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萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

天花燈籠、光のいろ

2013-02-21 23:28:11 | お知らせ他
光、瞬間、象らすもの 



こんばんわ、今日は晴天だった神奈川です。
が、写真は氷雨の一日だった先週末に撮りました。

場所は鎌倉某所の清閑な庭です、竹寺と言ったら解かる方もあるでしょうか?
竹林の清々しい禅寺の石庭に、雨ふる一本の蝋梅が光っていました。
先日もUPした蝋梅と同じ木になります、アングルを変えたVrです。

このお寺さんの近くに好きな茶室があります、そこも禅寺です。
久しぶりに一服頂戴してきましたが、寺猫が珍しく座敷に上がって来ました。
茶室っていうと女性的かも知れませんが、そこの寺院は場所もレアな為か男性の茶客も多いです。
寒い雨の日、火鉢と温かな緋毛氈に丸まって微睡む姿は冬の静謐らしい馴染みが良い風景でした。
冬の鎌倉も良いもんです、寒いけど。笑

今朝UPの「天花の証・1」加筆校正が終わっています、「淡雪の紅」続編・雅樹@東京医歯キャンパスのシーンです。
このあと第61話「燈籠2」草稿UPの予定しています、宮田@東大本郷キャンパスからスタートです。
宮田と雅樹とも大学のキャンパス、けれど夏と冬で季節は異なり19年の時差があります。
そんな重複と相違も読みどころかもしれません。

取り急ぎ、






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第61話 燈籠act.1―side story「陽はまた昇る」

2013-02-20 23:54:43 | 陽はまた昇るside story
帰還、その居場所、



第61話 燈籠act.1―side story「陽はまた昇る」

竹の葉擦が波音のよう、風に靡いて囁きだす。

歩いてゆく参道の石畳、午前中の陽光きらめいて蒼い。
閼伽の桶と柄杓だけを提げて、けれどワイシャツに菊の香が名残らせる。
旧暦の盆は炎天まばゆい、その照り返しが花にも碑にも熱くて背にも汗伝う。
それでも竹林の風は涼やかに髪ゆらす、訪れた一陣に微笑んで英二は空を見上げた。

―今頃は周太、講義中かな、

土曜日の今日、周太は聴講生として大学の講堂に座っている。
異動から10日過ぎての休日は1日だけ、今後の休暇も通学に充てざるを得ない。
こうして逢えない事は寂しい、それでも大学の時間は周太を将来に繋げてくれる。
だからこそ周太の母も息子の希望を推し、自分も肯った。その想いに笑った隣から優しいアルトも微笑んだ。

「周、今頃は大学生してるわね?美代ちゃんと一緒に、木のことで夢中になってるかしら、」

楽しげな明るい声に振り向くと、黒目がちの瞳が笑ってくれる。
息子そっくりの瞳に俤を見つめながら、英二は穏やかに微笑んだ。

「はい、一生懸命に講義を聴いてると思いますよ?周太のノートはすごく綺麗だって、美代さんも言ってましたから、」
「美代ちゃんに褒められるなんて、周もなかなかね。美代ちゃん、すごく頭も良い子でしょう?」

朗らかに笑って美幸は見上げてくれる、その笑顔が温かい。
ただ息子の成長と将来に幸せを見る、この眼差しが美しいと心から想う。

―こういうひとが俺の、本当の母親だったら、

そっと心が願い呟いて、つい自嘲が唇に浮びかける。
こんな叶わぬ事を想ってどうする?そんな溜息そっと吐いた隣から、美幸は笑ってくれた。

「英二くん、ちゃんとワイシャツにネクタイなんて暑いでしょう?ラフな格好でも良いのに、」

そういう本人はブラウスにパンツスーツで整っている。
そんな美幸の姿と言葉の矛盾が可笑しくて、笑いながら英二は答えた。

「お母さんこそ、スーツ姿じゃないですか?俺、ジャケット着てこなくて悪いなって思ってましたけど、」
「あら、私はこのあと仕事だもの?だから仕方ないじゃない、」

明朗に答えてくれる通り、美幸は午後から出社予定でいる。
元から多忙とはいえ昇進してからは、更に土日も出勤が増えた。
そんな婚約者の母に体の心配をしたくなる、そのままを英二は口にした。

「お母さん、ここのところ土日の出勤も多いですよね、休みはきちんと取れていますか?」

質問と見つめた先、清しい竹の香が髪ゆるやかに靡かせる。
白い華奢な手に髪かきあげながら、黒目がちの瞳は嬉しそうに微笑んだ。

「心配してもらって嬉しいな、ありがとう。私は大丈夫よ、気楽な独り暮らしだもの。マイペースにのんびり出来るわ、」
「だから逆に、ちょっと心配です。周太も俺もしばらく帰れないし、」

本当に心配になってしまう、気丈な彼女だからこそ無理しそうで怖い。
しかも小柄で華奢な容姿は繊細に感じて、その芯が強いと知っていても支えたくなる。
そんな不安と気遣わしさに見つめた先、けれど明るく朗らかなトーンが笑ってくれた。

「ありがとう、英二くん。でも私、そんなに心配される程お婆ちゃんでも無いわ?定年まで10年以上あるし、よく若いって言われるのよ、」

穏やかで綺麗な笑顔ほころばせ、白い手が軽く肩を叩いてくれる。
その手の温もりが嬉しくて幸せで、笑って英二は敬愛するひとに提案した。

「確かにお母さんは40歳で通ります、だから俺とランチデートしてくれますか?ボーナスも出たので、偶にはご馳走させて下さい、」
「あら、イケメンの息子とデートなんて嬉しいな、是非お願いするわ、」

さらっとアルトの声が笑って応えてくれる、その言葉が心をノックしてしまう。
つい先刻に叶わないと笑った願い、けれど美幸は軽やかに受けとめ微笑んでくれる。
こういう女性だから馨とも運命を分ちあえた、そんな納得は優しく温かで、そして切ない。

―馨さん、本当はもっと一緒に生きたかったでしょう?このひとの隣でずっと、ふたりで笑いあって、

14年前に逝ってしまった想いを辿りながら、その墓を後にして歩いて行く。
そんな足許ゆれる木洩陽は明るくて、桜の香と竹の音がそっと穏やかに凪いでいる。
太陽と涼風が彩っていく夏の朝は平穏で、それなのに並んで歩く横顔が心配になるのは杞憂だろうか?

―盆の時だからかな、そんな話を今朝したから、

今朝の自主トレは近場で済ませ、川崎に来る前の足で雅樹を墓参した。
まだ7時前の朝露を踏んだ石畳、線香を携え向かった先にはもうロマンスグレーが佇んでいた。
そのまま吉村医師と交わした言葉たちが今も浮かんで、遺された哀しみと消えない想いの共鳴が響く。

―…精霊は盆に帰ると言いますから、

盆の入りは2日後、それより早く吉村は墓を磨いていた。
今日は土曜で休診日だから時間もあるだろう、けれど理由は「帰る」想いにある。
その想いはきっと今、この隣を歩く横顔も同じに見つめ微笑んでいる、その笑顔は透けるよう美しい。

―きれいだから不安になるのかな、帰ってくる人が別れを惜しみそうで、

ふと想うことに「有得ない」非現実だと自分で可笑しい。
けれど山で生きる日々に自分は、もう幾つの「有得ない」を現実に見たのだろう?
こんなふうに想うこと自体1年前の自分は考えつかなかった、そう思い返しながら歩く空はただ、夏雲が明るい。



早めの昼食を終えて英二は、美幸を会社の前まで送り届けた。
社屋ビルを見上げて四駆の助手席、シートベルトを外しながら美幸は楽しげに微笑んだ。

「車で出勤って私、初めてだわ。それもとびっきりの美形にBMで送ってもらうなんて、良い気持ちね、」
「そう言われるの嬉しいですけど、照れますよ?」

笑って応えながら後部座席に手を伸ばし、英二はショルダーバッグを取った。
手渡すまま受け取ってくれる、その黒目がちの瞳が悪戯っ子に笑んだ。

「きっと周は、もっと照れるわよ?あの子ほんとうに恥ずかしがり屋だし、久しぶりに逢うなんてね、たぶん見惚れてぽーっとするわ、」
「言われる俺は今、既に恥ずかしいんですけど、」

本当に首筋が熱くなりかけて困らされ、けれど嬉しくて英二は綺麗に微笑んだ。
そんな英二に美幸は優しい笑顔ほころばせ、助手席の扉を開くと街路樹の下に降りた。

「恥ずかしがる貌もハンサムよ、その貌で逢ったら周も喜ぶわよ?運転くれぐれも気を付けてね、山でも、体にも気を付けて、」

快活な言葉と親心の言葉が嬉しくなる。
こんな真心の言葉をもっと早く聴けたなら、自分の人生は違うものだったろうか?
そんなIfを想いながら英二は、将来の義母へと綺麗に笑いかけた。

「はい、気を付けます。お母さんも、体と戸締りには気を付けてくださいね?またメールとかします、」
「ええ、待ってるわ。引継ぎとか忙しいだろうけど、たまには帰っていらっしゃいね?ワイン、冷やしておくから、」
「はい、必ず帰ります。また飲んで話しましょうね、」

互いに笑いあって、美幸は助手席の扉を閉めてくれた。
そのまま軽やかに踵を返し、端正な姿勢でパンプスにアスファルトを踏んで行く。
ガラス張りの向こうへ華奢なスーツ姿を見送って、英二はハンドブレーキを外して四駆を始動させた。
もうカーナビにセットされた道順を辿り走っていく、そのフロントガラスに街路樹とビルが流れだす。
いつもと違い過ぎる風景、そう思いかけて英二は笑った。

―もう俺にとっては奥多摩が「いつもの」基準なんだ?

ずっと世田谷の高級住宅街が「いつもの」だった。
生まれてから大学を卒業するまでずっと、あの街以外で自分が暮らす事を母は拒んだ。
そんな母の束縛が嫌いだった、けれど両親の不仲を悪化させる原因になりたくなくて我慢した。
それでも鬱憤に反抗したくて夜遊びの快楽に溺れこんだ、いつも相手の女は金ごと来るから不都合も無かった。
それすらも回を重ねるごとに、現実逃避と自己満足の偽物に過ぎないと思い知らされて、虚無感に心は凍てつき傷んだ。
とにかく実家から出たかった、母から離れられるなら何でも良かった、そんな動機で警視庁を受験して警察学校へと逃げこんだ。

だから初任科教養の外泊日は、実家に帰ることが本音は苦痛だった。
本当は葉山の祖母の家に帰りたくて、でも警察学校の規則では実家に帰らざるを得ない。
そういう自分だったから尚更に、夕方まで周太とあの公園のベンチで過ごせることが安らぎで、幸せだった。
ずっと実家にすら居場所を定められなかった自分、その孤独を黒目がちの瞳は何も聴かないでも傍にいてくれる。
あの安らぎが隣にあることは遠い昔からのように想えてしまう、けれどまだ2年も経っていない。

「…たった1年と5ヶ月なんだな、」

ひとりごとに過ぎた年月を数え、不思議になる。
もっと長い時間を自分は、山ヤの警察官に生きたよう想えてしまう。
それくらい今は「山」と「警察官」に馴染んでしまった、そして周太の母とも心から親しんでいる。
今日もごく自然と一緒に墓参りをして食事を摂り、何げない会話に共に笑いあって帰宅の約束をした。
そんな今は24年近く生きた時間のなかで、最も無理なく「自分」でいられる時だと自覚できる。

血は繋がらなくても、実の母親より甘えて話してしまう。
生まれた場所ではない奥多摩は、どこよりも懐かしい故郷になっている。
そして今は誰より逢いたい人に、たった15分間を貰いたくて四駆を走らせている。

―たった15分の為に逢いに行くなんて、そんなこと俺がするなんて嘘みたいだ、

いつから自分はこんなにも、情が深くなったのだろう?
その答えは1年半前の春だと心が笑う、そんな自分に微笑んだときカーステレオの声が変った。

……

I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need.  I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I will be strong I will be faithful 
‘cause I am counting on A new beginning A reason for living A deeper meaning
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever

Then make you want to cry The tears of joy for all the pleasure and the certainty
That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers In lonely hours The tears devour you
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever

……

優しいアルトヴォイスの旋律が、時間を去年の秋に戻す。
あのとき自分は「唯ひとり」周太だけ見つめて、もう1人の存在を自覚していなかった。
けれど今にしたらもう解かる、この一年前には光一を知り、夢の化身だと憧れに見つめていた。

まだ直接には会っていない、けれど資料写真の青いウィンドブレーカーの背中を毎日眺めていた。
あの背中に山ヤの誇りと警察官のプライドを見つめ、男として夢を駈ける自由を想って心は微笑んだ。
そんな憧憬が現実の姿になって隣に立ち、共に夢を登るパートナーになれた。その喜びは代えがたい。
だからこそ光一の全てを望んでしまった、そして抱きしめた時間と感覚の全ては今も愛しい。

―だから少しも後悔はしていないんだ、俺は…だけど周太、ごめん…光一、ごめんな、

心がもう謝りだす、それくらい二人を結局は傷つけた。
自分は光一を抱けて嬉しかった、幸せだった、けれど光一は違う。
きっと光一は抱かれたからこそ、今はもう自身の本音に気づいているだろう。
だから青梅署最後の夜もキスすらしなかった、その理由も気持ちも今なら少し解かる。
そんな光一と10日以上を過ごした周太は今、何を自分へ想い15分間を与えるのだろう?

