瞬き、その刹那に

こんにちは、日曜の昼下がりに一息です。
晴れた青空ですが、どことなく夕べをふくんだ陽光は今の季に独特で。
こういう陰翳の多い光線は写真にすると、切ない空気になるんですよね。
最近、交通事故死の判決について話題になっていましたが。
それに対する見解を某WEBサイトの書込みで見かけ、読みました。
若い女性かな?っていう雰囲気の文章でしたが、侘しい心が透けて切なかったです。
交通事故死の遺族に対して、裁判を長引かせるより賠償金を沢山もらって豪遊して忘れた方が良い。
そんな意味を提言した書込みでしたが、それに対する回答は当然のようダメだしが多かったです。
いわゆる否定意見の回答に対して、彼女は虚勢を張るよう苛立つ書き方で返答していました。
その言葉ひとつ一つが否定される事への怒りと孤独が剥きだしで、生傷のようです。
誰も傍に居ない人が書き殴った痕跡が、痛々しく思えました。
質問書込みをしては回答者を馬鹿にして楽しむ、そんな性向を彼女はある回答者から指摘されていました。
その通りに以前から回答者に対して、彼女のコメントは馬鹿にするような物言いが多くされています。
このWEBサイトは質問者・回答者の履歴が閲覧できるのですが、質問回数は一日に何件もありました。
こんなに何度も質問する彼女の真意は何だろう?そう考えたとき孤独感が透けて見えました。
現実に自分の意見とか話せる相手がいたら、WEBに何度も書きこむ必要は無いですから。
誰かと繋がっていたい、けれど周りに誰もいない。
だから不特定多数の相手でも良いから、罵詈雑言でも良いから会話していたい。
いつも相手を馬鹿にして卑下したがるのは、現実の彼女が「虐げられている」と感じている鬱憤晴らし。
WEBは匿名性が高い世界です、だから彼女も言いたいことを好き勝手に書くことが出来るのでしょう。
それを誰かが読んでくれる安心感を求めて書込み、相手を傷つけても「会話」に満足する。
そんな心理状況であっても、他人を傷つけることは自分勝手な人間の言い分です。
それでも、そうせざるを得ない心の苦悶は哀しみがあるのかな、など想ってしまいます。
そう言われたら多分、彼女自身は必死で虚勢をはって強がるのでしょうね。
そういう強情、リアルにぶちまけちゃえば楽なのになあ、と。
自分としては強情を正直に言える女のひと、悪くないって思います。むしろ好きです。
ただし面と向かって話し合えるのならって前提です、匿名性に隠れてコソコソはみっともない。
コソコソ好き噂好きの井戸端会議愛好家してる時の貌ってね、不細工になってるから見たくないんですよね。笑
どうせ見るなら優しい綺麗な笑顔を見て、眼福したいです。
人間なら「認められたい」願望って誰しもあるモンです。
認められ受けとめられることで自分の存在する意味を確認する、それが人間を努力にも向けます。
けれど彼女のような、ツールも手段も違う方向性に行ってしまう方が最近、多いのかもしれません。
彼女も現実の世界に見いだせていないのでしょうが、女の人って誰でもマドンナの貌を持ってるモンなのに。
そういうご自身に早いトコ気がついて、心から綺麗な笑顔で世界は楽しいってなってほしいなあ、など思いました。
ここで小説を毎日描いていて、いつも思うんですよね。
この文章を透して自分は、明るいプラスになる何かを読む方に手渡せているのか?
読んで温かい気持になれたら良いなあ、など考えながら写真やイラストを貼って物語を綴っています。
文章を読む時間は一瞬です、それでも言葉から受けとめた心は一生になることもあります。
そういう責任とかを想うほど、いつも一言一句どれもが大切です。
だから今回も、ちょっと色々考えて雑談してみました。
こんなしてWEBに言葉を綴る日々、この言葉の向こうにいる誰かを想うんですよね。
そんな相手のあなたは、自分は独りぼっちだなあーとか、人生ツマンないって想ったりしますか?
