先週のNHK大河ドラマ「西郷どん」を、10:12見終わった。先週も出かけていたからである。高速に乗ってあちこちと行っていたからである。
世間のしがらみで多忙というのは、精神がすさむ。どうしてもカネがからんで、他人が信用できないからである。そもそもボキは他人を信用しない。人間は業のかたまりであると思っているからである。そこからスタートするから、これまで間違いをしてこなかったのだ。そう思っている。
だからこそ、西郷隆盛に惹かれてしまうのだ。
敬天愛人。
これである。
言ったり書いたりするのは簡単だが、これほど難しいことはない。
天を敬い、人を愛する。
こんな崇高な哲理はない。実践目標にしてみたいとは思っても、なかなか難しい。ただし、人に優しくすることはできる。そこからがスタートのような気がする。他人のためになることをやっていれば、天が見ていてくださる。
そんな風に思うのだ。
西郷さんは、キリスト教の精神も持っていたのではないかとも思う。だから、他人のことが放っておけなかったんだろう。そして、悲劇的な最期が待っていた。
まるでドラマのような生涯であったのだ。
自死をしたのも、ボキなんかよりずっと若い。
しかも、ずっと完成している。西郷さんがである。
オノレの利益だけ考えて行動していてはならぬ。
地位も名誉も財産も要らぬというスタンスで行動していくべきである(西郷さんは、命も要らず、名も要らずと言ったけど)。
年金を貰っているのだから、ゼニの欲しい若い人たちにアルバイトなんかも譲ってやるべきである。苦しいながらも、なんとかジジイとして生きていけるのだから。ボキの方は。しかもアルバイトでもって生活費の柱としている方々だっているのじゃよ。それを忘れて小遣いが欲しいからと言って、例えば塾のコマ数を増やすってぇことなんか最低の行動である。
バイトやって、ナニに使っているかと言うと、ほとんどAmazonの古本ではないか。あとはブックオフで買っている古本。コンピュータのソフトとかもあるか。。。
ジャマをしないことである。
若い人たちの立身出世を、可能性をこちらが準備してあげるくらいの度量の広さがあってしかるべきである。
そうなのだ。
ボキは、何年か先にクタバルのだから。
死にたくねぇけど。
わははっはははっははっははははっははははっははははははは。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