あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

とりのこされた柿

2020-01-18 09:15:45 | お出かけ
青空に柿の朱が映えてきれいです。
 
向こうに鈴なりになっているのは?
 
 
そう、この畑だけ収穫されずに残っているのです。
 
 
多分摘果もされなかったのでしょう。びっしりと実がついています。
 
収穫を終え枝ばかりになって寒々とした柿畑が広がる中、こんな畑が所々で見られます。
 
 
 
多分甘柿にもこんな畑があったのでしょうが、それは早々と鳥が食べてしまって、渋柿だけが残っているのです。あちこち探せば、鳥が食べてしまった甘柿(富有柿)の畑も見つかりますが・・・
 どうやって見つけるかって?
 鳥が食べた木は、柿のへたが枝に残っているのです。人が収穫したのは、すっきりときれいな姿です。
 渋柿は、もっともっと赤くなって柔らかく熟したら、徐々に食べられていくと思います。
 
 そんな畑の中で、気にかかる場所がありました。ここは幹線道路の脇にあって、車からよく見えるのです。
 
 
 ここも秋には実がびっしりでした。そろそろ収穫かな、と思っても一向に採る気配がなく、それでも収穫用のコンテナが運び込まれたのを見たとき、よかった、やっと採れるんだね、と思ったのです。
 
 しかし、次々と実が歩道に落ち始め、木になった実はまばらになり出しました。こうなると収穫はできません。
歩道の実はいつの間にかなくなって、畑の中に少々落ちた柿が見られました。落ちた実はどうなった?
 
 
 
 
 

 
 じつはわたしはこの畑に少々思い入れがありまして、毎年通りかかるたびに様子を見ていたのです。
 
 もう10年ほど前の暮れ、若いお兄さん(といっても40に近かったか?)に渋抜きをした柿を箱ごと売りつけられたことがあるのです。(この記事、是非読んでください。話の流れがわかりにくいので)
 ここからけっこう遠い場所に住んでいる人で、両親と三人で柿を作っているようでした。
 そのお兄さん、夫の知り合いだったらしく、新しく野菜の栽培も手がけようとしていたと言うことを聞きました。ところが初めてのその野菜は、出荷してお金になるほどの出来ではなかったようでした。そして程なくそのお兄さんは亡くなったのです。あまりにも突然だったので、自殺したのではないかと疑われていましたが、そうではなく、病気だったそうです。
 それ以来、わたしは一度会ったきりのあのお母さんを密かに応援していました。もはや道ばたで柿を売られることはありませんでしたが、収穫だけはされていたのです。息子さんを亡くした悲しみに負けず、柿作りを続けておられるなとー
 それが、ついに収穫もされずに放置されてしまいました。両親のどちらかに何かあったのか? コンテナを用意しているところを見ると、収穫する意志だけはあったのでしょう。もしかして収穫がおそくて柔らかくなりすぎたのであきらめたとか?
 10年の歳月の重みを改めて感じます。そして、ふだん何気なく目にする光景の奥にはそれぞれの家族のドラマがあると、つくづく思うのです。


最後に

 
 我が家の1本の愛宕柿も、

 忙しさにかまけて放置したままです。干し柿作りにまだ間に合うかしら?

 
 
 
コメント (4)
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