「…ごめん周太、周太の大切な人を傷つけて、ごめん、」

こぼれていく想いに、そっとアルトヴォイスの旋律は優しい。
この歌詞のように生きたいと昨秋は願っていた、それなのに今の自分は違う。
もう周太に呆れられたかもしれない、本当は嫌われているかもしれない、恋は消えたかもしれない。
それでも優しい無垢の心は拒まないだろう、そんな周太と解かるから今なおさら自信なんて欠片も無い。

……

Oh, can you see it baby? You don't have to close your eyes 
'Cause it's standing right here before you All that you need will surely come

I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever

……

愛しい君には見えているの?
どうか君の瞳を、瞑らないでいて 
ここに、君の目の前に僕は立っているから 
君に必要なもの全てになった僕は、必ず君の元へたどりつく

息をするたびまた君への愛は深まっていく 真実から激しく深く愛している
君と一緒に、山の上に立ちたい…こんなふうにずっと、寄り添い横たわっていたい

……

周太には今、自分が見えているだろうか?
この自分に対してまだ、真直ぐ向きあおうとしてくれる?
自分はまだ今も周太に必要な存在として求められ、周太の隣に帰ることが出来る?

そんな問いを吐息ごと飲下す、それくらい今、この心の欠片を落したくない。
その吐息にすら「逢いたい」想いは鮮やかで、与えられる15分間を永遠に引き延ばしたい。
そして願うことが赦されるのならどうか、共に寄添うことへの許しを求めるチャンスが欲しい。




(to be continued)

【引用歌詞:savage garden「tyuly,madly,deeply」】

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第60話 酷暑 act.4―side story「陽はまた昇る」

2013-02-18 22:44:21 | 陽はまた昇るside story
真相と隠匿、そして真実の在処   



第60話 酷暑 act.4―side story「陽はまた昇る」

午後23時、携帯電話の振動に視線が動く。
広げたラテン語のページを閉じながら電話を取り、画面を開く。
そこに表示された送信人名に微笑んで、開封したメールを読んだ。

From  :光一
subject:無題
本 文 :コッチはフェイクで捕物、電話出れなくてゴメンね。俺はちょっと無理だけどさ、隣人は電話するんじゃない?

「…フェイクで、とりもの?」

文面の言葉を呟いて、意味を考える。
光一がこんな表現をする意図は何だろう、そして文意はどこにある?
この5日間に交わした通話を思い返し、行き当った考えに英二は微笑んだ。

―盗聴か、

五日四夜、電話で周太と光一は二人とも「英二」と呼んでくれなかった。
どうして名前を呼ばないのか?それが不思議で聴きたくて、けれど哀しくて訊けないままでいる。
その理由が「捕物」にあるのなら「名前を呼べなかった」のだと考え及ぶ。
そして今、第七機動隊に何が起きているのか見えてくる。

―周太が監視下に置かれている、だから電話も不自然だったんだ、

だから盗聴を警戒して、自分の名前も呼ばなかった。
そうやって二人は英二を庇い、存在を隠してくれたのだろう。
そして「隠してくれた」意図は恐らく、周太と光一それぞれに理由が違う。

きっと周太は、巻き込みたくないと考えてくれている。
けれど光一は「馨の亡霊」に協力する意志と意図がある。

そんな二人二様の目的に微笑んで、英二は返信を作りはじめた。
短く文章をまとめて読み返し、送信するとまた紺青色の表紙を開く。
そこに綴られるラテン語の文章を頭脳で翻訳し、その意味に溜息がこぼれた。

……

なぜ、警視庁への任官を提案してくれたのか?

その理由が今はっきりと解かる、そして絶望が心を覆いだす。
いつか時が来れば退職しよう、そう決めた自分は浅はかだったと気づいて、もう戻れない。
いつか終わりが来ると思っていた警察官としての時間、けれど終わりは無いと宣告に知らされた。

それでも私は未だ、数冊の本を捨てることが出来ない。
英文学への夢を与えてくれたWordsworth、オックスフォードの日々に買った児童書たち。
あの寂しくとも輝いていた幼い時間たちが今も、絶望の中で光を失わずに自分を見つめている。
その輝きが今はザイルのようにすら思えて解けず、本を捨てることも夢に瞳を閉じる事も出来ない。

けれど現実はもう、この手を赤く染めていくだろう。
生命を断つメビウスリンクに繋がれ、裁かれる事のない罪に私は沈む。
この鎖を絶つことを父は望んでいたのだと、今更ながら小説の意味が思い知らされる。
なぜ父が私の競技生活を拒んだのか、その深い苦悩と愛情の意味が漸く解って、けれどもう遅い。

……

馨24歳の8月に記されたブルーブラックの筆跡は、あわい黄色で滲んでいる。
これは涙の痕跡、そう解かる哀切に心臓を噛まれて今の自分に涙が起きだす。
なぜこの日の馨が一日をつづる文章に涙を落としたのか?その理由が解かる。

―入隊テストを受ける「命令」が出たんだ、きっと、

『絶望が心を覆いだす…いつか終わりが来ると思っていた警察官としての時間、けれど終わりは無いと宣告に知らされた』

馨が何に絶望したのか?終わりは無いと宣告したのは誰なのか?
そして馨が「終わりは無い」と表現した事は、本当は何なのか?

この疑問を追い詰めたなら29年前8月、第七機動隊第1中隊で馨を突き飛ばした現実が見える。
この日、当時すでに創設されていた特殊急襲部隊への入隊テスト受験を「命令」されたのだろう。
本来なら「提案」であるべき入隊テスト受験、けれど馨に対しては「命令」だったと『宣告』の二文字に見える。

Special Armed Police

特科中隊と呼ばれた極秘部隊は当時、第六機動隊に設置されていた。
そこへ所属するには上司の推薦と本人の志願が合致した時のみ、入隊テストを受験出来る。
けれど馨の文面には入隊を望んだ空気は一切なく、むしろ推薦を「断った」痕跡が強い。
それでも数ページ後の日記には異動した記録が、暈した表現に綴られるだろう。

『生命を断つメビウスリンクに繋がれ、裁かれる事のない罪に私は沈む。
この鎖を絶つことを父は望んでいたのだと、今更ながら小説の意味が思い知らされる』

なぜ馨は入隊テスト受験を拒めなかったのか?その理由が単語に表れている。
このとき馨は父親が書遺した小説が記録なのだと気づかされた、それが拒絶できなかった理由。
そのとき「あの男」がどのように話し、馨が何を想い、何を諦めたのか?
その光景が怒りになって今、自分の心を蝕む。

―赦せない、こんなこと、

赦せない、こんな現実が存在することは赦せない。
この現実を紡いだ元凶は何なのか、誰なのか、それはもう解っている。
この元凶には馨の父親も無責任だなど言えない、それでも種を蒔いた存在こそ罰せられるべきだ。
それなのに今この国を支配している法典では「あの男」を裁くことなど、どうあっても出来やしない。

犯された「あの男」の行為は殺人罪にならない、間接正犯にも出来ず、教唆の立証すら難しい。
もしあるとしたら刑法第223条の強要罪、けれど、それすら処罰は3年以下の懲役刑にしかならない。
故意に3人の男を死に追いやった、その他にも多くの人生を狂わせて今もリンクは終わらない。
それなのに裁く罪状も法も存在しない現実が、その全てが悔しくて赦せなくて、怒りになる。

「…全て壊してやればいい、」

そっと独り言こぼれて心深く、冷酷が瞳を披く。

最初は周太を護りたいだけだった、そして真実の断片を自分は知った。
真実を記した馨の日記に出会い、馨が見つめていた心と事実の記録を追うごと怒りが生まれる。
その怒りを裏付けていく「家」に刻まれた痕跡たちは、蜘蛛の巣に堕ちていく家族の哀しみだった。

隠した家族アルバム、血塗れの写真、東屋の血痕、奈落に埋めた拳銃。

どれもが本人の意志に関わりなくて、どれもが巧妙な心理陥穽の罠に堕ちていく。
これらの生証人は自分の祖母だった、馨のエアメールと晉の小包、そして彼女の記憶と真実に裁かれぬ罪は証される。
そうして追う軌跡に顕われていく馨と自分の共通点、隠されていた血縁、深い苦悩と幸福の重なりと融合を見た。
そんな10ヶ月を紺青色の日記をはさんで馨と過ごし、晉の小説から真相を知らされ、今もう自分事にしか想えない。
その全ては物語のよう非現実的な惨酷、けれど託された手帳には銃痕と略号が刻まれ綴られる。
こんな現実が本当に存在した、その怒りが血液を廻って全身を侵し熱い、もう赦せない。

―七機での盗聴を利用するなら、俺には何が出来る?

赦せない心が冷静に計画を廻らせ、手は紺青色の日記を閉じる。
そのまま鍵付の抽斗にしまいこんで、法医学のファイルを披いた。
そのページを繰り鑑識の事例データを眺め、今の思考をまとめていく。

―盗聴器を仕掛けることが出来るのは、七機の人間以外もいる。仕掛けの場所にもよるけど…あ、

めぐる思考に気がつかされ、英二は微笑んだ。
今回の「捕物」をどうやって光一が実行出来たのか?
その真相が今までの言動から見えて、可笑しくて笑ってしまう。

―フェイクを仕掛けたんだろ、光一?

盗聴の罠に罠を掛け、全てを捕えさせた。
そんな光一の手法が電話とメールでくれた情報で、見えてくる。

話した相手は「隣人」と光一は言う、それは周太が光一の隣室だと示す。
会話に「本音、ソレが言えない」と様々な単語と交えて聴いた、これが盗聴の示唆だった。
そうして遠回しに電話で教えたのは隣室、光一の部屋にも盗聴器を仕掛けられる可能性からだろう。

―そういう不自由を光一が許すわけがない、自分から攻撃に出るだろうな、

おそらく光一は、盗聴器の存在を第七機動隊に公表した。
この公表があれば「捕物」盗聴器捜索を七期隊舎の隈なく全てに行える。
そのためには七機の全体問題に拡大させたい、ならば小隊長が盗聴を仕掛けられたとすればいい。
だから光一は「フェイク」を仕掛けて第七機動隊内の注視を自身へ向けさせた、そんな推理が見えてくる。

―光一は自分の部屋にも盗聴器を仕掛けたな、それを他の隊員に見つかるよう仕向ければいい、

第七機動隊山岳救助レンジャー第2小隊長で警視庁山岳会幹部候補。
その立場にある人間が盗聴器を仕掛けられたなら、誰も疑問に思わず納得する。
この納得へ七機全体を誘導するなら、隊員に発見させて捜索を進言させれば合理的だ。
第三者の意志と能力で盗聴の事実を発見させる、それなら盗聴器捜索を行う本当の目的を隠匿できる。
そうして七機全体問題として盗聴の警戒を喚起させれば「あの男」に対抗者の存在を見せず牽制と防衛が出来る。

―木を隠すなら森ってやったんだろ、光一?偶発に見せかけるために、

本当の盗聴ターゲットである「木」から害虫駆除するなら、七機全体「森」全域から捜索すればいい。
あくまで森を護るために捜索をした、その結果として木を護ることになったと「偶発」に見せておく。
そうすれば本当のターゲットに気付かないフリが出来る、そして周太を護る意志と存在を隠しておける。
今はまだ水面下で動く方が自分たちに有利、その判断から光一は「森」の全体に警戒網を張り廻らせた。

―俺の存在を気付かせない為に、光一は自分の立場を利用してくれたんだ、

光一は自身の利用価値を知っている。
だからこそ蒔田は、周太と光一を同時に異動させる選択をした。
その意図を光一はもう活かしてくれた、きっと防衛ラインを2ヶ月間の限り築くだろう。
対して周太の同僚として自分が過ごせる時間は1ヶ月しかない、その期間を最大限に利用する。

―俺しか出来ない方法で揺さぶりたい、効率的にダメージを与えるには?周太の異動後にも影響を生ませるには…内山のこともある、

思案めぐらせながら抽斗を開き、オレンジ色のパッケージを破いて一粒をとりだす。
銀紙からオレンジの飴を口へ放り込むと、ふわり柑橘が香って心がほっと息ついた。

「…周太、今夜は名前呼んでくれるかな…」

ぽつり、ひとりごと零れて法医学のファイルを眺める。
さっきのメールでは盗聴器の撤去は終わったろう、けれど光一は電話を拒んだ。
その意図が本当は不安で、光一に直接会って真意を問いたいことが心あふれてしまう。

どうして光一は今夜、電話をしないのだろう?
英二を避けたいのだろうか、周太への遠慮だろうか?
それとも何か意図と用件が今夜の光一にあるのだろうか?

