旅行最後の日だというのに、午後からも予定はびっしりです。
かつては東洋のパリと呼ばれ、今も商業、経済の中心地であるホーチミン市。 その市内観光をします。
左右対称な二つの尖塔を持つサイゴン大教会(聖母マリア教会)
中も撮影OKです。 白い天井が美しい教会でした。
中央郵便局。 なんで郵便局が観光コースになっているのかと不思議でしたが、
フランス統治時代の美しい建物で、1階の一角はお土産物売り場!になっています。 もちろん郵便業務も行っており、日本へ絵はがきを送る人もいました。
でもこの二つの建物は分刻みでそそくさと見て回っただけ。最も時間をかけたのはこの建物でした。
大きな根っこの古木が歴史を感じさせます。
これは、かつて南ベトナム政府の大統領官邸だったところ。現在は統一会堂と呼ばれ、会議や国賓の接待に使われているそうです。
大統領府としての公的な部屋や(写真は副大統領の応接室)
大統領の家族のためのプライベートな部屋(写真は食堂) が多数ありました。
地上階にはこうした豪華な部屋が並んでいますが、
南北戦争時代の名残も至るところにありました。
鉄柵を壊し最初に乗り込んできた戦車。
解放軍の兵士は建物の上まで上がり、国旗掲揚台に解放軍の旗を高々と掲げたのだそうです。
作戦会議室もそのまま残されていました。 壁には大きなベトナムの地図が何枚もかけられています。
この地図を見ながら戦争の作戦を練ったのだそうです。
戦争に関する資料も多数展示されていました。
さらに地下には非常時に備えて、戦争遂行のための様々な部屋がしつらえてありました。 最高司令官である大統領の寝室(ベッドしかない非常に殺風景な部屋)とか、会議室とか、無線室、放送室などがありました。
それはなんとも奇妙な感覚を呼び起こさせる施設でした。 わたし自身は戦争を知らないにもかかわらず、何か、今自分が戦争に関わっているかのような、妙に生々しい臨場感がありました。
今回の旅では3人の現地人ガイドにお世話になりましたが、単に観光名所を解説するだけではなく、それぞれに伝えたいものがあったように思います。 カンボジアのケロさんは、自国が誇る遺跡群のすばらしさを、そしてベトナムのロンさんが最も伝えたかったのは、かつてこの国が経験した戦争と平和の大切さのように思えました。
統一会堂の見学には時間もたっぷりとってあり、案内が進むにつれロンさんの解説は熱を帯びてきました。その熱意に答えるべく、わたしたちも真剣に耳を傾けていたのですが、その間にも我々の内で密かに非常事態が進行していたのです。
それは
腹痛と・・・・
もう2,3日前から調子を悪くしていた人もいたようですが、決定的に悪くなったのはやはり果物を食べてからだったのかしら。
みんなそわそわと気もそぞろになってきました。 わたしは平気。 旅慣れてくるにしたがって胃の調子はよくなるタイプです。
でも、気持ち悪そうに青ざめているツアー仲間を見ると心配ではあるし、そろっとトイレを探してみても迷路のような会堂の中では見つかりもせず、だんだん落ち着かなくなってきました。
ようやくトイレのある場所までたどり着いたときは、ロンさんには悪いですが、ほっとしました。 ーつづくー