジオと同じ声が聞えだした。
それを確かめると底抜けに明るい目は微笑んで、すぐに操作して設定を変えていく。
そして短発的な電子音に切り替わると部屋をゆっくり歩き始めた。
ピッ…ピッ…ピッ…
単調な音を響かせながらデスクへと近寄っていく、その音が大きくなる。
そこで立ち止まると光一はアンテナを外し、デスク周りにレシーバーをかざしていく。
その様子を見ながらシートを畳んで片づける周太に、困り顔の高田が低く尋ねてくれた。
「…湯原くん、気を悪くしないでほしいんだけど、何か盗聴されるような心当たりってあるかな?」
この質問は当然されるだろう、しない訳が無い。
そう納得しながら周太は、すこし微笑んで首を振った。
「いいえ、」
「そうだよなあ?…どっちかっていうと小隊長のが、だろうし、」
静かな声で笑って、高田もレシーバーのスイッチを入れて部屋を歩きだした。
単調な電子音を鳴らしながら部屋の暗部をチェックしてくれる、けれど電子音の変化はデスク周辺からだけ鳴る。
その肩を光一が叩いてデスクライトとアダプターに目くばせすると、それに頷いて高田は手袋の手にドライバーを持った。
カチッ…カチ、カチ、
ちいさな金属音がなりネジが外されていく。
すぐ分解されたデスクライトの内部をデジタルカメラで撮影し、終えてドライバーを中へ挿しこんだ。
さっきとは違う小型の金属器を取出して袋に納め、アダプターからも同じよう摘出していく。
それも機能を停止させると、ようやくトランシーバーの電子音が消えて高田は息吐いた。
「これで全部だと思います、でも見事にどれも国村さんサイドの壁際ですね?」
「ま、エアコンもデスクも隣合せで対称の配置だしさ、電気の配線から言ってソウなるんじゃない?」
飄々と答える光一の言葉は何げないようで、高田の注視を周太から外している。
そんな態度に見上げた周太へと、底抜けに明るい目は「黙秘」と微笑んでテノールの声は笑った。
「で、高田さん?ターゲットは俺だけど、お隣さんトコに壁越しで仕込んだってカンジ?」
「普通に考えたらそうでしょうね?国村さんの立場だと、色々あっても仕方ないですし。隣の方が発見され難いから、こっちを選んだのかと、」
率直な高田の言葉は、光一に対しての盗聴だと考えている。
そう思わせることに光一は意図がある、だから敢えて高田をこの捜索に巻きこんだ。
…盗聴器の捜索を公にするつもりなんだね、光一は…そうやって俺を庇おうとしてる、
今回の事実が公になれば、第七機動隊の全体が警戒する。
そうすれば「彼」らは七機隊舎内での盗聴は難しくなり結果「監視」も牽制されていく。
警戒と牽制、それが光一の狙いならば、事件性が大きくなるよう流れを操作した方が都合が良い。
その意図通りに光一の部下は、ため息ひとつ吐くと困り顔のまま率直に進言した。
「国村さん、小隊長に盗聴が仕掛けられる事は山岳レンジャーは勿論、七機全体の問題です。隊舎全体も捜索した方が良いと思います、」
この提案を光一は待っていた、その為に高田を巻き込んだ。
そう確信しながら見た周太に怜悧な瞳は微笑んで、テノールの声は言った。
「解かりました、すぐ第2小隊はVR-150を持って談話室に集合で。寮内は今夜中にヤっちゃいましょう、安心して眠れるようにね、」
告げた秀麗な顔は冷静に微笑んで、けれど瞳に悪戯っ子が笑ったのを周太は見た。

山岳救助レンジャーは第1小隊も協力し、第七機動隊の寮内は2時間ほど捜索された。
その結果、脱衣場と談話室から各一個ずつ、UHF式の盗聴器をエアコン内部と自販機下から発見。
脱衣場のエアコンから発見されたものはデスクライト、自販機下はアダプターから外されたものと同型だった。
