でも、桜は人を狂わせる。ホントですねぇ。
ここ数日よく雨が降った。まさに、荒れた春である。しかも桜の開花も早いらしい。九十九里浜はまだその気配もないが。
桜が咲くと、またまた時間がたったと思ってしまう。年齢を重ねたという思いになる。西行法師ではないが、桜は人を狂わせる。そういうのがある。
つまり桜が咲くと死が近づいたと思わざるを得ない。だから人間は桜で狂うのである。
若い時は、そういうのに気がつかなかった。学部時代に山家集の単位がとうとうとれなかった。二年間履修したが、ダメだった。どうしてもである。歌人の教授で厳しかった。
ボキは苦学していたから、こんな遊びみたいな境涯にあってなにを気楽なことを書いているのだろうとハラが立ったからである。
西行法師には叱られてしまうだろう。だからバカなんだって。
苦学と和歌になんの関係があるのだろうかと、今になっては思う。
しかし、アレがボキにとっては大いに良かったのである。鍛えられたからである。
だから、ボキは性格がひん曲がってしまった。素直でないのである。これは大いなる欠点である。(_ _ )/ハンセイしている。
(_ _ )/ハンセイばかりだけどねぇ。すべてが。
それにしても、飽きたなぁ。なにをしても飽きたという実感だ。生涯学習ごっこをヤメタからかなぁ。それもあるな。もっとも、生涯学習ごっこはなにも大学で学び直しをしていることだけが該当するわけではない。対象なんてなんでも良いのである。
自分自身がこれぞ生涯学習ごっこと思っていれば良いだけである。大学で学び直しをしていると次から次へと大学を変えるしかなくなる。学歴の連続追求をしていたって、そんなもんがナニになるだろうと思っているからである。
そういう意味では病気になって某大学大学院を中退したのも、良い経験であった。お灸をすえられたと思っている。勘違い人生にである。学び直し人生なんて、どこにいてもできるからである。そこのところを勘違いしていたからである。
西行のように桜を求めて、旅をしていてもいいではないか。
今月末に、皇居乾門に行ってくるけど。桜が咲いていたら見事だろうなぁと思う。
もっとも、ボキは帰り落語を聞きに行くけど。どこの小屋に行くかなぁ。浅草にするか、上野にするか、新宿にするか迷っている。
これもまた生涯学習ごっこだとは言わない。それはただの娯楽。楽しみ。趣味。
?
ボキの場合、生涯学習ごっこも趣味でしたなぁ。
わははっははっははははははっははっはははは。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