笑う定年退職 退職後の生活を可能な限りバラ色にしよう ボキの場合は趣味に生きている 趣味はゴミ論文書きだ(^0^)
現役時代に、閑職に追いやられてしまってそこでいじけるか、再起を目指してがんばるか。人生色々であろう。
エリートで過ごしてきて、他人もうらやむような出世街道をばく進していたって、結末はわからない。人生、どんな落とし穴が待っているかわからんからである。
かなり重大な失敗をしたとする。たとえ運良く同じ会社や組織に踏みとどまれたとしても、閑職に追いやられることもあるだろう。
その時に、いじけるか、再起を目指して奮闘努力するか。
それは人それぞれである。
しかし、人生にはどんなにがんばってもダメな時がある。そういうときには、二足のわらじをはくことである。つまり趣味に生きることである。趣味は楽しい。楽しいから徹底してやることができる。
その道のプロに教えてもらったりして、論文を書いてみたり、巡検でもって実際に歴史の遺跡なんかにも行って見ることである。
だんだんとそういう会社や組織外のお仲間ができてくる。こういう仲間とはしがらみがない。成果も求められない。くだらない学閥だの、先輩後輩のしがらみもない。ないない尽くしである。
こいつは大歓迎である。しかも、サラリーは閑職と言えどもいただける。妻はサラリーだけいただければ文句は言わない。
知人でいるのだ。
カビの研究を会社員やりながら密かにやっていた人。
閑職に追いやられても、決していじけることなく、顕微鏡を覗き続けた方。会社の仕事は、絶体に残業なんかやらないで、定時に帰って家でカビを研究しつづけた方である。
実は、ボキもそうやって生きてきたから実感があるのだ。
ボキは、学歴もお粗末だしゴルフもやらない。麻雀もやらない。やり方を知らない。したがって、世の中をスイスイと泳いできたのではないのである。趣味であるゴミ論文書きをずっとやってきたのだ。仕事をしながらである。
専門学校もそうやって卒業してきた。中央仏教学院である。
修士課程もそうだった。趣味の延長なのである。おかげで修士(人間学)というのを取ることができた。仕事をしながらである。これを取ったから、これから死んでゆくものとしての覚悟や心構えができてきたような気がする。実際、死ぬときにはどうなるかわからんけど。死にたくねぇって喚いて死ぬのかも知れないし、それならそれでもいいと思っているので。みっともないのは、ボキの特徴であるから。
放送大学大学院にも学んだ。これまた趣味である。仕事をしながらである。二足のわらじである。まったく病気である。
そして、とうとうホントの病気になった。
最後になんと某私立大学大学院の博士後期課程に入学して真面目に博士論文を書いていたのである。それが、やり過ぎで中退を余儀なくされた。3年間在籍した。
だからボキのこれまでは、まったくの二足のわらじ生活なのである。
若い時から出世とかなんとかというのにはご縁がなかったから、こういうようにやってこれた。
だから感謝している。ボキを評価してくれなかった現役時代の上司達に。
要するに、受け止め方を変えればいいだけである。
エラそうに、人を評価している上司達は、評価できるだけの器がなかったのである。
ボキは今でもそう思っている。
器の小さい上司に恵まれてありがたかったのである。ああいう方々がいたから、現在のボキがある。閑職に追いやっていただき、ヒマができて、いろいろなことにチャレンジすることができたからである。
嫌味で言っているのではない。ホントウに心からそう思うからである。
二足のわらじ生活も、まんざら捨てたものではないのだ。
来年からも、アルバイト二種類やっていくから、こんな定年退職後の生活もいいもんである。
さらに、来年はある資格も目指していくから、三足のわらじ生活にもなるのかな?
わははっはははっははっはははっはははっはははっはは。
孫がショッピングセンターに買い物に行ってしまったから、ボキ、打鍵できるのじゃ。
孫が帰ってきたら、即中止である。パソコンの前にいることができないからである。
Bye-bye!