萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 雪嶺 act.12-side story「陽はまた昇る」

2015-07-14 00:59:01 | 陽はまた昇るside story
Nor all that is at enmity with joy, We will grieve not, rather find  感情視界
英二24歳3月



第83話 雪嶺 act.12-side story「陽はまた昇る」

一弾、轟音。

発射音まっすぐ轟き駆ける、衝撃波ひき裂いて頬かすめる。
登山グローブの手に塞いだ耳鳴りうずく、硝煙つんと嗅覚を刺す。
蒼い靄と雪壁はざま見つめた英二の視界、弾道一閃に朝陽はじいた。

―外れるな、どうか、

あの弾丸がなにを狙うのか?
それは今日までの時間が信じている、その願い見つめる斜面を銀色おおいだす。
昇る陽に雪煙ゆれて白い、いま明ける雪嶺に隣が言った。

「…行け、」

かすかな呟きにふり向いて至近距離、白いフードの横顔に光射す。
夜が消え朝が昇る、朝陽に山温まって氷雪ほどく、その瞬刻に全身が揺れた。

どんっ、

鳴動、そして目前の壁が呻きだす。
ぎしりぱしっ、どんっ、音の交錯に隣の腕を掴んだ。

「脱げっ、」

叫んだまま白い合羽を引きはがす。
黒いウェアにアサルトスーツ、ヘルメット、マスク、黒い全身が銀色の世界に浮く。
雪面に白では保護色になる、発見の遅れ防ぎたい願いに鳴動ふるえて音いくつも重ならす。
氷割れる音、雪崩れる音、そして遠く低い音、よく知っている気配達に黒衣姿をひきよせた。

「被れっ、」

がばり、小柄な頭からツェルト被せて包む。
もう逃げられない、その予感ごと雪壁の崩壊が始まった。

ぱしんっ、どおんっ、

氷のブロック崩落する、ごつり欠片がヘルメット敲く。
ツェルト包んだ体を抱え切株に身をよせ、ふり向いた視界くずれる狭間に叫んだ。

「窓が割れたぞっ!」

崩れゆく雪壁のはざま谷むこう、小屋は窓ガラス割れて人影が倒れる。
あれは犯人の山岳ガイドだろうか、それとも人質だろうか?
確かられない、けれど人影いくつも小屋へ駈けこむ。

「捜査員たちが突入した、安心しろっ、」

抱えこんだツェルトに呼びかけザイル手繰り、短くつかみ直す。
もうすぐ雪崩の波が来るだろう、もう逃げられない、ザイル繋いだ切株に英二は賭けた。

「耐えてくれ、」

雪埋もれた古い切株、この根に生命力は残っているだろうか?
雪崩の盾になり得るか解からない、それでも縋るしかない現実にザックの竹竿すべて傍ら刺した。

ざっ、

竹竿の先に赤布はためく、朝陽きらり翻す。
もう斜面は揺れるだろう、そして崩壊音が耳ひっぱたいた。

「っ、」

息呑んで見あげた斜面、上部のセラックが揺らぎだす。
氷雪の尖塔スローモーションに崩れ、そして白い大地が突きあげた。

「顔を手で覆えっ、手と顔の間に空気のポケット作れ!」

セラック崩壊、その音に足元の底から揺すられる。
雪の底ディープスラブが起きてゆく、もう風圧ゆれて竹竿の赤布なびく。
切株むこう白い風が起ちあがる、足場を大気を轟音が圧す、冷厳の粒子が頬かすめ斬る。

―直撃だ、ここは、

雪崩の直撃は三度目、その前に富士で近く奔るのを見た。
あのとき見つめた暴風雪は銀色の竜、あの姿と違う真白な網が起ちあがる。
あと何秒で到達するだろう?計算にツェルトの体温へ叫んだ。

「呼吸いっぱい吸えっ、」

雪と氷が奔る、波うつ振動の轟音ゆれる。
ヘルメットに頬に氷の礫はじけ跳ぶ、冷厳の風どんと吹きつけ暴れだす。
太陽に春山は氷雪ゆるませ崩れゆく、最悪な崩壊が始まった。

―最悪だ、でも真向から見るの初めてだな?

氷雪の波に朝陽きらめく、銀色まき散らし吼え声が迫る。
白銀の高波まばゆく巻いて氷の礫きらめいてヘルメットを肩を打つ、けれど綺麗だった。

「きれいだ、」

つい零れて笑いたくなる。
だってこんな時すら自分は見惚れてしまう、だから本望だ。

ここが好きだ、雪山に自分は惚れている。

―俺はそれでいい、でも周太は生きなきゃダメだ、

きっと今ここで呑まれても自分は後悔かけらもない。
けれど今抱いている体温は生還させる、そうじゃなければ「本望」になれない。
ただ願い伏せた雪面ゆれて轟き肚底つきあげる、震動に奥歯がちり噛みしめ切株の元うつぶせた。

―馨さん周太を助けてください、俺とひきかえで構わないどうか、

願い脈うつ胸に小さな鍵の輪郭ゆれる。
この鍵を受けとった、あの時から今が定められたのだろうか?