そういう時は違う場所に行ったら良いかな、って自分は想います。
自分は学生時代から色んな場所に行く機会が多いんですけど、毎度つまんなく無いです。
たとえば霞ヶ関、九段下に新宿。たとえば吉野山中、霧深い比叡山、遠野郷の春夏秋冬、富士の山頂。
目的は仕事だったり研究の為だったり色々ですが、いつも新しい世界が見えて、新しい自分がいます。
仕事の時は意見と能力の対峙があって、好き嫌いのような小さな感情を飛越した時間を共有できる。
その時間のなかに互いの尊敬や信頼が生まれることもある、そして新しいパーソナリティを知れます。
個人的に歩く時は「匿名」だからこそ、素の自分で相手と向かい合うことになって、それが面白いです。
お互い名前も知らない人と話す時、ただ「自分」だけが独りで「相手」と向合っている。
それは名前からすらも解放された自分になれる時間です、そんな自由が楽しいなと。
いつも歩く道の一本向うの通りを歩いてみる、それだけで違う世界に会えます。
住宅街の中でも花咲く見事な庭や、意外な場所に店や気持ち良い公園を見つけたり。
同じ道をいつもと違う時間帯に歩いても、空の色や光線の違いで全く別風景になります。
未知の世界って、普段のすぐ隣にあったりするモンです。そういう発見は遠くに行くより面白いかもしれません。
だらっと書いてしまいました、乱文すみません。
為になる随筆ブログトーナメント
今日は第61話の湯原サイドor連載短篇の続きを予定しています。
もう昨日の第61話「燈籠3」と短篇「天花の証3」加筆校正が終わりました、良かったら読んで下さいね。

こんにちは、日曜の昼下がりに一息です。
晴れた青空ですが、どことなく夕べをふくんだ陽光は今の季に独特で。
こういう陰翳の多い光線は写真にすると、切ない空気になるんですよね。
最近、交通事故死の判決について話題になっていましたが。
それに対する見解を某WEBサイトの書込みで見かけ、読みました。
若い女性かな?っていう雰囲気の文章でしたが、侘しい心が透けて切なかったです。
交通事故死の遺族に対して、裁判を長引かせるより賠償金を沢山もらって豪遊して忘れた方が良い。
そんな意味を提言した書込みでしたが、それに対する回答は当然のようダメだしが多かったです。
いわゆる否定意見の回答に対して、彼女は虚勢を張るよう苛立つ書き方で返答していました。
その言葉ひとつ一つが否定される事への怒りと孤独が剥きだしで、生傷のようです。
誰も傍に居ない人が書き殴った痕跡が、痛々しく思えました。
質問書込みをしては回答者を馬鹿にして楽しむ、そんな性向を彼女はある回答者から指摘されていました。
その通りに以前から回答者に対して、彼女のコメントは馬鹿にするような物言いが多くされています。
このWEBサイトは質問者・回答者の履歴が閲覧できるのですが、質問回数は一日に何件もありました。
こんなに何度も質問する彼女の真意は何だろう?そう考えたとき孤独感が透けて見えました。
現実に自分の意見とか話せる相手がいたら、WEBに何度も書きこむ必要は無いですから。
誰かと繋がっていたい、けれど周りに誰もいない。
だから不特定多数の相手でも良いから、罵詈雑言でも良いから会話していたい。
いつも相手を馬鹿にして卑下したがるのは、現実の彼女が「虐げられている」と感じている鬱憤晴らし。
WEBは匿名性が高い世界です、だから彼女も言いたいことを好き勝手に書くことが出来るのでしょう。
それを誰かが読んでくれる安心感を求めて書込み、相手を傷つけても「会話」に満足する。
そんな心理状況であっても、他人を傷つけることは自分勝手な人間の言い分です。
それでも、そうせざるを得ない心の苦悶は哀しみがあるのかな、など想ってしまいます。
そう言われたら多分、彼女自身は必死で虚勢をはって強がるのでしょうね。
そういう強情、リアルにぶちまけちゃえば楽なのになあ、と。
自分としては強情を正直に言える女のひと、悪くないって思います。むしろ好きです。
ただし面と向かって話し合えるのならって前提です、匿名性に隠れてコソコソはみっともない。
コソコソ好き噂好きの井戸端会議愛好家してる時の貌ってね、不細工になってるから見たくないんですよね。笑
どうせ見るなら優しい綺麗な笑顔を見て、眼福したいです。
人間なら「認められたい」願望って誰しもあるモンです。
認められ受けとめられることで自分の存在する意味を確認する、それが人間を努力にも向けます。
けれど彼女のような、ツールも手段も違う方向性に行ってしまう方が最近、多いのかもしれません。
彼女も現実の世界に見いだせていないのでしょうが、女の人って誰でもマドンナの貌を持ってるモンなのに。
そういうご自身に早いトコ気がついて、心から綺麗な笑顔で世界は楽しいってなってほしいなあ、など思いました。
ここで小説を毎日描いていて、いつも思うんですよね。
この文章を透して自分は、明るいプラスになる何かを読む方に手渡せているのか?
読んで温かい気持になれたら良いなあ、など考えながら写真やイラストを貼って物語を綴っています。
文章を読む時間は一瞬です、それでも言葉から受けとめた心は一生になることもあります。
そういう責任とかを想うほど、いつも一言一句どれもが大切です。
だから今回も、ちょっと色々考えて雑談してみました。
こんなしてWEBに言葉を綴る日々、この言葉の向こうにいる誰かを想うんですよね。
そんな相手のあなたは、自分は独りぼっちだなあーとか、人生ツマンないって想ったりしますか?
そういう時は違う場所に行ったら良いかな、って自分は想います。
自分は学生時代から色んな場所に行く機会が多いんですけど、毎度つまんなく無いです。
たとえば霞ヶ関、九段下に新宿。たとえば吉野山中、霧深い比叡山、遠野郷の春夏秋冬、富士の山頂。
目的は仕事だったり研究の為だったり色々ですが、いつも新しい世界が見えて、新しい自分がいます。
仕事の時は意見と能力の対峙があって、好き嫌いのような小さな感情を飛越した時間を共有できる。
その時間のなかに互いの尊敬や信頼が生まれることもある、そして新しいパーソナリティを知れます。
個人的に歩く時は「匿名」だからこそ、素の自分で相手と向かい合うことになって、それが面白いです。
お互い名前も知らない人と話す時、ただ「自分」だけが独りで「相手」と向合っている。
それは名前からすらも解放された自分になれる時間です、そんな自由が楽しいなと。
いつも歩く道の一本向うの通りを歩いてみる、それだけで違う世界に会えます。
住宅街の中でも花咲く見事な庭や、意外な場所に店や気持ち良い公園を見つけたり。
同じ道をいつもと違う時間帯に歩いても、空の色や光線の違いで全く別風景になります。
未知の世界って、普段のすぐ隣にあったりするモンです。そういう発見は遠くに行くより面白いかもしれません。
だらっと書いてしまいました、乱文すみません。
為になる随筆ブログトーナメント
今日は第61話の湯原サイドor連載短篇の続きを予定しています。
もう昨日の第61話「燈籠3」と短篇「天花の証3」加筆校正が終わりました、良かったら読んで下さいね。