萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第60話 酷暑 act.4―side story「陽はまた昇る」

2013-02-18 22:44:21 | 陽はまた昇るside story
真相と隠匿、そして真実の在処   



第60話 酷暑 act.4―side story「陽はまた昇る」

午後23時、携帯電話の振動に視線が動く。
広げたラテン語のページを閉じながら電話を取り、画面を開く。
そこに表示された送信人名に微笑んで、開封したメールを読んだ。

From  :光一
subject:無題
本 文 :コッチはフェイクで捕物、電話出れなくてゴメンね。俺はちょっと無理だけどさ、隣人は電話するんじゃない?

「…フェイクで、とりもの?」

文面の言葉を呟いて、意味を考える。
光一がこんな表現をする意図は何だろう、そして文意はどこにある?
この5日間に交わした通話を思い返し、行き当った考えに英二は微笑んだ。

―盗聴か、

五日四夜、電話で周太と光一は二人とも「英二」と呼んでくれなかった。
どうして名前を呼ばないのか?それが不思議で聴きたくて、けれど哀しくて訊けないままでいる。
その理由が「捕物」にあるのなら「名前を呼べなかった」のだと考え及ぶ。
そして今、第七機動隊に何が起きているのか見えてくる。

―周太が監視下に置かれている、だから電話も不自然だったんだ、

だから盗聴を警戒して、自分の名前も呼ばなかった。
そうやって二人は英二を庇い、存在を隠してくれたのだろう。
そして「隠してくれた」意図は恐らく、周太と光一それぞれに理由が違う。

きっと周太は、巻き込みたくないと考えてくれている。
けれど光一は「馨の亡霊」に協力する意志と意図がある。

そんな二人二様の目的に微笑んで、英二は返信を作りはじめた。
短く文章をまとめて読み返し、送信するとまた紺青色の表紙を開く。
そこに綴られるラテン語の文章を頭脳で翻訳し、その意味に溜息がこぼれた。

……

なぜ、警視庁への任官を提案してくれたのか?

その理由が今はっきりと解かる、そして絶望が心を覆いだす。
いつか時が来れば退職しよう、そう決めた自分は浅はかだったと気づいて、もう戻れない。
いつか終わりが来ると思っていた警察官としての時間、けれど終わりは無いと宣告に知らされた。

それでも私は未だ、数冊の本を捨てることが出来ない。
英文学への夢を与えてくれたWordsworth、オックスフォードの日々に買った児童書たち。
あの寂しくとも輝いていた幼い時間たちが今も、絶望の中で光を失わずに自分を見つめている。
その輝きが今はザイルのようにすら思えて解けず、本を捨てることも夢に瞳を閉じる事も出来ない。

けれど現実はもう、この手を赤く染めていくだろう。
生命を断つメビウスリンクに繋がれ、裁かれる事のない罪に私は沈む。
この鎖を絶つことを父は望んでいたのだと、今更ながら小説の意味が思い知らされる。
なぜ父が私の競技生活を拒んだのか、その深い苦悩と愛情の意味が漸く解って、けれどもう遅い。

……

馨24歳の8月に記されたブルーブラックの筆跡は、あわい黄色で滲んでいる。
これは涙の痕跡、そう解かる哀切に心臓を噛まれて今の自分に涙が起きだす。
なぜこの日の馨が一日をつづる文章に涙を落としたのか?その理由が解かる。

―入隊テストを受ける「命令」が出たんだ、きっと、

『絶望が心を覆いだす…いつか終わりが来ると思っていた警察官としての時間、けれど終わりは無いと宣告に知らされた』

馨が何に絶望したのか?終わりは無いと宣告したのは誰なのか?
そして馨が「終わりは無い」と表現した事は、本当は何なのか?

この疑問を追い詰めたなら29年前8月、第七機動隊第1中隊で馨を突き飛ばした現実が見える。
この日、当時すでに創設されていた特殊急襲部隊への入隊テスト受験を「命令」されたのだろう。
本来なら「提案」であるべき入隊テスト受験、けれど馨に対しては「命令」だったと『宣告』の二文字に見える。

Special Armed Police

特科中隊と呼ばれた極秘部隊は当時、第六機動隊に設置されていた。
そこへ所属するには上司の推薦と本人の志願が合致した時のみ、入隊テストを受験出来る。
けれど馨の文面には入隊を望んだ空気は一切なく、むしろ推薦を「断った」痕跡が強い。
それでも数ページ後の日記には異動した記録が、暈した表現に綴られるだろう。

