シナ仏教哲学教理史について卒論を書いて、華々しく仏教界にデビューしようとしていた真宗大学の僧侶学生であった伊藤証信師のことを読んだ。たまたまである。まったくこういうのをご縁と言うのであろう。
師は、卒論を書きたくても自分にそれだけの実力がないという点で懊悩するのである。大学図書館に行って毎日関係の文献を読むが、とっかかりもつかめない。
そりゃそうだろう。
あまりにもテーマがデカすぎる。
こういうナントカ史というものを論文にしようとすると、頓挫するのは目に見えている。
ボキなんかそんなデカイテーマでやってみようとも思わない。
そんな能力もない。時間もない。さらに、ボキは論文書きに挫折したバカジジイである。だから伊藤証信師に惹かれたのであるが。
ところが、伊藤証信師のエライところは、巣鴨村に当時住んでいて、村の青年たちのために夜学を開設したことである。月謝は各自の自由ということで始められたのである。
ボキは、ノートまでとった。素直に感動したからである。
ゼニが欲しくてアルバイトしているようなボキとはレベルが違う。ゼニ・カネ・地位・名誉なんかまったく関係ないのである。
西郷隆盛みたいである。命も要らない、財産も要らない、名誉も要らないという実にシンプルな生き方である。
こういう生き方から学ばねばならないとシミジミ思う。
なかなか難しいんんだけれどもねぇ。
三月である。
来月から新年度である。
今日は、古文書講座と中国語講座がある。
いつも歩いて行っているショッピングセンターでも、新年度から新しいカルチャーセンターの講座が始まる。行ってみようと思う。つまり、新講座のパンフレットを貰ってくるつもりである。
行くところがない、することがない、やることがないってぇ日常ではあまりにもサミシイからだ。これじゃぁまるっきり日頃することもなくて、徒然としているジジイみたいではないか。(そのとおりだけどねぇ)
わははっははっははっはははっははははっは。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