不戦の誓いは、無駄をやらないことにつながる。アホには幽体離脱(自分を上から見てみる)で対処していれば良いのである。マジに。
不戦の極意とは、孫子に極まれり。
最近は、まさにこれである。「頭にきてもアホとは戦うな!」という本を読んでから(風呂の中で)、考え方を変えた。
これまで無駄な戦いをしてきたからである。攻められたら、イチイチ反応してきた。反応ばかりではない。屁理屈で完膚なきまでに叩いてきた。
当然恨んでいる人もいるだろう。こんなジジイであるから、悪業三昧だと言うのである。
瞬時に反応するから、戦いモードになっちまう。幽体離脱でいい。相手のパンチをかわして、後は観察していればいいのである。それを攻めてきたから即反応では、こっちがクタビレテしまう。たいした能力もねぇのに、喧嘩していたらアホである。どっちもである。
タイムコストを考えよということである。どれだけ時間の無駄をやってきたかと思うと慚愧の思いである。
そもそもがである。他者の時間は、自分の時間ではない。そんなくだらない他者のために、いろいろと悩み、対応策を考えたりしていたら、ホントウに時間の無駄である。そんな時間があったら、拙ブログの記事を書いたり、NHKの英会話・中国語の録音を聞いたりした方がずっと良い。また、最近再開したゴミ論文書きをするために資料を読み込むというのも良い。家人と楽しく過ごした方が良い。マンカイの桜を見て、西行を思うのも良い。実際、昨日居住地の桜を見に行ったけどねぇ。
時間こそが価値を生み出すのである。時間の価値を考え違いしてはならない。それこそもったいない。
時間だけは、平等に配分されているではないか。時間を盗まれないことである。エンデではないが、時間泥棒というのが確かに存在するからである。
だから関わらないことである。
幸い、ボキに関わってくる方は皆無である。迷惑メールも来ない。シャットアウトしているから(^0^)。
そうなのだ。メールと一緒で迷惑メールとしてシャットアウトしておけば良いのである。人間関係なんて。ウイルスなんだから。
わはははははははははははははははは。
孫子もぶ厚い書籍なら持っていた。しかし、持ち歩いてでも読むべしと思った。思ったから買った。Amazonである。まだ来ないけど。岩波文庫の大型版である。これならジジイになった目でも読める。
不戦と言えば、家康である。あるいは、小田原攻めのときの秀吉である。この二人は、知略で攻めた。たいしたものである。戦略がある。兵士の後補給という視点を持っていたし。なにしろ喰わなければ、兵士だって戦えないからである。武器もである。弾丸がなくなってしまったら、それでおしまいである。だから太平洋戦争は負けたのだ。
ま、それは今回関係ないのだが、重要なことは余計な戦いはしないということである。やらなくても良いことはやらないことである。
無駄なことはやらないことである。
以上を打鍵して、あっと思った。
ボキは無駄そのものではないか。生き方が。
ご迷惑をおかけしております。
ゴメンネ・・・・トホホ。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