『生命を断つメビウスリンクに繋がれ、裁かれる事のない罪に私は沈む。
この鎖を絶つことを父は望んでいたのだと、今更ながら小説の意味が思い知らされる』

なぜ馨は入隊テスト受験を拒めなかったのか?その理由が単語に表れている。
このとき馨は父親が書遺した小説が記録なのだと気づかされた、それが拒絶できなかった理由。
そのとき「あの男」がどのように話し、馨が何を想い、何を諦めたのか?
その光景が怒りになって今、自分の心を蝕む。

―赦せない、こんなこと、

赦せない、こんな現実が存在することは赦せない。
この現実を紡いだ元凶は何なのか、誰なのか、それはもう解っている。
この元凶には馨の父親も無責任だなど言えない、それでも種を蒔いた存在こそ罰せられるべきだ。
それなのに今この国を支配している法典では「あの男」を裁くことなど、どうあっても出来やしない。

犯された「あの男」の行為は殺人罪にならない、間接正犯にも出来ず、教唆の立証すら難しい。
もしあるとしたら刑法第223条の強要罪、けれど、それすら処罰は3年以下の懲役刑にしかならない。
故意に3人の男を死に追いやった、その他にも多くの人生を狂わせて今もリンクは終わらない。
それなのに裁く罪状も法も存在しない現実が、その全てが悔しくて赦せなくて、怒りになる。

「…全て壊してやればいい、」

そっと独り言こぼれて心深く、冷酷が瞳を披く。

最初は周太を護りたいだけだった、そして真実の断片を自分は知った。
真実を記した馨の日記に出会い、馨が見つめていた心と事実の記録を追うごと怒りが生まれる。
その怒りを裏付けていく「家」に刻まれた痕跡たちは、蜘蛛の巣に堕ちていく家族の哀しみだった。

隠した家族アルバム、血塗れの写真、東屋の血痕、奈落に埋めた拳銃。

どれもが本人の意志に関わりなくて、どれもが巧妙な心理陥穽の罠に堕ちていく。
これらの生証人は自分の祖母だった、馨のエアメールと晉の小包、そして彼女の記憶と真実に裁かれぬ罪は証される。
そうして追う軌跡に顕われていく馨と自分の共通点、隠されていた血縁、深い苦悩と幸福の重なりと融合を見た。
そんな10ヶ月を紺青色の日記をはさんで馨と過ごし、晉の小説から真相を知らされ、今もう自分事にしか想えない。
その全ては物語のよう非現実的な惨酷、けれど託された手帳には銃痕と略号が刻まれ綴られる。
こんな現実が本当に存在した、その怒りが血液を廻って全身を侵し熱い、もう赦せない。

―七機での盗聴を利用するなら、俺には何が出来る?

赦せない心が冷静に計画を廻らせ、手は紺青色の日記を閉じる。
そのまま鍵付の抽斗にしまいこんで、法医学のファイルを披いた。
そのページを繰り鑑識の事例データを眺め、今の思考をまとめていく。

―盗聴器を仕掛けることが出来るのは、七機の人間以外もいる。仕掛けの場所にもよるけど…あ、

めぐる思考に気がつかされ、英二は微笑んだ。
今回の「捕物」をどうやって光一が実行出来たのか?
その真相が今までの言動から見えて、可笑しくて笑ってしまう。

―フェイクを仕掛けたんだろ、光一?

盗聴の罠に罠を掛け、全てを捕えさせた。
そんな光一の手法が電話とメールでくれた情報で、見えてくる。

話した相手は「隣人」と光一は言う、それは周太が光一の隣室だと示す。
会話に「本音、ソレが言えない」と様々な単語と交えて聴いた、これが盗聴の示唆だった。
そうして遠回しに電話で教えたのは隣室、光一の部屋にも盗聴器を仕掛けられる可能性からだろう。

―そういう不自由を光一が許すわけがない、自分から攻撃に出るだろうな、

おそらく光一は、盗聴器の存在を第七機動隊に公表した。
この公表があれば「捕物」盗聴器捜索を七期隊舎の隈なく全てに行える。
そのためには七機の全体問題に拡大させたい、ならば小隊長が盗聴を仕掛けられたとすればいい。
だから光一は「フェイク」を仕掛けて第七機動隊内の注視を自身へ向けさせた、そんな推理が見えてくる。

―光一は自分の部屋にも盗聴器を仕掛けたな、それを他の隊員に見つかるよう仕向ければいい、

第七機動隊山岳救助レンジャー第2小隊長で警視庁山岳会幹部候補。
その立場にある人間が盗聴器を仕掛けられたなら、誰も疑問に思わず納得する。
この納得へ七機全体を誘導するなら、隊員に発見させて捜索を進言させれば合理的だ。
第三者の意志と能力で盗聴の事実を発見させる、それなら盗聴器捜索を行う本当の目的を隠匿できる。
そうして七機全体問題として盗聴の警戒を喚起させれば「あの男」に対抗者の存在を見せず牽制と防衛が出来る。

