と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

九十九里浜の砂粒ばかり追いかけていた。目の前には、大海があったのに気がつかなかった。(_ _ )/ハンセイ

2019年04月03日 05時53分08秒 | とーま君の流儀2019
うつむいて、目の前の砂粒ばかり追いかけていてはならない。砂粒の先には太平洋があったのだ。大海があったのだ。と、昨日県立図書館で読書をしていて中根東里にそう教えていただいた。読書カードを作りながらである。ちなみに、カード式読書法はずいぶんやっている。学部生の時からだから、40年以上になる。

それよりも、中根東里である。ずいぶんと読書をされた方である。朝起きてから、大小便以外はじっと不動の姿勢で読書をされた。同じ事はとてもできないが、せめてその真似はしたいと思っている。もっとも、今だったらエコノミークラス症候群になってしまう。実際エコノミークラス症候群になったから、ボキは、一日2時間は歩くしか無いけど。

昨日思ったのは、中根東里は師匠に認められたいとか、文名が上がるとか、僧侶の修行をしなければならないとかという視点がない。他人が比較の対象に入っていない。ボキもこうありたいもんである。評価して欲しくて行動しているのではない。好きだからやっているだけ。ブログもそうだ。自称文章トレーニングである。惚け防止でやっているだけ。

そして、思った。中根東里は、品格のある偉人だと。品性が違っている。これは武士道精神そのものである。私利私欲がない。

ついでに、新渡戸稲造の「武士道」も買ってきた。図書館の帰り、古書店に寄って。340円。あれは英文だからとてもたちうちできない。訳されている方である。ボキの英語なんて、日記に英文で書いているレベルでしかないから。

この本は、大関貴景勝が武士道精神を言っていたので買ってきたのだ。夕方早めに風呂に入って、風呂の中で読んでいた。ふざけた話である。ちょっとぬらしてしまったけど。

こんなことばかりやっているから、武士道精神とはご縁がないのである。アホでありまする。品性がないのだ。品性どころか、(_ _ )/ハンセイである。

品性というと、世の中には品性にあふれている方々が多い。すてきな紳士淑女である。そういう方々は、まずは無口である。しゃべっても、レベルの高い声をしている。理解しやすい。デカイ声しか発声できないボキとはずいぶん違っている。声の強弱だけで生きてきてしまったボキである。これじゃぁ品性のかけらも無くなってしまうわけである。特に、第二声の発音がよくない。平板である。

ある文芸賞の審査員をさせていただいてから(3年前)、朗読に関心がある。その文芸賞は自分で作った作品を、大きな舞台で朗読することを課しているからである。とりわけ、方言で朗読される方のを拝聴してからしみじみ良いモンだなぁと思ってきたからだ。昨日、選評を書いて送れと言われていたから、宮沢賢治の「永訣の朝」の朗読法と比較しながら書き上げた。ファクスで送れと指示されていたから送った。

すべては、品性と関わってくる。完成はない。ジジイになっても、品性劣悪、学業劣等だからだ。

うううううううううううううううううううううううううううううううむ。

(_ _ )/ハンセイである。
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4月2日(火)のつぶやき

2019年04月03日 05時43分04秒 | とーま君の流儀2019
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/