と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

人生見直した方がいい場合もある(電通の一件について思うことがあるから)

2016年10月17日 08時50分47秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

>広告大手代理店「電通」に勤めていた高橋まつりさん=当時(24)=が、過労を苦に自殺したことが波紋を広げている。高橋さんは直前の2カ月、友人や母親らに、LINEやツイッターなどで「過労」をうかがわせる50通以上のメッセージを発信していた。「本気で死んでしまいたい」。そこには、もだえるような苦しみがつづられている。電通は以前にも入社2年目の男性社員を過労自殺で失った。悲劇はなぜ繰り返されてしまったのか-


上記のニュースが、ネットに出ていた。

産経新聞のニュースである。

東大文学部卒だそうである。

ボキはドクターではないから、精神的な部分はわからない。わからないから書かないけど、それにしても残念である。こういう優秀な人材を失ってしまったこと、かわいい娘さんを亡くしてしまったご家族の方々の心情を思うと。

過労なのだろうとも書かれていた。

確かにエリートにはエリートなりの期待があって、それが周囲からひしひしと迫るから、つらかったのでもあろう。

それに自分自身でもやってきたこと、やらねばならないことは、優秀だけにわかっておられたのであろうから。

それにしても残念な結果である。

そして思ったことがある。

それは都知事になった小池百合子氏が、都庁職員労働時間短縮のことで言ったことである。

午後8時退庁の方針の課題を聞かれ「本当は6時にしようと言ったんですが、それは無理だということで現実的に考えて8時にしました。こんな長時間働いて、みんな文句も言わないのは私はよく分からないんですけど…。もう一度人生見直した方がいいじゃないですか? みなさんもいかがですか」と残業、長時間労働が当たり前になっている現状について報道陣に問いかけていた。
 続けて「世の中の流れは速いですから、目の前の仕事にヘトヘトになって、流れについて行けない人間になってしまう」との考え方も披露

 

つまり、早く帰れとのたもうたのであるが、それでも都庁職員は、夜8時以前には帰れないのだそうである。これはわかる。わかるような気がする。なかなか帰れないのである。そんなに仕事があるのか?公務員なんて暇なんだろう?と言う方も多いからである。議会があったら、都庁ばかりではなく、県議会の職員も残業の連続であるからだ。

公務員なんて暇だろうというのは、知らない人の言うことである。どんな職業でも仕事を熱心にやっていれば、時間短縮にはならないのである。

会社でもそうだ。明日までという締め切りがあったら、終わるまで帰れないではないか。

そういう無理難題を押しつけてくる上司も上司だろうけど。

小池知事は、そういう現実を見て、都庁職員に「人生見直した方がいい」とのたもうたのである。さすがである。

それくらい言ってくれれば、職場環境も変わることが予想される。

しかしである。

ボキはまた別の観点からこの電通のことも、都庁の労働環境も見ている。

それは「固定観念」である。

つまり、オノレはエリートであり、電通とか都庁とかの人もうらやむような立派な仕事につけたという「固定観念」のことである。だからがんばらなくちゃアカンというように直結した思考回路を持っているということを指摘したい。

エリートというのは、自分が他人より優れているからというその一点に限って、自己評価をしている。だから他人がバカに見えて仕方がないんだろうけど。さらにある。それは自分はエリートだからそれなりの仕事や待遇があってしかるべきであるという「固定観念」が、人生のジャマをしているのである。つまり、修正がきかないのである。固定観念から修正をしていくこと、捨てることも人生には重要なことがあるからだ。

もっとも、ボキのように捨てて捨てて捨てまくって、とうとう某大学大学院の学費まで捨ててしまったバカ・基地外もいるけどねぇ~~~~(^0^)。ものにならないと判断したら、ボキは行動がすばやい。なぜならエリートではないからである。修正もきくからである。マジに。敗退だらけの人生であるからだ。なにを今更川端柳である。そよそよと風が吹いてきたら、そのまんまである。流されているだけである。

春風駘蕩。

これをモットーとしたい。春風駘蕩というのは、「固定観念」がない。ある意味、鼓腹撃壌である。周囲になにが起きようとも、春風が吹く如くやんわりとしていられる性格のことである。

