肩書きもなにもないから、楽天・ノー天気(脳天気)でいられるのだろう(^0^)
なにがボキの生涯学習の継続に支障があるのかと、寝ながら考えていた。
はたと気がついたことがある。それは、経済的理由である。年金暮らしになってから確かに厳しい。生活も生涯学習もである。
今更、大都会のアパートに住んで大学や大学院に通学するだけの蛮勇もない。ましてや、外国に出かけていっちょうやってやるかというのもない。今住んでいる家から通える範囲で、しこしことやっているしかない。
そういう意味では選択肢は狭くなっているのである。ま、仕方ない。別に今の生活に不満があるわけではない。上司もいないし、同僚もいない。だから人間関係でどーだらこーだらという悩みもない。
昔から、そういう意味ではノー天気人間である。あまりクヨクヨと悩まないのである。それに、悩むだけの能力もないときている。
要するに気楽なのである。
それに一度決めたことは実行するという美点もある。
美点?
自分で言うかである。
そうなのである。後からぐちゃぐちゃと言わない主義である。だからクチにするまでは、慎重である。むろんこのようなつまらないブログにも書かない。
男は黙ってサッポロビールである。実行するまではナイショである。
他人のせいにもしない。他人のせいにするくらいなら感謝する。だって、ありがてぇではないか。ボキのようなアホを指導してくださるのである。これは年齢の長短も関係ない。中学生にも学ぶ。高校生にも学ぶ。大学生にも学ぶ。大人はむろんのことである。
他人がエライのである。しみじみそう思っている。ボキの知らないことを知っておられるし、ボキなんかと違った人生を送ってこられたからである。
そういう方々から体験談をお聞きすることが、退職後のボキの楽しみですらある。いろんな考え方や感じ方があるものであると思う。
そういう方々から名刺をいただくことがあったが、ボキの側から社会マナーとして手渡すべき名刺がないのに気がついた。今朝、自分でちょっと作ってみた。これまで自分で作ったふざけ半分の名刺はあったのだが、困ったのはふざけ半分の名刺ではないものを作ろうとしたらボキには肩書きがないということに気がついたのである。
無職・無芸大食と肩書きをつけるわけにもいかねぇのかね?
ま、どうでもいいようなことであるが。
まさかボランティアを肩書きにするわけにもいかないしねぇ。それこそ笑われてしまいますぜな。
老人大学の生徒?
これは他人に言うような肩書きではないから、黙っているに限る。自分勝手に趣味で友人作りをしているだけであるから。
しょうが無いから、名刺の表には自分の名前を打鍵して、あとはメールアドレスを入れてみた。
裏は、メモ欄にしてみた。
これでいいか。
どーせ捨てられるだけであろうから。
わはははっはははっはははっははははっははは。
今日は人間ドックに行ってくる。
空腹を抱えて、ヨレヨレと行く。クルマで行っちゃならないから、ヨレヨレの二乗・三乗である。
血圧も今朝自分で測ったら、上が127である。すこぶる順調である。
だったら人間ドックなんか行くなよ!と叱られそうだが、油断大敵。
なにが隠されているかわかんねぇから病気は怖いのである。
油断しているとロクなことはありません。マジに。
Bye-bye!