と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

令和が万葉集から生まれた年号というので、巻の5を読んでいたらナントナント

2019年04月04日 07時04分39秒 | とーま君の流儀2019
今朝も早く起きた。NHKの英会話講座を(ラジオ)聞くためである。3時頃に一回起きたのであるが、もうちょっと寝た。それから4時30分にベッドから離れた。

まだ時間があるので、年号の令和が万葉集から生まれたということを新聞で教えていただいていたので、書庫にある万葉集を手にとってみた。いくつかあるので、武田祐吉先生の万葉集全講を手に取った。明治書院である。簡単に探せるだろうと思ったからでもある。

やおら読み始めたのであるが、巻の5にはすぐれた和歌がいくらでもあるではないか。大伴旅人が冒頭に出てくるし。

世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

この歌は、妻を喪った旅人の歌である。ここから始まっているとは思ってもみなかった。古代人の悲しみがあった。びっくりした。むろん、万葉集もそんなに読みこなしていないからである。古代人の挽歌でもある。

思うに、古代人はけっしてシアワセばかりの人生ではなかったのだ。人生も短かったであろうし。病気にも対応できなかっただろう。病院もないし。病気になったらなったで、祈るしかなかったであろうから。

しかし、現代だってシアワセばかりあるとは限らない。ゼニはあっても、不幸な方々もいるらしい。ボキはゼニのある方々とのおつきあいはないからで。そんな方々を知らないだけである。ドガチャカ・ドガチャカと騒々しい時代でもある。他人との比較だけしか関心がない時代でもある。評価を気にしてばかりいて、自分がない時代でもある。で、退職してから初めて自分はなにをしてきたのだろうかと気がつく。仕事中心で生きてきたから、人間関係もそれしかない。あげくの果てには家族にも捨てられる。こだわりが強いぶんだけ反動も大きい。これはボキも当てはまりそうだったから打鍵しているのである。ボキは、すんでのところで免れたが。でも、(_ _ )/ハンセイはしているけど(^0^)。


万葉集は好きである。なんと言っても庶民の歌が載っている。それに、古代人の叙情がある。旅人のこの歌だって、悲しみが直接伝わってくる。まさに挽歌である。通読した古典でもある。源氏物語は飽きちゃったけど。

万葉集というと折口信夫を思い出す。有名な先生である。憧れの國學院の先生であった。ボキごときでは、とても合格できない大学であった。今、この記事を打鍵しているが、ボキのコンピュータの背後には作り付けの書棚があって、そこに折口信夫全集がデーンとある。柳田国男全集と並んでいる。両方とも60歳過ぎてから神田東陽堂で買った。書店から、宅急便で自宅まで送ってもらったのだった。古本であった。路傍に全本置いてあった。欲しくて欲しくてたまらんかったから、即決で買ったのだった。以来、いつも手にとって勉強させていただいている。

挽歌という響きも良い。叙情である。古代人の叙情。現代の日本人に喪われてしまったシミジミとした叙情。さらに、厳しい生活も書かれている。貴族のような愛欲まみれの生活を送っている現代日本人は、もっともっと万葉集を読むべし。

ボキもだけれども。

さ、今日も二時間ほど歩いてきましょう。

美空ひばりの歌でも聴きながら(^0^)

BYE-BYE!
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4月3日(水)のつぶやき

2019年04月04日 05時39分07秒 | とーま君の流儀2019
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/