季節の移ろいは早いものです。 コスモスを片付けていても、あれほどにぎやかに鳴いていた虫たちはもう姿を見せません。 わずかにトノサマバッタやカマキリが数匹。 いつもはすばしっこくて写真に撮れなかったトノサマバッタも、今なら写せます。 飛んで逃げるのも、せいぜい1メートル先までですから。
カマキリの死骸を見つけました。まだ生きているのも2匹見つけました。ほとんど動かずにいます。 わたしがカメラを向けると、気配を感じてかのろのろと逃げようとします。 もう、えさになる虫もいなくなり、死を待つだけの身なのに。 それでも今の一瞬を生きるために危険から逃れようとしているのです。 人間のように自ら命を絶つこともなく、あきらめもせず、ただひたすら生きようとしている、その姿に感動を覚えました。
田舎では、人間は小さな虫や草花にたいして生殺与奪の権を握る、絶対的な強者です。 わたしはこのカマキリを握りつぶすことも、捕まえて監禁することも、また、姿を隠す草むらを取り払って行き場をなくすこともできるのです。 都会のように大勢の人の中では、自分をちっぽけな者と卑下することもあるでしょうが、本当は強大な存在なのです。 たくさんの生き物の運命をねじ曲げて人の世界が成り立っています。 必要以上の暴君であってはならない、心せねばと思います。
人が秋に色々思いにふけるのは、命の終わりをたくさん見るからではないでしょうか。 木の葉も、草花も、虫も、それぞれの役目を果たして死んでいきます。 でも、それは、終わりではなく、再生へのステップ。
近くの茂みで見つけたカマキリの卵。 ここにも春への希望が詰まっています。