と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

旅は善き人との出会いなり・・・・・・去年(こぞ)のことで

2016年10月21日 18時37分48秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
惚け防止のために、みちのくを旅して・・いい人たちに出会った

もう十分惚けているってか?  故郷みちのくの徒然はなかなかのものだった。紅葉も美しく、素直にいいもんだ、いいもんだとつぶやいてきた。別に他意はない。旅の徒然......
 

 

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「男はつらいよ」渥美清「風天」の俳句。寅さん忌。8月4日。

2016年10月21日 18時29分02秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

彼の俳句は実にいいな~~~~~~!

 

「男はつらいよ」渥美清「風天」の俳句。寅さん忌。8月4日。

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『赤とんぼ』『叱られて』『浜辺の歌』渥美清

2016年10月21日 17時59分40秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

俳人の渥美清さん(俳号風天)の俳句と通じますなぁ~~~~。

今日の生涯学習センターでお聞きしたこと・・・・・

 

『赤とんぼ』『叱られて』『浜辺の歌』渥美清

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偏差値?・・・・・そんなもん無視して思い切り生きていきましょうや、マジに

2016年10月21日 08時54分01秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

他人のことを慮ってばかりいたら、冒険心なんか出てこないっちゅうもんですなぁ。冒険ばかりしていて挫折してきたボキの言う台詞ではないけど(^0^)

 

 

こっちから挨拶をしても無視されることがよくある。ボキの声が低いからである。低いというより、ドスがきいているという方が正解である。

こういう声は良く無い。嫌われるからである。しかしである。意図的に挨拶を返さない方もおられる。それをいちいち腹立てていたら身が持たない。

そもそもである。こっちが挨拶したんだから、そっちも挨拶くらいして返すべきだろうと思うのが良く無い。「~~~すべきだろう」というのは、こっち側の勝手な思い込みであって、それ以外の何者でもない。

そういうのを固定観念と言って、ボキは一番軽蔑してきたことである。

どうも日本人は、横並びというか、他人のことを気にしすぎるというか、他者評価に参ってしまうというような傾向がある。

ボキ?

ボキは、まったく気にしない。相手がボキを無視しても、ボキはボキであると思っているから。どーぞ御勝手にである。我関せずである。

ただし、挨拶くらいはしているという程度である。それだけなのだ。

なにも気に入られようと行動しているわけではない。それだけが生きがいだという方も散見されるが、それならそれでおおいに結構だと思っているだけである。

だから、昔からゴマすりが苦手であったのじゃ。従って組織内で出世できなかったのだなぁと今になって思う。ただのヘイヘイ凡人で終わってしまったから。

偏差値教育とはまったく無縁でもあったし。偏差値っていうのは、その成り立ちから言って怪しい。怪しいから信用しない。あんなもんを信仰しているから、冒険心が育たないのである。ま、この程度でいいかという学校選択をして、この程度の会社に就職できればいいか、安定した生涯を送れればそれでいいか・・・・・・と思っているからなにもできなくなる。

明治維新はそうではなかった。偏差値なんてなかったし。冒険心のかたまりのような青年達が、起こした行動である。犠牲者もたくさん出たけれども。

偏差値の考え方からしたら、ボキなんか最低である。最低で、ヒラメのように高校の同級生達をひたすら見上げて生きていた超劣等生である。だから高校の同窓会にも出席できない、いじけたガキであったのじゃ(^0^)。

大学の学部だって、やっと入れたのである。合格可能性はゼロであったからだ。学力も足りない、入学金も払えない(親が町役場職員&田舎教師で貧乏だったし、そもそもその大学を受験することすら許可してくれなかったから)、なんにもなかったのである。学力プラスゼニなし病である。親が受験する大学に反対していて、学費も払ってくれないとなると、あとは全部自分一人でやるしかないではないか。これぞ人生最初の冒険であったからである。

わはははっはははっはっははっははははっはは。

高校の担任の先生も困った顔をしておられた。貧乏していたから学費も全部自分で払うと担任に相談したら、呆れていたっけ。

しかも苦学して学費すら日本経済新聞に払ってもらって、新聞配達してやっと卒業したのであった。教員免許も取得できず(教育実習に行っている時間がなかったから)、学部を卒業してから書店員をやりながら母校の通信教育でやっととれたのである。

これもまたある意味冒険であったのだと思う。

ま、こういうことを打鍵していると「何が苦学だ?」「ふん、暇なジジイの戯れ言じゃぁねぇか!」という反発のメールもくるけど事実なんである。苦学したのもそうだし、偏差値教育とは無縁であったし。冒険したから、今のボキがあると思っているので。

もっとも、定年退職してから某大学大学院を中退する羽目に陥るとは思ってもみなかったが。こんなことになるんだったら、昨日書いた居住地にある某国立大学大学院博士後期課程に冒険して入学していればよかったとも思ったけど。だって、合格率が半端ないほど高いからであった(^0^)。

冗談はこれくらにしておこう。

さ、これから朝食後walkingに行く。

それから退学した方の某大学生涯学習センターに行く。冒険心の残骸がボキであるから・・・・・トホホ。

 

Bye-bye!

 

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10月20日(木)のつぶやき

2016年10月21日 05時23分21秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/