盗聴器の「捕物」をした今夜は最も安心して電話で話せる機会だろう。
けれど光一は拒んでしまう、その真意が計り難いばかりで不安が哀しい。
そして想ってしまう、周太も電話を架けなかったら、名前を呼ばなかったら?
いま大切な二人に想い馳せながら、それでもファイル内容を頭脳は辿り復習していく。

―銃創、接射創、準接射創、近射創…盲管射創、

法医学ファイルにある単語に、心も反応していく。
いま救命具ケースの中に納められた金属器たち、その姿が脳裡を占めかける。
そんな自身の本音に気付いてしまう、自分にすら隠した欲求が黒い銃身を見る。

Walther P38 ドイツ製の軍用自動式拳銃。 

湯原家の奈落に埋められていた、一丁の拳銃は晉の遺品。
それが「あの男」に編まれた罠を完成させるトリガーになった。
だから晉は炉壇の直下に埋めて隠し腐食を望んだ、けれど英二の手に拳銃は蘇えった。
そんな現実に想ってしまう、この拳銃を自分に与えた運命は何を望むのか?
そう問いかけるたび密やかに欲求は、冷たい熱情あざやかに嘲笑する。

あのトリガーを自分が弾くことは「あの男」に最も惨めな報復となる?

50年前に罠で穢した1人の男、その男の妻に繋がる男が今、あの拳銃を持つ。
そんな運命の歯車を「あの男」は何も知らず、全てが自分の正義に従うと信じている。
それは立派な大義名分があるだろう、けれど罠を作った罪に崩壊させてやりたい。

―地位も名誉も正義も、全てを壊してやればいい、あの男ごと撃ち砕いて、

法が裁けない罪、それなら自分がこの手で裁いてやればいい。
そして悔恨と惨酷に沈めてやればいい、全てに膝まづかせ懺悔させたい。
こんな自分の冷徹に肚が笑った、そのとき不意に振動がデスクを響かせた。

「…あ、」

吐息ごと戻された視界、携帯画面の発信人名が光る。
デスクの上に点滅する着信ランプ、この燈火を喪ったら自分はどうなるだろう?
その想い真実のまま綺麗に英二は笑って、電話を手にとり通話を繋げ呼びかけた。

「周太?」

ほら、君の名前呼んだ声、聴いてくれた?
こんなにも一瞬で心ごと明るませられるのは、君しかいない。
だから君を救けたい、離れず傍にいてほしい、そう願いながら自分は何をした?

―後悔しない、けれど失ったこと解ってる、だから応えて?

アイガー北壁の夜を後悔など出来ない。
それでも壊した君の心に気がついて、その償いをさせてほしい。
それは二度と元の姿には蘇えられない、そう解るから今一度の想いを懸けたい。

だからどうか、お願い、もう一度だけ。






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連載補記:淡雪刻暑、慈雨の花

2013-02-17 17:13:50 | お知らせ他
冬も夏も、哀しみも喜びも、



こんにちは、日曜夕刻の窓は黄昏の金色やさしいです。
写真は先日ちょっと鎌倉に行ったとき咲いていました、蝋梅という花です。
もっと黄金あざやかな花色もありますが、優しい薄黄色が細い枝を彩っていました。
華奢な花は冷たい冬雨にも陽射しを薄く透かせて、あわい雫の光も瑞々しい。
紅梅や白梅よりも控えめで奥ゆかしい、どこか嫋々とした姿に惹かれます。

第60話「刻暑3」ようやく加筆校正が終わりました、七機隊舎の捜索その後と真相の物語です。
これの光一サイドを書こうか、それとも物語を先に進めるか、ちょっと迷う所でもあります。
どっちにしてとかリクエストありますか?
あとバレンタイン特別編の関根サイド読みたい、って方いらっしゃいますか?
または他の登場人物で読みたいとか、何かあるでしょうか?

短篇連載「淡雪の紅、師走4」まで加筆校正が終わっています。
光一の父親・明広と雅樹の関係が描かれているターンです、明広のキャラクターはどんな感じがしますか?
そのうち光一母の奏子についても登場して行きます、作中現時点で唯一の女性クライマーである彼女です。
明広と奏子の物語も描きます、予定は3月上旬です。

光一と雅樹の物語は、どちらサイドも描いていて切なくて、きれいだなって見ます。
白銀まばゆい雪山、青葉の木洩陽、満開の桜、風に光に星、農家の古く磨かれた薄暗がりの夜。
どれも現実の世界を描写しているのですが、透明に光景は儚く感じられて生命の一瞬性を想います。
幼い光一の精一杯に背伸びする無垢な恋慕、二十歳の雅樹が抱く純粋な苦悩と恋愛、強靭に誇り高い意志。
そんな二人が生命を確かめ合えた8年半を、人が生きる温度を含ませながら描けたら良いなあと。

このあと今朝UPの「淡雪の紅5」を今から加筆、随時ライブ更新していきます。

では取り急ぎ、


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第60話 刻暑 act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2013-02-15 22:59:23 | 陽はまた昇るanother,side story
真相、防衛、その先に真実は 



第60話 刻暑 act.3―another,side story「陽はまた昇る」

深夜23時、第七機動隊付属寮はようやく静寂に鎮まった。
それでも盗聴器探索の空気は名残り、どことなく興奮がざわめいている。
そんな気配たちを扉向うに感じるのは「ターゲット」の意識だろうか?

…でも皆、俺じゃないって思ってるんだ

光一がターゲットにされた、そう誰もが考えている。
第七機動隊山岳救助レンジャー第2小隊長、警視庁山岳会長、その2つの席を次期に継ぐ存在。
それが光一の立場と七機の誰もが知っている、だから盗聴される可能性は平隊員の周太ではなく光一と考えて自然だろう。
この「自然」を利用して光一は、鮮やかに盗聴被害者の肩代わりすると警戒網を七機全体に覆った。

「理由は何であれ七機の隊舎に盗聴が仕掛けられたんです、これは治安組織として七機のプライド問題になります、」

こう述べて光一は上申を通し、小隊長として盗聴器の捜査を指揮した。
治安組織として「七機の」プライド問題、盗聴は第七機動隊全体への攻撃。
そう言われたら第七機動隊の誰もが盗聴に対して警戒する、そんな意識助長を光一はし遂せた。

…敵わないね、光一には…素質も適性も、俺とは格が違うんだ、

そっと隣の壁を見つめ、思ってしまう。
こんなふう思い知らされる、やはり自分は警察官の適性が低いのだろう。
確かに階級も役職も光一とは違う、それでも光一が採った手段は周太の立場でも行えた。
そうしたことを自分は思いつきも出来なかった、こんな現実に溜息と微笑んだときノックが響いた。
その鳴らし方に聴き覚えを感じて開錠すると、底抜けに明るい目が微笑んだ。

「おつかれさま、湯原くん。ちょっとお邪魔してイイかな?」
「はい、」

頷いて半身を開き、光一を部屋に通し入れる。
静かに扉閉じて施錠すると、謳うようテノールが笑ってくれた。

「さ、この部屋は隈なく視てもらったからね、とりあえず今夜は安心して喋れるよ。どこに座ってイイ?」

飄々と訊いてくれる底抜けに明るい目が、悪戯っ子に笑んでいる。
その雰囲気に今回の真相が見え隠れして、すこし低めた声で周太は応えた。

「ベッドに座って?…ね、発見された盗聴器の内3つは、よく知ってるんでしょ?」

訊きながら並んでベッドに腰掛け、真直ぐ瞳を覗きこむ。
そんな眼差しに透明な目は愉快に笑って、光一は唇の端を上げた。

「湯原巡査の推理、拝聴させて頂けるってワケ?」
「真面目に聴いて、ちゃんと答えてくれるんなら、」

正直に真相を答えてくれるだろうか?
そう見つめた先で、底抜けに明るい目は「了解」と笑ってくれる。
その声無い返答に小さく息ひとつ吸って、周太は話し始めた。

「盗聴器が見つかったのは、公共スペースでは脱衣場のエアコンと談話室の自販機下だったよね?どちらもUHF式だった、
だけど2つの型式は違ってた…脱衣場で発見されたのはあのデスクライト、談話室の自販機はそこのアダプターと同じ型だった。
これで全部で4つ、2つの型式の盗聴器になるよね?あとは光一の部屋とここのエアコンから、同じFMラジオ式のが発見されてる、」

第七機動隊舎で発見された盗聴器は、総計で4ヶ所6個、2タイプ3型式。
その設置場所と型式の事実を述べて、周太は推測を口にした。

「どれも量販タイプだけど、それは発見された時に量販品の方が追跡され難いからだと思う。それとUHF式は2つの型式だったよね?
これって盗聴器を仕込んだ人が別だってことじゃないのかな?FMラジオ式は同じ型式が2つだけど、それも別人が設置したと思う、」

ここまで言えばもう、自分が何を言いたいのか解るはず。
その考えと見つめた先で雪白の貌は穏やかに微笑んで、綺麗なテノールが笑った。

「言ったよね、俺はずっと君を護るって。その通りにしたダケだよ、」

答える声は飄々と笑って、大らかなまま温かい。
このトーンが優しくて切なくて、周太は幼馴染の肩へ静かに両手を置き、そっと微笑んだ。

「正直に答えて…このために光一、異動して来てくれたの?」

光一は周太をずっと護る。

そう約束してくれた1月の森を憶えている。
だから聴いてしまう、そのために光一が故郷から離れたのなら謝りたい。
だって自分には解ってしまう、山っ子の光一にとって故郷の山から離れることは「覚悟」だろう。
それを確かめたくて、それなら謝りたくて真直ぐ見つめ答えを待つ、その視界で透明な目は綺麗に笑った。

「ソレもあるけどね、俺の目的の為もあるんだ。無理してるナンテ心配はしないでね?」

ほら、また押しつけがましくない、こんな気遣いが温かい。
こういう光一だから幸せになってほしいと願う、その願いに周太は気になっている事を口にした。

「ん、ありがとう…あとね、光一の帰りたい所って、どこなの?」

―…俺にだって帰りたい場所があるんだ、あいつが帰る場所になんざなりたくないね

初日の夜、そう言って光一は笑った。
あのときから気になって、けれど聴ける機会も場所も今まで無かった。
この解答を求めることは許される?そう見つめた先で透明な瞳は、真摯に微笑んだ。

「クリスマスツリーのオーナメントでさ、ガラスで出来た雪の結晶って持ってる?小さいヤツ、」

どうして今、そんな事を訊くのだろう?
訊かれた質問と尋ねた問いへの関連性が解らない、話しが噛みあわない?
こんなこと光一と話していて初めてだ、この不思議に周太は首傾げながらも正直に答えた。

「ん、持ってるけど…」
「そっか、やっぱり持ってるんだね、」

納得した、そんな笑顔で雪白の貌は笑ってくれる。
その笑顔がどこか遠くを見つめるようで、なにか哀しげにも見えてしまう。
こんな容子は初めて見る、その途惑いに言葉を呑んだ隣から光一は立ち上がった。

「英二に電話してやりな?携帯の中は盗聴器入れるスペース無いし、仕掛けたトコで元からある機能でチャラだ。安心して今夜は喋んなね、」

綺麗なテノールが奨めてくれる、その顔が大らかに優しく温かい。
けれど周太の質問には未回答だ、それが気になって周太も立ち上がった。

「ありがとう…あの、帰りたい所のこと、訊いたの嫌だったなら、ごめんね、」
「うん?」

小さく首傾げて雪白の貌が笑って、透明な瞳が見つめてくれる。
そのまま光一は綺麗に微笑んで、穏やかなトーンのテノールが応えた。

「俺が帰りたい所はね、いちばん君が知ってるよ?山桜のドリアード、」

山桜のドリアード、そう「山の秘密」の名前で呼びかけ山っ子が笑う。
この場所でその名前で呼ばれる、その意味を聴きたくて幼馴染を見つめた。

「どうして俺が知ってるの?…俺がよく知っている人っていうこと、なの?」

光一と自分が共通で知っている、誰か。
それも「山の秘密」に関わる人、そんな相手を思いつけない。
それは誰?訊きたくて口を開きかけた頬に雪白の貌が近づき、そのまま唇の輪郭がふれた。

「っ、こういち?」

頬の熱に驚いて名前を呼んで、見上げた向こう底抜けに明るい目が微笑んだ。
愉しげな笑顔ほころんだ雪白の貌は、謳うよう言ってくれた。

「さ、山っ子の御守キスしたからね、安心して今夜は恋人の声聴いて、ゆっくり眠るんだよ?おやすみさん、」

悪戯っ子のような笑顔と話し方、そこに優しさは温かい。
この温もりにもう、さっき抱きかけた羨望も嫉妬も溶かされ消えてしまう。
そのまま素直な温もりに微笑んで、周太は綺麗に笑った。