―木を隠すなら森ってやったんだろ、光一?偶発に見せかけるために、

本当の盗聴ターゲットである「木」から害虫駆除するなら、七機全体「森」全域から捜索すればいい。
あくまで森を護るために捜索をした、その結果として木を護ることになったと「偶発」に見せておく。
そうすれば本当のターゲットに気付かないフリが出来る、そして周太を護る意志と存在を隠しておける。
今はまだ水面下で動く方が自分たちに有利、その判断から光一は「森」の全体に警戒網を張り廻らせた。

―俺の存在を気付かせない為に、光一は自分の立場を利用してくれたんだ、

光一は自身の利用価値を知っている。
だからこそ蒔田は、周太と光一を同時に異動させる選択をした。
その意図を光一はもう活かしてくれた、きっと防衛ラインを2ヶ月間の限り築くだろう。
対して周太の同僚として自分が過ごせる時間は1ヶ月しかない、その期間を最大限に利用する。

―俺しか出来ない方法で揺さぶりたい、効率的にダメージを与えるには?周太の異動後にも影響を生ませるには…内山のこともある、

思案めぐらせながら抽斗を開き、オレンジ色のパッケージを破いて一粒をとりだす。
銀紙からオレンジの飴を口へ放り込むと、ふわり柑橘が香って心がほっと息ついた。

「…周太、今夜は名前呼んでくれるかな…」

ぽつり、ひとりごと零れて法医学のファイルを眺める。
さっきのメールでは盗聴器の撤去は終わったろう、けれど光一は電話を拒んだ。
その意図が本当は不安で、光一に直接会って真意を問いたいことが心あふれてしまう。

どうして光一は今夜、電話をしないのだろう?
英二を避けたいのだろうか、周太への遠慮だろうか?
それとも何か意図と用件が今夜の光一にあるのだろうか?

盗聴器の「捕物」をした今夜は最も安心して電話で話せる機会だろう。
けれど光一は拒んでしまう、その真意が計り難いばかりで不安が哀しい。
そして想ってしまう、周太も電話を架けなかったら、名前を呼ばなかったら?
いま大切な二人に想い馳せながら、それでもファイル内容を頭脳は辿り復習していく。

―銃創、接射創、準接射創、近射創…盲管射創、

法医学ファイルにある単語に、心も反応していく。
いま救命具ケースの中に納められた金属器たち、その姿が脳裡を占めかける。
そんな自身の本音に気付いてしまう、自分にすら隠した欲求が黒い銃身を見る。

Walther P38 ドイツ製の軍用自動式拳銃。 

湯原家の奈落に埋められていた、一丁の拳銃は晉の遺品。
それが「あの男」に編まれた罠を完成させるトリガーになった。
だから晉は炉壇の直下に埋めて隠し腐食を望んだ、けれど英二の手に拳銃は蘇えった。
そんな現実に想ってしまう、この拳銃を自分に与えた運命は何を望むのか?
そう問いかけるたび密やかに欲求は、冷たい熱情あざやかに嘲笑する。

あのトリガーを自分が弾くことは「あの男」に最も惨めな報復となる?

50年前に罠で穢した1人の男、その男の妻に繋がる男が今、あの拳銃を持つ。
そんな運命の歯車を「あの男」は何も知らず、全てが自分の正義に従うと信じている。
それは立派な大義名分があるだろう、けれど罠を作った罪に崩壊させてやりたい。

―地位も名誉も正義も、全てを壊してやればいい、あの男ごと撃ち砕いて、

法が裁けない罪、それなら自分がこの手で裁いてやればいい。
そして悔恨と惨酷に沈めてやればいい、全てに膝まづかせ懺悔させたい。
こんな自分の冷徹に肚が笑った、そのとき不意に振動がデスクを響かせた。

「…あ、」

吐息ごと戻された視界、携帯画面の発信人名が光る。
デスクの上に点滅する着信ランプ、この燈火を喪ったら自分はどうなるだろう?
その想い真実のまま綺麗に英二は笑って、電話を手にとり通話を繋げ呼びかけた。

「周太?」

ほら、君の名前呼んだ声、聴いてくれた?
こんなにも一瞬で心ごと明るませられるのは、君しかいない。
だから君を救けたい、離れず傍にいてほしい、そう願いながら自分は何をした?

―後悔しない、けれど失ったこと解ってる、だから応えて?

アイガー北壁の夜を後悔など出来ない。
それでも壊した君の心に気がついて、その償いをさせてほしい。
それは二度と元の姿には蘇えられない、そう解るから今一度の想いを懸けたい。

だからどうか、お願い、もう一度だけ。






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