あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

虫の命

2007-11-13 23:53:55 | 生き物

 季節の移ろいは早いものです。 コスモスを片付けていても、あれほどにぎやかに鳴いていた虫たちはもう姿を見せません。 わずかにトノサマバッタやカマキリが数匹。 いつもはすばしっこくて写真に撮れなかったトノサマバッタも、今なら写せます。 飛んで逃げるのも、せいぜい1メートル先までですから。



  カマキリの死骸を見つけました。まだ生きているのも2匹見つけました。ほとんど動かずにいます。 わたしがカメラを向けると、気配を感じてかのろのろと逃げようとします。 もう、えさになる虫もいなくなり、死を待つだけの身なのに。 それでも今の一瞬を生きるために危険から逃れようとしているのです。 人間のように自ら命を絶つこともなく、あきらめもせず、ただひたすら生きようとしている、その姿に感動を覚えました。



  田舎では、人間は小さな虫や草花にたいして生殺与奪の権を握る、絶対的な強者です。 わたしはこのカマキリを握りつぶすことも、捕まえて監禁することも、また、姿を隠す草むらを取り払って行き場をなくすこともできるのです。 都会のように大勢の人の中では、自分をちっぽけな者と卑下することもあるでしょうが、本当は強大な存在なのです。 たくさんの生き物の運命をねじ曲げて人の世界が成り立っています。 必要以上の暴君であってはならない、心せねばと思います。 


 人が秋に色々思いにふけるのは、命の終わりをたくさん見るからではないでしょうか。 木の葉も、草花も、虫も、それぞれの役目を果たして死んでいきます。 でも、それは、終わりではなく、再生へのステップ。


 近くの茂みで見つけたカマキリの卵。 ここにも春への希望が詰まっています。


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コスモスのかたづけ

2007-11-13 01:03:21 | 植物

  立冬を過ぎました。 いくら暖かい日が続くと言っても、そろそろ春の草花を植えなければ。
そこで、すっかり種になって立ち枯れてしまったコスモスをかたづけることにしました。
 だいたい、わたしは草花を片付けるのが遅すぎるのです。 少し汚くなったらすぐ引き抜いて次の花を植え付ける人もいますが、わたしは花が枯れる寸前まで置いておく方。 おかげで種がこぼれて、来期は種まきをしないで済む反面、至る所に好き勝手に生えてくる花の芽に悩まされることになります。


 畑一面覆っていたコスモスをひいて、2カ所に固めます。 すると、今までコスモスに埋もれていた花が顔を出しました。


 ウインターコスモス。



 今年5月、知り合いからいただいて3株ほど植えたのですが、 もう、広がりつつあります。コスモスがなくなっても元気いっぱい。 うちには黄花コスモスと普通のコスモスとが張り合って咲いているのですが、ウインターコスモスがそこに参入。 そのうち熾烈な勢力争いを繰り広げそうです。


 デュランタ



  植えたことをすっかり忘れておりました。 たった二輪、色鮮やかに咲いていました。


  水仙の芽。 忘れずに春の支度をしてるんですね。



  ひょろひょろと伸びたひげのような草は? ノビルです。 



 前々から生えていたのですが、少しくらいいいか、と見逃していたら、畑一面にはびこってしまいました。 こうなると他の雑草と同じ扱いをしなければ。 それにしても柔らかくておいしそう。 そこで引き抜いて食べることにしました。


 ノビルは酢みそ和えになって、他のおかずと共に晩の食卓に並びました。が、娘はなぜかなすびの煮たものに注目。


 「これ、なに?」 
 「え? ただのなすびだけど?」
 「なんだ。 近頃へちまだのなんだのと変なもの食べさせられるから、これもなんかおかしなものかと思った。」
 「・・・・・ ははは 
 


 わたしは、小鉢に入った細長いものが畑に生えていた草だということは、言わないでおきました。 

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