「ありがとう…光一も良い夢を見て、よく眠ってね?おやすみなさい、」
「うん、イイ夢見るね。また明日、」

からり笑って長身の踵返させ光一は、そっと部屋から出て行った。
静かに閉じた扉に施錠して、ルームライトを消すと携帯電話を手にベッドに上がる。
壁に凭れ座りこんで、着信履歴から発信番号を呼びだしながら心が独り言った。

…光一が帰りたい人は、いちばん俺が知ってる?…それも山の秘密に関わる人、

周太を「山桜のドリアード」として知っている誰か、それが光一の帰りたい相手。
そんな誰かを思いつけなくて、けれど答えを言ってくれた光一の想いに応えて思い出したい。
その記憶を辿るヒントになることは何だろう?そう首傾げて光一の声がリフレインした。

『クリスマスツリーのオーナメントでさ、ガラスで出来た雪の結晶って持ってる?小さいヤツ、』

言われた通りの品が、実家にはある。
リビングのクリスマスツリー用と周太専用のもの、同じ品が2組ずつある。
それを何故、光一が知っているのだろう?不思議に思いながらも携帯のナンバーを発信した。
左手首のクライマーウォッチを見つめながらコール音を数え始めて、けれど鳴らないまま声が周太を呼んだ。

「周太?」

大好きな声が呼んでくれた、その瞬間もう心笑ってしまう。
ただ嬉しくて、そして緊迫感が今は解けたまま周太は綺麗に笑った。

「ん、英二、おつかれさまです…電話、遅くにごめんね?」
「何時でも嬉しいよ、俺も待ってたから、」

本当に嬉しそうなトーンが綺麗な低い声に響く、その想いが愛しい。
本当に待ってくれていた、そんな笑顔が見えるようで薄暗い部屋に瞳を閉じる。
外を遮断した意識に逢いたい人の眼差し見つめて、そっと俤に周太は笑いかけた。

「お待たせしてごめんね、さっきまで寮の中を皆で調べてたんだ…それで遅くなったの、心配かけちゃったかな?」
「うん、心配してたよ、俺?」

素直な返事で笑ってくれる、その笑顔にすこし哀しみが見える。
けれど元気な空気も感じられて、笑って周太は尋ねてみた。

「心配ごめんね?…ね、なにか良いことがあったんでしょう?」
「あ、やっぱり周太には解るんだ?」

解ってくれて嬉しい、そんなトーンに綺麗な声が弾む。
こんな心弾みはこちらも嬉しくなる、なにか良い兆しに微笑んだ向こうから英二は教えてくれた。

「今日な、救助があったんだ。それが切欠でさ、後任の人と話が出来たんだよ。少しは認めてくれたみたいで俺、嬉しかったんだ、」

英二の後任者は、すこし難しそうだと光一にも訊いている。
それでも英二は親しめる兆しを掴みだした、その新しい紐帯が英二の為に嬉しくなる。
こんなふうに英二の周囲が温かく厚くなっていけば孤独も癒される?その期待に周太は微笑んだ。

「良かったね、英二?そういうの嬉しいよね…どんな話が出来たの?」

どんな話をしたのか、聴いてみたくて訊いてみる。
この何げない質問に恋人は笑って、可笑しそうに答えてくれた。

「天才イケメンの完璧男、って俺が噂されてること、教えてくれたよ、」

そんなふうに英二、言われてるの?

そんなこと驚いて、けれど納得してしまう。
たった1年未満の山岳経験で三大北壁の内2つを踏破した、それも光一のビレイヤーを務め記録まで作っている。
そんな英二は確かに天才だろう、その努力も涙も知っているから尚更に納得して、ただ嬉しくて喜んでしまう。
それ以上に「イケメン」は当然だとすら想えて、そんな気持ち気恥ずかしくて紅潮する向う、英二は続けた。

「原さん、俺が噎せたの見て笑って、言ってくれたんだ。完璧な奴より、あがいてる男の方が話しが出来るって。それが俺、すごく嬉しかった、」

確かに英二は天才だ、そう自分も思う。
けれど、それ以上に本当は努力の人だとも知っている、だから英二の喜びが解かる。
こんなふうに英二を認めてくれる人に英二は会えた、それが嬉しくて周太は言祝ぎと微笑んだ。

「そういうの嬉しいね…そういうこと言える人ってカッコいいって思うよ、会えて良かったね、英二、」
「うん、俺もそう思うよ、」

頷く気配で笑ってくれる、そのトーンが昨日より明るい。
ずっと青梅署で一緒だった光一の異動から5日目、その寂しさが癒え始めた?
そんな何げない成長を見つめた向こうから、綺麗な低い声は言ってくれた。

「俺さ、1ヶ月間きちんと頑張ってみたいって思えたよ。原さんと向合って本当に認められたいんだ、山ヤとして男として、警察官として。
それが出来たら俺、すこし自信が持てるかなって思うんだよ?本当に光一の補佐役を務めていくのか、ビレイヤーになれるのか…って、さ、」

逞しい宣言のような言葉たち、その全てが頼もしい。
けれど最後の言葉が詰まるよう、そこに涙の気配を見とめて周太は微笑んだ。

「ん、英二なら出来るよ?…そう俺がいちばん信じてる、だから頑張って?」

あなたを信じている、いちばんに信じて見守っている。
この真心をどうか電話から届けたい、そう願った向こう恋人は微笑んだ。

「俺のこと、今もまだ、いちばん信じてくれるんだ?…いちばんって、」

言葉ひとつずつ、途切れさす話し方が英二らしくない。
その行間に気付いてしまう、きっと今もう泣いている?
その涙そのまま瞑らす自分の瞳に映って、ゆるやかな熱に変りだす。
この涙の幻影も熱も愛おしい、そう微笑んだ向こうから英二の声は泣笑い、訊いた。

「俺のこと今でも、いちばん好きですか?…君を裏切った俺でも、」

君を裏切った俺でも。

その言葉に閉じた瞳は熱くて、もう頬は濡れていく。
こんな言葉を言わせたかったのじゃない、けれど今、言われて「嬉しい」と想ってしまう。
こんなふう想っている自分は身勝手だ、本当に身勝手で自分で赦せなくて、けれど嬉しい気持ちにもう、嘘吐けない。

…こんなの答え、決ってるのにね…そうだよね、お父さん?

静かに瞼の底で微笑んで、記憶の父に問いかける。
優しい俤は綺麗な笑顔で自分を見つめ、その眼差しは大好きな人に重ならす。
大好きな切長い目、あの瞳が見せてくれる綺麗な笑顔が大切で、その為に自分は「あの夜」全てを選んだ。
もうじき1年前になる大切な瞬間、あの夜から変わらず鮮やかな想いのままに、周太は綺麗に笑った。

「そんなこと言うんだったら英二、笑って?」

どうか笑って、ずっと幸せな笑顔を見せて?
この願いのため「あの夜」全てを懸けた、その変わらぬ祈りを今、届けたい。
もう色褪せることない枯れない花、その想い膝ごと抱きしめて周太は、正直に我儘に笑った。

「笑顔いっぱい見せて、俺に恋させてよ?かっこいい英二で夢中にさせて、いちばん大好きにさせて?どれいだったら言うこと、聴いて?」

ほら、言う通りにして?

どうか我儘な言葉たちに安心してほしい、甘えていると信じてほしい。
我儘で甘えてしまうほど必要、そう想っていると信じて安心して、どうか泣かないで?
そして我儘に振り回されて努力して、さっきの「頑張る」に笑って英二らしく生きてほしい。
そう願いに祈る向こうから、綺麗な低い声が笑ってくれた。

「ずっと言うこと聴くよ、だから絶対に俺の奥さんになってよ?もう一度だけ俺のこと…恋してよ、周太、」

笑ってくれる声の深くに泣いている、その涙の気配が温かい。
その温もりが自分の心に愛しい諦めを刻む、もう何が起きても共に泣かせるしかないの?
それが哀しくて自分の大切なもの全てを託した、それなのに英二は「自分」を求めてくれるの?

…俺なんて本当は英二の邪魔になるだけなのに、どうしたらいいの?

もう諦めるしかない?そんな諦観が愛しく哀しい、そして思い知らされる。
あの夜に選んでしまった全ては自分の喜怒哀楽だけじゃない、唯ひとりの全ても預ってしまった?
そう気づかされて解らなくなる、それでも今この時を笑わせたくて周太は、涙ひとつで綺麗に笑った。

「ちゃんと家に帰って、お母さんと家とお墓を守ってくれるんなら考えてあげる、」
「来週、日帰りでも帰るよ、」

笑って応えてくれる、そのトーンがさっきより明るい。
ほら、やっぱり英二は「家」を好いてくれている?それが嬉しく微笑んだ先から英二はねだってくれた。

「周太、来週の土曜は大学行くから休みだろ?そのとき少しでも時間くれないかな、15分でもいい、周太との時間がほしいんだ、」

綺麗な低い声が、約束をねだってくれる。
この約束に頷きたい、そんな想いに瞳を披いて左手首の時計を見つめてしまう。
いま自分の腕に時を刻むクライマーウォッチ、この時計に籠めた祈りと約束は今もあなたの心に響く?

…ほんとうに英二、今も時間を願ってくれるの?俺との時間がほしいって、

少しでも離れることが英二を護るはず、そう信じて離れたのに泣かせている。
こんな自分の覚悟は間違いだった?それとも離れる距離がもっと遠くになるべき?
そう考え廻らせながらも恋人の言葉にもう、本音は解かれて素直な言葉が声になった。

「ん、スケジュール考えてみるね?…ありがとう、英二、」

応えてしまった、その声を自分で聴いている。
その視界にはクライマーウォッチのデジタル表示に時は刻まれ、唯ひとつの想いが祈りだす。

…その15分間ずっと、英二の幸せな笑顔を見せて?

あなたの幸せな笑顔を見せてほしい、この唯ひとつの祈りに時を刻みながら、あなたの幸せを護りたい。









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第60話 刻暑 act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2013-02-13 23:51:09 | 陽はまた昇るanother,side story
水面下、積雲の涯には 



第60話 刻暑 act.2―another,side story「陽はまた昇る」

談話室で広げたテキストから、ブナの純林が広がる。
翡翠色の静謐たたずむ若い林は写真も透し、木々の息吹あざやかに瑞々しい。
清澄な樹木の世界を眺めながら、テキストの資料を読んでいく高田の声が弾んだ。

「すごい綺麗なブナ林ですね。丹沢は学生のとき少し登ったけど、こんな所があるんだ?」
「高田さんも行ったんだね?俺もガキの頃に登ったケドさ、堂平のブナ林はイイよ、」

光一も楽しそうに活字を追い、写真と見合わせ笑ってくれる。
その向かいで日焼ほころばす顔は本当に嬉しそうで、周太も嬉しくなって笑いかけた。

「その写真はブナの純林で、まだ小さな芽も多い所です。なので普通は入れないんですけど、先生の調査のお手伝いで入れました、」
「それ、林床っていうんですよね?実生の芽が見られるって、やっぱり良いな。先生は樹医なんですか?」

質問してくれる高田の言葉は、やっぱり基礎的な知識がある。
きっと専門書も幾らか読んでいる?そんな推察をしながら周太は頷いた。

「はい、研究室の先生が樹医なんです。それで聴講生と学部のゼミ生を引率してくれました、」
「東大のゼミ生も合同なんだ?あそこの森林学は良いですよね、ハイレベルの講義なんだろうな、」

感心しながらページを繰ってくれる、その眼差しが憧憬に明るい。
こんなに植物に興味があるなんて高田は農学部出身だろうか?そう思うまま尋ねてみた。

「高田さんは農学部のご出身ですか?」
「いや、理工だよ?」

気さくな答えに共通点を見つけて嬉しくなる。
もしかして関根や自分と同じかもしれない、そんな期待に周太は訊いてみた。

「俺も工学部なんです、機械工学科なんですけど、」
「マジ?俺も機械工学だよ、湯原くんこそ農学部じゃ無いんだ?」

資料から上げた目が楽しげに笑って、親しみを見せてくれる。
その笑顔に楽しくなって周太は口を開いた。

「はい、警察官になったとき役立ちそうな学科が良いって思って、機械工学にしたんです、」
「そっか、俺は就職に良いかなってだけで具体的なビジョンは無かったよ。でも、これだけのノート取るくらい好きなら、勿体ないね、」

率直に笑ってくれる高田の言葉に、心を鼓動がやわらかにノックする。
嬉しい鼓動に微笑んで同時に、こみあげていく疑問が意識の底へ脈打ちだす。
本当に自分はどうして、こんなに好きなのに農学部へ行かなかったのだろう?