第七機動隊舎で発見された盗聴器は、総計で4ヶ所6個。
FMラジオ式盗聴器の同型2つ、UHF式は2タイプが各2個ずつ。
エアコン内部から3つ、照明器具から1つ、アダプターと自販機から各1つ。
発見場所は共同エリア2ヶ所、個室2部屋のうち1室に3ヶ所から見つかった。
【引用歌詞:savage garden「tyuly,madly,deeply」】
(to be continued)
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第60話 刻暑 act.2―another,side story「陽はまた昇る」
談話室で広げたテキストから、ブナの純林が広がる。
翡翠色の静謐たたずむ若い林は写真も透し、木々の息吹あざやかに瑞々しい。
清澄な樹木の世界を眺めながら、テキストの資料を読んでいく高田の声が弾んだ。
「すごい綺麗なブナ林ですね。丹沢は学生のとき少し登ったけど、こんな所があるんだ?」
「高田さんも行ったんだね?俺もガキの頃に登ったケドさ、堂平のブナ林はイイよ、」
光一も楽しそうに活字を追い、写真と見合わせ笑ってくれる。
その向かいで日焼ほころばす顔は本当に嬉しそうで、周太も嬉しくなって笑いかけた。
「その写真はブナの純林で、まだ小さな芽も多い所です。なので普通は入れないんですけど、先生の調査のお手伝いで入れました、」
「それ、林床っていうんですよね?実生の芽が見られるって、やっぱり良いな。先生は樹医なんですか?」
質問してくれる高田の言葉は、やっぱり基礎的な知識がある。
きっと専門書も幾らか読んでいる?そんな推察をしながら周太は頷いた。
「はい、研究室の先生が樹医なんです。それで聴講生と学部のゼミ生を引率してくれました、」
「東大のゼミ生も合同なんだ?あそこの森林学は良いですよね、ハイレベルの講義なんだろうな、」
感心しながらページを繰ってくれる、その眼差しが憧憬に明るい。
こんなに植物に興味があるなんて高田は農学部出身だろうか?そう思うまま尋ねてみた。
「高田さんは農学部のご出身ですか?」
「いや、理工だよ?」
気さくな答えに共通点を見つけて嬉しくなる。
もしかして関根や自分と同じかもしれない、そんな期待に周太は訊いてみた。
「俺も工学部なんです、機械工学科なんですけど、」
「マジ?俺も機械工学だよ、湯原くんこそ農学部じゃ無いんだ?」
資料から上げた目が楽しげに笑って、親しみを見せてくれる。
その笑顔に楽しくなって周太は口を開いた。
「はい、警察官になったとき役立ちそうな学科が良いって思って、機械工学にしたんです、」
「そっか、俺は就職に良いかなってだけで具体的なビジョンは無かったよ。でも、これだけのノート取るくらい好きなら、勿体ないね、」
率直に笑ってくれる高田の言葉に、心を鼓動がやわらかにノックする。
嬉しい鼓動に微笑んで同時に、こみあげていく疑問が意識の底へ脈打ちだす。
本当に自分はどうして、こんなに好きなのに農学部へ行かなかったのだろう?
…いくら記憶喪失で樹医のことまで忘れたからって、どうして植物学が好きって気持ちまで、忘れていられたの?
14年前の春、父が亡くなった後に屋根裏部屋を閉じたのは自分だ。
そこに植物学の本も採集帳も全て仕舞いこんだのも、確かに自分だ。
それでも記憶ごと「好きだ」という気持ちまで忘れていたなんて?
『なぜ?』
そう疑問が心を敲き、鼓動ひとつ息づく。
疑問から靄が湧くよう記憶を隠してしまう、そして自分で解からない。
ただ日々の忙しさに忘れていただけ、そう思うけれど納得がいかない。
…だって庭の花や木はずっと好きだった、だからいつも手入れして…それなのに「植物学」は忘れていたなんて、変だ?
