市から一夜明け。
今日はぽかぽか陽気。
やる事は山積みだけども、何か「イベントの翌日」は身体なのか頭なのか疲れてしまう。
午後、すこ~~~しずつ、合間にしか出来ていない、家の復興片付け。
が、ご覧のように、普通の壁ならどーにでも直せるんだけど、土壁だから厄介なんだ。。。西側一面だし。。。
一応、り災証明を取得すべく、役所に申請してはや一ヶ月半ちかく。
が、未だに現地視察に来てくれない。現状を見てもらおうと、だから片付けも後回しにしてきたのに…。
近郊の古川を中心に、やっぱりこの辺でも被害が大きいんだなー。
片付けがてら、この際だから今はやりの「断捨離(だんしゃり)」を言い出すカミさん。
古いタンスを一つ一つ見て行くと、出てくるわ出てくるわ、ご先祖様の着物類。
今日のは羽織類。「!」と引っかかったものをのぞき、この際情を捨てて次々廃棄。
が、たびたび途中で中断。
その理由は、引き出しの底に敷かれている新聞。
なんとヒトラーの記事を発見!
あ~昔から「ハイボール」ってあったんだ。(昭和30年の河北新報です)
なんて楽しみながらの断捨離仕分け。今日も少し前進。
しかし、昔の人はモノを大切にしてたんだなーとつくづく思う。
片付け中、時折、仰々しい包みが出てくる。
「むむっ!もしやご先祖様のへそくりか宝物か!」
と、ちょっと期待して開けてみると、生地の端切れ。
こっちも端切れ。また端切れ。
なんにも使いようないでしょ、というくらいのものも丁寧に取ってあった。
それからすると今はとっても贅沢だな。
うまくはまとめられないけれど、311のあの日から数日。
電気も止まり、ガソリンもなく、外出もほとんどせずに過ごした。
言葉の通り、お天道様に合わせた生活だった。
「なんだー、お金も使わず、食いもんもなんとかなるし、普通に生きれる、生活出来るんだ」
そう思った。
なんだか、それまでの生活がいかに過剰な部分が多かったのか、気づけた気がした。
何が大事か?
今、自分は生きているのか生かされているのか。。。
毎日考える。
これだけ経済優先の世の中になって、その仕組みにいつの間にか、自覚しないまま取り込まれてしまってないか?
何よりも怖い自然災害の恐ろしさを今回ほど思い知った事、今まで無かった。
原発のありがたさと危険性を今回ほど考えることは、今ままで無かった。
今騒いでいる「ユッケ問題」だって、モノよりお金の世の中が引き起こしてるところはあるんじゃないか?
おれだけ?
おれだけ余裕が無いんだろうか?
おれだけ視野が狭かったんだろうか?
毎日考える。
気分転換出来たのか、今日は。
ふと庭を見ると、春の陽気満喫中の愛猫メル