…いくら記憶喪失で樹医のことまで忘れたからって、どうして植物学が好きって気持ちまで、忘れていられたの?

14年前の春、父が亡くなった後に屋根裏部屋を閉じたのは自分だ。
そこに植物学の本も採集帳も全て仕舞いこんだのも、確かに自分だ。
それでも記憶ごと「好きだ」という気持ちまで忘れていたなんて?

『なぜ?』

そう疑問が心を敲き、鼓動ひとつ息づく。
疑問から靄が湧くよう記憶を隠してしまう、そして自分で解からない。
ただ日々の忙しさに忘れていただけ、そう思うけれど納得がいかない。

…だって庭の花や木はずっと好きだった、だからいつも手入れして…それなのに「植物学」は忘れていたなんて、変だ?

どうしてだろう、こんなの自分でも異常だと思う。
そう疑問に改めて考え込みかけた隣、テノールの声が口を開いた。

「機械工学科ならね、高田さんってラジオのことって詳しい?」
「ある程度は解かりますけど、ラジオ壊れたとかですか?」

光一の問いに高田は気さくに尋ね返してくれる。
その言葉に頷いて、光一は部下へと相談をした。

「まあね?ナンカここ来てからさ、ラジオの音に変な雑音が入っちゃうんだよね。人の声みたいなヤツ、」

光一の言葉に、日焼顔が怪訝に眉を顰めていく。
すこし考え込んで一拍の後、広げた資料の上から身を寄せて高田は低い声で言った。

「国村さん、今すぐ部屋に伺っても良いですか?」
「ラジオ診てくれるんだね、でもコレを見終った後でイイよ?」

からり笑って光一は資料のページを指さしてくれる。
けれど高田は難しい顔のまま、低めた声のまま資料を閉じた。

「いいえ、そちらを先にしましょう。隣の部屋は湯原くんですよね、悪いけど君の部屋にも入らせてくれる?」
「え?…はい、」

どういうことだろう?

光一のラジオを修理するのに、なぜ自分の部屋に高田が入るのだろう?
もしかしてラジオの電波を阻害する原因が、隣になる自分の部屋にあるのだろうか?
そうしたことは電波は専門外の周太には計りかねて、高田の意図が今一つ解らない。
首傾げならもテキストたちを纏める向かい、高田の顔が幾分か緊張している。
三人で席を立ち歩きだすと、低い声のまま高田は光一に尋ねた。

「国村さん、そのラジオって手動ダイヤル式のFM用ですよね?」
「だよ、昔っから使ってるんだけどさ、コンナの今まで無かったんだよね、」
「そうでしょうね…あ、ちょっと俺の部屋に寄らせてください、」
「うん。悪いね、世話かけちゃってさ、」

のんびり答えるテノールの横で、日焼顔は思案気に考え込んでいる。
なにか深刻な空気のまま歩いて高田は自室に入り、すぐまた扉を開き出てきた。
その手にはラジオとレシーバーを1機ずつ、白手袋にデジタルカメラと工具セットを携えている。
それら一式を底抜けに明るい目は可笑しそうに見、テノールの声が低く笑った。

「…もしかしてさ、俺の部屋って『アレ』されてるってコト?」

光一の問いかけに、高田の一重目が頷いた。
ふたり何かを解かりあう、そんな呼吸に周太は気がついた。

「あ、」

思わずこぼれた声に二人がこちらを見、揃って小さく首を振った。
いま「気がついたこと」には沈黙で、そう目だけで周太に告げて光一は部下に微笑んだ。

「部屋に入ったらさ、俺はラジオつけてナンカ歌ってみりゃイイかね?」
「あ、良い考えですね、それなら気付かれないでチェック出来ると思います、」

二人の会話でこれから何が始まるか、もう自分には解かる。
同じ機械工学科でも違うジャンルを学んでいた、それでも知識は一通りある。
これは電波というより別の問題だ、その思案に歩く横から低い声で高田は笑いかけてくれた。

「湯原くんは部屋に入ったら、黙っていてくれるかな?勘付かれたくないから、」
「はい、」

頷きながら光一の意図に気付かされる。
なぜ高田と周太を引きあわせたのか、光一も同席して会話に加わったのか?

『屋上だなんて周太、盗み聞きを警戒してるね?』

初日の夜、ふたり屋上で話したとき光一はそう言って微笑んだ。
あのときから考えてくれていた、そんな意図が談話室の会話になったのだろう。
その怜悧な頭脳に賞賛と少しの羨望を想ってしまう、それ以上に感謝が心に温かい。
これらを光一はどう立ち回るのだろう?そう考えながら歩いて三人、周太の部屋で立ち止まった。
その扉に鍵を挿した周太へと、高田は申し訳なさそうに笑いかけてくれた。

「湯原くん、悪いけど部屋にラジオを置かせて貰えるかな?」
「はい、」

そう言われる予想はもう出来ている、微笑んで周太は開錠してルームライトを点けた。
明るんだ部屋のデスク、高田は持って来たラジオをAMに合せてスイッチを入れ、チューニングする。
DJの明るい会話が流れだしたのを確認して、ライトは点けたまま部屋を出ると施錠し、光一の部屋に入った。
すぐライトを点けて光一はベッドサイドに指を伸ばし、手動ダイアル式ラジオにスイッチを入れる。
そして悪戯っ子に透明な目を笑ませ、テノールの声は歌いだした。

……

I'll be your dream I'll be your wish
I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need.
I love you more with every breath
Truly, madly, deeply, do..

I will be strong
I will be faithful
Because I am counting on a new beginning
A reason for living
A deeper meaning yeah

……

優しいトーンの旋律をテノールが紡ぎだす。
その透けるような声の歌詞に、そっと心が掴まれ周太は微笑んだ。

…英二が好きな曲だ、これ…光一も聴いたのかな、英二の車で、

遠征訓練のとき成田空港と往復する車中、聴いたのかもしれない。
この歌は自分にとって想い深く懐かしい、もう初めて聴いた英二の寮室が心に浮ぶ。
その前から着信音として自分は知っていた、歌詞を聴いてからは尚更に好きになっている。
この歌詞は光一によく似合うな?そう思いながらも澄ませた聴覚へ、ラジオの音に2つの声も聞えだした。

「…うん、」

頷いて高田はラジオを手にとると、部屋のあちこちを移動し始めた。
スピーカーから聞こえてくる歌声は移動するごと、小さく大きく変化していく。
そして壁際に設置されたエアコンに近づけた時、甲高いハウリング音が響いた。

「ここだ、」

高田の声に、歌いながら光一はシートを出してエアコンの下に広げてくれる。
その上に周太は椅子を運び支えると、手袋を嵌めて高田は上に乗りエアコンの蓋を外していく。
そして内部を撮影したデジタルカメラを周太に手渡すと、今度はドライバーを機械の中に挿しこんだ。
ややあって小さな金属音が鳴り、エアコンの蓋を閉じて椅子を降りると高田は困ったよう微笑んだ。

「FMラジオ式盗聴器です、でもラジオからまだ雑音、聞えていますよね?」

手袋を嵌めた掌のなか、小さな黒っぽい金属製の箱が1つある。
もう機能を止められ鎮まっている欠片、けれどラジオに混じるノイズに光一も低く笑った。

「ゴキブリは1匹いたら何匹もいるってヤツだ、ねえ?」

他にも盗聴器はどこかにある、そう示すノイズの音源は何処にあるのか?
その現況への理解に微笑んだ周太の前で、高田は提案してくれた。

「念のため、この部屋でもUHFとVHFのもチェックした方がいいですね?そっちの方が一般的ですし、」

話しながら盗聴器を袋に納めて、高田はレシーバーのスイッチを入れた。
スキャン機能を作動させていく、そして掴んだ周波にFMラジオの雑音と同じノイズだけが鳴りだした。
その音を聴き分けながら光一も登山ザックを開き、高田と同型のレシーバーを出すとダイアル式ラジオも携え微笑んだ。

「さて、お次も行ってみよっかね?」
「はい、」

頷いて高田も工具を纏めていく、その傍ら周太も椅子を戻してシートを畳んだ。
片づけ終えてもライトを点けたまま部屋を出て、きちんと施錠して隣室へと入る。
そして予想の通り、AMラジオのDJが話す声が光一のラジオで明確になった。

…やっぱり盗聴されてたんだ、

ラジオの反応に心裡ため息こぼれてしまう、それに呼吸ひとつで周太は微笑んだ。
もう光一は周太の状況を知っている、けれど無関係の高田には何も気取らせたくない。
そう思いながらエアコンの下にシートを広げて椅子を置く、その隣に光一も立つとラジオから甲高い音が響いた。

「…同じとは芸が無いねえ、」

低い声で笑った横から高田が椅子に乗り、また同じ手順で盗聴機を外してくれる。
それに声無く笑って光一は黒いレシーバーにスイッチを入れ、セッティングすると2つのラジオと同じ声が聞えだした。
それを確かめると底抜けに明るい目は微笑んで、すぐに操作して設定を変えていく。
そして短発的な電子音に切り替わると部屋をゆっくり歩き始めた。

ピッ…ピッ…ピッ…

単調な音を響かせながらデスクへと近寄っていく、その音が大きくなる。
そこで立ち止まると光一はアンテナを外し、デスク周りにレシーバーをかざしていく。
その様子を見ながらシートを畳んで片づける周太に、困り顔の高田が低く尋ねてくれた。

「…湯原くん、気を悪くしないでほしいんだけど、何か盗聴されるような心当たりってあるかな?」

この質問は当然されるだろう、しない訳が無い。
そう納得しながら周太は、すこし微笑んで首を振った。

「いいえ、」
「そうだよなあ?…どっちかっていうと小隊長のが、だろうし、」

静かな声で笑って、高田もレシーバーのスイッチを入れて部屋を歩きだした。
単調な電子音を鳴らしながら部屋の暗部をチェックしてくれる、けれど電子音の変化はデスク周辺からだけ鳴る。
その肩を光一が叩いてデスクライトとアダプターに目くばせすると、それに頷いて高田は手袋の手にドライバーを持った。

カチッ…カチ、カチ、

ちいさな金属音がなりネジが外されていく。
すぐ分解されたデスクライトの内部をデジタルカメラで撮影し、終えてドライバーを中へ挿しこんだ。
さっきとは違う小型の金属器を取出して袋に納め、アダプターからも同じよう摘出していく。
それも機能を停止させると、ようやくトランシーバーの電子音が消えて高田は息吐いた。

「これで全部だと思います、でも見事にどれも国村さんサイドの壁際ですね?」
「ま、エアコンもデスクも隣合せで対称の配置だしさ、電気の配線から言ってソウなるんじゃない?」

飄々と答える光一の言葉は何げないようで、高田の注視を周太から外している。
そんな態度に見上げた周太へと、底抜けに明るい目は「黙秘」と微笑んでテノールの声は笑った。

「で、高田さん?ターゲットは俺だけど、お隣さんトコに壁越しで仕込んだってカンジ?」
「普通に考えたらそうでしょうね?国村さんの立場だと、色々あっても仕方ないですし。隣の方が発見され難いから、こっちを選んだのかと、」

率直な高田の言葉は、光一に対しての盗聴だと考えている。
そう思わせることに光一は意図がある、だから敢えて高田をこの捜索に巻きこんだ。

…盗聴器の捜索を公にするつもりなんだね、光一は…そうやって俺を庇おうとしてる、

今回の事実が公になれば、第七機動隊の全体が警戒する。
そうすれば「彼」らは七機隊舎内での盗聴は難しくなり結果「監視」も牽制されていく。
警戒と牽制、それが光一の狙いならば、事件性が大きくなるよう流れを操作した方が都合が良い。
その意図通りに光一の部下は、ため息ひとつ吐くと困り顔のまま率直に進言した。

「国村さん、小隊長に盗聴が仕掛けられる事は山岳レンジャーは勿論、七機全体の問題です。隊舎全体も捜索した方が良いと思います、」

この提案を光一は待っていた、その為に高田を巻き込んだ。
そう確信しながら見た周太に怜悧な瞳は微笑んで、テノールの声は言った。

「解かりました、すぐ第2小隊はVR-150を持って談話室に集合で。寮内は今夜中にヤっちゃいましょう、安心して眠れるようにね、」

告げた秀麗な顔は冷静に微笑んで、けれど瞳に悪戯っ子が笑ったのを周太は見た。



山岳救助レンジャーは第1小隊も協力し、第七機動隊の寮内は2時間ほど捜索された。
その結果、脱衣場と談話室から各一個ずつ、UHF式の盗聴器をエアコン内部と自販機下から発見。
脱衣場のエアコンから発見されたものはデスクライト、自販機下はアダプターから外されたものと同型だった。

第七機動隊舎で発見された盗聴器は、総計で4ヶ所6個。
FMラジオ式盗聴器の同型2つ、UHF式は2タイプが各2個ずつ。
エアコン内部から3つ、照明器具から1つ、アダプターと自販機から各1つ。
発見場所は共同エリア2ヶ所、個室2部屋のうち1室に3ヶ所から見つかった。







【引用歌詞:savage garden「tyuly,madly,deeply」】


(to be continued)

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第60話 刻暑 act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2013-02-12 23:40:50 | 陽はまた昇るanother,side story
厳しくても、その先へ



第60話 刻暑 act.1―another,side story「陽はまた昇る」

夕食が、いつもより喉を通り難い。
今日で5日目になる新隊員訓練は噂の通り、体力を連日消耗させていく。
その疲れが咀嚼の動きを鈍らせる、それでも食べなくては体が保たない。

…頑張って食べるのも、夢のためなんだ…そうだよね、お父さん?