どうしてだろう、こんなの自分でも異常だと思う。
そう疑問に改めて考え込みかけた隣、テノールの声が口を開いた。
「機械工学科ならね、高田さんってラジオのことって詳しい?」
「ある程度は解かりますけど、ラジオ壊れたとかですか?」
光一の問いに高田は気さくに尋ね返してくれる。
その言葉に頷いて、光一は部下へと相談をした。
「まあね?ナンカここ来てからさ、ラジオの音に変な雑音が入っちゃうんだよね。人の声みたいなヤツ、」
光一の言葉に、日焼顔が怪訝に眉を顰めていく。
すこし考え込んで一拍の後、広げた資料の上から身を寄せて高田は低い声で言った。
「国村さん、今すぐ部屋に伺っても良いですか?」
「ラジオ診てくれるんだね、でもコレを見終った後でイイよ?」
からり笑って光一は資料のページを指さしてくれる。
けれど高田は難しい顔のまま、低めた声のまま資料を閉じた。
「いいえ、そちらを先にしましょう。隣の部屋は湯原くんですよね、悪いけど君の部屋にも入らせてくれる?」
「え?…はい、」
どういうことだろう?
光一のラジオを修理するのに、なぜ自分の部屋に高田が入るのだろう?
もしかしてラジオの電波を阻害する原因が、隣になる自分の部屋にあるのだろうか?
そうしたことは電波は専門外の周太には計りかねて、高田の意図が今一つ解らない。
首傾げならもテキストたちを纏める向かい、高田の顔が幾分か緊張している。
三人で席を立ち歩きだすと、低い声のまま高田は光一に尋ねた。
「国村さん、そのラジオって手動ダイヤル式のFM用ですよね?」
「だよ、昔っから使ってるんだけどさ、コンナの今まで無かったんだよね、」
「そうでしょうね…あ、ちょっと俺の部屋に寄らせてください、」
「うん。悪いね、世話かけちゃってさ、」
のんびり答えるテノールの横で、日焼顔は思案気に考え込んでいる。
なにか深刻な空気のまま歩いて高田は自室に入り、すぐまた扉を開き出てきた。
その手にはラジオとレシーバーを1機ずつ、白手袋にデジタルカメラと工具セットを携えている。
それら一式を底抜けに明るい目は可笑しそうに見、テノールの声が低く笑った。
「…もしかしてさ、俺の部屋って『アレ』されてるってコト?」
光一の問いかけに、高田の一重目が頷いた。
ふたり何かを解かりあう、そんな呼吸に周太は気がついた。
「あ、」
思わずこぼれた声に二人がこちらを見、揃って小さく首を振った。
いま「気がついたこと」には沈黙で、そう目だけで周太に告げて光一は部下に微笑んだ。
「部屋に入ったらさ、俺はラジオつけてナンカ歌ってみりゃイイかね?」
「あ、良い考えですね、それなら気付かれないでチェック出来ると思います、」
二人の会話でこれから何が始まるか、もう自分には解かる。
同じ機械工学科でも違うジャンルを学んでいた、それでも知識は一通りある。
これは電波というより別の問題だ、その思案に歩く横から低い声で高田は笑いかけてくれた。
「湯原くんは部屋に入ったら、黙っていてくれるかな?勘付かれたくないから、」
「はい、」
頷きながら光一の意図に気付かされる。
なぜ高田と周太を引きあわせたのか、光一も同席して会話に加わったのか?
『屋上だなんて周太、盗み聞きを警戒してるね?』
初日の夜、ふたり屋上で話したとき光一はそう言って微笑んだ。
あのときから考えてくれていた、そんな意図が談話室の会話になったのだろう。
その怜悧な頭脳に賞賛と少しの羨望を想ってしまう、それ以上に感謝が心に温かい。
これらを光一はどう立ち回るのだろう?そう考えながら歩いて三人、周太の部屋で立ち止まった。
その扉に鍵を挿した周太へと、高田は申し訳なさそうに笑いかけてくれた。
「湯原くん、悪いけど部屋にラジオを置かせて貰えるかな?」
「はい、」
そう言われる予想はもう出来ている、微笑んで周太は開錠してルームライトを点けた。
明るんだ部屋のデスク、高田は持って来たラジオをAMに合せてスイッチを入れ、チューニングする。
DJの明るい会話が流れだしたのを確認して、ライトは点けたまま部屋を出ると施錠し、光一の部屋に入った。
すぐライトを点けて光一はベッドサイドに指を伸ばし、手動ダイアル式ラジオにスイッチを入れる。
そして悪戯っ子に透明な目を笑ませ、テノールの声は歌いだした。
……
I'll be your dream I'll be your wish
I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need.
