一合くらいなら呑んでもいいとドクターに言われているからコンビニでホントウに一合だけ日本酒を買ってきて呑んだ。美味かった。そして、たった一合で真っ赤になってしまった・・・・ナント!
習慣というのは恐ろしいものである。
例えばつめ切りひとつにしても、やり方が固定化されてしまっている。実は、この爪の切り方でもって、深爪をしてしまって、先般難渋したのである。深く切りすぎて、巻き爪になってしまった。そして、なんと大病院に行ってドクターに診て貰ったのである。バカも休み休みやらないとアカンと古女房ドノに大いに笑われてしまった。
深爪をしていたのは、柔道をやっていたからである。身体勝負である、柔道は。だから、可能な限り爪を短くしておかないと危険である。自分も、相手にも。それでないと相手に失礼になるからだ。
その長年の習慣が変化した。大病院に行ってからである。つめ切りもUの字になっているようなカーブしたつめ切りは捨てた。まっすぐに一直線に伸びたつめ切りに替えた。
それからは快調である。巻き爪も治ってしまった。
飲酒もそうである。
飲酒も習慣なのである。しかもこっちは長年の習慣になっていて、呑めば呑むほど量が足りなくなって、ついつい過ぎる。つまり健康を害する。
適量というがこれほど難しいものはない。否、なかった。酔うために呑んでいくようになっちまう。だから、健康に害をなすのである。
定年退職してから、アル中になる方もおられると聞くことがある。なにもすることがないから、朝から茶碗酒ということになってしまう方もおられる。
そうすると、必ずといっていいほど病気になる。定年退職したら、おとなしくしていればいいのに長年の習慣でもってできなくなるのである。ましてや、仕事を辞めたのだからというわけでやることが破綻の方向にぶれてしまう。
さ、そこで生涯学習ごっこの登場である。
やることがないなら、なんでもいいからともかく始めることである。NHKのラジ英でも、ともかく毎日一定の時間にラジオの前に座ってみることである。それでいい。
そして、老人大学とかに出かけていって、周囲の年寄り達となじむのである。
くだらないと言っていないで、雑談に応じることである。世間話でもなんでもいいから、楽しくしゃべって暮らすことである。たまには卑猥な話でもして、おおいに笑ってもいいではないか。どうせ卑猥や淫奔を実践できないのは、お互いわかっているのだから。もうそんなアホな体力もねぇだろうにとお互いを指さして、カカカッカカと笑っていた方がどんなに健康に良いかはかりしれないものである(^0^)。
男は黙ってサッポロビールだとかなんとか言っていないことだ。むっつりしていた方が男らしいから、オレは黙って我が道をいくという御仁は、雑談の楽しみを知らないと言うべきであろう。
世間は面白いのである。楽しみに満ちているのである。
それを自ら道を閉ざすことはないのだ。
趣味を持って、いろんなことに手を出すことである。ものにならなくてもいいではないか。所詮趣味である。趣味ならば、成果もなんも要求されない。
自分だけが楽しければいいのである。
昨日、郷土史の会で千葉市に一日いた。会議もあった。文化講座で講演を聴いた。古文書講座で講義を受けた。そしてマンゾクして帰ってきた。
あまりにも疲れたので、一合くらいなら呑んでもいいとドクターに言われているからコンビニでホントウに一合だけ日本酒を買ってきて呑んだ。
美味かった。
そして、たった一合で真っ赤になってしまった。
アレルギーである(^0^)。
とうとうここまでなってしまったのである。
アルコールのない世界にいきたいと思っていた酒豪時代のボキからしてみれば、大変化である。
ありがたいものである。
病気に感謝している。今では。
さ、これからgymに行って歩いてくる。卓球の大会が行われていて、体育館のランニングコースが使えないから、これから行けばもう終わっているだろうから。
それではBye-bye!