ネコはこういう場合にはどうすんのかね。飼い主がいないから(^0^)。
団塊世代というNHKの番組を見ていた。録画である。先週のらしい。らしいというのは、予約録画でいつもやっているから正式な放送日を知らないからである。
ま、そんなことはどうでもいい。「横尾忠則」さんをやっていたからである。
横尾忠則80歳。年齢的には大先輩である。しかも、ボキなんかの青春時代を先頭に立って牽引していた芸術家である。文豪三島由紀夫も彼を引き立てていた。さらにある。老いてもなおかつ創作意欲に衰えがない。海外にもかなり行っている。だから見ていたのである。
ネコが大好きだと言われていた。そのことを知らなかった。ネコは、わがまま勝手で、こびない、自由である。そういうのが芸術家の見本だと言われていた。正確にはちょっと表現が違うかもしれないが、確かにネコはそういう芸術家的な孤高の感がある。
ワンコとは違う。ワンコは第一自由がない。庭につながれて、ご主人様の言うとおりにしているしかない。でないと喰っていけないからである。まさに、サラリーマンのようである。
ボキも紀州犬を飼った。16年間生きた。紀州犬というのは猪狩りに使うから、けっこう凶暴なワンコであった。飼い主のボキにも噛みついたから、かなりしつけた。しつけたというより、暴力である。
だから、ボキのワンコは死ぬまでボキと闘っていたのである。憎まれっ子であった。中型犬にしては、長生きしたのもそういう理由であったのだろう。つまり、憎まれっ子世にはばかるである。
でも、NHKのこの番組で言っていたネコの精神というのは、大事だろうなぁと思った。
自由で、孤高で、好き勝手に生きているってぇ部分。
あ、これは今のボキと一緒ではないか。そう気がついた。なんの肩書きもない。やっていることは二つのアルバイトとボランティアだけである。毎日、毎日暇さえあればwalkingをやっているだけである。さらに、時代劇小説を読んだりしているだけである。語学講座を聞くのも最近は趣味になっているけど。
好き勝手にやっているから申し訳ないとは思うが、これもまた長年働いてきたご褒美だと感謝している。社会的には抹殺されてしまったのであるから。十分満足しているのである。社会的になんの意味も価値もないのだから、責任がない。責任がないから、考えることや行動が独自性を持ってくる。いろいろな友人達に、変わっているなぁと言われた。特に退職してから無謀にも現役大学院生になったこと。それも博士後期課程である。ボキが修士を持っていることも知らない知人が多かったから、ずいぶん驚かれたっけ。ま、今になってはどうでもいいことだが。
ネコのように生きたいですなぁ~~~~~~。
今日は、古女房ドノが人間ドックに行ってしまった。二日間である。したがって、二日間かなり暇である。家に、誰もいないのじゃ。
わははっはははっはははっはははっはははっはは。
メシを食うスピードが速いだの、いつまで座っているんだの、computerでなにをしているんだのとうるさく言われないのじゃ。
ネコはこういう場合どうすんだ?
飼い主がいないから、さらに好き勝手にやっちまうのかね。わかんねぇけど。ネコには古女房ドノはいないか。そもそも、ボキンチはネコを飼ったことがない。ワンコしか。だからなんにもわからないんだけど。
暇じゃ、暇じゃ。
ああああああああああああああああ、嬉しい。
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