I love you more with every breath
Truly, madly, deeply, do..
I will be strong
I will be faithful
Because I am counting on a new beginning
A reason for living
A deeper meaning yeah
……
優しいトーンの旋律をテノールが紡ぎだす。
その透けるような声の歌詞に、そっと心が掴まれ周太は微笑んだ。
…英二が好きな曲だ、これ…光一も聴いたのかな、英二の車で、
遠征訓練のとき成田空港と往復する車中、聴いたのかもしれない。
この歌は自分にとって想い深く懐かしい、もう初めて聴いた英二の寮室が心に浮ぶ。
その前から着信音として自分は知っていた、歌詞を聴いてからは尚更に好きになっている。
この歌詞は光一によく似合うな?そう思いながらも澄ませた聴覚へ、ラジオの音に2つの声も聞えだした。
「…うん、」
頷いて高田はラジオを手にとると、部屋のあちこちを移動し始めた。
スピーカーから聞こえてくる歌声は移動するごと、小さく大きく変化していく。
そして壁際に設置されたエアコンに近づけた時、甲高いハウリング音が響いた。
「ここだ、」
高田の声に、歌いながら光一はシートを出してエアコンの下に広げてくれる。
その上に周太は椅子を運び支えると、手袋を嵌めて高田は上に乗りエアコンの蓋を外していく。
そして内部を撮影したデジタルカメラを周太に手渡すと、今度はドライバーを機械の中に挿しこんだ。
ややあって小さな金属音が鳴り、エアコンの蓋を閉じて椅子を降りると高田は困ったよう微笑んだ。
「FMラジオ式盗聴器です、でもラジオからまだ雑音、聞えていますよね?」
手袋を嵌めた掌のなか、小さな黒っぽい金属製の箱が1つある。
もう機能を止められ鎮まっている欠片、けれどラジオに混じるノイズに光一も低く笑った。
「ゴキブリは1匹いたら何匹もいるってヤツだ、ねえ?」
他にも盗聴器はどこかにある、そう示すノイズの音源は何処にあるのか?
その現況への理解に微笑んだ周太の前で、高田は提案してくれた。
「念のため、この部屋でもUHFとVHFのもチェックした方がいいですね?そっちの方が一般的ですし、」
話しながら盗聴器を袋に納めて、高田はレシーバーのスイッチを入れた。
スキャン機能を作動させていく、そして掴んだ周波にFMラジオの雑音と同じノイズだけが鳴りだした。
その音を聴き分けながら光一も登山ザックを開き、高田と同型のレシーバーを出すとダイアル式ラジオも携え微笑んだ。
「さて、お次も行ってみよっかね?」
「はい、」
頷いて高田も工具を纏めていく、その傍ら周太も椅子を戻してシートを畳んだ。
片づけ終えてもライトを点けたまま部屋を出て、きちんと施錠して隣室へと入る。
そして予想の通り、AMラジオのDJが話す声が光一のラジオで明確になった。
…やっぱり盗聴されてたんだ、
ラジオの反応に心裡ため息こぼれてしまう、それに呼吸ひとつで周太は微笑んだ。
もう光一は周太の状況を知っている、けれど無関係の高田には何も気取らせたくない。
そう思いながらエアコンの下にシートを広げて椅子を置く、その隣に光一も立つとラジオから甲高い音が響いた。
「…同じとは芸が無いねえ、」
低い声で笑った横から高田が椅子に乗り、また同じ手順で盗聴機を外してくれる。
それに声無く笑って光一は黒いレシーバーにスイッチを入れ、セッティングすると2つのラジオと同じ声が聞えだした。
それを確かめると底抜けに明るい目は微笑んで、すぐに操作して設定を変えていく。
そして短発的な電子音に切り替わると部屋をゆっくり歩き始めた。
ピッ…ピッ…ピッ…
単調な音を響かせながらデスクへと近寄っていく、その音が大きくなる。
そこで立ち止まると光一はアンテナを外し、デスク周りにレシーバーをかざしていく。
