四方八方に枝を伸ばしていた雪柳を半分ほど切ってしまいました。
一月ほど前の雪柳。 塀からあふれんばかりに伸びています。
切った雪柳の下からでてきた不思議な植物。 夏の間中、茂った雪柳の陰でひっそりと生きてきた植物です。
葉っぱの上に、なにやらゴミのような物が見えるでしょう?
近づいてみるとそれは・・・・・
葉っぱの上に花が咲いているのでした。
4年ほど前、クラブ活動で茶道を教えに来てくださっていたお茶の先生のお宅へ指導のお礼にうかがったとき、いただいたものです。
「花いかだ」ということでしたが、調べてみるとそれとは違うみたいです。 むしろ「なぎいかだ」かなと思いますが、葉がちょっと違うみたいな気もするし・・・・どうも名前が分かりません。 そのときのお庭のこの植物には、赤い実が葉っぱの上にちょこんと乗っていて、とてもかわいかったのです。
植えっぱなしでろくに世話もせず、そのうちはびこってきた雪柳の下に隠れてしまって、すっかり忘れていました。
しみじみと花を見たことがなかったけれど、よく見るととてもかわいい。
赤ちゃんがハイハイしているようでもあり、
アリクイの顔のようでもあり。
横から見ると、本当に葉っぱから花がでているのが分かります。 これが「なぎいかだ」なら、葉っぱに見えるのは、本当は枝の変化したもので、枝から花がでていることになります。
先生は、そのころすでに高齢で、母よりも少し年上でした。 古い広いおうちにこれまた高齢のお兄さんとたった二人で、この花のようにひっそりと暮らしていらっしゃいました。 月に1回、学校へ来て子どもたちとふれあうのが唯一の楽しみと言って、とても熱心に教えてくださいました。
お庭を案内してくださりながら、もうたくさんの植物は世話もできないし、増えすぎているからと言って、紅白のつばきや寒アヤメなど、わたしが興味を示した物をすべてほりおこして分けてくださいました。 残念ながらその中には枯れてしまったものもありますが、これはしっかりと自分の世界を広げていたのですね。
先生は、子どもたちに教えるとき、自分でやって見せながら
「ここは、こう、おして・・・・」
「つぎに、こう、おして・・・・」
と、やわらかい伊予弁で言われるのです。 「押して」というのではありません。 「こうやって」という意味ですが、「なさって」というような尊敬のニュアンスがあります。
とっくの昔に亡くなった祖母の世代が、こんな優しい言葉を使っていました。
「お行きんか(行きましょう)」 「お食べんか(おあがりください)」「そう、おしんか(しましょう)」 といったように。
伊予弁は非常にゆったりした話し方です。 江戸っ子の夏目漱石などは、さぞかし歯がゆかったことでしょう。
先生のことをなつかしく思い出しました。