心に言い聞かせながら、鶏の照焼を箸先で切る。
いまこの場所で斃れてしまったら「父の軌跡」を辿るなど出来やしない。
その向こうにある自分の夢を、手塚との約束を叶えるためには今、この場所で生き抜いていく。

『東京大学大学院 農学生命科学研究科 修士課程学生募集要項』

あの書類を昨夜も寝る前に眺めて、自分の将来に微笑めた。
あの入学試験を自分も受けに行く、そして手塚や美代と同じ植物学の世界に立ちたい。
そうして夢を叶えることが父も喜んでくれる、それは自分にとって心の杖になっていく。
そう解っているのに今既に、鶏肉の匂いすら食べ難いほど体が疲労を訴える。

…疲れすぎてるね、暑かったし…そうだ、お酢かけてみよう、

酢は疲労回復に効果が高い、そう思い出して食卓酢に周太は手を伸ばした。
鶏の照焼に酢を掛けまわし、ひとくち箸で口に運んで噛んでみる。

「ん、…おいし、」

酢が肉の臭みを消して甘みをひきだし、美味しい。
これなら何とか食べられる、そう感じるほど風呂を済ませた後なのに怠さが酷い。
やはり炎天下でのレンジャー訓練は正直辛かった、けれど銃器対策に配属された後の異動後は、もっと厳しい。

…あの場所に行ったら何倍も厳しい訓練になるんだ、今ここでバテるなんて、絶対に出来ない、

今の訓練も当然厳しい、今日も太陽に熱された壁の登攀は苦しかった。
これだって熱射病など当然危険だ、けれど銃火を潜りぬけるような「死線」ではない。
それが日常になる日まで2ヶ月を切ったな?そんな自覚が逆に肚を据わらせて、疲労の嘔吐感が薄らいだ。

…あ、俺も意外と、図太くなったね?お父さん、

心で父に笑いかけて、なんだか心が和み微笑める。
こうした精神耐久も訓練の内だろう、それを父も今の自分と同じ年頃に通り、生きていた。

…お父さんはこの時、何を想ってたの?…本当は何をしたかったの?

そっと心裡に問いかけて、今の自分と父を重ねて考える。
こんなふうに父をトレースしたくて自分はここまで来た、そして見つめる事は哀悩が強い。
それでも父の本心を願いを、祈りを全て知りたくて、訊けなかった父の聲を聴くために今を選んだ。
その全てが自分にとっては父への贖罪と愛情、けれど父はこうした想いとは別の目的でここに居た?

…お父さんがどうして警察官に、それも狙撃手になったのか…俺は納得できないよ、お父さん?

今日まで解かった事実は、祖父がフランス文学者だったこと。
祖父は東京大学の教授で祖母は教え子だったこと、英二の祖母である顕子と知己なこと。
顕子は幼い日の父を自宅に招いたこともある、そして顕子と父は目許がそっくりに似ていた。
だからもう解かる、おそらく英二の祖母と父には何らかの血縁関係がある、それを英二は知って隠している。

…だから英二とお父さん、どこか似てるんでしょう?きっと英二のお父さんも若い頃、お父さんと似てたね?…でも、なぜ隠すの?

英二は知りながら周太に隠している、その理由も今は解らない。
なにか隠すべき理由があるとしか解らない、まだ父の真相は何も見えない、何も自分は知らない。
それでも感じることは「父は警察官らしくない」という姿ばかりで、父が警察官になった理由が見えない。
それでも確実に解かっていることは今、自分は警察組織にあって「監視」されている異様な現実だけ。
それは新宿署長の態度と顛末から解かる、それから2度の射撃大会で感じた40代の男の視線と空気。
そして、異動直前に続けて現われた「彼」の存在が、自分が今いる現実が異常だと気付かせる。

…普通、卒業配置から所轄の特練になって大会に出るなんて無い…それが認められて、しかも初総が終わってすぐ異動だなんて、

こうした配属のされ方は普通は無い、それは先輩たちの会話から解かる。
それなのに、周太への異例な措置を誰もが不思議がりながら納得してしまう、この「納得」も異様だと感じる。
確かに実力社会の警察組織なら能力を示せば認められるだろう、それにしても縦社会の規律遵守が強いはずなのに?
そう考えていくと自分への様々な「異例措置」を感じて、周囲の納得も何かの力が働いた結果だと気付いてしまう。
この仮定めぐらす思考の涯に現れるのは「彼」の存在、そして父との繋がりを頭脳は探ろうと推察が動き出す。

…人事ファイルを見れば顔で探せるかもしれない、あの人のこと…でも俺だけの力じゃ今は見られない、

まだ自分には何の権限も無い、ただの任官2年目の平隊員に過ぎない。
それでもファイル閲覧権限者の援けがあれば出来る、その権限者は身近に3人いる。
きっと言えば喜んで援けてくれるだろう、そう解かるから尚更に援けを求めたくない。

…巻き込みたくない、安本さんも後藤さんも…誰より光一だけは絶対に、嫌だ、

後藤と安本は当然のこと、光一にもファイル閲覧権限がある。
9月に光一は正式に小隊長に就任する、それに伴い指揮官の権限を持つ。
けれど実質的に引継期間である今既に、光一には様々な権限付与がされている。
だから新隊員訓練が終わった後に光一は第2小隊の夜間訓練に立会い、指揮官の立場に従っている。

光一は同齢でも年次、階級、立場の全てが上、警視庁山岳会での発言力も強い。
そして能力が頭脳も体力も共に高いと知っている、狙撃能力すら自分より遥かに上だ。
なにより光一流のヒューマンスキルは独特の魅力で相手を引寄せ、親愛と敬意に信頼を築ける
そんな光一に不可能は少ないだろう、だから協力者になれば頼もしいと解っている、けれど嫌だ。

…光一は自由なまま山に生きてほしい、ずっと…これ以上はもう、俺のために何も背負わせたくない、

もう1月に自分は、光一を共犯者にしてしまった。
青梅署の弾道調査で自分は威嚇発砲の罪を犯した、それを光一は階級と立場を利用して肩代わりしてしまった。
そんな光一だから今も巻き込みたくなくて「監視」を光一から逸らしたい、だから幼馴染の関係も隠させている。
このまま個人的関係の真実は隠匿したい、そのためにも自分がここで弱音を見せる訳にはいかない。

…きっと俺が倒れたら光一、面倒見ようってしてくれる。そうなったら親しいことが解ってしまうから…ちゃんと食べないと、

いま食事を摂る、それが光一の安全も自分の夢も守ることに繋がっていく。
その全てが「父の軌跡」を辿らせてくれる、そう意志に微笑んだ心にまた勇気ひとつ明るんだ。
こんなふう勇気が大きくなったら少しだけ、また自信に繋がって「いつか」唯ひとつの想いに胸を張れる。
そんな想いが心を支えて、酢の風味にも援けられながら箸を動かしている隣から、朗らかに声掛けられた。

「おつかれさま、湯原くん。今日こそ晩飯一緒してイイ?」

テノールの声に顔を上げると、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
異動して4晩ずっと夕食は一緒の時間にならなかった、だから今日が初めて同席になる。
この今も「監視」は気になるけれど幼馴染の笑顔に寛ぎたくて、それでも他人行儀を作り周太は笑いかけた。

「どうぞ、国村さん。今日もおつかれさまでした、」
「ホント今日はおつかれだよね、暑いしさ?あ、コッチだよ、」

同じよう他人行儀で応えてくれながらも瞳は笑んで、光一は向うに手を挙げた。
そちらから湯上りらしい男達が4人笑って、こちらに来るとトレイを置き食卓へ着いていく。
誰もが引締まった体躯に肩が厚く半袖の腕は逞しい、そんな面々に笑って光一は口を開いた。

「湯原くん、紹介するね?山岳救助レンジャー第2小隊の仲間だよ、齋藤は俺と同期なんだ、大卒と高卒で教場は違うけどね、」
「初めまして、湯原くん。今、二年目なんだってね、」

斜向かいから気さくに笑った貌は、年長らしい落ち着きがある。
光一の同期で大卒なら自分の4歳上だろう、その年齢と年次差に周太は少し姿勢を正した。

「はい、そうです。よろしくお願いします、」
「こっちこそよろしくな。本田、おまえとも湯原くん、齢が近いってことだな?」
「はい、」

呼ばれて光一の向こうから、短めの髪がこちらを見てくれる。
その貌はまだ大学生のよう若くて、けれど落着いた山ヤらしい明るさが笑ってくれた。

「俺のほうが1歳下です、でも年次は3年上ですけど、」

3年次上の1歳下なら、本田は高卒任官なのだろう。
たとえ年下でも年次が先輩なら警察組織では目上だ、そう認識した隣で光一が愉しげに笑った。

「本田さん?先輩風ふかすんならね、チャンと面倒も見てやって下さいよ?湯原くんはね、俺の可愛い同時配属の仲間なんですからね、」
「はい、もちろんです、」

朗らかに笑って日焼顔は頷いてくれる。
明朗、そんな言葉の似合う笑顔ほころばせて、本田は言ってくれた。

「湯原さん、俺の同期が銃器対策にいるんです。明日の朝飯にでも紹介します、」
「ありがとうございます、」

提案に心から感謝して、周太は微笑んだ。
元来が内気の自分は初対面だと話しにくい、けれど既知の人から紹介があれば少し気楽になれる。
そういう周太を解かっているから光一は今、自分の部下と食事を同席させてくれたのだろう。

―こういう気遣いとか優しいね、光一は…押しつけがましさが無くて、いつも自然体で、

天性の大らかな明るさと優しさ、それが光一のリーダー的素質を輝かせる。
まだ今日は5日目、けれど今一緒に座っている4人はもう敬意と親しみを光一に示す。
初日の夜は「アウェー」だと光一は笑っていた、それが覆ったと解かる明朗にテノールの声は続けた。

「で、齋藤の隣が浦部さん。北アルプスのプロだよ、特に穂高はね、」
「地元なだけです、プロって国村さんに言われると困りますよ?」

困ったよう言いながら浦部は箸を止め、周太の向かいから微笑んだ。
日焼の痕が薄赤い笑顔は白皙に端正で、謙虚に穏やかな思慮深さがにじむ。
その雰囲気がどこか懐かしい?そう見つめた隣から可笑しそうに光一が答えた。

「地元ダケじゃないでしょ、浦部さん?日大山岳部って言ったら北アルプスがメインですよね、」
「そこまで言われるとプレッシャーですよ、俺。よろしく、湯原くん、」

笑って光一に応えながら浦部はこちらを見、爽やかに会釈してくれる。
その空気感にふっと俤を想いながら、周太は素直に笑いかけた。

「よろしくお願いします。穂高だと、松本か高山のご出身ですか?」

穂高連峰は長野県松本市と岐阜県高山市の間に連なっている。
その穂高が地元なら出身はどちらかだろう、そう見当つけた質問に浦部は頷いてくれた。

「あたり、松本の出身だよ。湯原くんって山のこと詳しいんだ?」

意外そうに浦部は涼しい目ひとつ瞬かせ、楽しげに笑ってくれる。
その雰囲気が逢いたい人と似ているようで、そっと思慕を見つめて周太は微笑んだ。

「家族が山好きなんです、それで少しだけ、」
「そうなんだ、じゃあ穂高も来たことある?」

嬉しそうに尋ねてくれる笑顔が、顔立ちは全く違うのに寛げる。
同じ山好きだから同じ雰囲気もあるのだろうな?そんな同じに周太は笑いかけた。

「はい、涸沢ヒュッテまでですけど、小さい頃に連れて行って貰いました、」
「じゃあ梓川のコースを歩いたんだね。花もたくさん咲いてるし、良いハイキングだったろ?」
「はい、本当に楽しかったです。どの花もすごく綺麗でした、川の水も碧くて、綺麗な樹がたくさんで、」

訊かれるまま幼い日の光景がよみがえって、嬉しくなる。
この場所で父との山を想い出せる、そんな意外が心を温め寛がす。
あの夏に父と歩いた上高地は幸せだった、その記憶に微笑んだ周太に浦部は笑いかけてくれた。