逆の場合が居合道でいうところの「居付き」であり、柔道ではパワー柔道である。技がない。工夫がない。「固定観念」から武道を考えていたら、破滅する。負けてしまう。

小池都知事が言ったことは、つまり「固定観念」から解き放たれよ!ということである。人生見直した方がいいというのは、そういうことなのではないのか。

もっとも、ボキは、見直してばかりいたから、こうなっちゃったのじゃが。

わははっははっはははっははっははははっはは。

 

お後がよろしいようで。

 

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貧乏暇無しというけど、貧乏でも暇ばっかりというボキみたいな人間もいるから世の中はおもしろし。

2016年10月17日 08時21分59秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

一日でも暇になると、ボキは退屈してしまう。よくよく貧乏性なのである。だからボキは、生涯学習ごっこをやっているんだけど。病みたくないので。

 

 

暇じゃなぁ~~~。

まったく、まったく。そもそもボキはモーレツ人間だったから、基本的には仕事大好きだった。隙間時間もかなり積極的に、自己研修をやって仕事に生かそうとしていたし。マジに。

そういう運命のもとにバリバリ仕事をやってきたと思う。思うというのは自己評価でしかないからであるが(^0^)。

だから、定年退職した今でも濡れ落ち葉ではない。これは古女房ドノがそう言っているから間違いではないだろう。定年退職してからも、家にいないからである。「家には、いないほうでしょうねぇ・・・」と彼女はのたもうたからである。いない方がいいのだろうけど。

それにしても暇なのは精神的に良く無い。

それに今やっている三つのアルバイトに暗雲が立ちこめてきた。つまり、馘首である。遠回しにそういう雰囲気でもって言われているからである。その時はその時である。アルバイトにどうのこうのと言うつもりはない。

エリック・ホッファーに学んでからは、在野で勉強しているのも意味があると決めたからである。尊敬するある方だって、清掃のアルバイトをしながら文学研究に邁進している。M大学の大学院で修士をとった方である。彼に在野で研究することの意義を教えていただいたからである。

それにボキは、もう年金生活をしている。なんの不満もない。特に平和な我が日本の政治システムには感謝申し上げているのじゃ。嫌味ではない。だから、これから政治不安になっていくことは嫌いである。もうこれ以上は書かないが。

で、ふと思ったことがあった。同業だったあの人は今なにをしているのだろうかと思って、インターネットで調べてみた。そしたら西安にいた。写真も出ていた。西安の大学で日本語を教えているというのは知っていたけど、まだやっていたのである。中国人の学生と談笑している写真もあった。ボキなんかより若干先輩である。

彼は、精神的にタフなのである。暇ではないのだ。こういうタフさが彼の良い点である。見習うべし。

中国で日本語を教えるというのは、あまりカネにはならない。収入の点では。月収5000元程度だというから、たいしたことはない。しかし、やることがある、やらねばならないことがある、生きがいを持って老境を生きていけるというのは素敵なことである。

なにも閉じこもることはねぇのである。

暮らしの方は年金でやっていけばいい。ボキの場合は、書籍代が欲しいからアルバイトをやっているだけである。

それにしても暇じゃ。

まったく。一日でも暇になると、ボキは退屈してしまう。よくよく貧乏性なのである。仕事人間なのである。中毒である。

こういう人間がいるのである。仕事人間だった人ほど、退職すると暇をもてあましてしまう。そして病む。精神的に。そういう方もいるのじゃよん。

だからボキは、生涯学習ごっこをやっているんだけど。病みたくないので。

来年なにをするか。

なんでもいいんだ、なんでも。

ささやかな小遣いを得て、書籍代にしたいだけであるから。

わははっはははっはははっはははっは。

今日は朝から雨である。

Gymも月曜日だから休館である。

(*_*) マイッタなぁ。

ショッピングセンターでも行って歩いてくるか。

暇だから、こんなことしか考えない。

アカン、アカン。

 

Bye-bye!

 

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10月16日(日)のつぶやき

2016年10月17日 05時18分28秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/