子育てで悩む方が多い。
なぜか。
それはあまりにも期待するからである。自分の子どもを世間の価値でもってがんじがらめに縛っているからである。
一流の大学に行き、一流の会社に入り、大金持ちにならせてあげたいと多くの親は思っている。それはそれでケチをつける必要は無いと感じている。そうしたいならば、そうすればいいだけである。ちなみに、ボキは全部反対側の人間であるから、こういうことを堂々と言えるのである。大学は23流(2流+3流)だし、一流会社には向こうの方から断ってきたし(受けなかったけど)、カネは今でもないからだ(^0^)。
親の価値観なんて、それこそなんの価値もないではないか。期待すればするほど、子どもは親を見透かして、反対側に行ってしまうのだ。たいていは。
あまりコマゴマと言わない親の方が、子どもは当たり前に育っていくのである。うるさく指導したからと言って、子どもは聞いちゃいないのである。
言えば分かるっていうのは、ありゃウソである。
言っても分からないから、親の方はアタマにくるのである。
だから学校のセンセが必要になってくるのじゃ。しかも、最近は学校のセンセも生徒に軽蔑されている。最近の学校のセンセの方がなるのに難しくて、学力的には、昔の数倍以上の難関であるからレベルが高いのである。これは世間の方々はあまり知らないことであろうが。社会のセンセなんか競争率13倍である。体育も11倍である(千葉県の場合)。
つまり、学校のセンセも、親の方も、言っていることが実はまったく価値のないことであると気がついていないのである。
ボキも、偶然ではあるが、子どもが二人さずかった。
ありがたいもんである。
もう二人とも成人して、別に家庭を持っている。しかもボキには孫までいる。
孫を見ているとまったく責任がないから(子育てに関しては)、あ、つまりはこういうことだったんだと分かったのである。
つまり、ジジイとして適当に遊んでやっていれば、まっとうに育つのである。
ボキの二人の子どももそうだった。
適当に遊んでやっていただけである。
たまに温泉に連れていったりしていただけである。
公園で遊んでいただけである。
なんの期待もしていなかった。大学に行けなんてまったく言わなかった。ましてや、ボキの後を継げともまったく言ったことがなかった。
どっかで喰っていければいいから、職業だけはつけよ!と言っただけである。
それだけである。
そしてなんだか知らないが、結局はボキの背中を見て育ったのである。まともに生きて居るから安心である。それだけである。
あまり肩肘張らないことである。
どうせ、オノレの子どもである。
期待したって、仕方ない。親のように生きていればそれでいいではないか。背伸びすることはない。カエルの子はカエルである。仕方ないではないか。
ノープロブレムである。
わははっはははっははっはははっはははっはははっはははっはは。
Bye-bye!