「あの樹林帯ね、人によったら単調でつまんないっても言うけど。湯原くんは木とか見るの好きなんだ?」
「はい、好きです、」

素直に応えてまた心が寛いでいく、それくらい自分は植物の話が好きだ。
寛ぐまま嬉しく笑った周太に、光一は愉しそうに笑って紹介してくれた。

「湯原くんはね、山の植物に詳しいんですよ?それで今、東大で森林学の聴講生してるそうです、」
「へえ、東大でってすごいな?大学行ってるヤツ、機動隊は多いけど、」

素直な賞賛が席から起きて、急に気恥ずかしくさせられる。
もう首筋が熱くなってしまう、こんなことで赤面してしまう子供っぽさが恥ずかしい。
なんて今は答えたら良いだろう?そう困りはじめた隣、テノールは朗らかに言った。

「高田さんも山の植物とか詳しいですよね、大学の山岳部でそういうのヤってたんでしょ?」
「はい、今もやってます。湯原くん、東大の森林学って楽しいんだろ?」

対角線の向こうから、興味深そうに高田が訊いてくれる。
その笑顔は「知りたい」が明るくて、美代や手塚と同じものを感じて周太は綺麗に笑った。

「はい、フィールドワークが特に楽しいです、」
「いいなあ、あの講座って中々入れないんだよね。こんど詳しく聴かせてくれますか?」

笑ってくれる高田の目は「いいなあ」と心底から訴えてくる。
どうも高田も本当の植物好きらしい、ここでも同好と会えた幸せに周太は頷いた。

「はい、ぜひ声かけて下さい。テキストとか、ご覧になりますか?」
「やった、ありがとう。このあと良かったら、談話室で1時間くらいどうかな?」

もう早速、誘ってくれるんだ?
こういう積極性は手塚や美代と似ている、それも嬉しくて微笑んだ隣から光一が言ってくれた。

「そういうコトなら俺も一緒したいね、いいかな?」

テノールの声の提案に、また心が寛げる。
正直なところ初対面の後すぐに2人きりで話すのは、自分にとって気疲れてしまう。
けれど光一が同席してくれるなら気楽で嬉しい、そう思った向うから高田が愉快に笑った。

「わ、国村さん同席ですか?俺、緊張しそう、」
「アレ?俺が居ちゃったら緊張なんて、ナンカ不都合があるワケ?」

底抜けに明るい目が悪戯っ子に笑ってくれる、その貌に座が笑いだす。
朗らかな空気は楽しくて、さっきまでの疲労感も「彼」への緊迫感もほどかれ楽になる。
もし今が独りだったら心身は緊張のままで、こんなに食事を楽しく摂ることは出来なかった。

…ありがとう、光一のお蔭だよ?

そっと心に感謝と笑って、今、与えられている全てが温かい。
そして寛いだ心は唯ひとりの俤を追い、唯ひとつの想いに勇気が微笑んだ。

…英二、ずっと電話も思うよう話せなくて、ごめんね?

そう想う心につい、目の前に座る先輩にすら俤を探す自分がいる。
そんな自分に本音が解ってしまう、1週間前の「北壁」が心詰まらせても唯ひとり求めている。
あの夜を超えた英二の本音が怖い、怖くて向きあうことを避けていたい、そう想うのに俤がこんなに恋しい。
本当は逢いたい、だからこそ今はここで笑っていたい、そうして少しでも強くなった笑顔で胸張って、英二に逢いたい。

あなたに本当に、ただ逢いたい。







(to be continued)

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酷暑師走:二軸夏冬

2013-02-12 23:30:15 | お知らせ他
時も場所も、季節も超えて 



こんばんわ、明日は雪?とコノヘンは言ってます。
南関東は冬ごと降雪予報は、ちょっとした騒ぎになりますね。

連載中の「side k2,Aesculapius」でも東京の雪について描きましたが、あんな感じです。
自分の母校では雪が降ると積雪が10cm単位、で、冬期は大概が休講になりました。
教授陣がご高齢なこともあり、雪と寒さを忌避しちゃうんですよね。笑
それでも地元の電鉄は動き、除雪車は出動して移動は可能でした。

本篇では夏8月、暑い空気のなか物語は進んでいます。
昨日まで宮田サイドでしたが、今日から湯原サイドのスタートです。
第七機動隊で部隊は違っても同僚になった国村とのシーンも増えてきました。
そして「父の軌跡」50年の束縛との対峙が、湯原も未知の水面下で始まっていきます。

雅樹サイドと湯原サイドの同時並行、ってナンカ面白いんですよね。
並べて読むと解るでしょうか?湯原と雅樹はちょっと雰囲気が似ている所があります。
穏やかで根明の、けれど優しすぎて自分を責めすぎる切ない純粋、ひたむきな生真面目さ。
家族愛に恵まれて育った温かな心、優秀な頭脳を持った努力家、一本気骨のある男気。

そして天然で、好意には鈍い朴念仁です。笑

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酷暑補記:現場、リアル

2013-02-11 19:17:14 | お知らせ他
キャラクターと現場のリアル



こんばんわ、いま第60話「酷暑3」加筆校正が終わりました。
当初の倍以上になっています、後半がっつり増筆です。

今回、久しぶりに遭難現場が描かれています。
そこには所轄と本部の温度差、気構えの相違を登場させ始めました。

所轄は救助の最前線、遭難の第一報を受ける立場と任務になります。
それに対して警視庁警備部直轄の第七機動隊山岳救助レンジャーは、所轄で解決不可の時に出動します。
しかも山岳救助レンジャーは第1と第2の二つに小隊が分かれ、機動隊は交替勤務なので順番が当るとは限りません。
そうした七機の事情から、原幸隆というキャラクターは生まれました。

原は第七機動隊山岳救助レンジャーの経験者ですが、所轄の現場は初です。
もちろん合同訓練や救助応援で奥多摩の現場も踏んでいます、けれど死体見分は未経験です。
奥多摩に勤務する宮田・藤岡・国村は全員、自殺遺体と遭難遺体の両方で見分の経験があります。
その為に、読んでいる方は行政検視=死体見分の経験があることが普通のよう感じるかもしれません。
けれど実際は、配属先によっては遺体に会うこともなく定年まで勤める警察官もいらっしゃいます。
むしろ青梅署のような所轄が稀有、それは奥多摩という地域の特性だと以前も補記で書いた通りです。
なので新宿署に勤務していた湯原も、ホームレスが倒れた現場には出会いましたが遺体には会っていません。
それは八王子署に卒業配置されていた原も同じ、そのうえ七機時代にも機会が無いまま青梅署に異動してきました。

行政検視いわゆる死体見分は「死体取扱規則」に定められ、警察官が死体を発見し又は死体がある届出を受けた場合に行います。
死因の調査、死亡時間の推定、身元の照会、遺族への引渡、市区町村長への報告等その死体の行政上の手続きなどが業務です。
具体的には自殺遺体と凍死体について、警察医と刑事課の立会のもと所轄の交番・駐在所の勤務員が行います。
この交番勤務員は卒業配置されたばかりの経験が浅い新任者も多く、最初の見分は大変だそうです。

初めての行政検視のとき、宮田は「食事が摂れた」稀有な人材です。
第11話「奥津城」で描いたよう現場は厳しい悪臭、汚物、腐敗などに塗れた状態にあります。
そのため精神力の強い国村も数日は食事が出来ず、藤岡は任官前に被災した惨状のフラッシュバックに数週間苦しみました。
今回の第60話「酷暑」では夏季の遭難遺体のため行政検視は行いませんが、原が初めて滑落遺体の惨状を前にしています。
警察官となって7年目になる原は高卒任官で宮田より1歳上、第七機動隊山岳救助レンジャーを丸3年経験者です。
そのプライドが杖になって取り乱すことはしませんが、献立の不運もあって夕食は口に出来ませんでした。
それでも宮田に渡されたビールはきちんと飲み干せる、そういうタフな男が原幸隆です。

原が卒業配置された八王子署は住宅街のイメージが強いですが、実はハードな所轄とも言われます。
実際に数年前にもスーパー放火事件があり、人間が多い地域特有の厳しさは青梅署とは異なる現場です。
そういう所轄に卒配から3年ほど過ごした後、第七機動隊山岳救助レンジャーに原は異動しています。
そんな原はプライドが高く寡黙な性格です、けれど笑顔は人懐っこい愛嬌があります。
今まで宮田の周りには居なかったタイプの男ですが、これからどうなるでしょうね。




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第60話 酷暑 act.3―side story「陽はまた昇る」

2013-02-10 22:35:12 | 陽はまた昇るside story
言葉よりも、時として 



第60話 酷暑 act.3―side story「陽はまた昇る」

夕食の席、原は食堂に現れなかった。

「やっぱり今日の、キツかったよな、」

箸を進める向かい、丼かかえた人好い笑顔は哀しげに優しい。
きっと藤岡は昨秋の自身を想い、原を思い遣っているのだろう。そんな同期に英二は頷いた。

「だと思うよ。でも原さん、現場でも引き上げポイントの選択ちゃんとしてたろ?御岳でも冷静に勤務してたし、」
「うん、顔は蒼かったけど普段どおりだったよな。元レンジャーってすごいな、」

素直な感心と笑って、藤岡はハンバーグのトマト煮込みを丼に乗せた。
英二も皿に箸つけながら、この献立は原にとって不運だと思ってしまう。
そんな思案に吐息と微笑んだ向かいから、味噌汁を飲みながら藤岡が訊いてくれた。

「ほんとは発見した時、ちょっとアレだったんだろ?宮田がきちんとしてくれてあったから、俺たちもご遺族も良かったけど、」

言われた通りだ、けれど何て答えて良いのか考えてしまう。
遭難者と原と、ふたりを想いながら英二は、困ったまま微笑んだ。

「滑落は場所によって、厳しいから、」
「だよなあ?滑落って一瞬でヤバい、」

困ったよう笑いながらも藤岡は、ポテトサラダに箸つけている。
昨秋、最初の行政見分に立ち会った藤岡は食事が摂れなくなった。
あれから9ヶ月経った今、現場の話をしながら元気に食事を摂れている。
こんなふうに自分たちは慣れながら強くなっていくのだろう、それでも「馴れ」る事はしたくない。

―遺族の方には「最初」なんだ、それを忘れたくない、

忘れたくない、ずっと。
この先も自分は救助に駈け、傷病者や遺体と向合うのだろう。
そのたびに今日のよう生死の狭間に立ち、時として残酷な終焉を見つめる。
それは痛みがある、けれど馴れてしまえば痛覚は止んで楽かもしれないとも思う、それでも馴れを選ばない。

―馴れたら命の冒涜になる。それを吉村先生は後悔されたんだ、16年前に、

そう、今日もあらためて思う。
16年前に吉村医師は次男の雅樹を亡くした、それが今の道を選ばせている。
その哀切を知る自分は決して「馴れ」たくない、そんな想い微笑んで空の丼を持ち、英二は立ちあがった。



見慣れた部屋の扉、けれどノックに立つ気配は違う。
そして開かれたドアからは、新しい住人が怪訝に顔を出した。
昨日より柔らかい仏頂面、けれど蒼ざめた顔色に英二は穏やかなまま微笑んだ。

「ちょっと屋上に行きませんか?奥多摩の星と月を覚えて頂きたいんです、夜間捜索のとき必要なので、」
「…ああ、」

頷いて踵返すと原は、鍵を手に廊下へ出た。
こんなふう業務のことは素直に対応してくれる、その真摯が嬉しい。
ふたり並んで廊下を歩き自販機へ着くと、2本の缶ビールを買った英二に意外そうな声が尋ねた。

「あんたが酒?」
「はい、呑兵衛なんです。一本つきあって下さいね、それとも嫌いですか?」

笑顔で応えながら英二は、1本を原に手渡した。
冷えた缶を手に浅黒い顔が首傾げ、けれど少し微笑んだ。

「嫌いじゃない、」
「じゃあ良かった、」

笑って冷たい缶を提げながら、屋上の階段を上がっていく。
ぐるり高い柵に囲まれたスペース、それでも仰げば夜空は銀砂をちりばめる。
夏の星は冬より輝度は低く今夜は雲の翳も多い、けれど月も星も明確な空に英二は口を開いた。

「いま20時半の空です、今日の出は20時12分、方位は87.5度、月中南時は1時43分です。このデータで道迷いの位置確認も出来ます、」
「遭難者に月がどう見えるのか、って訊くんだな?」

すぐ原も応答してくれる、これなら精神的ダメージは判断力に響いてはいない。
それだけタフな男なのだろう、そんな同僚に英二は笑って頷いた。

「そうです、迷う方は地図が読めないことが多いですが、月が見える位置なら誰でも解かります。でも、月が無い夜もありますけどね、」

遭難する時、常に天候に恵まれる保障など欠片も無い。
むしろ天気が悪い方が最悪の状況は起こる、そんな現実を原も当然知っているだろう。
それでも最善を尽くせる知識は1つでも多い方が良い、その考えに8月上旬の夜を話していく。
遠く山から吹く風がぬるい夜気に涼しい、その風にプルリング引いてアルコールが香った。

「ゴチな、」

ぼそっと言って原は缶に口付けて、一口飲むと少し笑った。
笑うと愛嬌があるくせに寡黙で不器用に高いプライド、そんな空気がどこか懐かしい。
こういう雰囲気を自分は見た事があるな?そう考えながらビールをふくんで英二は笑った。

「そっか、」

そっか、昔の周太と似ているんだ?