その様子を見ながらシートを畳んで片づける周太に、困り顔の高田が低く尋ねてくれた。
「…湯原くん、気を悪くしないでほしいんだけど、何か盗聴されるような心当たりってあるかな?」
この質問は当然されるだろう、しない訳が無い。
そう納得しながら周太は、すこし微笑んで首を振った。
「いいえ、」
「そうだよなあ?…どっちかっていうと小隊長のが、だろうし、」
静かな声で笑って、高田もレシーバーのスイッチを入れて部屋を歩きだした。
単調な電子音を鳴らしながら部屋の暗部をチェックしてくれる、けれど電子音の変化はデスク周辺からだけ鳴る。
その肩を光一が叩いてデスクライトとアダプターに目くばせすると、それに頷いて高田は手袋の手にドライバーを持った。
カチッ…カチ、カチ、
ちいさな金属音がなりネジが外されていく。
すぐ分解されたデスクライトの内部をデジタルカメラで撮影し、終えてドライバーを中へ挿しこんだ。
さっきとは違う小型の金属器を取出して袋に納め、アダプターからも同じよう摘出していく。
それも機能を停止させると、ようやくトランシーバーの電子音が消えて高田は息吐いた。
「これで全部だと思います、でも見事にどれも国村さんサイドの壁際ですね?」
「ま、エアコンもデスクも隣合せで対称の配置だしさ、電気の配線から言ってソウなるんじゃない?」
飄々と答える光一の言葉は何げないようで、高田の注視を周太から外している。
そんな態度に見上げた周太へと、底抜けに明るい目は「黙秘」と微笑んでテノールの声は笑った。
「で、高田さん?ターゲットは俺だけど、お隣さんトコに壁越しで仕込んだってカンジ?」
「普通に考えたらそうでしょうね?国村さんの立場だと、色々あっても仕方ないですし。隣の方が発見され難いから、こっちを選んだのかと、」
率直な高田の言葉は、光一に対しての盗聴だと考えている。
そう思わせることに光一は意図がある、だから敢えて高田をこの捜索に巻きこんだ。
…盗聴器の捜索を公にするつもりなんだね、光一は…そうやって俺を庇おうとしてる、
今回の事実が公になれば、第七機動隊の全体が警戒する。
そうすれば「彼」らは七機隊舎内での盗聴は難しくなり結果「監視」も牽制されていく。
警戒と牽制、それが光一の狙いならば、事件性が大きくなるよう流れを操作した方が都合が良い。
その意図通りに光一の部下は、ため息ひとつ吐くと困り顔のまま率直に進言した。
「国村さん、小隊長に盗聴が仕掛けられる事は山岳レンジャーは勿論、七機全体の問題です。隊舎全体も捜索した方が良いと思います、」
この提案を光一は待っていた、その為に高田を巻き込んだ。
そう確信しながら見た周太に怜悧な瞳は微笑んで、テノールの声は言った。
「解かりました、すぐ第2小隊はVR-150を持って談話室に集合で。寮内は今夜中にヤっちゃいましょう、安心して眠れるようにね、」
告げた秀麗な顔は冷静に微笑んで、けれど瞳に悪戯っ子が笑ったのを周太は見た。

山岳救助レンジャーは第1小隊も協力し、第七機動隊の寮内は2時間ほど捜索された。
その結果、脱衣場と談話室から各一個ずつ、UHF式の盗聴器をエアコン内部と自販機下から発見。
脱衣場のエアコンから発見されたものはデスクライト、自販機下はアダプターから外されたものと同型だった。
第七機動隊舎で発見された盗聴器は、総計で4ヶ所6個。
FMラジオ式盗聴器の同型2つ、UHF式は2タイプが各2個ずつ。
エアコン内部から3つ、照明器具から1つ、アダプターと自販機から各1つ。
発見場所は共同エリア2ヶ所、個室2部屋のうち1室に3ヶ所から見つかった。
【引用歌詞:savage garden「tyuly,madly,deeply」】
(to be continued)
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