学問の世界ってきついもんなんですねぇ。原稿をチェックしていただいて、直しが入って四苦八苦しておりました。何度やっても合格しない。大学とか、学会によって様式がいろいろありますから、素人の愚生にはなかなかきついものがあります。
素人といえば、なんでも素人ですがね。何をやっても素人。アマチュアです。それは認めます。ま、好きだからやっているというのが正解ですけどね。
愚生の場合は、学問をしているというより、表現が好きだから、やっておるという方が、より実態に近いのではないでしょうかなぁ。記録になって残るし、まぁそんなのも自己満足でしかないのですがね。
だから、学者とか研究者というのは凄い世界に生きておられるのだなぁとしみじみ思うのでありますよん。戦いと一緒だもんねぇ。全く凄い。
気の弱い愚生なんかじゃ、生き残れませんな。そういう世界では。しかも、あらゆる質問がきても、対応できなくちゃならないというのでは、ちょいとこりゃ胃が痛むですな。
こういふ世界で生きてこなくて良かったです。今頃死んでいましたわい。そもそも、戦いができる人というのは「自分に自信がある」からできるんでしょうねぇ。うらやましいかぎりです。
もっと言えば、相手があふぉに見えるくらいでないと、学問的領域で戦うことはできないんでしょうね。わからないけど。
でないと、丁々発止で、質問の嵐をくぐり抜けることはできないって思いますねぇ。愚生なんか、相手がみんなとんでもなく秀才に見えるし、その分オイラの能力の無さにがっくり来てばかりですよん。マジに。
だから「表現」なんですよ、愚生の場合。研究をした結果論文になっているというより、最初に表現したいことがあって、それでもっていろいろと文献を読みあさるというのが、なんだか正解のような気がしているんです。所詮、庶民ですからね。アタシャ。やってみたいことが先に出てしまっているんです。(^-^)/
よその大学でそういう表現を学ぶっていうところがあるんですねぇ、知らなかったですな。たとえば和光大学。ちょっとおもしろい存在ですね。こういう特色を持っていると、ほんとうに存在価値が高まるんでしょうね。
オイラなんか平凡な人間だから、話にならんのですが。
わははははははは。