お婆ちゃんがもらっていた年金の受給額にまつわる泣ける話です。
【【グッド!】】 泣ける・感動するなど心に響いたら 【【高く評価】】
【【イマイチ】】 何も感じない・心打たれなければ 【【低く評価】】
去年の12月いきなり亡くなったおばあちゃん。
その一ヶ月くらい前から体調悪いのは知ってたけど、みんなただの風邪やろうて思ってた。
もう結構歳いってたし風邪が長引いてるやろうって。でも本当にしんどかったんやってみんながわかったのは、おばあちゃんが亡くなってから。
80過ぎても元気で、車の運転もしてた。
夏休みにお父さんと二人で遊びに行ったら駅まで車で迎えにきてくれてすごい頼もしかった。
高校生になってからは1度も会ってない。部活で忙しいとか家が遠いのとかを理由に1度も遊びに行かなかった。
それでもおばあちゃんは毎年お正月にお年玉を送ってくれた。わたしはそれを何も考えずに自分のために使ってた。
おばあちゃんが亡くなってから、おばあちゃんの家には誰も住む人がいなくなるので長男であるうちのお父さんがお仏壇を家に持ってきて置いた。
毎日寝る前、お線香をあげていた。
ある日、お仏壇の前にハガキが何枚かあるのに気づいた。見たら、おばあちゃんの年金の額が書いてあった。
びっくりした。こんなんでどうやって生活してたんやろうってくらいの少ない額。お父さんが少しは援助してたって聞いたけど、それでも絶対生活に困る。そやのにおばあちゃんは毎年ちゃんとお年玉をくれた。
それだけじゃなくて、たまにお小遣いも送ってくれた。
添えられてた手紙にはいつも『少なくてごめんね』って書いてあった。
おばあちゃんは必死に生活を切り詰めて孫5人全員にお年玉を送ってくれてた。何で何も考えずに使ってたんやろう・・・大事にとっとけばよかった。
離れて暮らしててもいつも気にかけてくれた。もっと電話で話せばよかった。もっと手紙書けばよかった。高校の制服姿見てほしかった。
大学受かったことも将来看護師になろうと思ってることも話せへんままやった。
今になってやっとおばあちゃんがいなくなったこと実感しておばあちゃんがどれだけ自分たちを愛してくれたかわかった。
気が強すぎて妹と仲良くできへん私をおばあちゃんは心配してた。
『優しい人間になりなさい』って言った。ごめんねおばあちゃん。
おばあちゃんに言われたとおりの人間になるには、まだまだ時間かかると思うけど4月から大学生になって頑張って看護学を勉強してたくさんのお年寄りに慕ってもらえる看護師になります。
ありがとうおばあちゃん・・・。
大切なこと幸せとは何か、動画と話から感じていただけると幸いです。
泣ける話 『お婆ちゃんの年金受給額 【年金受給額】』103
【年金受給額】 お婆ちゃんの年金額 - 泣ける話