―この鍵をもらったから俺は知ったんだ、日記も家庭も、

これはあの玄関の合鍵、そしてあの書斎の唯一の鍵。
この鍵を与えられて誇らしい、そのプライド抱きこんで狙撃手の全身すべて自分で覆う。
もし雪が鼻や口に入れば窒息に繋がる、だからツェルトくるんで懐深く抱きしめて、ふれた肩の骨格が華奢だった。

「…周太、」

この男は周太だ、だって憶えている。

警察学校の卒業式の夜、晩夏の一夜、抱きしめた体は繊細で華奢で少年のようだった。
逞しさに隠して追いかける願い、その一途も華奢な体も切なくてただ愛しくて離せなくなった。
無垢の意志、齢より幼い体、夜に慣れない肌と心、その痛みごと抱きしめた肩の記憶を間違えるわけがない。

『宮田が俺に教えてくれた、誰かの隣が、居心地良いんだと、俺はお前の隣で、知ったんだ、』

ほら、懐かしい声また言ってくれる。
あの夜に泣いた黒目がちの瞳、震えていた肩、そして温かい肌。
あの夜の記憶が警察官として男として生きる姿勢を正してくれた、あの肩を護りたくて強くなりたかった。
その願いに日々を生きて山ヤと警察官の誇りをつかんだ、そうして自分を造ってくれた原点どうして違えられる?

どんっ、

轟音の波ゆるがす、風圧ぐわり押して氷が降る。
呑まれる衝撃はきっと大きい、覚悟と呼吸ひとつ懐抱きしめた。

―耐えてくれ周太、

祈り、そして震動に音に山が吼える。
ヘルメットごつり撃つ音、雪底の鳴動、冷厳の唸り、氷砕かれる匂い。
五感に肚底から揺るがされる、こんなふうに先達たちは雪崩へ沈んだろうか?

―光一の親も雪崩で死んだんだ、

マナスル、あの八千峰にザイルパートナーの両親は逝った。
同じよう雪崩に呑まれたクライマーは多い、助かった山ヤと死んだ山ヤ、両方に自分も出会った。
生と死に分けられても山懐に籠められたことは同じ、生と死と、この山はどちらに自分を送るだろう?
もう自分の生死どちらでも構わない、どちらでも周太は生きさせる。

「絶対だ、」

声に右手たぐり、ザイル撃ちこんだ切株のハーケン握りしめる。
この古木はどこまで深く根を張るのだろう、浅ければ切株ごと流され滑落するリスクが高い。

―ここから何百メートルも引きずられたら、

ここから樹林帯まで700m、最悪はその距離すべて引きずられ生埋めになる。
雪ごと樹木と衝突すれば骨折、そのショックと低体温症による死は珍しくない。
押し流されず耐えきれるのか?祈り握りしめるハーケンが温まる、その感覚に鼓動うった。

―北壁のハーケンと同じだ、あのときも冷たくなくて、

マッターホルン北壁、アイガー北壁。
あの氷壁にハーケンは凍えるはずで、けれど温かく感じられた。
あのときに同じ感覚が右掌つたわらす、それとも古木の温もりだろうか。

―まだ生きているのか、この切株?

気のせいかもしれない、けれど金具に息吹つたわらす。
この切株は高山の風雪に生き続けてきた、その生命力がハーケン脈うってくる。
そんな全ても死線の幻覚だろうか、けれど似ている。

―もしかして援けてくれるのか、今も、

北壁のハーケンは自分じゃなかった。
あのとき感じた気配が今も近いようで、そのまま切株の鼓動が聞こえる気がする。
どちらにしても切株の生命力に命つないで託すしかない、ただ願い微笑んだ。

「ごめんな、傷つけて、」

そっと木へ語りかけ懐の体温を抱きしめる。
左腕に胸に脚にツェルトも透かして温かい、この温度ごと生も死もザイルに繋ぎあう。
このまま氷雪に生き埋められるかもしれない、そのとき酸素と温度が生死を分ける。

―岩のエアポケットで5時間耐えた人もいる、だから周太は大丈夫だ、

もし呑まれても終わりじゃない、希望はある。
そのためには自分の体温と酸素すべて与えても生かしたい、帰らせたい。
生埋めになっても雪崩に流されても切株が目印になってくれる、きっと仲間が掘り出してくれる。

―頼む光一、浦部さんすぐ見つけてくれ掘りだしてくれ、

たとえここで自分が死んでも山ヤの自分は本望だ、けれどこの男だけは絶対に救う。
山ヤで警察官で男で人間、すべての誇りと命すべて懸けて救ってみせる、きっと救けられる。
ただ信じて伏せた体ぐわり震動ゆする、ごつり背中ぶつかる飛礫に鼓動うたれ呼吸つまる。
もうじき冷厳の波かぶさるだろう、全身の筋肉すべて力こもり衝撃を待つ。

―保ってくれ俺の体、周太を救う分だけでいいから、

氷雪の重みと低温にどこまで自分の体は耐えてくれる?
今は山ヤの警察官として鍛えた時間を信じるしかない。

「目と口を閉じろ、」

鋭くツェルト越し告げ瞳を閉じる、その最期あざやかな緑ひとつ見た。

―芽ぶいてる?

切株に撃ちこんだハーケンの手元、萌黄色ちいさな芽が見えた。
撃ちこむときは気づかなかった、それだけ必死な自分と幼い芽に微笑んだ。

ああ生きているんだ。

その頭上、轟音と冷厳の波かぶさり呑みこんだ。



(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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