久しぶりにあったかい。けれど、心地良いとはいかない曇天な一日。
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昨年に続き、親父は張り切って菊の栽培を。
別件で普及センターYさんが来訪したのだけれど、
親父もYさんも熱心になり、要件よりも菊談義になってしまった。。良いことです。
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昼飯、オヤジの奢りで卸先の一つ「酒まんじゅう」花山さんとこで。
昨夜、急に
「明日みんなで蕎麦食いさ行くべ!」
と、号令が掛かったのでした。何よりうれしいお誘いだった。
私が田舎に戻り、今の「商売で食う農家」をやる!
と言った時、親父はきっと「おー跡を継いでくれるのか!」
ときっとうれしかったはずです。
が、商売ってそんなに甘くはないですよね。。。
それこそ"食える、生活出来るレベル"になったのなんてここ数年です。
私は、私なりに
「兼業は嫌だ。最初っからうまく行くんなら苦労しない!」
と我を通し続け、
家族が総出で、親戚に押し付けられた借金をなんとかすべく一生懸命な毎日なのに、光明が見えず、という期間が続きました。
そして若くしての母親の突然の死。
これはとんでもない衝撃で、ショックでした。
当時は「母親が居なくなった」のと、「稼ぎ手が一人減った」で随分落ち込みました。
それをキッカケに親父と一致団結、とはモチロンいかず、
私夜居酒屋でアルバイトをしながら空回りを続け、キッカケを探しつづけ、
頂く話ぜんぶ、出まくるしかなかった。
そこから少しずつ、少しずつ何かが見えてきたのでした。
当時は、親父にも随分責められ、私も今考えれば申し訳なく情けないほどに親父を責めていました。
今考えたって折り合うわけがないんです。どっちも真剣だからこそ。考え方が違うんだもん!
でも、親子としても、反則スレスレの関係でした。
そして今があります。
カミさんが来て、商売云々という前に、家族としてのありようを大事に思ってくれて
「そこが基礎なんじゃないのか?」
と根っこから言い続けてくれた。くどいほどに。
カミさんも家族で波乱万丈だった人だからこそ、わかるのだと思います。
彼女もホントに余計な苦労をかけたと思うし、感謝に尽くせません。
今、親父は第二の人生でようやく仕事に「楽しみ」を加えることが出来ました。
親父が楽しみとともに稼いだお金で食わしてくれた「蕎麦」、格別でした。噛み締めて食べました。
あとは孫の顔を!
と、誰よりも俺ら自身がツーレツに思ってるんだけど、こればっかりは授かりもの。
平和が何より。