と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

またバイトが増えた。こうやって頼まれごとをやっていると、タノシイ。惚けている暇がないからだ(^0^)

2019年04月18日 06時54分07秒 | とーま君の流儀2019
またバイトが増えた。これで7つになった。昨日正式に依頼状がきた。もっとも毎日ではない。年間4回くらいである。ただし、幕張まで行かなくちゃならない。内容は書けない。現役時代に在籍していた組織のコーシになった。それだけである。ありがたいもんである。

しかし、「働く」ということはどういうことであろうかと思った。働くと言うことは、ゼニを稼ぐ、報酬を得るという意味はないのだそうな。そもそも、仕事というのは、事に仕えると書く。他人に喜ばれる存在になるために、お仕えするのである。

また巷間よく言われることは、ハタを楽にするという意味もある。働くの反対語は、「はた迷惑」である。周りの人たちに迷惑をかけることである。Businessという単語は、Busyという単語とドッキングしている。Busyは手がふさがっているという意味で、忙しいという意味もあるのだそうな。

どの単語にもゼニをどうやって稼ぐかという意味はない。

周りの人を楽にするために、頼まれごとをいかにこなしていくかということが、ボキの最大の関心事である。いかに儲けるかではなくて、いかに頼まれる存在になっていくか、困った方には協力してあげる、究極的には喜ばれる存在になりたいのである。

だから、好き嫌いで物事を選ばない。あいつが嫌いだから、協力しないというようなスタンスにはないのである。嫌われることはあっても、ボキの方から嫌いだとは言わない。ただし、時間の無駄ということには気をつけている。会っても時間が永遠に消費されるような展開はこっちからご遠慮しているけど。

やる羽目になったら、むしろチャンスである。文句を言わずに取り組む。それでもって可能性が大きく花開くかもしれないではないか。どんな職種でも職場でも、自分をあわせられるヒトの方が楽になる。人生がである。

自分にはあっていない仕事だから、やめちまえではないのである。仕方なくやった仕事でも、淡々とひたすらやり続けていけば活路は開ける。鍋磨き、皿洗い、靴磨きがイヤだからと言っていては話にならない。帝国ホテル元総料理長の村上信夫さんは、料理長を26年間務めた。18歳で帝国ホテルに入社して、洗い場に配属された。そしてそれからが鍋磨きを一生懸命やって、とうとう出世した。もっとある。エリック・ホッファーもそうである。偉大な学者になったが、港湾労働者をやりながらずっと仕事と学問の世界に没頭した。

やる羽目になったことは、文句を言わずに取り組むことが大事である。

頼まれごとがきたら、ボキは過度に緊張しないで適度にやることにしている。あまり緊張して病んではいけない。それがコツである。引き受けたからには、完全にやらなくちゃアカンと思わないことである。

もうこんな生活をして9年目になるが、あっと気がついたことがある。それは、頼まれごとをこなしていっていたら、これがボキの天命だったのだと感じ始めたということである。タノシイからである。ヒトに喜んでもらえるし。先月まで千葉市の私立高校でもバイトをやらせていただいていたが、ジジイでも人気講師であったのだから(^0^)。

ボキは、一つのことしかできない。しかし、これもまた天命であったとシミジミ感じている。

ありがたいことである。

さ、今日は午前中これもまた9年目になった某大学での授業がある。若い大学生と一緒に考え、共に勉強をしてくる。タノシイこと限りなし。


BYE-BYE!
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4月17日(水)のつぶやき

2019年04月18日 06時21分13秒 | とーま君の流儀2019
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/