そう気がついて笑ってしまう、出逢った頃の周太はこんな感じだった。
まだ1年も前ではない過去の光景、そこに佇む周太は寡黙な堅苦しい鎧に籠っている。
あのころが別人のよう今の周太は素直に穏やかで、優しい笑顔は中性的な透明感に凛とした無垢がまぶしい。
もう今の周太に馴染んでしまった自分が幸せで可笑しくて、逢いたい寂しさと混じって笑ってしまう。
そんな横でビール缶を片手に、浅黒い貌が怪訝そうに英二を見、ぼそっと訊いてきた。

「笑い上戸かよ?」
「わりと、」

さらっと答えて笑いながら、冷たい缶に口付ける。
掌のアルミ缶は水滴こぼして指を濡らす、その心地良さに今の季節が解かる。
もう今は夏、そして2ヶ月後には卒業配置から一年が経って、周太は二度めの異動を迎えるだろう。

―その頃までに周太との時間、どれだけ与えられるんだろう?

あと2ヶ月経ったら、手の届かない世界に周太は行ってしまう。
そこでも援ける手段が欲しくて異動を願い出て今、ここで後任者と酒を呑んでいる。
この時間の向こうにある「明日」その先に願う時間は来るだろうか?そんな思案の隣から、ふっと声が零れた。

「涼しいな、こっちは、」

ぼそり言って山風に目を細めさす、その表情が昨日よりやわらかい。
青梅署のある河辺は標高181m、第七機動隊舎のある調布より130mほど高地になる。
一般的に乾燥空気では100mで1度下がるが、標高3,000m以下では湿度が高いため平均1,000mで約5度しか変化がない。
だから調布と河辺では1度も差がないだろう、それでも湿度と風で体感温度は異なる。このことに英二は微笑んだ。

「山の風と多摩川がありますから、調布よりは涼しいでしょうね?」
「ああ、違うな、」

素直に頷いてビールを傾ける、その横顔は星空を見上げ微かに笑う。
蒼く幾分かやつれたような横顔、けれど昨日より穏やかなトーンが言った。

「俺は所轄の救助隊はここが初めてだけど、七機とは色々違うな、」

第七機動隊山岳救助レンジャーと所轄の相違、そこを自分も聴いてみたい。
そう想うまま、素直に英二は問を投げかけた。

「どんなところが違うんですか?」
「たとえば、あんただ、」

ぽん、と放りだすよう応えた口の端が上げられる。
どこか可笑しそうな表情に英二も微笑むと、原はこちらを向き言った。

「機動隊の基本は訓練だ、座学や交番の応援もあるがな。登山道のチェックは当然ないし、警察医を手伝う物好きもいない、」

物好き、言われて見ればその通りだ。
警察官である自分が医師の助手をする、そんな現状に英二は笑った。

「そうですね、俺も自分で不思議な時があります、」
「ふん?」

短い相槌をうった顔の精悍な目が、挑むよう笑っている。
またビールをひとくち啜りこみ、原は訊いてくれた。

「なんのキッカケで手伝ってるんだ?」
「初めての死体見分が、きっかけです、」

そのままを答えて英二は微笑んだ。
あの10ヶ月前を懐かしみながら、ビールで唇を湿すと口を開いた。

「縊死自殺された方でした。正直なとこ俺、気持ち悪かったです。でも吉村先生が『今日の方は良いお顔です』って教えてくれました、」
「良い顔?」

怪訝な声が尋ねて、浅黒い顔が首傾げこむ。
その貌へと頷いて、英二は記憶の想いを言葉に変えた。

「同じ縊死自殺でも定型的縊死だと苦しまず亡くなるんです。首を絞めた跡の状態と吉川線、足が地面に着いていない事で判断出来ます。
深い皮膚の溝が左右同じに顎の下側を通って、耳たぶ下から首の後へある場合は一気に脳の血流が止められ、すぐ無意識になっています。
だから苦しみも無くて表情も良くなるんです。こういう法医学の知識を先生は話してくれました、お蔭で頭が冷静になれて落着けたんです、」

これが初めて吉村医師と話した時だった、そしてテキストに書かれない大切なことを教えてくれた。
そのことを山岳レスキューとして原にも訊いてほしい、そう願うままに言葉を続けた。

「それでも気持ち悪いって俺、思ってたんです。だから先生は気持悪く無いのかって訊いたら、最初は気持ち悪かったって言ってくれて。
それが気を楽にしてくれました、それから先生は教えてくれたんです。何人も見るうちに亡くなった人の気持ちが少し解かるようになったって。
死に方を選んだ人の気持ちが解かって、ご遺体を同情の気持ちで見られるようになった時には、気持ち悪さは無くなった。そう教えてくれました、」

青梅署ロビーのベンチに座り、ふたり缶コーヒーを飲みながら話してくれた。
あのベンチの意味を自分はもう知っている、だから吉村のあの日の気持ちが今は解かる。

―先生、あのとき雅樹さんを想って、俺に話してくれたんですよね?12歳の雅樹さんを俺に見くれて、

12歳のとき雅樹は、本仁田山の森で縊死遺体を発見した。
そのとき警察医不在の為に検案を吉村医師が行い、そのあとベンチで息子とコーヒーを飲んだ。
それが雅樹の医学に生きる始まりだった、そして同じよう自分も救命救急と法医学の現場は、あのベンチから始まっている。
この「同じ」は切なくて誇らしくて、けれど自責も同時に傷んでしまう。そんな想いのままに今も記憶を見、英二は微笑んだ。

「その翌日、ご遺族から亡くなった方の伝言を伺ったんです、」
「伝言?」

短い問いに、浅黒い顔は怪訝の眉顰めさす。
きちんと聴いてくれている、そんな貌へと英二は頷いた。

「私を見つけることは辛い思いをさせるけれど、見つけてもらえなくては夫の隣に葬ってもらえない。迷惑は本当に申し訳ありません。
けれど見つけて頂いて心からの感謝を申し上げます。そう遺書に書いてあったそうです、ご主人を病気で亡くされた40代の方でした。
伝言を聴いて線香あげに行きました、そのとき俺、ご遺体のお顔を綺麗だって思ったんです。そして遺体の意味に気がつかせて貰いました、」

書き遺された彼女の想いは、発見者への感謝が優しかった。
そんな姿に尊厳を自分は見つめた、この想い素直に英二は言葉へ紡いだ。

「ご遺体は物じゃない、人の心が残せる最後の言葉だと気づきました。命が消えても心の跡は残って、そこに尊厳が見えるんです、」

人の尊厳、それは心と祈りだと自分は想う。
この尊厳を見つめて人間を知り、自分を知りたいと自分は願う。
それが「目的」とは関係なく警察医助手を務める意志、それを英二は口にした。

「俺は現場に立って10ヶ月です、その間に幾人ものご遺体と会いました。どの方も何かを教えてくれます、それに向きあいたいんです。
だから吉村先生のお手伝いをさせて頂いてます、その合間に先生から救急法や法医学のことを教えてもらうのも、俺には大切なんですよ、」

もしも「目的」が無かったとしても自分は、吉村医師との時間が大切だ。
この10ヶ月間で吉村と向合った生と死、遺体たちの言葉、そして「雅樹」が自分を変えてくれた。
その全てが愛しいとすら想っている、だから「いつか」が訪れて全て終わっても吉村医師の手伝いは続けたい。
そう未来へ想い綺麗に笑った英二に、浅黒い顔は穏やかに微笑んだ。

「遭難者の奥さん、包帯を喜んでたよ、」

まだ顔色は蒼い、けれど精悍な目の底は明るんでいる。
きっと原は何かを突き抜けた、そんな様子が嬉しくて英二は笑った。

「そうですか、ありがとうございます、」
「ああ、」

相変わらず素っ気ない口調、けれど夜空の下どこか明るい。
もう原は大丈夫だろう、この判断に英二は翌朝の提案をした。

「明日は4時半出発でお願いします、大丹波から棒ノ嶺と高水三山を行きましょう、」
「キツクないか?」

ぼそっとした原の言葉に、英二は軽く首傾げ微笑んだ。
何がキツイのだろう?そう目で訊いた先で浅黒い顔は口を開いた。

「そのコース3時間くらいかかるよな、俺は明日週休だけどさ、あんた出勤だろ?署に戻る時間がなくなる、」
「大丈夫です、そのまま俺は御岳駐在に出勤しますから。なので原さん、申し訳ないですけど電車で署に戻って頂けますか?」

原が言う通り、明日は出勤の自分は青梅署へ戻る暇はない。
けれどこのスケジュールなら充分いけるだろう、そう笑った英二に原は呆れたよう訊いてくれた。

「俺は良いけど、あんたがキツクないかってこと、」

もしかして自分のことを気遣ってくれてる?
そう気がついて驚かされる、そんな予想外に見た先で原は気まずげに言ってくれた。

「本当はあんた、今日が週休だったんだろ?なのに今日も出勤してる、遠征訓練の後ずっと休んでいないって岩崎さんが言ってた。
引継ぎのために休んでないんだろ、それであんたが体壊したら俺は責任、やっぱり感じるだろ?そういうの嫌だから気をつけろってこと、」

決して優しいトーンでは無い言葉、けれど気遣いは温かい。
寡黙で仏頂面のプライド高い男、それが原の素顔で自然体なのだろう。
こういう不器用な男っぽさは今どき珍しい、同じ男として良いなと素直に想える。
この1ヶ月で色々と話してみたい、そう考えながら英二は綺麗に笑った。

「1ヶ月しかありません、毎日登っても30コースしか引継げないです。休んだら勿体無い、俺は大丈夫です。頑丈に出来てるんで、」
「ふん、器用なだけじゃないんだ、」

また可愛くない言い回しをする、それも原にとったら悪気は無いだろう。
けれど、これでは原は損することも多いだろうな?そう推察に笑って英二は、幾分か気軽に応えた。

「原さんは山のこと器用ですけど、恋愛は不器用でしょう?」

言われて振り返った原の、精悍な目が大きくなっている。
たぶん原にとって不意打ちだった、そんな雰囲気が可笑しくて笑った英二に浅黒い顔も笑ってくれた。

「あんたは器用だろうな、青梅署でバレンタインの記録とか作ったんだろ?」
「藤岡、そんなことまで話したんですか?」

たぶん今朝の食堂で、自分が席を立った後にでも言ったのだろうな?
そう推定しながらビールの缶に口付ける、けれど原は呆れ半分に教えてくれた。

「警視庁山岳会で有名だぞ、天才イケメンの完璧男ってさ、」

なに、その評判?

そう思った途端に発泡性の一滴が、英二の喉を直撃した。
そのまま大きく気管支が迫り上げて、盛大に金色の泡が屋上にぶちまけられた。

「ごふっ、ごほんっ!原さっ、すみませごほほっ、」

またやってしまった、どうしよう?
困りながら噎せていく、その横で精悍な目が愛嬌に変って大笑いした。

「ふはっ、あははっ!あんた噂と違うな?ははっ、」
「は?ごほっほんっ、なに、ぐほっ」

なにが違うんですか?

そう聴き返したくて、噎せながらも隣の笑い顔を見る。
そんな英二に原は可笑しそうに言ってくれた。

「噂だけじゃ解らんってこと、ははっ、」

それは、どちらの意味だろう?

自分への噂が予想外に展開されている、それは解かった。
けれど、原にとって実態と噂の差は功罪どちらの意味だろう?
それを確かめたくて気管支をなんとか治め、英二は訊いてみた。

「実物と話して、がっかりしました?」
「いや、」

いつもの短い応えに原は、口許を上げてシニカルに笑う。
そのまま缶ビールに口付けて一息に干すと、精悍な目は英二に微笑んだ。

「完璧な奴より、あがいてる男の方が話しが出来る、」

放りだすようなトーン、けれど親近感が昨日より温かい。
その言われた言葉も男として嬉しい、こういう評価を言える原こそ「話が出来る」男だろう。
寡黙なプライドの男は努力も強い、そんな男と一緒に仕事をするチャンスは自分をまた1つ大きな男に変えていく。
こういう出会いが男として愉しい、そう思うまま英二は同僚に笑った。

「あがくのは得意です、諦めの悪い性格なんで、」
「ふん?」

ちょっと浅黒い顔は笑って、武骨な掌が缶を片手に潰した。
日焼けした手は山への努力があざやかでいる、そんな手に英二はまた疑問を見た。

どうして原は、遠征訓練のチャンスを放棄したのだろう?



(to be continued)

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