ボキみたいに、老人大学で雑談ばかりしているのは、不要だということなのか。まったく世知辛い世の中ですなぁ。
登校日じゃ、今日は。つまり老人大学の。
今月はあまり登校できない。朝から登校できるのは、今月は二回のみ。来週は、午前中古文書講座で教わるし、午後から登校していたら行けない。なぜなら、老人ホームでボランティア活動を朝からやっているからである。間に合わない。それで欠席する。
もっとも、ボランティアするよりされる方の年代になっているのに、と老人大学のご学友様たちとはお互いに笑いあっているのじゃが(^0^)。
二週間後は、またまた欠席する。日帰りバスツアーでお江戸吉原歴史散歩に行くからである。朝早く九十九里浜を高速バスで行かないと、東武浅草駅に10時集合だから間に合わない。それにしても、物好きである。「吉原なんか行ってなにすんのよ!」と古女房ドノには思い切り叱られたから。
退学した某大学でもそうだった。「藝能史の勉強なんかしてなんになるのよ!」とさんざんであった。「学位をとってもなんにもなりゃしないじゃない!」というのも、口癖であった。(それにしても古女房ドノの台詞は『!』が多いですなぁ・・・・トホホ)
退学したからもう言ってこないけど。
わはははっははっはははっははっははは。
今日は老後の法律知識ということで、千葉大学の元教授から講義をいただく。これで確か二回目か。かなりわかりやすく教えていただくが、内容がまさにボキたち爺婆の切羽詰まったことであるから、寝ているわけにはいかない。
こういうのを聞いていると、世間にはゼニにキタネェ爺婆がたくさんいるってぇことを知るのじゃ。みっともないこと限りなし。
親が死んでトラブルになっている爺婆もたくさんいるし、その爺婆のお子ちゃまたちも相続で本性丸出しというのもたくさんいるからである。
そういう輩はオノレもまた死んじゃうということに考えが及ばないのである。
ボキは、行政書士もできるから、遺産相続には詳しい。遺産分割協議書も書けるからである。だから世間の裏表もちょいとばかり知っている。そうして情けなくなる。あまりの欲張り人間に。例えば、相続する子どもが3人いたとする。それが、1万円を3人で平等に分けようとする。割り切れないのはわかっているのに、争う。
ほとほと世間の強欲ぶりには、呆れてしまうのじゃ。
これって、最近英語混じりの日本語を使って、「メリットがある」とか「デメリットだ」ということをくっちゃべる方々が増えてきたのが理由なのではあるまいかと密かに思っているのだ。
世の中そんなに「メリット」「デメリット」だけで成り立っているのかね?
おおいに疑問である。メリットがないのなら、なんにもしないってか・・・・情けない。もっともアレか。一億全部経済アニマルと化してしまった日本の特徴なのかねぇ・・・・・。これ以上は書かないけど。
そうすると、ボキみたいに、老人大学で雑談ばかりしているのは、不要だということなのか。
まったく世知辛い世の中ですなぁ。
これからその老人大学に行ってくるけど。
午後は手話講座もあるし。楽しみ、楽しみ。
Bye-bye!