よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

再会。

2011年05月19日 | Weblog

震災以来、開催する公園が復旧部隊の拠点になっていたため休止していた定期市。
私らも311以来、初の直接販売。
私が参加している団体の中では、地味だけれど一番「お客さんと信頼で結ばれている」市。
今日は
「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」
なんて言葉はなく、商売、お客様という分別も抜きで
「大丈夫だったが!?」「いや~無事で良がった~!」
と、お互いの存在を確認し合い、あっちこっちでそんな言葉が交わされていた。

来てくれた皆様ありがとうございました!




そして、ずっと行方が気になっていた南三陸の元気印、松野さんにようやく会えた。

あの日は南三陸の病院に入院していて、上階に逃げて助かった。
助かったと言っても、建物ごと何度も波に揺すられ、
外を見ればその黒い渦の中の壮絶さを目の当たりにしたという。

ある人は顔を涙に濡らしハンドルに掴まって渦にのまれていく女性、
ある人は冷蔵庫を浮き輪代わりの様に、必死の形相で流される男性、

そんな人が、もう沢山、黒い海に消えてく様を目の当たりに。。
建物の中で助かっている人たちも、どーすることも出来ず、ただ涙し、叫ぶことしか出来なかったそうだ。


そんな彼女、深刻な病気を抱える中、自分の町の復興をめざし今日も元気を振りまいていた。
何よりも、今回の事で南三陸の人がこのまま避難から戻らなくなる事が怖いという。
幸いにして家屋敷は海から離れて残ったので、町に残る自分が出来ること、商売をし、
周りも元気にして行きたいと張り切っている。
すげぇ~なと思う。

我々の海山ネットも発想は同じだ。
「与えるだけで」全て失ってしまった人たちの復興の手助けにはならないと思っている。
今はみんな手を差し伸べてくれるけれど、町が片付き戻ってからの生活、経済は自分たちで
考えていかなければどーしよーもない。
けれど、我々はそんな地獄を見てはいないから、キッカケを提案し、彼らが自分たちで「前にすすむぞ」
という気持ちになるのを、今は歯がゆくても待つしかない。
再び立ち上がったとき、全力で後方支援出来るように。


思えば、私がこっちに戻った10数年前、大した売り先もなく途方にくれてた時期、
県の農産加工連という団体に入会し、はじめてヨーカドーに出展した際、
右も左もわからない私に一番最初に声をかけてくれて、あれやこれやと世話してくれたのが彼女だった。
今と変わらず元気で、時には少々ビックマウスな彼女。。
とにかく前向きで気が強く、どちらかというとネガティブな私としては、何度励まされ、また救われた事か。。
その恩に報いる時期だ。



いや~…今日は…久しぶりに彼女の「海鮮はっと」が食べれて満足満足。